パズルピース
僕と紡麦の生き残る手段に、正面切ったものなんかひとつもない。闇で麻薬を売りさばき、すれちがいざまに盗みを働き、殴りつけてから奪い取り──ときどき、騙した女を撮影して、その映像を金に変えたりもする。
部屋に招いた日、星華には紡麦とよく落ち合う例のバーを教えていた。その日は水曜日で、僕は買い出しのため、そこで紡麦と待ち合わせていた。十八時頃に顔を出すと、ききすぎた暖房の元でざわめく店内には、星華がいた。
初めは気づかなかった。カウンターに腰かけたところで、背中をとんとたたかれ、紡麦かと僕は振り返る。
そしてぎょっとした。星華だったからではない。星華が女の格好をしていたのだ。
黒いセーターに、焦げ茶のミニスカート、コートとブーツはキャメルの革だ。紅茶色の髪は変わらなくても、いつもより絹のように背中に流れている。化粧も入って香水もきつめ、極めつけにアクセサリーがきらめいている。
「自殺にでも行くのか」
「それもいいね」
唖然とする僕にくすりと咲って、星華は隣のスツールに腰かけた。
「これから仕事なの」
「あ、あー、ピンサロ」
「まあ、ね」
「あれ、ピンサロって制服なかったっけ」
「うちはないよ。行かないの? そういう店」
「やりたきゃクラブでそれっぽい女捕まえるし。そういや、仕事のときは服装違うって言ってたな」
「あのなりじゃ、色気ゼロでしょ」
「まあ、確かに」
星華は僕の脚を蹴たくった。けれど、戻した脚は割り膝でなく、きちんと女の子をしている。
「こういう格好って好きじゃないんだけど、仕事だからね」
「仕事、好き?」
「ぜんぜん。でも、ほかにやれることないし。食べなきゃいけないし」
「男は何やってんの」
星華は僕を向き、「ヒモなの」とアンティーク人形じみた無表情で言った。僕は初耳にまじろいだものの、何も訊かず、「何か不気味だな」と話を戻した。
「悪ガキで見慣れたから」
「似合わないかな」
僕は暗めの照明で星華を見つめ、「別にそんなことも」と急に彼女が“女”であることを思い出して口ごもる。星華は僕を覗きこんで咲っても、揶揄はせずに体勢を正す。
「昨日も来てたんだけど、来なかったよね」
「昨日は紡麦が部屋に泊まったんで、合流する必要なくてさ」
通りかかったウェイターにホットコーヒーを注文する。星華は何も頼まない。
「こないだ、あたしが帰ったあと、千歳どうだった」
「別に。寝がけに、また来るといいねとか言ってた」
「希月って、ほんとに彼といいの? 何というか、友達のままで」
「友達以上がありえると思う?」
「うん」
僕はため息をつき、「紡麦もそうなんだよな」とスツールに体重をかけてきしませる。
「僕と千歳が寝るのを推奨する」
「推奨」
星華は繰り返して、その語感に笑った。
「だって、そうなるべきな感じするもん」
「僕がストレートでも」
「ほんとにストレート?」
「僕とやっただろ」
「千歳ってバイなんだよね」
僕は暖房が侵蝕しかけた指先で頭をかき、その腕の陰でほんの少しうんざりする。
「邪魔したくないんだ」
星華はヒールの高いブーツをぶらつかせた。あの小汚いスニーカーでないと、まるで別人の脚だ。
「邪魔?」と僕は彼女のガラスの瞳に瞳を上げる。
「あたし、希月と寝るの好きなの」
「僕も好きだよ」
「でも、もし君が千歳のものなら、手出しすべきじゃないんだろうし」
「何で」
「そういう感じなの」
「僕だって、君はほかの男のもんなのに、手え出してる」
「所有物ね。千歳は違う。分かるでしょ。千歳は君を縛ってるんじゃなくて、まあ、その、いわゆる、愛してるんだよ」
僕は死んだ魚の目で星華と見つめあい、「すごい言葉」と述べた。
星華のブーツが僕のふくらはぎに飛ぶ。
僕は笑い、その笑みを砂の城のように風化させると、「そうだな」と息を抜いた。
「千歳は大切だよ。千歳は、僕が今までもらえなかったものをたくさんくれる。だから、僕も千歳にいろいろしてあげたい。愛、とかいうものではあるかも。でも、恋じゃない」
星華は僕を上目がちに見て、「うん」と吐息と視線を下にやる。
