水鏡に映して-11

もう大丈夫だよ

 紗琴と一緒に保健の先生から事情を聞いた紗琴のおばさんは、「もう学校行かなくていいよ」と言った。保健の先生も「校長先生の言うことは聞かなくていいと思うよ」と言った。
 ベッドで上体を起こす紗琴はあたしを見た。「茉莉は?」と言われて、あたしは少し考えて、「何で紗琴が負けなきゃいけないのか分からない」とつぶやいた。
「負ける、って」
「別に不登校は負けとかじゃないけど。あたしは、紗琴と頑張って学校に来ようって決めた。何でそれを否定されるの? 何でそれを謝るの? 学校来るなみたいなこと言われて、その通りにするのは許せない」
「茉莉ちゃん……」
「でもね、聖園さん。こんなこと言うから、先生も校長先生によく思われないのかもしれないけど。逃げるのも、負けるのも、選択であって悪いことじゃないんだよ」
 保健の先生を見た。あれからあたしも紗琴も授業に出ずに保健室にいて、陽射しは南中から少しかたむいた。
「闘うってすごいことだけど、守ることも必要なときはある。今は、心を守ったほうがいいんじゃないかな」
「……でも」
「紗琴は?」
 あたしの隣でベッドサイドに腰かけるおばさんは、そう紗琴を向いた。紗琴はとまどった顔になる。
「紗琴はどうしたいのよ」
「………、みんな──クラスの人たちは、分かろうとしてくれて」
「うん」
「それは、すごく、嬉しかった」
 おばさんは優しく紗琴を見つめている。でもおばさんが受容を決めたとまだ知らない紗琴は、畏縮したまま続ける。
「だから、みんなと……茉莉たちと、教室にいたい」
「そっか」とおばさんはうなずいてから、「じゃあ」と言葉をつなぐ。
「みんなの前で謝るの?」
「……何、を、謝ればいいかは分からないから。ちょっと、考える……」
「謝りたくないって言えばいいじゃん。でも学校には来たらいい。それでいいよ」
 あたしの言葉に紗琴は顔をこちらに向け、「いいのかな」と首をかしげる。すると、「そうしてたら」と立っている保健の先生が愁眉を見せる。
「それこそ、校長先生に直接ひどいことを言われるよ。それでもいいなら、もちろん、学校に来ないでなんて先生も言わないけれど」
「校長だから、停学にもできるんですかね?」
 おばさんは保健の先生を見て、保健の先生は首をかたむける。
「公立中学だから、滅多に停学はないと思いますけど。でも心配ですね」
「今のクラスだから学校来たいって言うなら、私立に転校すればいいって話でもないよねえ」
「転校は、したくない」
「分かってる。大丈夫だよ」
 おばさんの言葉に紗琴はあたしを見て、あたしも紗琴を見た。おばさんと保健の先生は、校長の権限がどこまでかを話し合う。あたしはそれを邪魔しない抑えた声で紗琴に言った。
「校長とかおかしいのもいるけど、みんなさ、意外と分かってるんだよ。更衣室でも、男子は紗琴とあたしじゃなくて佐内くんが悪いって感じで先生に説明してくれたし」
「うん」
「だから、分かってくれてる人たちに、『ありがとう』って、言いに来たいよね」
 紗琴はあたしをじっと見つめてから、「うん」と膝にかかるふとんを握った。
 そのときチャイムが鳴り、「とりあえず今日は早退で」と紗琴はおばさんと先に帰ることになった。おばさんが教室に紗琴の荷物を取りにいっているあいだに、紗琴はあたしに「夜に話したい」と言った。「メッセして」とあたしはうなずき、それから、保健の先生と紗琴とおばさんを見送った。
「じゃあ聖園さんは教室に」と言われて、あとは六時間目だけだけど、素直に保健の先生に会釈して教室に戻った。
 教室には佐内くんのすがたがあった。まだいたのかと内心毒づきながら席に着くと、何人かの女子が紗琴の心配をして、「あれ拡散した人、もうブロックした」とも言ってくれる子もいた。
 あたしのTLにあの拡散を流したのは、たぶんこの学校の裏サイトの情報アカウントだと思う。そんなもの切りたいけど、今日みたいに万が一の場合にすぐ事を知ることができるから、一応つなげている。
 いろいろ訊かれても、紗琴が全校生徒の前で謝罪するなんて話はこの場では出さなかった。そんな話が聞こえてきたら、佐内くんはまたずうずうしく大きな顔をするだろう。
 六時間目と帰りのホームルームが終わると、あたしはひとりで帰宅した。
 急に涼しくなって、今着ているのは夏服でも、制服はすでに冬服も用意してある。団地の中を歩くと、枯葉が掃除されて並み木の根元に集められていた。
