その映画が語ること
性的虐待の話だった。しかも、僕や聖樹さんが受けたような、同性からのものだ。ただ違うのは、主人公が同性愛者だった。だから彼は、こんな悩みに切り刻まれていた。
自分は同性愛者で。同性に犯されていて。犯されている? 同性が好きなくせに。本当は嬉しいのではないか。心の底では悦んでいるのではないか。気持ちよくなってしまうときもあるではないか。本当は、この涙だって、きっと──。
でも、そんな主人公を見かける、ちょっと荒んだ感じの美少年が現れる。主人公も彼のことは知っている。あんまり素行の良くない生徒で、見かけても案の定助けてなんかくれない。でも、やっと解放されて顔を上げると、彼がいつもこちらを見つめていることに気づく。声はかけてこない。
けれど、ある日、無言で近づいてきて、服を拾い集めてくれる。それを切っかけに、彼が少しずつ、主人公を介抱してくれるようになる。何も言わずに。お礼を言いたいと思い始めた矢先だった。ついに彼が最中に割り込んできて、同級生たちに、見ていてむごいほどの暴力を振るう。
──何で……
同級生が逃げ出すと、彼はやっぱり何も言わずにいなくなる。速くなる鼓動が挟まれる。嫌だ。ダメだ、こんなの。男に惹かれるなんて、こんな気持ち、認めてしまったら──
でも、何だろう。
あの人は、どういうつもりなんだろう。
あの人だって、知ってるよね?
僕は、みんなの言う通りの“ホモ”だって……
──あのっ……
それから、同級生は彼に怯えて手出ししてこなくなった。彼との接点もそれでなくなってしまった。それに息苦しくなる自分を、ついに主人公は彼をつかまえてぶつける。
──どうして、助けてくれたんですか。
──あの人たちの言う通りなんです。
──僕、ホモだから……
──きっとみんなが正しいんです。
──自覚できないところでは、きっと嬉しいんです。
彼は主人公を見つめる。黒い目。鋭い目。でも、静かにその目が痛みを帯びる。
──俺には、君が楽しんでるようには見えない。
──つらそうだから。
──助けたいと思った。
そこから、どんどん物語は進んでいった。嫌な映画だな、気持ち悪い映画だな、そう思っていたのに、いつの間にかその世界に入りこんでいた。彼への恋心を嫌悪する主人公。もうひとりの同性愛者の少年。その少年には恋人がいて、主人公にはただの友人なのに、行き違いで彼と気まずくなってしまう。それにつけいって、また主人公は襲われる。
彼は現れない。その絶望感が、哀しく恋心を浮き彫りにする。でも、友人の少年の計らいで、再び彼が目の前にやってくる。
──俺、自信ないんだ。
冬の真っ白い息が、主人公の涙で滲んで映る。
──だから、こんな自分曲げてやろうって、そのうち不良とか言われて。
主人公のまばたきで、ぶれていた映像も晴れる。彼のすがたが鮮明に浮かぶ。
──俺じゃ、ダメか?
その台詞は、たぶんすべての人の胸に来る。
──俺がお前を守る。
もう映像は鮮やかなのに、どうしても視界が濡れてぼやける。
──だから、そばにいさせてくれないか。
自分は何も返せないと躊躇う主人公に、彼はきっぱりと言った。
──お前が好きだって思えるだけで、俺の誇りなんだ。
そして、例の友人の少年の恋人であるジャーナリストが、主人公の体験を取材したいと申し出てくる。主人公は悩む。自分の体験なんか、晒したところでどうなるのだろう。そんな頃、恋人になった
主人公と彼は、ふたりきりになる。そんな雰囲気になりかけた瞬間──
目が痛くなるようなすさまじいフラッシュバックの映像。
何で?
何で彼にも?