「僕が寝たいのは星華だよ」と僕は蕩けそうな紅茶色の髪にもぐらせた手をその首筋に這わせる。咲った星華は、「この格好のときはやめとこ」と香水がもつれた僕の指先を優しく下げた。
「何か違う気がする」
「……だね」
「こういう、金にあざといあたし、別に知っててもいいけど、触れたってしょうもないよ」
「構わないのに。僕も金には汚いよ」
コーヒーがやってきて、香ばしい湯気が手元に立ちのぼる。
一瞥した時刻は十八時二十分だ。紡麦の遅刻癖はどうしようもない。
スティックシュガーの口をちぎる僕に、「たとえば?」と星華は首をかたむける。
「ん」
「金に汚いって、たとえばどんなこと?」
「想像通りだよ。変わったとこだと、ポルノ売ったり」
「ポルノ」
「女の子は知らないから、ハメ撮りとは違うんだけど。やってるとこ盗撮して売るんだ」
「誰に」
「いろいろ。知り合いにも売るし。携帯使えば、他人にも売れるし」
星華はしなやかな手首で頬杖をつき、「あたしとのは撮った?」と不安も嫌悪もなく、愉しげににやりとする。ポーションミルクも放りこんだ僕は首を振る。
「じゃあ、撮ってみない?」
「は?」
「相手は希月なんでしょ」
「まあ。仲間のときもあるか。映像系の仲間」
「ふうん。ま、誰でもいいけど。あたしのポルノ、作ってみない?」
冗談でもなさそうににやつく星華を、ミルクに薄らぐコーヒーを混ぜる僕は臆して見つめる。
本当のところ、今までには最初からつるんで撮る女もいたけれど。自分から言い出してきた子は初めてだ。
「分け前減るから、嫌?」
「いや、別に。でもさ、女は顔出るよ。修正しないし」
「どうでもいいよ。オナニーでも輪姦でも、何でもしてあげる」
「本気?」
「うん」
「何で」
「おもしろいじゃん」
僕は星華の悪戯を仕掛けるような笑みに目を細め、「じゃあ紡麦たちに話しとくよ」とコーヒーがしたたる金めっきのスプーンを受け皿に置いた。
うなずいた星華は、「行かなきゃ」と十八時半に席を立つ。金曜日にここで待ち合わせすると、「じゃあね」と彼女は香水をなびかせ、店内の男たちの油っこい視線をぴしゃりと弾いて出ていった。
紡麦が言っていた。悩める少年は暴力を振るい、傷ついた少女は売春に走るものだと。
僕はコーヒーで内臓を温め、あいつもキレてんだな、と内心つぶやく。そんなふうに自分をもてあそぶようになるほど、彼女にも何かがひそんでいる。
星華を撮るという話に、紡麦はシャッターを切るみたいなまばたきをしたものの、せっかく「何をしてもいい」と言っているかわいい女の子を、驚きっぱなしで逃がすはずもない。「いいんじゃない」と彼は同意し、その場で機材をもつ知人に連絡していた。翌日、その知人から承諾も入ると、僕たちは悪銭を稼ぐことにした。
今回携わったのは、僕と星華と紡麦、それからユウヘイという映画関係志望の男だ。場所はそのユウヘイの部屋で、「いきまーす」と今日は悪ガキの格好の星華は、プールにでも飛びこむようにあっさり服を脱いだ。
男が必要なときは、僕が相手をした。女の子は何も知らないところを盗み撮りするのではないから、星華にひとりでいろいろやってもらうこともできるのだ。
彼女がデジカメの前でひとり遊びをしているあいだ、僕は壁際で床に座って煙草をふかした。
さっきペッティングをしたから、暖房をきかせた部屋で、僕はジーンズ一枚だ。ひと休みをもらった星華は、僕のラグラントレーナーを着て隣にやってきた。彼女が僕の服を着ると、ほとんどつなぎのパジャマだ。
紡麦とユウヘイは、映像をPCに落として再生させている。汗ばんで香水が芳しい星華は、僕の指から煙草を奪って、ひと口吸った。
「それ、葉っぱ入ってるよ」
「匂いで分かる」
「紡麦ほど入れてないけど」
「俺ほどって何ですかー」
顰蹙した顔を上げて振り返った紡麦に、僕は笑う。
「でも実際、こんな軽いの葉っぱじゃないだろ」
「ふん。そうだろうけど。──どう、ユウ」
「いいね。俺、個人的にはAVは盗撮より正統派だし」
赤髪にピアスで十九歳の彼は、缶ビールをあおる。目は画面に釘づけられたままだ。「あとで」と星華は僕にささやいた。
