非常階段-55

痕跡のない夏休み

 今年も部屋にはクーラーは恵まれず、夏休み、引きこもりな俺は蒸釜じみた室内で絞り足りない雑巾みたいに汗を流し続けた。
 やろうと思えば、できるのは分かっている。まだ涼しい一階に降りるのも、わがままを押し通してリビングのクーラーをつけるのも。しかし、どうしても感情が足元に絡みついて、できない。
 一階にはかあさんがいるし、雪乃ねえちゃんがいるし、休日ならとうさんもいる。家族の顔を見るぐらいなら、ここで砂漠に連れてこられた魚みたいに喘いでいるほうがよかった。
 もはや、俺にとって家族は、単に同じ家に暮らしているだけの人たちだった。食事も一緒に取らないし、シャワーなんかも黙ってさっさと済まして、部屋に戻る。
 食事はもらえるし、洗濯もしてもらえるし、家にだって入れてもらえる。何か言われたり、ましてたたかれたりもしていない。別に何もないのだけど、家庭内で何もないのはかなりの敵意だと思う。親は俺に世話しかせず、愛情とか心配とか関心は絶つようになった。
 世話をしてくれれば、じゅうぶん親だと思っていた。与えられなくなって、気がつく。言葉とか笑顔とかが流れ、家族は家族なのだ。なごやかな空気が遮断されたこの家の中は、ゆいいつ残された義務に絆され、窮屈にきしんでいる。
 まるで、酸素が毒素となる病気にかかったようだ。みんなが俺とつながっている血を恥じ、気持ち悪がり、忌ま忌ましいと思っている。
 夏休みのあいだどうやって生きていくか、養ってもらえる自宅にいるくせに真剣に悩んだ。死なないためにはやらないわけにもいかないことは、たくさんある。できるかぎりみんなと顔を合わせないように、忍者みたいに行動できるようにならないと──考えた末、昼夜反転生活で、みんな寝静まったあと食べたりシャワーを浴びたりすることにした。とはいえ、同じ家でまったく顔を合わせないのも無理で、そういうとき、ちょっと家族の感触を窺ったりする。
 目も言葉も交わすことは減ったが、かあさんは俺を死ぬほど心配はしている。俺が誘拐されて、どんどん時間が過ぎていっているみたいに不安に焦っている。でも、その心配は俺が引きこもりになっていることでなく、ゲイだということへなのだ。自分の何がいけなかったのか、後悔している。困惑し、認められず、いまだに俺がこう言うのを待ってすらいる──あれは冗談だったんだ。
 家族の中で、かあさんだけが、俺を結局は愛しているのを感じさせる。正確には、憎みきれないというべきか。同性愛なんて、とんでもない。でも、俺を鼻をかんだティッシュみたいに捨てるのも耐えられない。狭間で一番葛藤しているのは、かあさんだ。
 だから、まだ俺にどう接するかもはっきりさせられない。できあがっていない料理は、まだテーブルに出せないのと同じだ。愛しているだけで、その気持ちを俺に表わしてそそぎはしない。そして、本音ではこう思っている。そんな指向さえ消してしまえば。かあさんのそういう物言いたげにくすむ目を見ると、俺はやんわり脅迫されるみたいに、自分のほうがかあさんの愛情を踏み躙っているような後ろめたさに怖くなった。
 とうさんには、もうちょっと変化がある。あの人の怒りは測定不能のメーターのようにふれまくっていた。何せ、息子に裏切られたと感じたのだ。自分を侮辱されたかのような、憎悪じみた怒りが燻ったのち、結局、嫌悪感を名残らせつつ落胆を深めつつあるらしい。
 俺はそんな、大木の芽のように将来すごくなりそうな子供ではなかったけど、まあ、落ちぶれたり外れたりするような恐れはない子供だった。それが、ホモ。とうさんにしたら、熊の雌と結婚すると言い出されるほうが、マシだっただろう。
 俺を見て、漆のような目を向けてくることはすりへっている。それより、物乞いを見て見ぬふりするみたいに半分済まなそうに、半分穢らわしそうにそっと目をそらす。それはもう、俺が大人になって出ていく日をただ待とうというような、他人行儀な態度だった。
 とうさんと引き換えに、俺にとげとげしくなっているのは雪乃ねえちゃんだ。春までは冷めて放っているという感じだったのに、今では関わりたくないと言いたげな、うにのような眼を向けてくる。
 雪乃ねえちゃんは何も言わない。でも、俺は確信している。雪乃ねえちゃんは、俺のせいで学校で嫌な目に遭っているのだ。だとしたら、俺は雪乃ねえちゃんに最も何か言えた義理ではなかった。
 やっと夏休みに入って学校を解放されたのに、家の中もとうがらしを食べたあとの舌みたいにぴりぴりしている。俺を怨みたくなる気持ちは分かる。俺との血のつながりを一番疎んでいるのは、雪乃ねえちゃんだ。
 俺はけして彼女にとって、かわいい弟ではなかった。かばいたいとも思わないだろう。口をきくことも少なくなり、話すとしてもそっけなくだ。無駄口をたたくことはない。喧嘩もしない。クラスが離れて疎遠になった友人と廊下ですれちがうように、顔を合わせても相手をばらばらに一瞥するぐらいで口はきかなかった。
