白波にさらわれて

「ねえ、茉莉。……僕、もしかしたら、ちゃんと大人になれないかもしれない」
 初めて親友の茉莉にそう打ち明けたのは、小学校に上がる前のことだった。
 茉莉の家のベランダで、茉莉のおかあさんが作った白とピンクのワンピースを着て、シャボン玉を作って空に飛ばしていた。黒とブルーの色違いだけど、お揃いのワンピースを着た隣の茉莉は、まばたきをしてこちらを見た。
「何それ。そんなわけないじゃない」
 茉莉がそう言い切ってくれるのは、僕を信じてくれているから。分かっていたけど、何も理解してくれていない言葉のように思えて涙がこぼれた。シャボン水にぽちゃんと雫が落ちて、茉莉はびっくりした表情を見せる。
「紗琴。ごめん、あたし、嫌なこと言った?」
「……ううん」
「紗琴はちゃんと大人になれるよ。大丈夫だよ」
「でも……」
「うん?」
「……つらい、から」
「何が?」
「自分のこと、『僕』って言うのが、つらい……」
 茉莉は僕を見つめた。……こんなのじゃない分からない。だけど、はっきり伝えて笑われたら怖い。茉莉はいったん手の中のシャボン水に目を落としてから、「そうだよね」とつぶやいた。
「女の子に戻るとき、困るもんね」
 はっとして茉莉を見た。茉莉はストローをシャボン水に浸し、ふうっと小さなシャボン玉をたくさん吹く。
「茉莉──」
「そうでしょ? 紗琴はすっごくかわいいもん! 今は悪い人に誘拐されないように、男の子の魔法がかかってるだけだよ」
 茉莉の横顔をじっと見つめた。茉莉はこちらに向き直ると、またまばたきをした。僕がひときわ泣いてしまったからだけど、今度は逆だった。茉莉がそこまで、理解してくれているとは思っていなかったから。
「紗琴、ごめん、また──」
「違う。嬉しいの」
「えっ」
「茉莉が分かってくれて嬉しい」
「分かる、って」
「僕のこと、女の子……って」
「紗琴は女の子だよ」
「ほんとに?」
「もちろん!」
「いつか、魔法は終わる? 大人になったら、女の子になってるかな?」
「うんっ。小学生になるんだから、もしかしたら、魔法が終わるのはもうすぐかもしれないよ」
「そしたら、男の人と結婚できるような女の人にもなれる?」
「なれるよ! ふふっ、紗琴はプロポーズもされてるもんね」
「あ、あれは……」
「ゆず兄も『さーちゃんを嫁にするのは俺』とか言ってるし。でも、ゆず兄はやめとこ」
 ひとりうなずく茉莉に、泣きながら思わず咲ってしまう。すると、「やっぱりかわいいっ」と茉莉はにっこりしてくれる。
「ねえ茉莉」
「うん」
「僕ね、もう、『僕』って言いたくないよ」
 茉莉は瞳をまっすぐに重ねると、「じゃあ、言わなくていいと思う!」と大きくうなずいた。
「嫌だったらやめちゃえ。紗琴はもうちょっとわがままでいいくらいだよ」
 茉莉の力強い言葉が嬉しくて、目頭がぎゅっと熱くなって、ぽたぽたと涙が流れ落ちていく。茉莉は頭を優しく撫でてくれて、「大丈夫」と繰り返す。
「紗琴は絶対に最高の女の人になる。なれるに決まってるじゃない。だって、紗琴より素敵な女の子なんて、あたし、会ったことないもん」
 水分でぼやけた視界でも、茉莉が微笑んでくれているのが分かる。素直にこくんとすると、ワンピースの白いレースの袖で涙をぬぐった。
 そして息を吸いこみ、シャボン玉を飛ばしてみる。シャボン水の元にした洗剤のかすかな香りがして、淡い虹色をまとった泡はふわりと空中へと舞い上がった。
 このとき、「僕」を捨てた。きっとすぐに、「私」を手に入れられると思っていた。
 でも、小学校は結局つらい想いばかりだった。中学生になって、味方は茉莉しかいない中で、学ランを着せられた。男の子を好きになったけど、気持ちを伝えるなんてとんでもない。それどころか、「自分は女だって、こういうことなんだろ」と無理やりに犯された。
