君はそのままで
翌日、約束した十時に紗琴の家を訪ねて、ふたりで勉強を始めた。紗琴はあたしの作った要点の紙をすごく褒めてくれて、「紗琴がデート中は勉強のこと心配しなくていいようにね」とあたしは照れ咲いした。
「あ、暮村くんと勉強したりする? そしたらぜんぜん意味ないかも」
「そんなことないよ。えと、まだお互いの家とか恥ずかしいから、勉強はしないし」
「え、家に行ったことないの」
「ないよっ。暮村くんだって、男の子を好きになったとはご両親に思われたくないだろうし」
あたしは考えて、真宮くんの友達が紗琴と暮村くんを見たという話も思い出し、「紗琴、暮村くんに女の子の服で会ってないの?」と訊いてみた。紗琴はどきっとした様子だったものの、ぎこちなくうなずく。「えーっ」とあたしが身を乗り出すと、「だ、ダメかな」と紗琴は首をかしげる。
「ダメというか、え、紗琴はいいの?」
「良くない、けど」
「じゃ、暮村くんには紗琴を見てもらおうよ」
紗琴は氷が溶けかけた麦茶のグラスを取り、ひと口飲んでから「そのこと、茉莉に聞いてほしくて」と言った。昨夜のメッセを思い返し、「うん」とあたしは聞く体勢に入る。「暮村くんにはね」と紗琴は睫毛を伏せ、わずかに震わせる。
「ちゃんと、綺麗にしたところ、見てもらいたい……って思う」
「うん」
「暮村くんは、そういうの見せろとか言わないけど。ただ、何か……見てほしい」
「いいじゃん」
「でも、分かんなくて。茉莉しか褒めてくれたことないし、いきなり女の子で行ったら、嫌がられない? 実際見たら、気持ち悪いとか……」
「紗琴はかわいいよ」
「女の子の格好したら、かえって男だって思わせないかな? 軆、やっぱ、違うし」
「そんなことないよっ。それに、暮村くんは軆で紗琴を好きになったんじゃないでしょ」
紗琴は泣きそうな瞳をしている。それだけ、暮村くんに幻滅されたらと怖いのだろう。「暮村くんは……」と言って、あたしはちょっと詰まってしまったものの、どうにか言葉をつなげた。
「紗琴に、打ち明けてほしいと思う」
「打ち明ける……?」
「これが自然な格好だって紗琴が見せてくれたら、きっと喜んでくれるよ」
「……そ、かな」
「好きな女の子が自分のためにお洒落してくれたら、男の子は嬉しい気がする」
紗琴はじっとあたしを見つめる。「男の子の気持ちとか分かんないけど」とあたしもどう説明すればいいのか迷いながらも、「紗琴はほんとにかわいいし」と繰り返す。
「暮村くんだって、紗琴に『かわいい』って言いたいんじゃないかな」
紗琴は瞳を潤ませ、「ほんと?」と確かめてくる。「暮村くんなら、紗琴のこと分かってくれるよ」とそれには自信があって、あたしでも断言できる。すると紗琴はようやく表情に安堵を混ぜ、「じゃあ……暮村くんに見てほしい」とささやくように言った。
「次会う約束もあるの?」
「うん」
「じゃ、そのときは紗琴の自然な格好で行こっ。決まり」
「あ、あのね。それと、もうひとつ相談があって」
「なあに」
紗琴は自分の肩に触れ、視線を陰らせる。
「三年生になっていそがしくて、あんまり着なくなってたから。服のサイズが合わないのが分かって。……何か、それを見たから怖くなっちゃって」
「あ、なるほど。だったら、デートの前に一緒にお洋服買いにいこっか」
「まだ、入るサイズあるかな」
「あるよ。背とか伸びたけど、紗琴はぜんぜん小柄だし」
「試着はできないよね」
「男の子みたいな恰好の女の子もいるからなあ。服装がボーイッシュでも、化粧していけば充分だよ」
「そう、かな。そのときのお化粧は、茉莉がしてくれる? そのほうが上手だから」
「分かった。じゃあ、勉強の息抜きで今度出かけよう」
紗琴はこくんとして、「ありがとう、茉莉」とはにかんで咲った。紗琴が咲ってくれたことにほっとして、あたしも笑顔になる。「かわいい服買わなきゃね」と言うと、「茉莉と買い物に行けるのも楽しみ」と紗琴は嬉しそうにしてくれた。
あたしが好きだった人であることを気にして、暮村くんのことを話していいのか、紗琴はやっぱり迷っているようなときもあった。「話せるなら聞きたい」とあたしが言っていると、徐々に打ち明けてくれるようになった。初めて手をつないだときのこと。髪に触れられたときのこと。深い触れあいはしていないこと。男の軆をしているから見られたくないこと。暮村くんもそれを理解して無理を言ってこないこと。買い物を約束した日から数日後、「今までのどんな男の子よりすごく優しいから、びっくりする」とあたしにメイクを施されながら紗琴は言った。
「ほんとに、女の子としてあつかってくれる。何というか、友達の延長ではないというか。一緒にいるとどきどきするって言ってもらえて、泣きそうになった」
紗琴の頬をピンク色のチークで彩りながら、「憧れって言ってたもんなあ」とあたしはつぶやく。
「憧れ」
「紗琴が憧れだったって」
「そ、そうなの?」
「ずっと見てたんだもん。今そんなふうに近づけて、暮村くんはほんとにどきどきしてると思う」
「気になったのは、入学式からって言われた」
「そうなんだ。ほんと一途に想ってくれてたんだね」
あたしが笑むと紗琴はこっくりとして、「一回ね」と恥ずかしそうに言う。
