水鏡に映して-12

叫び

 土曜日の朝、紗琴はおとといの通話より不安そうになって、あたしを通り道で待っていた。一緒に歩き出して、「ほんとにできるかな」とあたしとつないだ手を握る。「できるよ」とあたしは握り返し、「ちゃんと見てるから」と言い添えた。
 十月もあと一週間で終わる。髪を舞い上げる風はひやりと冷たく、あたしも紗琴も冬服だ。並み木が零した枯葉が、アスファルトを乾いた音を立ててかすっていく。空気が澄んだよく晴れた日だった。
 にぎやかな教室に紗琴が現れると、「大丈夫?」と駆け寄ってくる女子たちや、「不登校始めるんじゃなかったんだ」と見直すように顔を合わせる男子たちがいた。
 佐内くんを取り巻いていた違うクラスからの仲間も、立場の気まずさがおもしろくないのか、自分の教室に帰っていった。紗琴は佐内くんのほうを見なかったけど、佐内くんは怨めしそうに紗琴を見ている。
 チャイムが鳴ってやってきた先生は紗琴のすがたにちょっと驚き、ホームルームを終えてから「いいのか?」と懸念をたたえていた。紗琴はこくんとして、「ちゃんと前に出ます」と言ったのも聞こえた。先生が去ってから、「何のこと?」と隣の席の子に聞かれた紗琴は、曖昧に咲っていた。
 全校集会は体育館で、土曜日の最後の時間、三時間目に置かれている。いつもあの校長の話が長くて、そのあとイジメとか障害者とか道徳的な話が挟まれ、そのあいだ立ちっぱなしの生徒たちは正直うんざりする。
 校長が壇上に上がって、先日ニュースになっていた少年犯罪について語り出した。どう紗琴の話に持っていって呼び出すのかなあと思っていたら、まるで校長は、自分が押しつけたことは伏せるみたいに、みずからの口からは紗琴に何も触れずに壇上を降りた。
 何あいつふざけてんの、と思っていると、こそこそと紗琴は知らない先生に呼ばれて列を離れ、壇上の袖のドアの中に連れていかれる。そのとき壇上にいたのは二年生の学年主任だった。
「二学期になってから、二年生のあいだで問題が起きています。ある生徒の個人的な写真が、インターネットにアップロードされたり、校内で配られたりしています。いいですか、皆さん。クラスメイトの顔写真などを、勝手にインターネットにアップロードしたりするのは絶対にやめましょう。それがどんな犯罪につながるか、ちゃんと考えてください。そしてもちろん、見られて困るような写真を撮らせないことも大切です。今回の二年生の件は、撮らせた生徒に問題があったのも事実です。そのことはその生徒自身よく反省していて、今日は皆さんの前で今回のことを謝ってもらうことになりました。皆さんもその生徒の謝罪を聞いて、同じことを繰り返したり、自分がそんなふうにみんなの前に出て謝ったりすることがないようにしてもらいたいと思います」
 あの学年主任は、校長側みたいだ。聞いているだけでいらいらする。何だかんだ言って、紗琴を公開処刑にして同じ問題を牽制したいだけではないか。
 こんな前置きで紗琴大丈夫かな、とさすがに計画が心配になってくる。学年主任が話を終えて一歩引き、袖に合図を送った。二年生とか言っていたけど、学校全体が知っていることだ。静まり返って全員が注目する体育館の壇上に、ゆっくり床を踏みしめて歩く紗琴が現れた。
 紗琴は生徒会の子にマイクを渡され、壇上の中央に立った。視線を下げていたけど、ふと顔を上げて生徒を見渡す。あたしは紗琴をじっと見つめた。紗琴があたしの位置を確認したかは分からなかった。誰かの咳がひかえめに静寂に混ざる。紗琴は息を吸いこんで、マイクを口元まで持ち上げた。
「僕ではなくて、私とは言えなくて、自分には自称がないから、話が分かりにくいかもしれないけど」
 マイクの声は体育館に響き渡り、紗琴の声をこんなに大きく聞くのは初めてだと思った。
「全部、話します。ほんとのことを、話します。謝ることなんてないって思うから、ちゃんと自分のことを話します」
 壁際に並んでいた校長や学年主任たちが、怪訝を察知に切り替えたけど、邪魔に入ろうとした奴を止めてくれる先生もちゃんといた。紗琴は深呼吸して、「話」を始めた。