 それでも、茉莉が必ずそばにいてくれた。支えてくれた。だから頑張れた、自分は女の子なんだってみんなの前で言えた。ようやく周りが変わりはじめた。おとうさんとおかあさんも。クラスメイトも。一部だけど、先生だって。
 受験生になる三年生の教室で、彼を見つけた。どんな男の子より優しくて、かっこよくて、一緒にいるとどきどきして。その人に「ずっと、入学式のときから好きな女の子だった」と告白されて、幸せすぎて泣いてしまった。彼の隣にいて、もちろん変わらずに茉莉もいて、やっと──本当にやっと、「私」と自然に言えるようになった。
 高校生活はすごく楽しかった。茉莉もいたし、彼氏である暮村くんもいた。茉莉の彼氏になった真宮くんという男の子もいた。その四人で、休み時間や放課後をよく過ごした。
 中学卒業と同時に、性同一性障害という診断書が出たから、女性ホルモンの注射も始めたし、夏休みや冬休みに段階的に手術も行なった。精巣摘出、陰茎切除、造膣、外陰部形成──お金は両親が工面してくれた。「いつか返すね」と言うと、「今まで男の子としてあつかって、ひどいこといっぱいしたから、このくらいさせて」と言われた。高校三年生になるときには、男として生まれてしまった痕跡はできうる限り残さない軆になった。
 すぐ大学受験に向けて、みんな大変になった。
 茉莉は学校の先生を目指すことにした。「紗琴みたいな子も守れる先生になれたらいいな」と茉莉は言う。なれるに決まってるよ、とそれは私が誰よりも断言できる。
 小説を読むのが好きな暮村くんは、出版社への就職を狙って編集者になることを決めた。「自分では書かないの?」と訊いてみると、試したことはあるけれど、それは思うようにいかなかったらしい。
 茉莉の彼氏の真宮くんは、映像系の専門学校に進むそうだ。「真宮くん、映画好きなんだ?」と茉莉に訊くと、「デートで八割くらい映画行ってるうちに、自分で作りたくなってきたらしいわ」とあきれた苦笑が返ってきた。
 そして私は、自分の性別適合手術をした体験を文章にしてネットに公開したことから、LGBT系のWEB雑誌のライターにスカウトされた。そこでたまにコラムやエッセイを書かせてもらいながら、大学にも進んでジェンダー研究を専攻することになった。
 一年間は進路に向けて頑張って、みんな希望通りの道に進むことになった。三年間、いつも一緒だった四人だけど、さすがにここで目指す先はばらばらになる。
 もちろん、それでもときどきは集まって仲良くしたいけど、本当にときどきになるのだろう。それが寂しいのは四人とも同じだったみたいで、誰ともなく高校最後の想い出に春休みには卒業旅行に行こうと話していた。
 海外まで遊びに行って騒ぎたいわけでなく、むしろゆったりいつもの放課後みたいに過ごしたかったので、空気のいい山間のペンションが建ち並ぶ場所におもむいた。その中でもログハウスっぽくてかわいい作りのペンションがあって、ゆっくりおしゃべりできるカフェテラスの写真も決め手になり、けっこう前から二泊三日を抑えていた。
 ご主人も奥さんも温かく迎えてくれて、もちろん初めて会うお客さん同士でも、不思議とアットホームな雰囲気のあるペンションだった。山菜の夕食をいただいて、一泊目はたっぷり休んだ。翌日は少しおみやげのお店を見てまわるくらいはしたけれど、基本的にお目当てのカフェテラスで飲み物をおかわりしながら、四人でいつまでもおしゃべりをした。二泊目の夜になり、「そろそろ消燈しちゃいますよ」と奥さんに声をかけられて、私たちは慌ててそれぞれの部屋に向かった。
