過去にもぐる
翌朝、陽葵を会社に送り、フード男が現れないか周りを気にしながらも、何事もなく帰宅した。
いざ電話をしようと思っても、よく考えたらいきなり十二年前の保健医について訊くことはできるのだろうかと思った。まだ在職していたら話は早いけれど、おそらく異動しているだろう。異動先の高校とか訊けるのか? 訊いてもいいのか? 俺自身がその保健医と親しかったのならともかく、正直名前も出てこないのに、知りたいとか話したいとか言って通用するのか。
いろいろ悩み、いきなり保健医とは言わず、まず担任について訊いてみることにした。担任に引き継いでもらえたら、話自体もしやすいかもしれない。高三の担任は男で瀬川とかいったか、と思い返しつつ、俺は昼休みの時間帯を狙って電話をかけてみた。
少しコールは長引いたものの、まだ若そうな男の声が母校の名前を言って電話に出た。俺はつっかえそうな舌が何とかなめらかになるように気をつけて、自分の名前と卒業生であることを名乗った。そして、担任だった瀬川先生がどうしているかとまず訊いてみると、『ああ、瀬川先生はご病気で休職中なんですよね』と返ってきた。
病気。まあ、当時四十代後半ぐらいだったから、おかしくはないか。「休職中ってことは、一応まだ在籍はしてらっしゃるんですか」と問うと、『そうですね、一学期まで二年生に数学を』と相手は言い、『連絡があったと伝えることはできますが、そうしましょうか?』と続けた。「そうしてもらえると助かります」と俺は言ったあと、「実家はもうつながらないと思うので」とスマホの番号も伝えた。
「あの──それと、もうひとり気になる先生がいて。保健の先生……って、やっぱ、もう代わってますよね」
『保健の先生は、僕が赴任してからでも一度変わってますね。僕は四年目なんですが』
「そうですか。当時の先生で、瀬川先生以外の先生っていますか」
『当時って──ええと、何年前でしたっけ』
「十二年前です」
『十年以上前かあ。えー……あ、教頭先生が一度異動したあと、また戻ってきた先生らしいので、もしかしたら当時いたかもしれないですね』
教頭。何か怖いな、ととっさに遠慮しそうになったが、ビビっている場合ではない。「話とかさせてもらえますか」と思い切って言うと、『何か用事っていうなら出ると思いますが』とさすがにちょっと渋られる。
俺は考えたあと、「俺の親友も、そこの卒業生なんですけど」と名前を利用するようで良心が痛みながらも言う。
「事件に巻きこまれて、こないだ亡くなったんです」
『えっ。あ──それは、ええと、お悔やみ……申し上げます』
「それで、犯人はまだつかまってなくて。俺の個人的な心当たりが高校時代にあるんです」
『……はあ』
「だから、当時のことを訊ける先生と話したいんです。警察にも、不確定なことは言えないし……俺が確かめて、警察に証言したくて」
『………、分かり、ました。教頭は──今、席を外していますが、お電話さしあげるように伝えてみます。さっきの番号でいいですか?』
「はい。すみません、いきなりこんな電話」
『いえっ。あの、事件なら……解決、するといいですね』
「……はい。ありがとうございます」
電話を切ると、ソファに沈みこんで大きなため息をついた。
これで、教頭が当時の保健医のことを知っているか、あるいは担任から何か聞けるといいのだけど。あんまり期待しすぎてもよくないか、と自分を牽制しつつ、またスマホで雪舞のことを調べた。
怖かったけれど、雪舞の名前に『彼氏』という単語を加えて検索したりもした。けれど、彼氏がいたとかそういう情報はあがってこなかった。むしろ、『女子高生に親しい友人などはいなかった』という一文をちらほら見かけて、雪舞の遺志を継ぐ人なんていたのだろうかと不安になってくる。
あのフード男と雪舞が関係ないのもやっぱりありうるんだよなあ、と思うと、天森さんに話していいのかと決心もにぶり、俺はしばらく膝を抱えてぼんやりしてしまった。
陽葵が作っていた昼食の焼きそばを昼下がりになってから食べて、そのあと洗濯をした。乾燥までかけると、水まわりの掃除をして時間をつぶす。
十六時が近づいてきて、そろそろ陽葵の迎えに出なきゃな、と出かける準備をしようとしたとき、スマホに電話着信がついた。思わずびくっとしたが、スマホの画面に出ていたのが登録していた高校の名前だったのでほっとして、もしかして教頭なのかと思いながら応答をタップする。
『もしもし。金居くんのケータイで合ってますか』
