水鏡に映して-7

女の子として

 中学一年生が終わった。バレンタイン以来、入るのが気まずかった教室も今日でおしまいだ。終了式が終わると、紗琴と合流して学校を出た。
 紗琴がうつむいているから心配すると、「『クラス変わるし、もう守れないぞ』って言われた」と泣き顔のような笑みで答えられた。あたしも泣きそうになって、自分も含めて「早く忘れないとね」と言うと、紗琴はこくんとした。
 春休みになると、優しくなった気候に昼は紗琴と出かけたりしつつ、夜はどちらかの家で宿題もないのでのんびりした。カレンダーは四月にめくれて、それでもまだ夜になると肌寒いからカーディガンを羽織る。
 そんなある日、紗琴が何やらPCに熱心に入りこんでいたから、あたしはペットボトルのお茶を飲みながら背後から覗きこんでみた。紗琴はあたしを振り返り、「十代のセクマイのSNSだって」とPCのかたわらにあったカップのミルクティーを口にする。ブラウザにはチャットルームが映っていて、どんどん会話が流れている。
「かなり人いるね」
「夜だし、春休みだからかな」
「なるほど。入ってみないの?」
「アカウント取らないと、参加できないみたい」
「取るだけ取れば? 適当な名前でいいんでしょ」
「チャット見てたらみんなすごくて」
「すごい」
「オフ会をかなりやってるみたい。さっきから、話題もそのことばっかり」
 PCに向き直った紗琴の瞳に、画面が白く光って映る。「オフかあ」とあたしは渋くつぶやいた。
「茉莉は行ったことある? オフとか」
「ネ友自体持ったことない」
「……そうだよね。何か怖い。何人か日記も見たけど、みんな書いてるのオフのことばっかりで。行けない人のことはあんまり考えてないみたい」
「そんなもんなんだ」
「十代限定のSNSだから、会うとかに軽くなるのかな」
「紗琴は気をつけたほうがいいよ。かわいいから」
「か、かわいいかは分からないけど、……ほんとに、絶対十代かなってあるし」
「そっか。いや、十代なら安全ってこともないでしょ」
「うん……。ゆっくりメール交換とかできないのかな。それならできそう」
「紗琴みたいな子もいると思うけどなあ。オフは無理で、メル友が希望とか書けないの?」
「書いていいのかな。ここはオフイベントメインだし、違うとこ探したほうがいいかもしれない」
「候補ある?」
「いくつか。話すなら、大人の人のほうがいいかなあとも思う。実際、手術した人がいたら話してみたい」
「そっか、大人だと経験が聞けるもんね」
「でも、やっぱり最終的には会わなきゃいけないのかなあ。それがなければなあ……」
 今は男の子の格好の紗琴に、紗琴は女の子の格好をしてひとりで歩いたこともないよな、と思う。もちろんあたしまでくっついていったら、相手に失礼になるのだろう。
 あたしたちは一緒にネットを彷徨い、結局紗琴は有名なSNSのアカウントを取って、あたしもスマホから同じSNSに登録してひとまず相互しておいた。「今度プロフィールも考えておく」と目が疲れた様子の紗琴は、そう言ってPCの電源を落とした。
 そうしていると、春休みが終わって中学二年生になった。ピンク色の桜があふれて、アスファルトにひらひらとこぼれおちていく。凍てつく厳しさのあった空の青も、何となく柔らかくなった。太陽が草花の匂いを温め、風に乗せて空中に逃がす。
 新二年生と新三年生は、始業式後には掲示板のクラス発表の前に集まってざわめくのがしきたりだ。あたしは一組から自分の名前を探していて、すると、「クラス一緒だよ!」と隣にいた紗琴が先に嬉しそうにあたしの制服を引っ張った。確認すると、同じ三組にあたしの名前も紗琴の名前もある。「やった!」とあたしたちは不安を吹き飛ばした笑顔で見合った。
 そして、同じように喜ぶ子、逆にがっかりする子たちの隙間を縫って、一緒に二年三組の教室に向かって新しい担任を待つ。やってきた担任の軽い挨拶とプリント配布が終わると、あたしと紗琴はそそくさとまた集まった。
「秋葉くんはいないね」
 まだ生徒が残るクラスを見まわし、紗琴はそう言った。あたしも「暮村くんいない」と返し、お互いそこはよかったとほっと息をつく。「まあ、紗琴と同じクラスならそれが一番嬉しい」とあたしが言い、紗琴がにっこりとうなずいたときだ。
「おい」と突然あたしは後頭部を小突かれ、「あ」と紗琴がはたと目を開いた。眉を顰めて振り返ったあたしも、思わず目をみはる。
「お前らもこのクラスかよ」
 とっさに言葉に詰まる。そこで眇目をして、あたしたちを見下ろしているのは、派手な金髪に較べれば落ち着いた茶髪になった、佐内くんだった。
「えっ、佐内くん──も、このクラス?」
「まあな」
「金髪じゃなくなってる」
