空の雫-18

転がりこんだ玩具

 僕と千歳と紡麦と星華が囲む座卓の真ん中には、一丁の拳銃がある。
 小柄ながら、確かに重い冷たさが黒光りしている。脇にはそれを包んでいた薬品臭い包帯、そしてそれを収めていた豹柄ポーチ、さらにそれを手帳やウォークマンと共に、何気なく忍ばせていたベージュのトートバッグがある。
 銃なんて専門外だったし、ブラウン管でしかお目にかかれなかった代物なので、僕たちは試作薬品を注射したモルモットを覗きこむように、じっと見入った。
 話は、四日前にさかのぼる。水曜日、僕と紡麦はいつも通りおろしに出かけ、運び屋を頼まれた。ときどきあることだったから、深く考えずに承知した。
 渡されたのはベージュのトートバッグだった。そいつを駅の指定ロッカーに置いて、その鍵をヘッドショップのふりをした“何でも屋”に届けてほしいということだった。
 僕たちは何気ないそぶりでその指令を終え、いつもの徘徊に戻った。
 翌日、指定されていたクラブのカウンターに行くと、報酬があった。客がヘッドショップで鍵をもらい、ロッカーでブツを受け取る取引だったのだろう。
 ここまではよくあるお遣いだった。けれど、その翌々日、つまり今日、僕たちはバイト用に持っている携帯で呼び出しを受けた。またお遣いかと向かうと、お遣いはお遣いでも、ある男の部屋にガサ入れに行けというものだった。
 玄人みたいな仕事の依頼にまばたきをすると、例のトートバッグが関連していた。経緯は説明してもらえなかったが、中身を買うはずだった男が、鍵だけいただいて失踪したらしい。ロッカーは閉まったままで、今もトートバッグが入っているかは定かではない。だが、もし男の部屋に鍵が残され、トートバッグが放置されていたら、どんな芋蔓が待ち受けているか分からない。
 ただ、プロを雇うまでの危険の確信がないので、僕たちに様子見させるということだった。
「ロッカーに探知機とか近づけたらいいんだよ」
「駅のロッカーでそれは怪しいだろ」
 そんなことを言いながら、僕たちは携帯電話のGPSで目的地におもむいた。
 男の部屋の合鍵は渡されていた。酒と汗が饐えた寒い部屋は、空っぽだった。僕たちは物音と気配を抑えて、懐中電燈で室内を探った。僕の部屋ほど汚くないのはさいわいだったが、それでも闇に目を凝らすのは疲れた。
 光を反射するものに出逢うたび期待したが、それはアルミホイルのクズだったり、ビールのふただったり──結局、何も出てこなかった。
 郵便受けを調べたとき、大量の請求書の中に、借金の取り立ての足跡もかなり混じっていた。
「ただで欲しかったってより、夜逃げがいそがしかったのかもね」
 紡麦はそうつぶやいて、報告でもそれとなくその意見をほのめかしていた。
 僕は本気で見つからなかったと思っていた。だからその後、「じゃーん!」と紡麦が鍵を取り出したときには、ぎょっとした。
「そ、それは」
「どもってるよ」
「見つけてたのか」
「まあね」
「何で渡さなかったんだよ」
「だってトート欲しいもん。絶対スピードだ」
「バカ、スピードなんか普通に手に入るだろ。渡しにいくぞ」
「あーん、このスピードが欲しいんだよお」
「洒落にならないって」
「ばれやしないから。どうかなったって、殺されるのはその男だし。さ、行きましょっ」
 食肉植物の蔓みたいに素早く腕を組まれ、「どこに」と僕は雑踏を引っ張られて眉を寄せる。
「ロッカーだよ」
「男が来たときのために監視ついたんじゃないの」
「じゃあ、星華に頼んで、もうトートじゃないふりしてもらおうか。今はほかのものが預けられてるだけかもって、あっちも言ってたしさ。星華、今日営業だっけ」