 部屋はツインルームをふたつ取った。一泊目は私と茉莉、暮村くんと真宮くんで休んだから、二泊目もそうだと思ったら、「今夜はシャッフルしようぜ」と真宮くんが言い出して、私は暮村くんと、茉莉は真宮くんとの部屋に泊まることになった。
 私は暮村くんを見上げて、何だかどきどきして頬がほてるのを感じてしまう。暮村くんと、ひと晩、ふたりきり。どうしよう。初めてだ。ふたりきりは初めてではないけど、ひと晩なんて──暮村くんも私を見ると、ちょっと恥ずかしいみたいに咲った。
 隣り合った部屋の荷物を入れ替えると、「じゃあおやすみ」と言い合って茉莉と真宮くんとは別れた。視線をどぎまぎさせそうになりながら、暮村くんが明かりをつけた部屋に踏みこむ。ツインルームなので、もちろんベッドはふたつある。
「もう零時も過ぎてるんだね」と暮村くんがベッドスタンドのデジタル時計を見て、「消燈だもんね」と声が変に上擦ったりしないように私は答える。
「すぐに寝る?」
「化粧落とすから、シャワーは浴びようかな」
「じゃあ、日向が戻ってくるの待ってるよ」
「疲れてるなら先に寝ててもいいよ?」
「平気。僕もシャワーは浴びたいし」
「そ、そっか。じゃあ、急いで終わらせるね」
「急がなくていいよ。ゆっくりしてきて」
 暮村くんは私の頭を撫でて、柔らかく微笑む。まだ心臓がどくどく脈打っている。なぜか不意に、前に暮村くんに言われた台詞がよぎった。
『いつか僕のものになって。日向を、全部、僕のものにしたいんだ』
 思い出すと、瞳が潤むほど真っ赤になってしまった。何で今思い出すの、と恥ずかしくなりながら、私はそそくさと部屋に備えつけてあるバスルームに入る。広めのユニットバスになっていて、着替えはラックの中に置いた。
 ほっぺた赤いの、暮村くん気づいたかな。おかしく思われなかったかな。そんな心配をしながら、壁にある鏡を覗く。
 ロングヘアになったのが見慣れた自分がいる。ちゃんと、自分でも自分が、女の子に見える。人に「かわいいね」と言われたときも、素直に受け入れられるようになった。昔は茉莉以外の人だと、「男にしてはかわいいね」と言われている気がして、喜んでいいのか分からなかった。
 化粧も茉莉といっぱい勉強した。高校でも薄化粧くらいはしていたから、暮村くんに素顔を見られるのは中学時代以来かもしれない。何かそれも恥ずかしいな、と思いつつ、抱えてきたポーチに入れたシートで化粧を落とす。服を脱ぐと、シャワーカーテンをめくって、バスタブの中でシャワーを浴びた。
 シャンプーもコンディショナーもボディソープも、ミニボトルに詰め替えて、普段のものを持ってきた。まず髪を洗い、それから軆を洗う。白い肌を熱いお湯がすべっていく。
 ふくらんだ乳房とか、曲線を帯びた軆とか、脚のあいだにあんなものがないこととか、夢ではないことをまだ何度も触れて確認する。ちゃんと、女の子になった。この軆を手に入れるまで、本当に長かった。
 両親が理解して、お金まで出してもらえた私は、ラッキーだと分かっている。両親に分かってもらえなかったら、お金がなかったら、この軆になれたのはもっとあとのことになっていた。
 それでも、長かったと思ってしまう。生まれ持った軆を手放すなんて、そんなことは本当に可能なのか、気が遠くなりそうだった。でも、これなら──そう、この軆なら、……暮村くんに見られても、嫌じゃない。
 そんなことを思う自分にまたひとりで赤面しつつ、全身の泡を落として、もう一度髪もすすいだ。シャワーを止めて、タオルで水滴をぬぐうと、すっぽり着れるルールウェアのワンピースになった。髪をタオルで包むと、あとは歯磨きとかいろいろ済まし、よし、と深呼吸して部屋に戻る。
 暮村くんは奥のベッドサイドに腰かけ、文庫本を読んでいた。声をかける前に顔をあげて、「さっぱりした?」と咲いかけてくれる。私はこくんとして、「使ったばっかりだから、壁とか濡れてるけど」と暮村くんにバスルームを勧める。