「買うブリーチ間違えた」
 言いながら、佐内くんは紗琴に目をやった。紗琴はうつむいて、目も伏せてしまう。佐内くんはあたしに目を戻して、「何か」と息をついた。
「お前らって、つきあってるみたいだよな」
「は? どこが?」
「ふん。あんまり女同士でいちゃいちゃすんなよ」
「うるさいなー」
「じゃあな。一年よろしく」
 そう言うと、佐内くんはあたしたちのかたわらを抜けて教室を出ていってしまった。やっぱあいつ失礼だな、とむくれてから、紗琴を見る。
 すると、紗琴はうつむくまま少し頬を染めていた。「どうかした?」と覗きこむと、「あ、」と紗琴は小さくあたしに目を向ける。
「お、女同士、って」
「え」
「今、佐内くんが」
「あ──」
「女の子、って見てくれることにしてくれたのかな」
 教室で人もいるし、そう見られる自信もないのか、首をかしげる紗琴は抑えた声で言う。あたしはちょっと空中を見て、どう答えればいいのかに迷った。肯定するほど佐内くんの視点が分からないし、否定するのは紗琴を傷つけそうだし。
 でも、あたしが意見しなくても、佐内くんが「女同士」と述べたのは事実なわけで、「少し嬉しい」と紗琴はひかえめに咲った。「そっか」とあたしも咲ってうなずいて、ひとまず帰宅をうながすことにした。
 そうして、あたしたちの中学二年生が始まった。お正月のあの夜からぱったり関わってこなくなっていたわりに、佐内くんはよくあたしと紗琴に絡んできた。男女別れるときは、以前の秋葉くんのように、佐内くんが紗琴と一緒にいてくれてるみたいだ。
 紗琴はぎこちなくながらも、佐内くんと話している。好きになりかけてるのかなあ、と紗琴と話す佐内くんを一瞥して、あたしが文句を言うことではないと思うものの、ふたりのタイプは違いすぎる気がした。それでも、もちろん邪魔なんてせずに見守って、初夏が過ぎる頃、「今日は佐内くんと帰っていいかな」なんて紗琴が言ってもあたしはうなずいていた。
 五月末、一瞬夏の匂いが気候を圧したけど、六月になって梅雨になって、あたりは湿った空気に覆われた。光もぶあつい雲にさえぎられ、肌に雨粒が絡みつく。その日も雨で、傘で防ぎきれない横殴りに足元を濡らしながら、紗琴と教室に着いた。
「おはよう」と紗琴はずいぶん佐内くんに自分からも近づくようになった。席で漫画雑誌を読んでいた佐内くんは、「はよ」と腕を伸ばして紗琴の頭をくしゃっとする。
 あたしはクラスのほかの友達としゃべりはじめつつ、雨の窓際にいる紗琴と佐内くんを盗み見て、あんまり心配するのも小うるさいよなあと思った。
「佐内くんに、今度家に遊びにこないかって言われたんだけど」
 その日は、佐内くんは午前中だけ出て勝手に早退してしまったから、紗琴はあたしと一緒に帰っていた。雨音がけっこう激しく傘を撃ちつけて、たまにひやりと腕や足に雨水が飛ぶ。紗琴はあたしの名前を呼んで、しばらく言いよどんだものの、やっと小さな声でそう言った。
「佐内くんの家」
「ゲームたくさん持ってるから教えてくれるって」
「ふうん」
「行っても、いいかな」
 思わず噴き出してしまって、「いいと思うよ」とあたしは紗琴の引っ込み思案な目を見る。
「あたしの許可はいらないし」
「もし、茉莉も来たかったら」
「あたしは呼ばれてないし、もうそんな佐内くんと話してるわけでもないもん。紗琴のが仲いいよ」
「……何か、ごめん」
「どうして。佐内くん、紗琴には優しいみたいだし。行っておいでよ」
「ん……」
「あ、もしかしてあんまり行きたくない?」
「そういうわけじゃないけど。何か、その──緊張する」
 紗琴の白い頬を見つめて、あたしは傘を動かして首をかしげた。
「紗琴は、佐内くんが好きなの?」
「えっ」
「どっちなんだろって思ってた」
「……わ、分かん、ない。ただ、知ってるのに仲良くしてくれるのは嬉しい。秋葉くんのときみたいに、すごくどきどきするとかはない」
「緊張はするんだ?」
「それは、まあ──男の子だから」
「そっか」
「じゃあ、今度、佐内くんと遊んでみるね」
「うん。何かあれば、相談してくれていいから」
「ありがと。茉莉がそう言ってくれてると心強い」
 あたしたちは雨の中で笑みを交わし、いつのまにかたどりついていた団地の中を進んだ。
 紗琴と佐内くんか、と改めてふたりを並べて考える。やっぱり釣り合わないなあと思うけど、あたしの印象で親しくなるふたりを裂くことはない。紗琴の事情を分かってくれているなら、あたしもふたりを理解すべきだろう。わりと紗琴を泣かせることはしそうにないしな、と紗琴を見るときの佐内くんの目を想った。

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