 俺が夏休み中でかなり不安だったのは、盆の帰省だ。こんな、取り落として割れたグラスみたいになった家族で、どうやって帰るのだろう。何時間も高速道路で狭い車内に揺られ、誰の神経が一番に参るか、競争もできる。
 親戚にも会いたくない。親戚はまだ知らないだろうが、俺たちのただならぬ空気ですぐ何か察するだろう。祖父母、叔父や叔母、いとこたちの反応をそれぞれに思うと、吐きたいぐらいにぞっとしてくる。
 俺だけ置いていけばいいのに、と思っていたら、家族のほうも似たような不安を持っていたのか、今年の帰省は言い訳をつけて中止になった。
 友達と遊びにいくようなことも、もちろんなかった。夏休み中、弓倉に会ったのは登校日ぐらいだ。八月十五日、みんなこんがりと日焼けしていて、自分だけ給食のパンみたいに生白いのが恥ずかしかったのを憶えている。
 四十日間、数年前なら確実に気が変になっていたほど、外に出なかった。ときおり、深夜、和室を通ってバルコニーに出、植物と一緒に夜風に吹かれたぐらいだ。
 少しずつ熱気が取れて軽くなる風が、芝生の青い匂いを乗せて頬や髪を撫でる。木製のバルコニーに裸足でじかに座り、暗闇の中、臆病な犬の鳴き声を聞いたり、面する通りをすべるようにときどき通っていく車のヘッドライトを見つめたりする。
 月が透き通る夜はその煌めきを見つめ、雲がたなびく夜はそれが緩やかにちぎられていくのに目を凝らす。風のため息も聞こえるほど、夜は静かだ。何の音もない。どこまでも闇を飲みこむ空を眺めていると、手足が空気に溶けて、心までほどけるように感じるときがあった。
 俺だって、安静になったり前向きになったりするときはある。こんな破壊的な思索はやめて、建設的な行動を始めようと。でも、そういう気持ちは絶対に長持ちしないのだ。十分間持てばいいほうだ。どんなに健康な白血球や赤血球を作っても、ウイルスが食いつくしてしまう白血病みたいに、強くなろうという意志を弱さがぱっくり飲みこむ。
 日中は、登校日を除いて、一度も外に出なかった。寝ていたのもあるし、出るのが怖かったのもある。どこかに出かけて知り合いに遭いたくなかったし、近所も通りたくなかった。
 通りかかる俺を、カメラみたいにじっと見つめ、通り過ぎるとひそひそと話すおばさんたちを見かける。俺から幼い子供をそれとなく遠ざける親もいる。近所のマセガキが石を投げつけてきて、「へんたい」と叫んだこともある。
 どこかで見た。“社会は同性愛に理解を持ちつつある”。どこが? 俺はもはやこの家を、町を、社会を逃げ出さない限り助かりそうにない。
 火のそばに転がった蝋人形のように、暑さに汗が絞り取られていく。ベッドに仰向けになって、目を閉じている。頬にしっとりした夕暮れの橙々が染みこんでいるのが分かった。
 外での話し声に被害妄想がかきむしられ、狂犬に噛まれた動物のように暴れ出しそうな精神を何とかなだめる。本当は、ひどい悲鳴をあげて泣きわめきたかった。心の中に降りつもる重みが、怖い。でも、吐き出して誰が受け止めてくれる? 夏休み、汗ばかり流して涙は流さなかった。
 耐えられていないのに、耐えているふりを続け、何かがずたずたになっていく。自分が嫌いだ。ゲイであることは構わないけど、こういう、弱さがすごくつらい。理想がこんなに遠いものだなんて、初めて知った。自分で自分も労われない。家族も、学校も、近所も思っている。俺自身も自分に思う。
 もう死ね。
 ゲイということをさしひいても、自分がひどく虚しく感じられる。でも、その虚しさが、このままで終わる恐怖もかきたてて、俺は潔くもなれない。
 それでも執拗に死にたいと思うのは、罪悪感が憑りついているせいだ。どこかで、友人という言葉を目にする。家族という言葉を耳にする。すると、俺はそれをうまくこなしていない自分が、たまらなくやましくなる。
 当たり前に父を愛し、母を想い、友と助け合っている人を見ると、自分が虫に食われた野菜みたいに、出来損ないなのを感じる。親友はいない。とうさんもかあさんも、ねえちゃんも俺によそよそしい。悪いのは、俺だ。悪いという言い方に語弊があるのなら、原因は俺だ。こうなった理由は、すべて自分にあって、でもゲイだということを否定もできず、ならば俺は指向と共に心中すべきなのかと考える。
 引け目があるから、ずうずうしくもなれない。みんなの前で一階に降りて、平然と言動する。そうするのが怖いのだ。もう、家族とかそういう言葉は聞くのも嫌だ。家族を思い出すとつらいのが、つらい。なぜこんなに落ちこんでしまったのだろう。
 死にたくない。だけど、こんなざまで生き、どんないいことがあるのか分からないから、死んだほうがいい気がする。
