ほのかな予感
数日はお昼には帰宅する時間割だったけど、翌週になればきっちり六時間目まで用意された毎日が始まった。あたしはお弁当を取り出すと、「紗琴と食べるから」で友達には理解してもらって、教室を出た。
楽しくてあっという間だった冬は寒かったけど、陽射しが緩やかに暖まってきている。騒がしく行き交う生徒はみんな冬服でも、すぐ気候は初夏に切り替わるのだろう。最近春と秋がないよな、と異常気象が加速する空を見やりながら、廊下の一番奥の六組の教室に到着した。
紗琴は見憶えのある二年のときのクラスメイトの女の子と話していた。でもあたしにすぐ気づいて、話していた子も振り返る。「お昼は聖園と?」と問われた紗琴はこくんとして、「あとでね」と言った。うなずいた彼女は、隣に来たあたしの頭を小突いてからほかの友達の輪に溶けていった。「何か話してたの?」と邪魔ではなかったか気にすると、「五時間目の理科室は一緒に行こうって」と紗琴は微笑んだ。
「そっか。みんな優しい?」
「うん。事情知ってる人ばっかりだしね」
「結果的に、みんなの前でああいうことできて、よかったのかもしれないね」
「そうだね。一部の人しか知らなかったら、嫌がらせとかあったのかもしれないけど」
言いながら、紗琴はかばんからお弁当を取り出す。あたしは教室を見まわし、廊下側の席でひとりでお弁当を食べている男の子を認めた。
さらさらの髪、落ち着いた瞳、軆つきは一年生のときより肩幅や筋肉がついている。
それでも、確かに暮村くんだ。紗琴も暮村くんのほうを見て、あたしを見上げてくる。あたしも紗琴を見た。
「一緒に近づいて話しかける?」
「いきなり、言うの? お礼とか」
「……たぶん、それじゃわけ分かんないよね」
「うん……」
「じゃあ、あたしが『紗琴が話がある』ってここに連れてくる?」
「いいの?」
「二年のとき声かけられたのはあたしだし、一年のときで面識はあるし。たぶん、話は通じるかと」
「じゃあ、お願いしていい、かな」
「ん。分かった」
あたしは紗琴のつくえにお弁当を置いて、一度深呼吸してから、紗琴のためだと振られたこととかは気にせずに踏み出した。並ぶつくえをよけて、同級生の笑い声をくぐって、暮村くんの席に近づいた。
どう声をかけようかなと考えていたら、ふと暮村くんがこちらを見た。その瞳はやっぱりすごく穏やかな色をしていて、ついどきんとしてしまう。暮村くんは首をかしげて、あたしは思い切ってその席の駆け寄った。
「久しぶり」
無意識にそんな何気ない挨拶が口から出ていた。暮村くんは思ったより優しく微笑んで、「久しぶり」と返してきた。
「あれから──ぜんぜん、話せなくて。お礼とかもできなくてごめんね」
「お礼?」
「暮村くんが忠告してくれたでしょ」
「ああ。……役に立てたのかな、一応」
「もちろん。紗琴もすごく感謝してるから」
「そうなんだ。よかった」
「でね、紗琴も暮村くんにお礼言いたいって言ってるんだけど」
「え。いや、そんな大したことはしてないのに」
「だけど、あのとき暮村くんが言ってくれたから。ほんとはね、あたしが悪かったの。暮村くんに言われて、すぐ紗琴にも佐内くんは危ないって伝えてれば」
「伝えなかった、よね。やっぱり」
「ごめん」
「ううん。あのときは、僕も佐内は変わったのかなとも思ってたから」
「暮村くんが念のため言ってくれてたから、何とかなったんだよ。ほんとにありがとう」
「それでじゅうぶんだよ。聖園さんからそう伝えてくれれば」
「あ、いや。それは、紗琴から直接言わせてあげてほしいの。嫌かな?」
暮村くんは首をかしげて、目をそらした。その視線はちょっと弱っている。あたしは自分の表情に笑顔を引っ張り出した。
「一年のとき、好きな人がいる、って」
暮村くんははっとあたしを見上げた。もちろんあたしは声を抑えていたけれど。
「もう、あたしは分かってるから」
少しどぎまぎした様子でも、「そっか」と暮村くんは観念してうなずく。
「直接話すの、恥ずかしい?」
「見てるだけの憧れだから」
「憧れ」
「うまく説明できるか分からない。僕はあの子が聖園さんの隣で咲ってるのが好きなんだ」
「暮村くんって、その、……男の子が」
暮村くんは首を横に振って、「女の子だよ」と言った。
「だから、ずっと恋ではないのかもしれないとか、それとも自分はどっちもなのかとか思ってて。でもあの集会での話を聞いて、やっぱり、と思った。見抜けてたわけじゃないけど、やっぱり、女の子だって感じて惹かれてた気がする」
あたしは思わず笑みをこぼして、「紗琴、そんなこと言われたら、喜ぶより泣くかもしれない」と言った。暮村くんは決まり悪そうに咲う。