距離が空いてしまったものの、相談に乗ってくれる友人がいて、何とか主人公は彼を再び訪ねる。謝った彼に、主人公は首を振る。
この人が好き。
応えたい。
愛し合いたい。
そして、ふたりは結ばれて。主人公は取材を受けることを決める。記事の発売日の前日まで日々は進む。彼と手をつないでいる主人公。
すごく、すごく、幸せそうな笑顔。
つながれた手からこぼれる、手作りのような温かい絆。
溶け合った手の熱が紡ぐ、この世でふたりだけの愛──
「これ……」
エンドクレジットがいっさいなく終わったのは、演出でなく、主題歌にしたいXENONの答えを待っているからだろう。音声はあってもBGMなどはない、まだ製作段階の映像なのに、圧巻すぎて──僕が思わず呆けていると、隣の聖樹さんがつぶやいた。
「実話、かな」
「……え」
「何か、もしかしたら」
「ほ、ほんとの話なの、これ」
「最後、取材とかされてたし」
「あ……」
「モデルはいるのかも」
僕は大きく息を吐き、すごい、と思った。こんなに入りこんだ映画は初めてだ。あの寄せ書きもよく分かった。本当に、僕たちと親しい四人にオファーなんて、どんな因果だろう。
僕と聖樹さんの意見が欲しいのも分かる。こんなに感度の高い映画だし、紫苑さんならインスピレーションが来るだろう。そして、梨羽さんは思うはずだ。これは、自分が歌う作品だ、と。
「悠紗には、見せる?」
僕がそう訊くと、「見せてあげたほうがいいね」とDVDを取り出しながら聖樹さんは咲った。僕も咲いながら、脳裏によぎった人にも見せたいと思った。悠紗が見たら借りていいかを問うと、聖樹さんは快諾してくれた。
「千羽ちゃん?」
そう訊かれたけど、僕は首を振った。XENONに送るメールを考えさせられ、「何これ、マジすごいんだけど」と悠紗も観終わって興奮したその映画を、見せたかったのは──
「えと、お邪魔します」
しずしずとスニーカーを脱ぐ僕に、「適当に座って」と先にワンルームに上がった沙霧は、敷いたままの上のふとんの上のものを蹴りやって、ビニールぶくろを置いた。
僕は沙霧の部屋に来るのは初めてだった。とはいえ、通学の路線上にあるので、今日も千羽ちゃんと校門で別れた学校帰りでもある。聖樹さんに今日は夕食はいらないと朝に言っておいた通り、僕たちはファーストフードでハンバーガーをテイクアウトしてきた。
ふとんの上に置かれたビニールぶくろがそうで、あぐらをかいた沙霧が、さっそくいい匂いの包みを取り出す。僕は沙霧の正面に座り、荷物をおろしながらふとんに触れた。
「ちゃんと干してる?」
沙霧は僕を見て、「兄貴もまずそれ言うだろうな」と噴き出した。
「だって。干さないと裏にカビが生えたりするよ」
「まあいいじゃん。とりあえず食おうぜ」
沙霧が身の周りに若干だらしないのは知っているので、僕もうるさく言わずにハンバーガーを取り出した。ポテトはLサイズをふたりで分けようと沙霧がおごってくれた。それから僕はサラダ、沙霧はナゲットをオプションでつけた。飲み物は僕は烏龍茶、沙霧はコーラだ。
しばらく黙々と食べていたけど、不意に沙霧が笑ったので首をかしげる。
「いや、何か懐かしいな」
「えっ」
「ここに悠がいたら、昔よく、やってたじゃん。床でピクニック」
「あ、そうだね。懐かしい」
「悠も生意気になったよなー。『沙霧くんの彼女知らないんだけど』とか普通にメールしてくるし」
「いないの?」
「彼女?」
「いや、彼氏……になるのかな」
「いない。できたことない」
「……そっか」と僕はチキンハンバーガーにかぶりつく。沙霧さんは瞳を優しくして咲った。
「ちょっとな、遊んでみたりはしてみたんだ」
「え、ほんと」
「ああ。でも、何か違うんだよなあ。何だろうな、好きとか。恋愛とか──」
沙霧さんは僕は左手を見て、「あ、」と僕は相変わらず恥ずかしくなってしまう。
「今は萌梨のが先輩なんだよな」
「そんなこと、ないよ。僕、彼氏らしいことしてあげられないし」
「でも、あの子、萌梨の隣で幸せそうだったぜ」
「そう、なの……かな」
「恋愛か。二十歳すぎると、どんどんどうでもよくなってくるんだよなあ」
「僕は、沙霧に好きな人できてほしいけど──あ、それでね。その、メールに書いたDVD」
「ああ。え、やっぱ映画に曲書いたらデビューだよな」
「デビューはしないって要さんからのメールに書いてた」
「インディーズのまま、天海智生の映画に主題歌つけんのか。すげ」
「僕も聖樹さんも、梨羽さんしかいないと思うってメールしたよ。プレッシャーになるかもしれなくても、やっぱり、あの映画は梨羽さんのための作品に感じる」
「ふうん。で、それ見せてくれんだな。いいのか、俺。すっげ部外者なのに」
「ん……見てね、沙霧にも前向きになってほしい」
沙霧は僕の真剣な視線を見て、肩をすくめると、受け取ったDVDをゲームのハードに接続した。それから、黒い喘ぎからまたあの長い映画が始まる。
見るのが二度目だと多少冷静になれて、主人公たちの台詞も改めて聞くことができた。沙霧も、初めはポテトをつまみながら見ていたのに、いつの間にかじっと入りこんでいた。
──僕は男だから彼に惹かれたんじゃない。
──彼が彼だから惹かれたんだ。
ハンバーガーを片づけた僕は膝を抱え、そうだよな、と思った。僕が好きなのは千羽ちゃんだ。男とか、女の子とか、そういうくくりではない。千羽ちゃんだから、好きになった。
──セックスとレイプ、やってることは同じでもぜんぜん違うだろ?
そう、僕が千羽ちゃんにしてあげたいことと、あのことは違うのだ。同じなんかじゃない。あのことは一方的なレイプだった。僕が千羽ちゃんに、いや、千羽ちゃんとしたいのは──。
【第十五章へ】
