水鏡に映して-19

春に向けて

 今年のクリスマスイヴは、紗琴はもちろん暮村くんと過ごした。
 帰省してきた柚季兄は、そういえば紗琴のことをまだ知らなかった。去年は彼女がいるとかで帰ってこなかったのだ。「振られたから帰ってきたの?」とぬくぬくとこたつでみかんの皮をはぎながら訊くと、「うるせ」と正面の柚季兄は、おかあさんに淹れてもらった湯気の立つお茶をすすった。
 おとうさんはクリスマスケーキを引き取りに行っていて、キッチンからはおかあさんが作るごちそうの匂いがしている。久々の我が家を見まわした柚季兄は、「さーちゃんは?」と不思議そうに問うてきた。「彼氏だよ」とさわやかな香りのみかんを口に放るあたしがさらっと言うので、柚季兄も「ふうん」と言ったが、ちょっと止まってからあたしを見直した。
「彼氏?」
「うん」
「彼女ではなく」
「あー、うん」
「マジか」
「マジです」
「ゲイか」
「いや、心が女の子って言うのかな」
「ニューハーフ?」
「それになるのかな」
 柚季兄は頬杖をつき、あたしからみかんをひと切れ奪った。あたしは柚季兄にかごの中の剥かれていないみかんを投げつける。
「分かる気はする」
「ゆず兄が偏見したら、けっこうあの子傷つくよ」
「しねえよ。むしろ納得だわ」
「おとうさんとおかあさんもそうだった」
「さーちゃんの女装は見てみたいなー」
「してるよ」
「マジか。写真ねえの」
「彼氏とのプリクラの画像ならもらったけど」
「彼氏いらねえな。何だよー。さーちゃん、ゆずにいちゃんのことも考えてくれよー」
「ゆず兄はありえない」
 柚季兄は舌打ちしてから、拾ったみかんの皮を剥きはじめながら感慨深そうに言う。
「さーちゃんはな、昔、このへんの野郎をだいたいめろめろにしてたからな」
「かわいかったもんね」
「俺も初恋はさーちゃんかもしれない。さーちゃんが俺の妹で、お前はどっかのよその弟だったらと、」
「はあ?」
「……っとに、かわいくねえなマツは」
「マツはやめて」
「俺の同級生で、さーちゃんを女だと信じて告白してた奴もいたと思うぞ」
「そうなの」
「ああ。俺が非常に気まずく、さーちゃんは男だぞって教えたら泣き出してたな」
「そんな男の子いたかなー」
「しかも、その大泣きが男に告った後悔じゃなくて、男じゃ結婚できないというショックだったらしくて。結婚してさーちゃんをひとり占めしたかったらしい」
「ふうん。憶えてない」
「お前に告ったんじゃないからな。さーちゃんは憶えてるかもしれん。でも、そっか。さーちゃんはやっぱ女か」
「女だよ」
「くそー、だが彼氏か」
「うん、すごくかっこいい子」
「あーっ、なぜか二重で失恋した気分じゃねえかっ。くそ、今夜は飲むからなっ」
「やっぱ失恋したんだー」
 そう言って柚季兄にはたかれていると、おとうさんがケーキを持って帰ってきた。「ゆず、今年は帰ってきてたのか」と言ったおとうさんに、「酒は買ってきた?」と柚季兄は本気で飲みつぶれるつもりらしく言った。
 そうこうしていると、おかあさんがチキンやホワイトシチューを運びはじめてくる。あたしはスマホをチェックして、友達からのクリスマスのスタンプにはスタンプを返しつつ、紗琴からは朝出かける前に連絡来たきりだな、と思った。もちろん暮村くんと楽しく過ごしているのだろう。
「お前には彼氏いないみたいだから、ざまあってことで許すわ」と言った柚季兄を今度はあたしがはたいたりして、イヴの夜は家族水入らずで更けていった。
 翌日は、朝に紗琴があたしの家にやってきた。柚季兄が来ていると昨夜メッセしておいたので、会いにきたらしい。柚季兄は二日酔いだったけど、「やっぱかわいいなー」と紗琴の頭をくしゃくしゃにしていた。「この人が酒臭いから紗琴の家行こ」とあたしは一応勉強道具もまとめて、紗琴と家を出た。