「ま、その気持ちを今いきなり伝えろってわけじゃないから。いつか伝えてほしいけど。ただ、紗琴は暮村くんに『ありがとう』って言いたがってるの」
「……そっか。じゃあ──うん、そうしたいと思われてるなら」
暮村くんはお弁当にいったん蓋をして、席を立った。あたしは紗琴をかえりみて、すると目が合って、そわそわしたまばたきに気づく。あたしが微笑したことと、暮村くんが立ち上がったことに、紗琴は表情を緊張させた。
あたしをすりぬけて、紗琴と暮村くんの視線が出逢ったのが分かった。紗琴は少しだけ白い頬を染める。あたしについてきながら、暮村くんも目が伏せがちになる。
あたしは紗琴の席の正面にまわり、暮村くんは紗琴の脇に立った。紗琴は暮村くんを見上げて、暮村くんは憧れている人の前で確かにこわばっている。
「紗琴」とあたしがうながすと、「あ、」と紗琴は軆ごと暮村くんを向いた。
「あ、あの。すみません、その──いろいろ、茉莉に聞いてるんですけど」
「……はい」
「えと、いろいろ、気にかけて心配してもらったみたいで。佐内くんのこととかも、おかげで茉莉がすぐ事情を察してくれて」
「そう、ですか」
「だから、その、ずっとお礼を言いたくて。ほんとに、ありがとうございます」
「いえ。その──よかったです」
「は、はい。去年のあの集会とか、見ましたか」
「見ました」
「あれは、暮村くんにも、お礼言いたかったから。そこまで、話できなかったですけど、ありがとうって」
「みんな、分かってくれてよかったです」
「はい。ほんとに、ありがとうございます」
暮村くんは恐縮と含羞を混ぜる紗琴を見て、小さく微笑んでから、「頑張ったのは聖園さんだから」とゆっくり言葉を選ぶ。
「聖園さんと、ずっと友達でいてください」
紗琴は何度もうなずいた。その慌てた感じに暮村くんはくすりとして、それからあたしを見た。紗琴は頬をほてらせて、瞳も潤ませている。あたしは暮村くんを見た。
「もし、紗琴が男子の中で困ってることがあったら、クラスメイトだし、暮村くんが助けてあげてくれるかな」
「え。あ──そうしてくれるのは、ほかにもいるかも」
「あたしは、暮村くんが一番安心して任せられるの。お願い」
「……いい、ですか? 僕とかでも」
そう訊いた暮村くんを見上げて、紗琴はこくんとした。暮村くんはちょっと照れながらも、柔らかく咲った。紗琴はそれを見つめて、気恥ずかしそうな伏し目になる。
その頭をあたしがぽんぽんとしていると、暮村くんは「早くお昼食べないといけないから」と断り、自分の席に帰っていった。紗琴はその背中を見送り、あたしを見上げてきた。どこか困ったような顔にあたしは咲ってしまう。
「かっこいいでしょ、暮村くん」
「う、うん。……かっこいい」
「きっと紗琴、好きになっちゃうよ」
「えっ」
「なっていいからね」
「で、でも」
「あたしのこと気にして、抑えるなんてしないでね」
あたしはお弁当を開きながら苦笑して、紗琴はどうしたらいいのか分からない様子でうつむく。
「もちろん、無理に好きになれとは言わないけど。もし、いいなって思ってきたら教えてね。協力する」
「そんなの、茉莉がつらいよ」
「あたしはそんなに未練がましい女じゃないよ」
「そ、だけど……」
「暮村くんなら、あたしも安心だしね」
「……暮村くんの気持ちもあるよ」
「まあ、そうだけど。いいじゃない、こっちが好きになるのは」
紗琴はとまどいながらお弁当を開く。本当は、いっそ紗琴は暮村くんの「憧れ」なのだと言ってあげたかったけど、あたしが伝えてしまうことではないだろう。
暮村くんの気持ちは確実なのだ。そして紗琴もまんざらではなさそうだ。まったく胸がきしまないと言ったら嘘になるかもしれない。それでも、もしふたりがそうなったら、祝福できる自分も感じる。
紗琴も暮村くんも好きだ。そんなふたりが、あたしが応援すれば幸せになるなら、それが一番だと思う。
あたしはきちんと暮村くんに振ってもらっている。可能性がないことを伝えられている。それも大きい。
あのバレンタイン、暮村くんはすでに紗琴に憧れていて、それを理由にあたしを振った。それでも自分に勝ち味があるとは、さすがに思えない。無理やりにでも踏みこんでやるとも思えない。ずっと、暮村くんが紗琴を優しく見ていたのを知っている。叶うなら、暮村くんに紗琴と幸せになってほしい。
紗琴の気持ちが暮村くんに向かっていくといいな、と広げたお弁当を急いで食べながら、あたしは親友の心に絡まる恋の予感を純粋に応援したいと思えた。
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