「大丈夫だよ」と本を置いた暮村くんは、ベッドを立ち上がって、準備していた着替えやタオルを抱える。私のそばに来ると足を止め、化粧水でなめらかな頬にそっと触れ、瞳を見つめてくる。
「暮村、くん……?」
 鼓動が速くなる中で、私がとまどって名前を呼ぶと、暮村くんは困ったように微笑んで「素顔は久しぶりだから」と言う。
「あ、っ……えと、変、かな」
「ううん。かわいい」
「か、かわいくは……ない、かも」
「かわいいよ。初めて日向を見たときを思い出して」
 暮村くんを見つめた。「……入学式?」と尋ねてみると、暮村くんはうなずく。
「どんな女の子よりかわいかった」
「で、も……あのとき、制服……」
「そうだけど。僕には最初から日向は憧れの人だったよ」
 嬉しい言葉なのに、どうしてもおもはゆくて、睫毛を伏せてしまう。すると暮村くんは、背をかがめて私を覗きこんで、そっとキスをしてくれた。軆にじわりと蕩ける感覚が広がる。至近距離で視線がぶつかり、暮村くんは私の耳元に唇を寄せる。
「もう、終わったんだよね」
「えっ」
「その、手術というか」
「あ、うん。ちょうど一年くらい」
「そっか。じゃあ──いつか、見せてね」
 顔をあげる。暮村くんはほのかに頬を染め、「先に寝ててもいいから」と言い置くとバスルームに行ってしまった。私はそれを見送り、どんどん、脳が沸騰してくるみたいに感じてしまう。
 いつか、見せて。それは、つまり──
 考えただけで熱でふわふわしてきて、よろけるように手前のベッドに腰かける。暮村くん、たまに大胆なこと言うときがあるけれど、この状況でその台詞は刺激が強い。
 でも──暮村くん、中学の入学式から私のことを想ってくれていて。つきあって三年以上で。男の子なのだから、それは、かなり我慢してくれているのだろう。
 以前の軆は、暮村くんだけには見られたくなかった。大好きだから、暮村くんには見てほしくなかった。その気持ちを暮村くんは尊重してくれた。今の軆は、そんな暮村くんに、一番見てほしい。私も、暮村くんにこの軆を見てもらいたい。
 そわそわしながら、ひとまずドライヤーを取り出し、タオルが水分を吸った髪を乾かした。しっかり乾かすより、潤ってまとまったくらいにしておく。その髪を櫛で梳いていると、暮村くんが戻ってきた。
 目が合って、何だかお互い照れたみたいに咲ってしまう。髪が濡れた暮村くんは印象が違って、ほんのり色気がある気がして、そんなのを感じ取っている自分が恥ずかしくなる。暮村くんは奥のベッドにまわって、腰をおろしてタオルで髪を拭く。
「ドライヤー貸す?」と私が訊くと、「ううん、いつも自然に乾かすから」と暮村くんは手櫛で済まし、時計を見ると「もう寝ないとね」と言った。いつのまにか、午前一時もまわっている。
「日向はもう寝れる?」
「うん」
「じゃあ、寝ようか。明日は向こうに帰るし」
「そうだね。二泊三日なんてすぐ」
「またこんなふうに、四人で来れるといいけど。みんないそがしくなるからね」
「だけど、引っ越すまで遠くに行く人はいないし、たまに四人で会いたい」
「でも……」
「うん?」
「ときどきは、日向とふたりがいいな」
 まばたいて暮村くんを見た。暮村くんは私の目を見つめ返し、照れ咲いを見せる。私は再び胸が発熱して、早鐘になっていくのを感じる。私も、と言おうとしたのに、その前に「寝ようか」と暮村くんはベッドスタンドにあるリモコンを手に取り、明かりを消そうとした。
 何だか、暗闇がおりてしまったら、今夜は暮村くんに触れられない壁ができてしまう気がした。だから私は、「暮村くん」と名前を呼んで、リモコンを取った手に手を重ねる。