「子供の頃から、自分は女の子なのにどうして男の子の軆なんだろうって思ってました。幼稚園のときは、いつも女の子の服を着て遊んでました。でも、学校に行くようになって、席の並びも、身体測定も、トイレも、男の子としてあつかわれてばっかりでした。それがすごくつらくて、怖くて……ここじゃないのにって、嫌でした。林間学校の肝試し、修学旅行も部屋割りとかお風呂の時間とか、プールも運動会も、想い出は嫌だったことしか残ってないです。楽しいことなんて、何にも残ってません。全部、男の子として参加させられてたから。男らしくって言われるのも、男なのにって言われるのも、苦しくてたまりませんでした。女の子なのに。初めは違和感くらいだったけど、もう違和感なんてものじゃなくて、ほんとに、心を踏み躙られてました。裸で道を歩かされてるみたいに恥ずかしくて、でも、着ぐるみで偽ってるみたいに息苦しくて。いつも、ぐちゃぐちゃの気持ちで過ごしてました。そして中学生になって、この学校で、好きになったのも男の子でした。でも、同性愛じゃないんです。もしその恋が叶ってたら、女の子として、愛されていたかった。もちろん何も言えずに失恋しましたけど。だから、……あの写真も、女の子だって考えてみてほしいんです。悔しいけど、やっぱりこの軆は男だから、男同士でふざけたとか、そう見えるって分かってます。だけど違うんです。もしあれが、女の子を裸にして、口に入れられて、犯されてる写真だったらって、考えてみてください。そしたら、たぶん分かると思うんです。みんなの前で謝るとか違うって、分かると思うんです。男が好きなんだろって言われて、あんなことされて、何も言えなかった。確かに男の子を好きになります。女の子だから、たくさんの女の子がそうであるみたいに、男の子を好きになる。男が好きって言われても、否定できませんでした。でも、ずっと、たったひとりだけそばにいて、全部分かって、受け入れてくれてきた親友が言ってくれたんです。女の子は許した人と結ばれて、それをするんだって。そう言ってくれた親友にありがとうって言いたいから、こうやって話すことにしました。そして、親友がそう言ってくれて、あんなことされてやっぱり自分は悪くないって思ったことを言いたくて。絶対、悪いのは自分じゃありません。女の子にあんなことした人が、そういう男の子が、悪いって思います」
 紗琴は言葉を切って、目をこすった。体育館はしんとしている。
「女の子、なんです。男の子じゃないんです。お願いだから、信じて……ください。心は、軆以外は、全部女の子で。それで何も恥ずかしくなくて。気持ち悪い人もいるかもしれないけど、それが日向紗琴っていう人間で。謝ることなんかない、って……認めて、ください。認められなくても……せめて、もう、踏み躙らないでください」
 涙を流しているのは紗琴だけじゃなかった。保健の先生も、同じ性の女の子も、あたしも──
『みんなの前に行って、でも謝らずに、自分は女の子だって宣言してみる』
 おとといの夜、紗琴は通話でそう言った。
 言えたね、と思った。言えたね、紗琴。もうあたしだけじゃないよ。みんなが拍手してるよ。この期に及んで怒鳴ってるバカな大人もいるけど。ほとんどみんなに伝わったよ。
 女の子だよ。紗琴は立派な女の子だよ。蹂躙されるべきじゃない女の子だから、もう大丈夫だよ。
 あたしだけじゃない。今、紗琴の言葉が心に響いた子たちみんなが、きっとこれから紗琴を守ってくれる。包んでくれる。受け入れてくれる。
 それでも、保健の先生に肩を抱かれて壇上を降りた紗琴は、たくさん声をかけられながらもまっすぐあたしのところに来た。そして、泣いているまま咲った。あたしはそれに泣きながら咲い返して、紗琴の首に抱きついた。「頑張ったね」と力いっぱい褒めた。紗琴は何度もうなずいてあたしにしがみついた。「茉莉が親友でよかった」と言った紗琴に、あたしは微笑んでその頭を優しく撫でた。
 あたしも、紗琴が親友でよかった。自慢の親友だよ。誰よりも信じてる。紗琴と友達になれて、本当によかった──。

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