「僕も共犯になんの」
「なるね」
「……あのさ、」
「大丈夫! 悪いのは全部夜逃げ野郎さ。とにかくそう打ってれば、真実なんて嘘に負けちまうのさ。たしなむつもりがオーバードーズするみたいにね。ずるずると繊細さより無神経がまさってく。ほっほっほ、これはあるルサンチマンパンクの歌詞」
 言うまでもないかもしれないが、日曜日の深夜であるこのとき、紡麦には薬が効いていた。
 イカれたほうが、彼は意味不明な難解語を言いはじめる。どうせそんな行動に走ったのも、薬に頭をやられていたせいなのだろう。ひとりで行かせると、さらに挙動不審になる恐れがあるので、僕はため息まじりに彼に付き添った。
 まず、星華の働く店に行った。あのヒモ男がいたら厄介だと思ったが、すがたはなかった。僕たちは上がった星華を連れ出し、どうせなのでその偽物な女の格好で、トートバッグを取りに行ってもらった。
 どこかで光る監視の前で、そのままベージュのトートバッグを取り出したら間抜けだ。たぐりよせるふりで、カーキのナイロンバッグにすっぽり食べさせて取り出し、ロッカーは空になった。
「これでロッカーが閉まってたのは、男がトートをただでいただいたあと、一般人が荷物を預けてたことになる」
 物陰でうなずいた紡麦に、「だといいけど」と僕は肩をすくめる。
 それから、僕と紡麦はまっすぐ、星華は万が一に備えてまわり道をして、千歳の待つ部屋に戻った。そして、座卓を引っ張り出すとトートバッグを広げた。
 いたって普通だった。ハンカチ、ティッシュ、空の財布──いかがわしいものなんて、ひとつもない。
「アイドルの私物を密売とかだったんじゃないの」とミニワンピースの星華はからから笑い、シャワーへといち抜けする。紡麦はふぐみたいにむうっとふくれると、片づけも投げ出して、テレビゲームを始めた。「何だったんだろうね」と千歳は華奢な首をかたむけ、僕は何気なく悪趣味な豹柄ポーチを手に取った。
 手首に意外な重みがかかり、ん、と思った。開いてみると、そこにはミイラのように包帯をぐるぐる巻きにされた物体があった。取り出すとずしりとして、かたちはほぼL字型だ。
「何だろ」と千歳に覗きこまれながら、硬い結び目に爪を引っかける。紡麦は完全に興味を失い、一瞥もくれなかった。結び目が外れると、長い包帯をどんどん手首に巻きとり、薬品っぽい臭いがただよい──やがて現れたものに、僕は目を開いた。
「ピストルだ」
 僕の茫然とした声に、紡麦がぱっと振り返った。「うそ」とコントローラーを放って、這いずり戻ってくる。
 紡麦に銃をさしだしながら、僕は千歳と顔を合わせる。千歳は息を飲んでいて、そこに映る僕の瞳も同じ空白に穿たれていた。
「すげえ」と紡麦だけクリスマスにツリーの下におもちゃを見つけた子供みたいに、無邪気な声で黒い光を白熱燈にかざす。
「本物かなあ」
「重さは本物っぽいよ」
「だね。ひゃ、日本に生まれてこんなの持てる日が来るとは」
「暴発させるなよ」
「安全装置ついてるよ。たぶんこれ」
 安全装置を抜こうとした紡麦に、僕は慌てて銃を取り上げた。
「あーん」
「『あーん』じゃない。お前危ないよ」
 紡麦は「ふん」とそっぽを向いた。
 千歳が僕の手の中を覗きこみ、「持ってみる?」とさしだすと、彼は触れたら弾が飛び出すとでも思っているように、首を振った。
 手首に絡まった包帯をほどくために銃を置くと、紡麦は素早く手に取って銃口を覗く。
「こら、」
「撃つ奴いないから大丈夫だよ。弾はこめてあんのかな」
「ねえ、そんなのどうするの。持っててもしょうがないよ」
