よく逢う彼は
旧交を温めたあと、また地球のどこかに行ってしまったトモキさんに、芽留とマリカさんは数日のホテル暮らしから帰ってきた。
芽留はリュックにつめこんできたトモキさんのおみやげをあたしに自慢する。今回も変わったものばかりだった。本やCDはもちろん、ピエロのマリオネット人形、木の笛、洋服や食器という実用的なものもある。どれにも色合いや手触り、匂いに異国がただよっていて、不思議な感じだ。
マリカさんが、あたしへのおみやげだという、呪術師がさげていそうな透明な石のペンダントをくれた。石がごつごつしていて服には合わせにくそうでも、見ているだけで神秘的だ。「いいなあ」と芽留に言われ、あたしはさっさとそれをポケットに隠した。
マリカさんはこれから留守のぶんの家事をするということで、あたしと芽留は三階に上がった。
「あたし、こないだ、また実樹ねえさんとこに行ったよ」
「えー、ほんとお。どうだった?」
「例のゲイの男の子の恋人見ちゃった」
「わお。どんなだった?」
「めちゃくちゃ美形だった。モデルみたい」
「へー。いいなあ。何かその、実樹さんについては新しい情報は」
「それは何も。そういや、セーラー服で行ったら顰蹙買ったな」
「制服で行ったの」
「学校サボった帰りだったの。家に寄ったら、あの階段あるじゃん」
「あの階段、嫌だよね。エスカレーターになればいいのに」
「はは」
「そっかあ。いいなあ。恋人かあ」
鳥の羽でできた小さなはたきを鉛筆立てにさした芽留は、「パパに男はまだできないのかとか言われちゃった」とピエロをいじるあたしのそばにしゃがんで、リュックをあさる。あたしはこないだの芽留の恋愛への躊躇の話を思い返し、「恋には時機があるのよ」と言う。芽留はうなずき、「ママもそう言ってくれた」とはにかんで咲った。
「その実樹ねえさんに行ったときなんだけどさ、すごい美少年がいたの」
「美少年」
「繊細なのにぞんざいというか。でも訳有りみたい」
「訳有り」
「実樹ねえさんにやめとけって言われたの」
「ほんとに好きなら、周りがどう言っても、責任背負ったほうがいいよ」
「そんな本気じゃないよ」
「ふうん。美少年かあ。僕、綺麗な男ってあんま見たことないなあ」
何語か知れない文が綴られた絵本をめくり、芽留は息をついている。あたしはピエロの手足を動かすコツをつかんでくる。
本音では、あの美少年が心から離れなかった。本気かどうかは分からなくても、これは意識の予兆だ。まあ、今のところ、ただの興味だ。彼に何か問題があるなら、本気になって傷つくのはこちらだ。どうせあたしは本気になんてなれない。本気になるのはあの人でたくさんだ。あたしがかたくなに思う隣で、「好きな人かあ」と芽留はのんびり独白していた。
次に〈POOL〉に行ったのは、その数日後だった。平日だったけど、学校には行かなかったので私服だった。白い毛織のプルオーバーに革のワインレッドのジャケットとスカート、髪はポニーテールだ。お昼時が終わって店内が落ち着いた頃で、男の子はカウンターの右端のスツールで書き物をしていた。彼は毎日ここに通っているのだろうか。実樹ねえさんに微笑まれながら、あたしは彼の隣に腰かけ、コーヒーを注文する。
男の子は顔を上げ、びくついた顔になった。あたしはにっこりして、「よく逢うわね」と言った。男の子はとまどったあと、ぎこちなくうなずく。
「ここ、よく来てるの」
「え、まあ」
「いいところよね」
「はあ」
「あたしのこと、怖い?」
「えっ」
「大丈夫よ。あたし、ゲイは男と思わないことにしてるから」
「……はあ」
「子供なの。男だって認めて収拾つけられる自信ないのよ」
寒風に凍えたブーツの爪先やラメ入りの赤い爪の指先が、柔らかい室温に癒されていく。早く春にならないかな、と鳥肌を鎮めていく膝に触れる。
男の子はあたしを見て、「今日は制服じゃないんですね」とかぼそく言った。
「サボったから」
「不登校してるんですか」
「そんな大層なもんじゃないよ。気分に任せて、行ったり行かなかったりするだけ」
「学校に何かあるんですか」
「何で」
「行かないなら」
「別に。学校って施設が嫌いなの。合わない」
「はあ」
「あなたは行ってないのね」
