水鏡に映して-21

水鏡に映して

 卒業式の前の日は雨だったけれど、さいわい当日は肌寒さを残しつつ空は晴れあがった。
 あたしはセーラー服のえんじ色のスカーフをきゅっと結んで、おととい切ってロングからボブになった髪に、軽くクリームをなじませてまとめる。式のあとは写真を撮りまくるだろうから、本当に少しだけ化粧もしておく。おかあさんに名前を呼ばれて「もう行く!」と答えると部屋を出た。
 リビングに出ると、ベランダのほうで鳥がさえずっている。いつもより朝が早い。おとうさんはダイニングでまだ朝ごはんを食べていて、「いってらっしゃい」と言ってくれる。「いってきます」とあたしは笑んで応えて、少しの荷物を入れたかばんを持ち直すと、玄関で待っているおかあさんと家を出た。
 棟を出て少し歩けば、紗琴と紗琴のおばさんが待っている。あたしは思わず立ち止まってしまった。紗琴が恥ずかしそうに顔を伏せて、「ごめん」となぜか謝ってくる。「謝ることないでしょ」とおばさんは紗琴の肩に手を置いて、「まあまあ」とおかあさんは嬉しそうに微笑んだ。
「もっと早くその恰好してればよかったのに」
 紗琴は学ランじゃなくて、あたしと同じセーラー服を着ていた。ロングのウィッグもつけて、あたしみたいに自然に化粧もしている。あたしはもちろんすぐ笑顔になって、「かわいい!」と紗琴に駆け寄った。
「変じゃない、かな」
「ぜんぜん。やっぱり、こっちのほうが紗琴だよー」
「み、みんなに見られるの、恥ずかしい……。その、恰好がじゃなくて、……見られたことがない違和感というか」
「紗琴はもうそれに慣れていかないといけないでしょ」
 おばさんはそう言って紗琴の頭をぽんぽんとしてから、あたしとおかあさんににっと笑った。
「昨日のお昼、クリニックから今度の診察を待つより、前もっての連絡が入ってね。紗琴の性別変更を申請する診断書ができあがりましたっ」
「ほんとですか!?」
「うんっ。もう、夕べは親子三人で感動で泣いたわー」
「わあ、やった紗琴! すごいよ、おめでとう」
 あたしは紗琴に抱きついて、紗琴もやっとくすぐったそうに咲った。紗琴のウィッグは高いものなのか、手触りも本物に近くてさらさらしている。
「じゃあ、このセーラー服もそのお祝い?」
「あ、これはおとうさんとおかあさんが、卒業式はこれで出なさいって用意してくれた。校章もあるでしょ」
 紗琴は軆を離して胸元の校章をしめして、「ほんとだ」とあたしは自分の胸を見下ろす。
「ウィッグも、髪質とか似てるの作ってくれて」
「うん、似合ってる。かわいい」
「ほんとに、どこから見ても女の子ねえ」
「まだまだ、これから治療で女子になっていくからね。改名もしていいとは言ったけど、名前はこのままがいいって」
「え、『紗琴』でいいの?」
「うん。中性的な名前だし、やっぱり、おとうさんとおかあさんがくれたものを何か大切にはしておきたい」
「そっか。うん、いいと思う」
 あたしと紗琴が咲い合っていると、「それでね」とおばさんがバッグから何かを取り出そうとする。あたしと紗琴がそれを見守ると、「これ」とおばさんはデジカメを取り出し、「そうよね!」とおかあさんが嬉しそうに察する。
「中学生になるとき、おかあさん、紗琴に男の子の制服着せて咲わせようとしたよね。ううん、ずっと前からそんなことしてた。紗琴のこと知ってから、ずっと引っかかっててね。おとうさんにも相談して、そのためにも女の子の制服を特注したの」
 紗琴はおばさんを見つめる。おばさんはちょっと泣きそうに視線を崩して、「ごめんね」と言った。途端、紗琴の瞳も滲んで、紗琴は首を横に振る。
「それでね、そのすがたをした紗琴のね、茉莉ちゃんとの中学時代の写真、絶対残してあげたいと思ったんだ。だから、ほんと、卒業式にも急がなきゃいけないんだけど。一枚、いいかな?」
 紗琴はあたしを見た。あたしは即座にうなずく。
 紗琴に目を向けられると「ありがとう」とおばさんは笑顔に戻り、おかあさんはその隣へと移る。あたしと紗琴は顔を合わせてから、そのデジカメに向かって並んで笑顔とピースサインを作る。
 ──カシャ。三年間、いろんなことがあった。カシャ。もう咲えなくなりそうなこともあった。カシャ。でもあたしたちはこうして、一緒に並んで、心から笑顔をこぼしている。
 一枚、とは言ったけど、おばさんは何枚か撮ってくれた。おかあさんたちは撮った写真を画面から覗きこんで、嬉々として騒ぐ。
 そのとき、あたしはふと足元に昨日の雨が残した澄んだ水たまりに気づいた。それをしゃがんで覗きこむと、紗琴も隣にしゃがんで覗きこむ。あたしと紗琴が水面に映る。
「水鏡」
 あたしがつぶやくと、「え」と紗琴がまばたいた。
「水を鏡にして映したすがたはね、ほんとのすがたなんだって」
「……そうなの?」
「うん。誰だったかな、何か漫画家の人が言ってた」
 紗琴は水たまりを見つめた。あたしも一緒に映りこむと、そこには女の子がふたりいる。とても仲良しで、親友で、女の子同士のふたり。
「って、うわっ。時間本格的に迫ってきたね」
 おばさんが時刻に気づいてそんな慌てた声を上げる。
「あら、ほんとだ。ほら、ふたりとも行きましょう」
 おかあさんの声にあたしたちは振り返り、うなずいて立ち上がる。紗琴は、歩きながらおばさんの手の中のデジカメを見せてもらい、それから「茉莉、ありがとう」とあたしに幸せそうに咲いかけてきた。あたしはそれににっこりと最高の笑顔を返す。
 空気はひんやりしていても、昇っていく太陽は暖かい。雨の名残の湿った匂いもすがすがしい。
 やがて、にぎやかな同じ制服すがたの子たちが見えてくる。卒業式。それを終えたそのあと、あたしたちはどんな高校生活を迎えるのだろう。
 それは分からないけど、あたしは紗琴がいれば心強いし、紗琴もそう思ってくれている。今までも、これからも、あたしたちにはどんなことにも負けない友情がある。だからあたしたちは、きっと一生大丈夫!
 また足元に水たまりがあって、あたしと紗琴がひらりとそれをよける。水面の中に、スカートの裾がふたつひるがえるのが映った。

 FIN

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