 暮村くんは再び私に目を向ける。私は暮村くんの手をきゅっとつかみ、「……その、」と言葉を彷徨わせる。
「わ、私……ね」
「うん」
「暮村くんのこと、好き……なのに」
「……うん」
「ずっと、何も、できなくて」
「えっ」
「み、見せたりとか、してあげられなくて」
「……あ、」
「でも、もう……いいんだよ」
 暮村くんがまじろいで、私は頬をほてらせながら言葉を続ける。
「暮村くんに、見せてあげられる……よ。そ、その……全部、暮村くんのものにしていいよ」
「日向──」
「私、も……暮村くんのものになりたい……」
 深夜の静けさの中で、息遣いも聞き取れる沈黙があったあと、暮村くんはぎゅっと私の手を握り返した。
「いいの?」
「う、うん」
 ぎこちなくだけどうなずくと、暮村くんはやや考えたようだけれど、リモコンを置いて立ち上がり、私の隣に腰をおろした。ふたりぶんの重みにシングルベッドがきしむ。瞳をお互いに瞳に映し、暮村くんは優しく私の腰を抱き寄せると、丁重に唇を重ねた。
 柔らかさ。温もり。伝わってくるものを感じていると、小さく口が動いて、躊躇いがちに舌が入ってくる。そんなキスはほとんど交わしたことがなかったけど、私も躊躇いがちに応える。
 頭の中が炭酸になってしまったみたいに、刺激を含んでぱちぱちと弾ける。私も暮村くんの背中に手をまわして、筋骨が感じられるその軆にしがみついた。ちょっとだけ唇をちぎった暮村くんが、「日向」と低くかすれた声で私を呼んで、その声音で脊髄が甘い陶酔感に痺れる。
「好きだよ」
「私、も……好き。暮村くんが好き」
「優しく、するから」
「うん」
「痛かったりしたら言って」
 私がこくりとすると、暮村くんは私をベッドにゆっくり押し倒した。もう一度、長くて息が止まるようなキスを交わす。それから「明かり、落とす?」と言われて、確かにこのままでは明るすぎる気がしたのでうなずいた。暮村くんはリモコンで明かりを落として、すると室内は思ったより暗くなった。
「暮村くん、見える?」と気にすると、暮村くんはベッドスタンドを何やら手探りしてライトをつけた。「昨日これで寝る前に少し本読んでたから」と言った暮村くんは、私の髪をかき分け、そっと首筋に顔をうずめて耳たぶを食んでくる。全身が反応しそうな切ない感覚が走って、私は小さく声をもらす。
「日向……かわいい」
 そうささやいて暮村くんは私の首筋をたどる。暮村くんのキスも言葉も、私の心には甘すぎるほど甘くて瞳が滲む。
「ずっと、我慢してた」
「……うん」
「日向と……こうすることだけ考えて、眠れないくらいの日もあった」
「うん」
「自分はいやらしいのかなって悩んだけど、やっぱり、日向が欲しくて。好きだから、すごく欲しかったよ」
「……男の子、だもんね」
 私の言葉に暮村くんはこちらを見て、「うん」となだらかに私の髪を指で梳く。
「男だよ。日向を……大事にしたいけど、めちゃくちゃにしたいくらい、男なんだ」
「大丈夫だよ。暮村くんがしたいようにしていいよ」
「したいようにしたら、日向が壊れちゃいそうで」
「壊れないよ。私にも……暮村くんを、全部、ちょうだい……?」
 蕩けた飴みたいに視線を絡め、口づけを交わしながら、私たちは服を脱いだ。私の胸は、ふくらんだけど、そこまで豊かに大きいわけでもない。「ちっちゃくてごめんね」と言ってしまうと、「綺麗だよ」と暮村くんは私を抱きしめる。肌と肌が密着して、体温がじんわりと溶け合う。
 暮村くんはそこまでがっちりした体格ではなくても、やはり肩幅とか腰までの直線とかは男の人だ。そして、いつも本のページをめくっている長い指が、丁寧に私の軆をたどって確かめていく。やがてその指先が脚のあいだに届き、「濡れてる」とぽつりと言われたときは、恥ずかしくて目をつぶってしまった。暮村くんの指は、私の中をゆっくりとほぐしていく。その指の動きにも感じてしまって、暮村くんの肩に顔を伏せ、何とか喘ぐ声を抑える。