「あの人、入れさせてあげなきゃ可哀想だね」
僕はユウヘイの盛り上がったジーンズの前開きを見たあと、星華から煙草を取り返して吸った。星華は僕を眺めて、くすりと笑った。
「あたしのここに、ほかの男が入るのは複雑?」
「別に。そもそも、ほかの男のものなんだろ」
「まあね。今は希月のが一番好きだよ」
「人によって変わるもん?」
「あたしはそうかな。希月は入れさせればどれも一緒」
「まあ。ルーズと臭うのは嫌だけど」
狭い部屋で、脚を伸ばすとかかとがベッドに届いて乗っかる。ベッドの向こうはベランダ、室内はPCやらが散らかっている。
時刻は零時を過ぎようとしていた。
「希月って、彼女できたことある?」
「あると思う?」
星華は僕と顔を合わせ、僕のジーンズに手を突っ込んで、煙草とライターを奪う。彼女が煙草を吸うのは初めて見たが、くわえた煙草に火をつける仕草は手馴れている。
「千歳がうらやましいよ」
「うらやましい」
「あんなに僕に真剣になれて。僕は、誰か好きになるとかできないんだ」
「………。千歳って、ぜんぜん外に出ないの?」
「ベランダにたまにふとんとか干してる」
「靴なかったよね」
「ベッドの下にあるよ。そうだな、僕と出かけたことなら何回かある。ひとりでは無理」
「重くなったりしない?」
「嬉しいよ、頼りにしてくれるの。僕は僕を支えにしてくれてた人に何にもできなくて、最後、放り出したことがあるから」
星華は僕を振り向き、僕は幽霊の蹌踉を追うように空中を眺めた。
そのあと、僕は星華にフェラチオさせて、ベッドで激しく絡み合った。こういうものは大げさにするものだが、まあ葉っぱのせいでもある。ひと通り撮ると、その日はそれで解散し、後日同じ面々で誰もいないユウヘイの実家に集まり、“作品”を料理した。
ユウヘイは映画を撮りたくて高校に行かず働いているのだが、やっぱり金がなくて、知識や技術をポルノに利用して小遣いを稼いでいる。
でも当然、そんなことは伏せているから、わりと寛大な共働きの両親は、ユウヘイの好きにさせている。特に父親は、映像系の仕事をしていて理解があるのだそうだ。その父親のおかげで、家には機材が揃っている。昼間、家が空っぽになったとき、その機材を僕たちが勝手に使うわけだ。
“作品”ができあがれば、あとは知り合いや怪しげな店、ユウヘイのHPや携帯でネットを通して売る。ネットでユウヘイの口座にふりこまれた売上は、基本的に山分けだ。多少ユウヘイがはねていると思うが、それは仕方ない。
できあがった物を部屋に持っていくと、千歳は変な顔をする。観たいとは思わないようだ。「希月のが映ってるよ」と紡麦が無神経なことを言って、再生させようとすると、千歳は頬を真っ赤にして、キッチンに行ってしまった。
僕に睨まれた紡麦は肩をすくめ、レンタルしてきた猟奇殺人犯の記録映画を再生させた。
以来、僕たちは星華をもてあそんで稼いだ。犯して、イジメて、縛って、まわして。
そういえば、撮影時はあの青黒い染みが見あたらない。だけど、気をつけて見れば、ファンデーションがごまかしている。
カメラがあれば、星華はあらゆる男の手を受け入れたし、やれといえば女の指も犬の舌も拒みそうになかった。けれど、カメラがなければ寄り添うのは僕だけで、ほかの男とは男同士みたいに笑っている。
星華はだいたい、十九時から翌日二時まで仕事をしていて、ただし週末はサボる。毎日つるむことはできなかったが、彼女は部屋にもしょっちゅうやってきたから、自然と仲間になっていた。
星華は僕たちの感覚をよく理解していた。無秩序に散らかる床、ゲテモノだらけの壁、異常行為がくりかえされるブラウン管。
男がいたって、もう彼女は僕たちのものだ。「そんな男、捨てたらいいじゃん」と言うと、星華はうやむやに咲う。まあ詳しい事情は突っこまなくても、機会があればすべて話せると思う。
僕たちはパズルの最後の一ピースのように星華を組みこみ、星華もまた、僕たちをぴったり来る額縁のように居場所にしていった。
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