「ぎゅってしてもらったの。家の前まで送ってもらって、ちょっと暗くて、ふたりきりになったとき」
「そうなの?」
「うん。してほしいって言って。そのときも、すごく優しくぎゅってしてくれた。嬉しいのに、幸せなのに、それで泣いてばっかりいる気がする。鬱陶しくないかな」
「泣くほど嬉しいって、男の子は喜びそうだけどなあ」
「そうなのかな。暮村くんは泣いたら頭撫でてくれる」
「紗琴にいろいろあったことも知ってるんだもんね。大切にしたいんだよ」
紗琴の頬に桃色がなじむと、あたしはブラシを置いてダークブラウンのアイラインを手に取る。紗琴のまぶたにそれを引くと、もともと大きな瞳がもっとぱっちり見える。
「早く、暮村くんを好きになってればよかった」
「はは。そしたらライバルになってたね」
「あ、そっか。じゃあ、このタイミングでよかったのかな」
「紗琴に負けるならあたしは納得してたよ」
「けど、何か申し訳なかったよ。今でも、ちょっと」
「気にしなくていいんだよ。だって、こうなるのが紗琴も暮村くんも幸せなら、あたしが踏みこむのは違うからね」
同じピンク系のアイシャドウを入れて、白い光沢のラメパウダーも乗せて艶めきを出す。
「茉莉に早く彼氏ができたらいいのにな」
「高校生になったら頑張るよ。今は受験でいっぱいだし」
「一緒に出かけたりしたい」
「えー、暮村くんは、あれで紗琴とのデートはふたりきりがいいって思いそうだな」
「そ、そうかな」
「何となく」とくすくす咲いながら、マスカラで睫毛の見栄えをぐっと伸ばす。眉は紗琴はもともと整えているからこのままでいいだろう。最後に唇にリップクリーム、その上にルージュの色を重ねて「よし」とあたしは少し離れて紗琴を見た。
ワインとアイボリーのボーダートップスに黒のストレーツパンツ、服装もなるべく中性的にまとめたから、あとはエクステをつけたらじゅうぶん女の子に見える。布で隠していた鏡を見た紗琴も、久々に自分が女の子のすがたになっていて喜んだ。あたしはすでに家で化粧も服装も整えてきていたから、「じゃあ行こっか」とメイク道具をしまって立ち上がった。
しばらく買い物に出ていなかったぶん、紗琴はお財布にゆとりがあったようで、街に出るといろんな服を見てどれにしようか悩んでいた。あたしもあれこれ手に取って、軆に当てて鏡を覗いたり、値札を確かめて考えこんだりする。紗琴はレースやリボンが多い甘ロリっぽい服が相変わらず好きなようだけど、「落ち着いてたほうが暮村くんの好みかな」と気にする。「本格的にロリータしていったらびっくりとすると思うけど」とあたしは紗琴が手にしている、胸元がリボンの編み上げになったピンクとホワイトのチュニックを覗きこむ。
「紗琴が好きな格好でいいと思う。紗琴は落ち着いた色より、こういう淡い色のがかわいいしね」
紗琴はうなずき、サイズや値段を確かめながら、暮村くんに見せる服をじっくり選んだ。試着もして最後に選んだのは、白いリボンが袖や裾にひかえめに結ばれた水色のワンピースだった。あたしもモカのスカートを一着買った。「こういう買い物はやっぱ女の子同士だよね」と言うと紗琴は咲ってこくんとした。
そして、次のデートの日、紗琴は自分で頑張ってお化粧もして、女の子のすがたを暮村くんに披露したようだった。暮村くんは、何か言いたそうで言わなくて、やはり変だったかを気にした紗琴に、「写真が欲しい」と小さな声でめちゃくちゃ照れながら言ったらしい。
翌日になってその話を聞かされたあたしは、暮村くんが写真とか意外ながらも、その反応は分かる気がして笑ってしまった。
「『かわいい』は言ってもらえた?」
あたしがそう訊くと、紗琴は写真を撮られるのは何だか照れるからと、ふたりでプリクラを撮ったことを話してくれて、「何か、プリクラと見較べて、『日向はそのままがかわいい』って」と恥ずかしそうに報告してくれた。確かプリクラコーナーは女の子がいないと入れないから、傍目にも紗琴が女の子として見えていた証拠だ。
そして、そのプリクラを見せてもらうと、「そっか、プリクラは加工されるもんね」と納得しつつ、『そのままがかわいい』という暮村くんの台詞はさすがだなと思った。プリクラの中で、ふたりはけっこう近くても密着はしていなくて、「もっとくっついて撮ればよかったのに」と言うと、「これでも頑張ったの」と紗琴は頬を染める。ともあれ、恋人同士として楽しい一日だったようで、あたしも嬉しくなってしまった。
そんなふうに過ごしていると夏休みは終わって、二学期が始まった。受験の空気がいよいよ濃くなって、授業にも緊張感が張りつめる。そういえば、暮村くんもあたしと紗琴と同じ共学校を志望校に据えたそうだ。「暮村くんならもっといいとこ行けるよ」と紗琴が遠慮すると、「一緒にいたいから」なんて答えたらしいから、暮村くんは本当に紗琴に惚れこんでいるなあと苦笑してしまった。それでも、紗琴はうまくあたしや女の子たちとの時間も作って、男ばかりでなく友達も大切にしてくれている。
今年も体力をむしり取る夏の暑さが長引いた。そして、秋のさわやかさを感じるヒマもなく、鋭くなった風が冷たくなってきた。
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