「あ、まあ」
「この街に暮らしてるの?」
「はい」
「いくつ」
「十五です」
「あ、タメなんだ。敬語いらないじゃん。あたしは杏里っていうんだ。君は」
「紗月です」
サヅキ。「かわいい名前ね」と感想を述べると、彼は何とも言えない顔でミルクティーを飲んだ。咲っていると、実樹ねえさんがコーヒーを持ってきて、あたしは受け取る。
「あ、あの」
「ん」
「杏里さんは、外に暮らしてるんですか」
コーヒーに砂糖をそそいでいたあたしは、噴き出してしまう。まごつく彼に、「あたしはさん付けされるような上等な女じゃないよ」と言う。
「呼び捨てでいいよ」
「はあ。あの、じゃあ、杏里、は、外にいるんですよね」
「敬語もいらないって。まあ、そうね。ここから電車で二時間のとこ」
「外って、ゲイとかについて変わってきてるの?」
「何で」
「だって、何か──杏里は普通だから」
「ああ、あたしはゲイの友達がいるんだ」
「買い言葉じゃなかったのね」と実樹ねえさんが言って、「まあね」とあたしは咲う。
「実樹ねえさん憶えてるかな、ママの親友でマリカさんっていたじゃない」
「ええ」
「あの人の息子、知ってる?」
「子供ができて結婚したのは知ってるわ」
「芽留って奴でさ。そいつがゲイなんだ」
「幼なじみなのよね」とあたしは紗月に言い、彼は納得する。
「おうちと、仲いいんだ」
「わりと。ママのことは好きだし、尊敬もしてるよ」
「そっか。すごい」
「すごい」
「僕なんか、ぜんぜん家と仲良くできなかった」
「親と暮らしてないの」
「恋人と暮らしてる。家は外にあるんだ。十四のときに家出して、それから音信不通」
「勇気あるのね」
首をかたむけた彼は、「親に心開く勇気はなかったんだ」とひかえめに言う。あたしはコーヒーの熱で体内をほどく。
「恋人って、こないだの美形くん」
「ん、まあ」
「彼、あたしにいい気分なさそうだったわね」
「気づいてたの」
「あたしだって女だよ。いいけどね。好意的にされるには、あのルックスは危険だわ」
紗月はちょっと咲い、あたしも微笑む。紗月はあたしを眺め、しばらくノートに目を落とすと、「弓弦に興味あるの?」と言う。
「誰、ユヅルって」
「あ、僕の恋人の」
「ゲイなんでしょ」
「弓弦はバイなんだ」
「あ、そうなの。道理で」
「道理で」
「ん、女にも隙がある匂いがしたから」
紗月はあたしを見つめ、「女の子って怖いね」とつぶやいた。あたしは実樹ねえさんと顔を合わせて笑ってしまう。「紗月くんは女に免疫がないのよ」と実樹ねえさんは言って、「みたいね」とあたしは彼を見る。
やっぱり目は目尻が吊っているせいかきついけど、瞳はおとなしい。口元はつぐみがちで、輪郭や鼻筋も可もなく不可もなくだけど、瞳の不均衡がほどよく印象的なので悪くない。軆つきは包容力に欠けても、細身な体質として褒めていいのだろう。
「彼は君に夢中みたいだったから」とあたしはコーヒーに口をつける。
「あたしが興味あったって、向こうが嫌がるんじゃない?」
「興味、あるの?」
「ないよ。人の恋人に手え出してひどい目にあったことぐらいある。あれには学んだわ」
「手、出したの」
「うん。でも、相手にとってあたしは本命のおまけだった。分かってたんだけどね、捨てられたときはやっぱ傷ついちゃった」
紗月はまじめな瞳をして、「シビアな恋してるのね」と実樹ねえさんには揶揄われる。「昔のことだよ」とあたしは照れ隠しして、手遊びにコーヒーをスプーンでかきまぜた。
「紗月は、弓弦くんとやらと簡単にくっつけたの?」
「えっ。何で」
「どっちも美形で、外野の問題多そう」
「美形、って。弓弦はそうだけど。僕じゃ釣り合い取れないかな、とか思った。出逢った頃、僕はゲイってことに自信なくて、それでうまくいかなかったり」
「ふうん。今は自信あるのね」
「こっちに来たから」
「ふふ、彼に逢ったからじゃない?」
紗月は面食らい、ついでどきまぎと頬を染めてうつむく。実樹ねえさんと咲ってしまう。かわいい子だ。こちらに興味を持たないと分かりきっているぶん、気兼ねなく揶揄える。
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