 不安そうに危ぶむ千歳に、「そお?」と紡麦はにやりとする。
「使えるじゃん」
「下手に使えるもんじゃないだろ」
 僕は、ほどいた包帯を蛇みたいにとぐろにさせていく。
 紡麦は、ポスターの中でバックから犯されている金髪美女の頭を狙った。千歳は懸念をたたえて僕を見、「ここでは撃たないよ」と僕がなだめると、うつむくようにうなずく。「腕震えないや」と紡麦は銃を下ろして、座卓に置いた。
「しかし、何で銃なんて買ったんだろ。銃買う金あるなら、借金返せよな。あ、始めからはらう気なかったのか」
「取り立て屋、殺そうとしたんじゃないの」
 僕は包帯を手首からほぐしおえる。
「それか自殺」
「それ、持っておくの? 変な証拠になったりしたら」
「大丈夫っしょ。どうせ責任は夜逃げ野郎が取るんだよ」
「そんな都合よくいくのかな」
「つーか、もう死んでんじゃない? そしたら、何でもなすりつけられるね」
 僕は、黒い金属に映る白熱燈の重苦しいぎらつきを見つめる。プラスチックのおもちゃとは、冷たさの硬度が違う。
「死んでるかな」
「こいつを取りに来るヒマもなく逃げたんだろ。どっちみち、はらわずに鍵だけいただいたのは事実だし、消されるよ」
 僕は視線を空中に移して考え、「まあそうだな」とひとまずうなずいた。
 杞憂しても仕方ない。もうもらってしまったのだし、どうかなったときはそのときだ。必要なのは、小利口な言い訳でなく、「おもちゃだと思っていた」とか言い張れるずぶとさだ。
 デニムのオーバーオールを着た星華が、濡れた髪にシャンプーを香らせながら帰ってくる。「すごいよ」と紡麦は星華を手招きして銃を見せ、色づく肌に湿り気を残す彼女は、紡麦同様、怯えるより感心した。
「よく手に入ったね」
 僕は頬杖をつき、「くすねたに等しいんですけど」と述べた。
「何発入ってんの」
「さあ」
「三発入ってるとして、殺したい奴は誰ですか」
「僕は父親を殺せればいいよ」
「僕も両親だけでいい」
「俺はそのへんの奴」
「紡麦が一番男らしいね」
「悪かったですね、湿っぽい殺意で」
「あー、でもこれ、どうやって遊ぼうかなあ」
「やっぱ恐喝じゃない?」
 紡麦と星華は、悪巧みの面で気が合うらしい。
 僕と千歳は目を交わし、肩をすくめたり息をついたりする。まあ、僕たちも反対しているわけではなく、ただ、そう金属のように熱されやすくはないのだ。
 僕たちはしばらく、空気をその身に圧縮させる鈍い黒光りを眺めていた。そして、銃のみ回収し、あとはどこかで燃やすことにした。
 星華は床をあさってドライヤーを見つけ、紡麦はゲームオーバーになっていたシューティングゲームを再開し、千歳は夕食を作りに台所に立つ。僕は銃を床の中に混ぜて、紡麦のお手並みを観察した。
 宇宙空間で戦闘機が敵を撃ち落としていく。
 CDケースに埋もれた銃を盗み見て、殺せるんだな、と思った。もちろんナイフでもバットでも人は殺せるのだけど、加減できる。銃は急所で死ぬのだ。
「どうしたの」と髪を乾かした星華が隣に来る。彼女の髪や肌には僕たちと同じ匂いがする。僕は首をすくめ、「あれのおもしろい遊び方考えてたんだ」と言った。星華は銃をちらりとして、「一応乗り気なわけね」と茶色のヘアゴムで髪をひとつに縛った。
 それから彼女は、千歳を手伝いに台所に行き、僕は煙草に火をつけて紡麦の楽勝を見ていた。包丁が軽妙な音を立てて野菜を刻んでいく。紡麦は途中で弱すぎるコンピュータ相手に切れると、僕に対戦を求めた。
 手応えがないのは楽だけどつまんないよなあ、と思いながら、僕は煙草をすりつぶすとコントローラーを取った。

第十九章へ

error: