非常階段-54

時間を戻せたら

 こんなに長く感じられた夏休みは、初めてだと思う。前は、特に小学生の頃は、夏休みなんて底無し沼に与える食事みたいにいくらあっても足りなかった。
 毎日楽しくて、大した悩みもなくて、嫌なことといえば宿題と毎朝のラジオ体操ぐらいで。永遠の命を授かろうとする儀式のように、バカげているのは分かっている。それでもすごく思う、できることなら昔に戻ってやり直したい。
 ゲイであることが、やり直すとかの問題ではないのは分かっている。やり直せるならこんな、くじらに飲みこまれてその腹の中で暮らすような孤独で暗い、消化しようとされる生活には転落していなかった。
 もし時間を戻せたら、俺は今度こそうまくやる。うまく隠し通す。ホイルに包まれた蒸し焼き料理みたいに本能を包み隠し、絶対にこんな気持ちとか、考え方とか、行動とかを味わわなくていいように。
 こうなったから言えることかもしれないけど、やっぱり思う。こんなことなら、みんなを騙していたほうがよかった。押し隠す苦痛だって、去年の今頃うんざり味わったろうに、今まさに喉元を躙りつけられていると、あちらがマシだったように思える。
 家族や親友、自分を欺いてすりきれた心のきしりはじゅうぶんこの身に受けた。それでも、あの頃のほうがよかったと感じる。ばれていないだけ、誰にも嫌われていないだけマシだったと。
 ひとりぼっちでもなかった。そう思ってしばらくして、そうでもないか、と思い出す。あの頃、俺は、内面的にはすでに孤独だった。誰も本当の、すべてさらけだした俺に咲いかけているわけではない。皮を被っていなければ好かれない──そんなふうに悩んでいた。
 自分を偽り続けていたとしても、今と同じぐらい苦しかったかもしれない。それでも、嘘をついていたほうがよかったとしつこく思う。
 たぶん、カミングアウトしたわけではないせいだ。自分の意志でばらしたわけではない。はっきり言って、みんなに知れたのは不覚なのだ。神だか運命だかに、猫じゃらしにくすぐられる猫のように、もてあそばれたように感じている。
 ああなるよう決まっていた気もする。俺はあの筋書きを逃げられなかった。あの日あの時間に本屋に行って、なくなっていなかった同性愛の本の立ち読みし、同級生に見られる。すべて台本通りに、自分の意志なんか紙一枚もはさめずに、俺は身ぐるみ剥がされた。
 もっとゲイである自分を噛み砕いて、飲みこんで、ゆっくり考えたあと、みずから告白してこんな状況になっていたのなら、俺もちょっとは強かっただろう。何か言われても意見があるから言い返せただろうし、こちらにいても無駄だと見切れば、とっとと非常階段も降りていた。
 しかし、俺は自分と向き合う時間もまともにもらえなかった。飲みこみも噛み砕きもせず、ホモなんかじゃない、と否定しまくった末、やっと観念して口に入れたところだったのだ。俺の自意識は根なし草も同然だったわけで、おかげでこんなに周囲の風当たりに翻弄されている。
 自分で決められなかった。それが大きい。嘘をつくのはつらかったけど、少なくとも自分で決めたことではあった。だから、何とかやっていこうと思った。自分で選んだのだから、間違っているかもしれなくてもそちらに進もうと。
 ばれたことは違う。隠すか晒すか、それは俺の権利だったと思う。なのに、神様は悩むヒマさえ与えず、俺を悪いほうに突き落とした。
 ホモだからか? 天罰? 運命に感情を無視されたように感じる。仕方がなかったなんて、どうしても思えない。猫じゃらしを追いかけて罠にかかった自分が憎たらしい。
 もっと賢く行動すべきだった。バカみたいに思惑にハマって、あの日あの本屋ですべて失った。後悔しかできないよう仕組まれて。
 とはいっても、しょせん天罰だの運命だのは、被害妄想の逆怨みだとも分かっている。本当にそうなのかもしれないし、そういうことにして完結したいとも思うが、俺は同性愛者である自分は憎めない。それだって自分で決められなかったことなのに、どうしても憎みきれない。指向に較べれば、あの日はまだ意志をはさむこともできた。自分で決められたかもしれないのに決められず、無力に泥沼にはまった自分が、俺は真っ先には情けないのだろう。
 できることなら、あの九月の日曜日以前に戻りたい。そして、あの日、本屋には行かない。それだけでいい。それだけでまったく違う一年を送れていた。本当にそうなのだ。些細すぎて信じられないけど、絶対にそうだった。なのに、なぜ俺はこんな、ぬかるんだ畦道に出てしまったのだろう。
 もっと前に戻りたいと思うときもある。この期に及んで往生際が悪いが、自分がゲイだと気づかないままだったらと考える。賢司に再会しなければそうだったかもしれない。あの悪夢を見なければよかったのかもしれない。
 自転車を逆回転に漕ぐような、空まわりした感じにほの暗い記憶が巡る。本当に、何も知らなかった頃はよかった。そんな気持ちに、ごく単純に子供の頃に還りたいときもある。
 友達とそのへんを駆けまわったり、ゲームソフトを貸し合ったり、宿題を写したりする。休日にはとうさんが遊びに連れていってくれて、毎日かあさんが夕食をできあがらせるのをリビングのソファでうずうず待って、雪乃ねえちゃんとはくだらない口喧嘩をする。
 そういうのが、すごく懐かしい。俺にもそういうふうに過ごしていたときはあったのに、今は何なのだろう。一日一回は“死にたい”と思う。
 この十三歳の夏休みもひどかった。一枚、一枚、爪を剥がれるように、日に日に思考と孤立が地下への螺旋階段を下っていく。非常階段を降りて外に向かう勇気はないから、ただ自分の底へともぐりこんでいった。
 吐き気以外は何も残らない四十日間を経て、明日には二学期が始まる。たった数年前までは、こんなはずじゃなかったのに──退屈な疲れに完全に蝕まれ、くたびれたぬいぐるみみたいに、こうして床に座ってベッドにもたれかかっている。

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