 風はなくても、雪が降りそうな曇り空に空気がぐっと冷たかった。指先や爪先がすぐに硬く痺れていく。急いで紗琴の家にたどりついて、おじさんとおばさんに挨拶してから、暖房が入れてあった紗琴の部屋で息をついた。
「昨日、メッセ返すの遅くなってごめんね」
 マフラーをほどきながら言った紗琴に、あたしは首を横に振って荷物を下ろす。
「でもあれ二十二時頃だったけど、帰るのそんな遅くなって大丈夫だった?」
「あ、家には二十一時前に帰ってきてた。お風呂とか入ってたから」
「そうなんだ。やっぱ、暮村くんまじめだな。泊まらなかったんだなーとも思った」
「そ、そんなの、まだダメだよ」
 どぎまぎと頬に色を差した紗琴にちょっと咲って、「楽しかった?」と訊いてみる。紗琴はうなずき、「すごく大きな本屋さん行ってきた」とはにかんで咲った。
「映画とかじゃなかったんだ」
「暮村くんが好きなとこ行きたいって言ったら、その本屋さんだった。何か、ビルの一階から五階まで全部本なの」
「え、すごい」
「一階は漫画だったけど、二階からは小説とか専門書とか。暮村くん、本よく読んでるでしょ。いつもそこで吟味してるんだって。暮村くんが一番好きだって本をプレゼントしてもらったよ」
「そっか。よかった。紗琴からはあげなかったの?」
「何がいいのか分かんなくて、受験だからシャーペンとボールペンのセットにした。百円みたいのじゃなくて、ちょっと高くて、しっかりしてる奴」
「はは、きっといまごろそれ使って勉強してるね」
「だと嬉しいな」
 そこでおばさんが熱いミルクティーを持ってきてくれて、あたしと紗琴はベッドサイドに腰かけてそれで軆を温めた。「勉強しなきゃね」と紗琴は言って、「クリスマスだし、今日ぐらいゆっくりでいいかも」とあたしは柔らかい甘味を飲みこむ。
「いつもの初詣は茉莉と行きたい。夜中の」
「暮村くんはいいの?」
「帰省してるって。こっち帰ってきたら連絡来るし、それから昼間に行くかも。でも、茉莉とも行きたい」
「ん。じゃあ、一緒に合格祈願しようね」
「うん」
 紗琴はミルクティーに口をつける。あたしは半分くらい飲むと、ため息をついて窓からの冬の陽光を眺めやった。
「受験かあ。中学も卒業しちゃうんだね」
「寂しいね」
「仲良しの人、いっぱいできたもんね」
「また会ったりしてくれるかな」
「してくれるよ。卒業式までに通信のコツ憶えておかないとね、連絡先交換」
「あれ、たまに検知されないよね」
「だよね。地味にロック設定とかあるから。それもチェックしておかないと」
「卒業とか、何か早いな。こないだ中学生になった気もする。でも、いろいろあったよね」
「そだね」
「楽しかった。つらいこともあったけど、そのぶん頑張ったりしたし。茉莉がいたから頑張れた」
「そっか。これからも、あたしは紗琴のそばにいるよ」
 紗琴はうなずき、あたしににっこりとした。
 紗琴は、もっと内気だったような気がするけれど、ずいぶん変わった。中学時代、本当にいろんなことがあった。紗琴はひどい目にも遭った。きっと忘れてはいない。でも、今はとても幸せそうだ。暮村くんが紗琴の傷を癒してくれるのを、あたしはそばで見守りたい。
 紗琴にはもう暮村くんがいる、なんて、卑屈なことは思わない。紗琴はあたしのことも大切にしてくれている。きっと、あたしたちはこのままずっと一緒にいる。
「あ、見て茉莉。雪が降ってきた」
 そう言って、紗琴は立ち上がって窓に駆け寄った。あたしも隣に並んで、ひらひらと舞い降りてくる雪を見上げた。天使の羽の欠片みたいだ。初詣では受験のことをお願いしなくてはならない。だからあたしは今、きっとそこにいるその天使に、この親友とずっと一緒にいられるように秘かにお祈りをする。

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