 もたれたいとき、そばにいてくれる暖かい肩がない。夏休み、とにかくその苦痛を思い知って過ごした。
 家の中も自由に歩きまわれない。俺は許されていない。
 俺はそんなに強くない。いつまで経ってもゲイである自分を信じられず、進む道も決められないのは、そうやって、誰も自分を尊重しようとしてくれないところを真実として見ているからなのかもしれない。
 八月も下旬になると、学校への不安が胃を吐き気で圧迫したものだった。登校拒否をしてやろうか、とグレた考えを催すときもある。が、しょせん宿題を済まし、用意を済まし、生活の修正も済ましていた。
 望永たちのことはよく知らないから、不安はあるだけで漠然としているのだけど、舞田たちにはどんよりと憂鬱だ。また彼女たちはワイドショウのレポーターのように俺を追いまわし、観念論を振りまわしてくるのだろうか。
 お前らは何にも分かってない。本音では怒鳴りつけてやりたい。俺だって男だ。男が好きだけど、それは心が女だからというわけではない。女の金切り声が耐えがたいときもある。それでも、俺が彼女たちを引っぱたかないのは、女の子に手出しするのはまずいとか、どうせ彼女たちは理解しないとか以上に、周囲の偏見を深めないための気がする。
 ゲイは女を差別している。どこかで聞いた。そういうゲイもいないことはないだろう。だが、俺は違う。舞田たちには、酸欠した魚のえらみたいに頬が引き攣る。
 それはけして、ゲイの女性嫌悪ではない。でも俺が舞田たちをはねつければ、みんなはこう決めつける──あいつは女を嫌ってる! みんなの頭を余計に硬くさせないため、もちろん自分の身のため、舞田たちの無神経な詮索に強気になれなかった。
 現実を生きて年を取り、ホモじいさんになったとき、彼女たちの前に行ってやりたいとたまに思う。そして言ってやるのだ、こんな俺にでも喜べるか? 彼女たちはこう言うに決まっている。
「まだやってるの?」
 だから舞田たちがどんな美しい庇護をしてくれても、信じられなかった。
 彼女たちのおかげで、むしろ現実を突きつけられ、未来を生きて戻れない鍾乳洞のように感じている。そう、大人になるのは、おとぎ話ではない。本当にいつか大人になる。そして死ぬのはさておき、とにかく歳を取る。
 老いを生々しく考えると、心の奥底に悪寒が走る。鋸を押し、引いて、その繰り返しでじわじわと腕が切断されていくような恐怖だ。若いゲイなら、理解されなくもなさそうだ。しかし中年、年寄りのホモなんて、悲惨な想像しかつかない。
 そのとき、俺に恋人はいるのだろうか。ひとりだったら首をくくっていたほうがいいし、恋人がいても幸せかどうか。若い相手ならみじめそうだし、同じ年老いた相手なら醜いだけの気がする。それでも、まあ、醜くてもその人が好きだからと一緒にいるのならいいかもしれない。けれどもうきっと、俺は心から人を愛したり信じたりすることはできない。
 このまま生きていくのは、人食い鰐の住まう沼を泳いでいくようなものだ。向こう岸に着く頃には、骨しかなくなっている。
 そういうことを考えて、死にたくなるときもある。嫌な目に遭い、嫌なことを考え、嫌な気持ちを忘れられない。死ねば、そんな拷問に片はつく。記憶も感情も経験も、刃を滑らせた糸のようにふっつりいく。
 死んだあとのことなんて誰にも分からないけど、たぶん全部消える。俺は跡形もなくなり、それはすごく都合がいいのに、どこかでは怖くもある。自分さえ自分を断罪しながら死ぬなんて、そんな最期はつらすぎる。
 忌まわしい記憶を呪いながら死ぬのも嫌だ。死ぬときぐらい、マシなことを考えたい。でも、今死ねば、俺は確実に嫌な気分に包まれて死ぬ。生涯、一番最期に心に浮かんだ光景が学校や家庭の悪夢だなんて。そんな浮かばれない死に方もない。そして、万一幽霊になってこの感情や精神を永遠に逃れられなくなったら、もはや魂を監獄に入れられるのと同じだ。
 四十日間、考えごとはまるで激流の中で溺れるように、水面で激しく水飛沫を上げたり、水底でぐったり昏睡したりした。いろんなことを考えた。が、考えるばかりで何もしなかった。朦朧としてくるほど長かった夏休みも、ようやく今日で終わる。
 ベッドに伏せって、まくらに顔を埋めている。部屋は真っ暗で、うなじに蒸し暑さがぴったりすりよっていた。
 隣の部屋では、ときどき物音がする。
 明日から二学期で、胸がじりじりと焼けついて吐き気がしている。俺は明日から学校をサボりもしないはずで、だから、この夏休みは何の痕跡も残さないくだらないものだった。ただ、見たくもない現実が視界に毒針を刺し、死ねないのに生きる意欲を失っただけだった。

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