女の声だったので一瞬臆したものの、「はい、合ってます」と答える。『よかった。私、松林と申しまして』と言ったその人は、俺の母校の現在の教頭だと名乗った。女の人なのか、と何となくほっとしていると、『それから、』とその人は言葉を続ける。
『私は昔、音瀬夕彩の担任でもあったんだけど、もしかして亡くなった友人っていうのは……』
「えっ、夕彩の担任だったんですか」
『うん。金居くんっていうと、音瀬とよく一緒にいた──ええと下の名前、』
「金居瑞栞です」
『ああ、そうだ。やっぱりそうだよね。音瀬のことは、私もニュースで観たよ。……お互いショックだね』
「……はい」
『君のご家族のことも、一緒に報道されてて……本当に、大丈夫?』
「まあ、つらい……ですね。まだ受け入れきれてないです。夕彩のことも」
『そうだね。私もだよ。それで──音瀬のことが、高校時代が関係してるって?』
「というか、夕彩自身は……その、俺の親友だからってことで、たぶん巻きこまれたんですけど」
『……うん』
「先生、雪舞っていう女子生徒のこと憶えてますか?」
『……あの子も忘れられないよ』
「そう、ですよね。あんまり詳しいこと言えないんですけど、雪舞のことが関係してるかもしれないと俺は思ってて。雪舞って、保健の先生と仲がよかった……んですかね?」
『そうみたいだね。雪舞さんが何かと相談してたのは、当時の保健の先生だったよ。先生も、あのことを気に病んでね……今はお仕事をしてらっしゃらないんだ』
「え、そう……なんですか。じゃあ、話すとか、会うっていうのは」
『雪舞さんのことを、何か訊きたいの?』
「えっと、まあ、そうですね」
『じゃあ、それはひかえてあげてほしい。あんまり口外することではないんだけど、白波先生──保健の先生、当時から雪舞さんのことを知っていたのに何も報告しなかったことをひどく責められて、心を壊してしまったんだ。それで、今も入院していると聞いてる』
「えっ……心を壊して入院、っていうと……精神科とかですか」
『そうだね。私もお見舞いに行こうとしたことはあるけど、いわゆる閉鎖病棟だったから無理だったよ』
うつむいて、唇を噛んだ。
おかしなものかもしれないが、保健の先生の心の重圧が俺には分かる気がした。いや、俺は自責だったけど、その白波先生は周りからも雪舞のことで責められまくったのだ。俺が悪夢で仕事を辞めてしまうような人生を送ってきたのだから、白波先生の苦しみはもっとつらいものだったと想像できる。
しかし、そういうことなら、白波先生からは話が聞けない。だが、入院しているのなら、それは犯人も同じか。白波先生からの情報で犯人が動いているというのは、ないということだ。もちろん、あのフード男が白波先生というわけでもなかった。そこまで収穫を期待していたわけではなくも、やはり俺が調べるって限界があるなあと思った。
そのあとも松林先生としばらく話した。夕彩のことを訊かれるので、小学校の先生をしていたことや、元カノと復縁するかもしれなかったことまで話してしまった。『でも、それを俺が全部壊した』とついつぶやくと、『金居くんが背負うことじゃないよ』と松林先生は言った。
『それは、犯人が背負うものだ。自分を責めなくていい』
「……雪舞がどう関係してるか、訊かないんですね」
『あのことも、白波先生があれほど糾弾されなくてよかったみたいに、たとえ金居くんが何か関わっていても責任を感じなくていい。学校側がこんなことを言ってはいけないけど、ひどかったのは、おにいさんだからね』
視線を足元に落とした。
そうなのだろうか。俺は自分を責めすぎているのだろうか。悪かったのは兄貴。それは、俺も思う。俺は、兄貴に言われて雪舞たちに部屋を貸していたわけではない。頼んできたのは雪舞だった。
いや、だけど、雪舞は兄貴に言われてちょろそうな俺に頼んだのだろうし、貸すだけならまだしも俺はその見返りを──
やっと松林先生との電話を切ったときには、部屋が暗くなっていた。ふらふらとソファに座ったが、すぐにはっとしてスマホを見直した。やっぱり、陽葵からメッセが届いている。
『そろそろ仕事終わるよー。』
『あれ、まだ見てない?』
『何かあった?』
慌てて立ち上がった。上着と財布をつかみ、あとはスマホだけ持って部屋を飛び出す。
『すぐ帰るから、お願い、部屋にいてね』
そんな最後の陽葵のメッセから、すでに三十分が経過していた。
【第二十二章へ】