 次第に、意識がゆだってくらくらしてくる。その中で、暮村くんの硬くなっているものが肌をかすって、私は恐る恐るそれに触れてみた。
 すると、暮村くんは一瞬声を出す。その反応がかわいい気がして、私は暮村くんを手のひらで包んで、緩くだけどこすってあげた。「日向……っ」と暮村くんがこらえられないような声で私の名前をもらす。
 私もそれに触れているほど、脚のあいだがきゅんと切なくなって、自分が女として暮村くんを求めているのを感じた。しばらく、お互いを手で刺激していて、「……入れて、みる?」と私は小さな声で訊いてみた。暮村くんは私を見て、「日向は……大丈夫?」とまず確認してくれる。私がこっくりとすると、暮村くんは深呼吸してから、体勢を整えた。
 緩やかに、暮村くんが軆の中に分け入ってくる。声がまたこぼれて、暮村くんは私にキスをして、その声を飲みこんでくれる。そして、私と暮村くんは深くまでつながり、初めてひとつになって──
 こみあげてくるくすぐったい感覚が、感じたことのない快感を孕んでいる。暮村くんもそれを感じているのか、さらにその感覚をつかむために深奥を探るように動く。私は暮村くんの軆に抱きつき、薄目でふたりの影が映る天井を見て、こんなに幸せでいいのかなと思った。
 だって、こんなにも愛されている。暮村くんに、女の子として愛されている。ああ、私は本当に男じゃないんだ。確かに暮村くんの「彼女」なんだ──
 くすぐったいくらいだった快感が、どんどん下肢に寄り集まっていく。暮村くんの動きが奥に響いてくる。白が充血して赤に染まるみたいに、気持ちのいい波が押し寄せる。ふたりの息遣いがほてって、口づけを繰り返して。不意に真っ白な光が体内にあふれるような感じが広がった瞬間、私はびくんと痙攣して、美しいほどの白波にさらわれてしまった。
 ──終わったあと、暮村くんは腕まくらをして私の頭を撫でてくれた。「暮村くん、優しかった」と私が言うと、「何か焦ってなかった?」と暮村くんは恥ずかしそうに気にかける。「大切にしてくれた」と私が答えると、暮村くんはいつもの穏やかな瞳で、「これからも、ずっと、大切にするよ」と誓うみたいに言って、私のこめかみにキスしてくれた。
 ふたりで白いシーツにくるまって、軆を寄せ合って抱き合って。「あの瞬間」もざあっと白く輝く波にさらわれてしまうように感じた。私、きっと、あの白さを忘れない。白波の中で、愛する人に大切に大切に愛されたことを、一生、忘れない。
 ちゃんとした大人になれないかもしれない。茉莉にそう言って泣いた日がよみがえる。大丈夫って茉莉は言い切ってくれた。絶対に最高の女の人になるって言ってくれた。
 私、なれたんだよね。今夜、暮村くんの腕の中で、私は間違いなく女になれた。
 私は女として生きていく。取り戻した性で胸を張って生きていける。暮村くんも、茉莉も、真宮くんだっているから。女の子として生まれることができなかった。でも、私は女の子に生まれてよかったって思うの。女の子として愛されて幸せだって思うの。
 いつのまにか暮村くんは眠ってしまい、私はしばしその寝顔を愛おしく見つめていた。けれど、私もさすがにうとうとしてきたので、ベッドライトをそっと消す。
 暗闇に包まれても、暮村くんの安らかな体温と肌の感触があるから、怖くない。
 私は目を閉じ、また波にさらわれていくように、幸せな夢が広がる深い眠りへと身を任せた。

 FIN

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