想いを寄せられて
何しろクラスが遠いので、直接見守ることはできなかったけど、紗琴と暮村くんは少しずつ距離を縮め、親しくなっているようだった。
朝に挨拶をしたり、一緒に教室を移動したり、お昼も一緒に食べることがあるそうだ。まあ、お昼はそうなるのを狙って、あたしが「クラスの子と食べるね」なんて言って、ちょっと紗琴を泣きそうにさせてしまったけれど。どうしようとおろおろして、あたし無しで女の子に混ざるのも躊躇っていると、暮村くんから声をかけてきてくれたと紗琴は嬉しそうに話していた。
登下校や昼休みみたいな長い時間は、紗琴はあたしや女の子と過ごす。その日も紗琴とあたし、それから紗琴とクラスメイトの子たちと昼休みにおしゃべりしていた。
「紗琴ちゃん、暮村といい感じだよねー」なんてその子たちも揶揄い、「そ、そういうのじゃないよ」と紗琴は頬を染める。仲良くなった子が、「日向くん」でなく「紗琴ちゃん」と呼ぶようになったのも進歩だなあなんて思う。
そうしてわいわい過ごしていると、予鈴が鳴り、「教室帰んなきゃ」とあたしは顔を上げた。「今日一緒に帰れる?」と紗琴が訊いてきて、「先にホームルーム終わったら待ってる」と微笑んだあたしは、つくえを縫って六組の教室を出た。
廊下のにぎやかな往来が教室へと吸い込まれていく中、早足に歩いていこうとしたときだった。
「あ、聖園、ちょっと待って」
足を止め、振り返った。見憶えのない男子生徒があたしを追いかけてきていた。首をかたむけながら、「何?」と彼と向かい合う。もふっとしたくせ毛の黒髪、黒目がちの目と小柄な体格が小動物っぽい感じの男の子だ。『真宮』という名札で、紗琴と同じ三年六組なのが分かった。
「あの……何というか、日向のことで」
「紗琴?」
「日向って、その、やっぱ……暮村と、つきあってんの?」
あたしはきょとんとまばたきをした。真宮くんは頬を真っ赤にして、「悪い、本人に訊く勇気なくて」と視線を迷わせる。
「紗琴のこと……」
「かっ、かわいいだろ、あいつ。普通に。俺以外にも、気になるかもって奴けっこういるんだぞ」
「そうなの?」
「俺は、自分が暮村に敵うとは思わないからさ……つきあってるなら、邪魔しないけど」
あたしは少し考え、「つきあってはないと思うよ」と言葉を選ぶ。
「ただ、紗琴の気持ちも、はっきりとは聞いてない」
「……暮村が好きかもってこと?」
「どうだろ。あんまり、勝手に言えない」
「そっか……」
「ごめんね、力になれなくて」
「いや、ぜんぜんっ。つか、たぶん暮村が好きだよな。見ててそう思うもん」
がっくり首を垂らす真宮くんに、あたしもどんななぐさめをかけたらいいのか分からない。
紗琴を意識する男の子がけっこういる、という話は初めて聞いた。暮村くんのライバルは多いということか。それでも、紗琴自身が男の子たちの意識を受け取っている様子はないかな、と思い返す。仲良くしている暮村くんの気持ちにさえ、感づいていない。
「真宮くん」
「え、俺の名前知ってんの」
「名札」
「あ、ああ」
「紗琴、びっくりするとは思うけど、かわいいって伝えるのはいいと思うよ」
「いやっ、恥ずかしいだろ」
「そう?」
「聖園は気になる男子に『かっこいいね』って言えるかよ」
「……言えない」と唸るように言ったあたしに、「だろ?」と真宮くんは息をついてから、言葉を継ぐ。
「まあ、暮村なら日向のこと大事にしそうだよな。あー、おとなしく見守るか」
天井を仰ぐ真宮くんにあたしは笑ってしまって、「一応、紗琴が気になるっていう男子は多いよって話はしておくね」と言った。真宮くんはうなずいたあと、「ちなみに、聖園派だって奴もまあまあいるぞ」と急に悪戯っぽくにやりとしてみせた。
どきっとしたあたしを置いて、真宮くんは教室に帰っていく。聖園派、って、紗琴よりあたしのほうがということ? そんな物好きいるの、とひとり狼狽えてしまったものの、チャイムが鳴ってはっとして、慌てて人通りがなくなった廊下を駆け出した。
受験生ということで、紗琴と休日に出かけるのは減っていた。でも、代わりに一緒にどちらかの部屋で勉強していたし、それと紗琴は、おばさんとおじさんに付き添われて、市内に見つけたジェンダークリニックに通うようになっていた。
まずは問診を書いたり、生い立ちを訊かれたりしているそうだ。紗琴はあの集会で、昔のことは全部苦しかったと言っていた。「思い出してつらくはない?」と心配すると、紗琴はうなずいて、「確かに苦しい想いはしてきたけど」と言う。
「ずっと、いつも茉莉がいてくれた。だから、思い出してもそこまで苦しくはない。ひとりで悩んできてたら、今まで男あつかいされてきたことなんて、ただつらかったんだけど。何があっても、隣に茉莉がいてくれたから、話してても怖くない」
ベッドサイドに並んで座っていたあたしは、紗琴を見つめて少し照れ咲いして、紗琴の頭を抱いてくしゃっと撫でた。あたしがしてあげられたことがあったのなら、それだけですごく嬉しい。「何かつらかったら聞くからね」と言うと、紗琴はこくんとした。
「そういえば、紗琴って誰かに告白とかされたりしてない?」
勉強を始めようかと床にテーブルを出しながら、あたしは真宮くんを思い出して、突然紗琴にそう訊いた。「えっ」と紗琴は目を開き、つくえから持ってきた教科書やノートを取り落としかける。
「な、ないよ。そんなの」
「ほんとに?」
「ほんとだよ」
「あたし、こないだ、紗琴が気になるって言う子と話したんだけど」
紗琴は長い睫毛を動かし、「……男の子?」と首をかしげる。
「うん」
「じゃあ、それは男の子同士って意味……なのかな」
「かわいいとか言ってたし、女の子として見てる感じだったよ。ただ、暮村くんには敵わないとか言ってた」
「く、暮村くんは、……そんな、じゃないよ」
「じゃあ、その子に告白してもらって脈はある? その人はその人でいい人っぽかったよ」
紗琴は困った目を向けてくる。その目にあたしは笑ってしまい、「やっぱり暮村くんだよね」と自分のノートを広げた。「そういう意味じゃないけど」と紗琴は口ごもりがちになり、どう答えたらいいのか分からなくなったのかうつむく。
イジメすぎたかと反省し、「その子が言うにはね」とあたしは言う。
「紗琴に憧れてる男の子って多いらしいんだ。実は告白とかされてるのかなーって思っただけ」
「されて、ないよ。されたら、茉莉には相談するもん」
「そっか」とあたしが納得すると、テーブルを挟んで正面に腰を下ろした紗琴のほうが、「茉莉は男の子に告白されたりしてるの?」と今度は問うてくる。
「まさか。でも──うん、あたしもそのときは紗琴に訊いて考える」
紗琴はこくりとして、「茉莉のそういう話聞けるようになるのは楽しみ」と微笑んだ。けれど、「あたしも紗琴と暮村くんがどうなるか楽しみ」と返すと、紗琴はまた頬を染めていた。
真夏を思わせる初夏が過ぎ去り、雨音が響く六月になった。学校生活は、クラスは別ながらあたしも紗琴も順調だった。
紗琴のクラスに行ったとき、真宮くんのすがたを何となく探すと、友達との輪の中で笑っていた。暮村くんは、あたしがいるときは身を引いて本を読んでいるものの、紗琴の報告によると、紗琴がひとりで困っているときには気にかけてくれるそうだ。
学校は休みの土曜日、その日も雨だったけど、紗琴はクリニックに行っていた。終わったら紗琴があたしの家を訪ねて、一緒に勉強する約束だった。昼過ぎにクリニックから帰ってきたとメッセをくれた紗琴は、お昼ごはんを食べたあと、傘をさしてあたしの家にやってきた。
「疲れてない?」
タオルをさしだして訊くと、受け取って水気をぬぐう紗琴は「茉莉に話すのは楽になれるから」とはにかむ。紗琴が靴を脱いでいると、「あら、いらっしゃい」とおかあさんが顔を出し、「お邪魔します」と紗琴はちょこんと頭を下げた。
ちなみに、あたしの両親は紗琴のおばさんから事情を聞いて、「やっぱりそうだったか」なんて反応で紗琴を受け入れていた。特におかあさんは「私が茉莉とお揃いで作った服も着てくれてたものね」と笑っていて、それを憶えていることにびっくりしてしまった。そんなわけで、紗琴はあたしの家でも窮屈な思いをせずに過ごせている。
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