 授業は四時間目と五時間目はサボったのに、何だか疲れていると思ったらお昼を食べていない。家に着くとスマホはかたわらに置いて、「食べる時間なかったから」と怪訝そうなおかあさんにはそう説明して、リビングでお弁当を食べた。
 宿題が今日も出ているけれど、やる気が起きなくてソファでぐったりしていた。やっとシャワーを浴びたのは二十時過ぎで、部屋に帰るとスマホがちかちか光っていて慌てて駆け寄った。紗琴からメッセと通話の着信履歴があって、急いで通話をかける。
『あ、茉莉。ごめんね。いそがしかった?』
「ううん。お風呂入ってただけ。出れなくてごめん」
『遅くなっちゃった。もう二十一時まわっちゃうね』
「あたしは、あとは宿題やって寝るだけだから。紗琴はおばさんたちと話してたんでしょ」
『うん。家にも電話が来た。次の土曜の全校集会で、謝りなさいって』
「校長?」
『担任の先生だった。でも、無理するなって、休んでもいいって言ってくれた』
「その日だけ休めば何とかあるのかな」
『どうだろ。また機会作られるとは思う』
「そっか。あー、あの校長腹立つなあ。バカなんじゃないの。分かろうとしてくれてる人もいるのにさ」
『うん──。あ、それとね、宿題やってるあいだにおとうさんとおかあさんだけで話して、それから言ってくれたんだけど。何か、これからは娘と思っていいかなって』
「言ってもらえたの?」と思わず声をはずませると、『うん』と紗琴は安堵を混ぜた嬉しそうな声で言った。
『おかあさん、これまで息子ってことばっかり言ってごめんねって。やっぱ女の子だよねって言ってくれて。茉莉とも話したんだよね』
「今日、保健室で少し」
『おとうさんもね、親のためじゃなくて、自分のための人生でいいよって。それで女の子なら、ちゃんと応援するからって』
「そっかあ。よかったね」
『うん。それで、もちろん男と思ってても許せないけど。女の子だと思うと、余計佐内くんたちのことが許せないって言ってた』
「そうだよね。親なら、すごくそう感じると思う」
『考えてるんだけど、いろいろ。謝らないとか、一応かたちだけ謝っておくとか。学校にもう行かないのも、やっぱ考える。おとうさんとおかあさんが、もう分かってくれてるから。理解されてなくて、家にいるのはつらいかなっていうのがあったけど。それはなくなったんだし』
「……うん」
『ごめんね』
「ううん。でも、紗琴が来なくなったら、きっとみんな寂しいって思うよ」
『そう、かな』
「あたしはそう思う」
『……ありがと。学校は、なるべく行くよ。ほんとに、みんなも頑張って理解しようとしてくれてるんだし。それがすごく嬉しいし。だからね、ひとつ、考えてることがある』
「考えてること」
『謝らないし、でも、土曜日に休みもしない方法』
「あるの?」
『うん。もし、茉莉が賛成してくれるならそれを頑張ってみる。えっと、あのね──
 あたしは聞こえてくる紗琴の話に熱心に聞き入り、考えるまでもなく、「紗琴がそれをできるなら一番だと思う」と言った。『かなり勇気がいるけど』と紗琴はまだ迷っている声で言う。その躊躇に「あたしはそれを応援したい」と返すと、『うん』と紗琴は小さく答え、『じゃあ、土曜日はそれを頑張ってみる』と気を引き締めた声で言った。
 それが、木曜日の夜だった。『明日はおかあさんにも言われてるから休んでおく』と紗琴は言った。土曜日のその計画を考えるとゆっくり考えたほうがいいだろうから、あたしもさすがに学校は勧めなかった。
 おやすみを言い交わして通話を切ると、しばらく紗琴を想って、あたしも頑張ろうとようやく宿題を片づけた。そして寝支度してから、明かりを消し、シーツが冷たいベッドにもぐりこんだ。
 金曜日は、紗琴の不在が不登校につながるのかと、やはりクラス全体が心配に浮いていた。紗琴のことを尋ねてきたクラスメイトに、「明日は来るって言ってた」とあたしが言ったのが聞こえたらしい佐内くんと仲間が、「オカマは自己主張するより空気読めよな」とか言っていた。
 あたしはそちらを睨みつけそうになったけど、あえて無視した。あんな奴ら、もう同じ次元じゃない。嫌がらせさえ日陰でしかできない。紗琴はそんなレベルの子じゃない。しっかり、太陽の下で自分を見せようと頑張っている。

第十二章へ

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