ゆめがたり-9

親の才能

 芽留ののんきな話を聞いたり、ママと近況を交換したりしているあいだに、時間はぞっとしそうに早く突き進んでいった。
 二月はなかばにさしかかり、寒色を帯びていた陽射しが春の輝きをまといはじめた。朝が来るのが早くなり、夕暮れがたなびいて夜が遅くなる。
 あたしはやっぱり進路希望を出していなかった。高校行かないのかしら、と自問して、だったらどうしよう、と自答より自問がたたみかけ、あたしは自分の心の不安にどうとも言ってあげられない。
 つくえに向かって構想を練る芽留を横目に、陽だまりにいれば暖かい日中、あたしは天窓の下で本を読んでいる。
「芽留」
「んー」
「何かいい話できた」
「分かんなーい。三月にパパに会うときには見せられそうにないかな」
 三月にはマリカさんの誕生日がある。あたしはそのマリカさんに淹れてもらった、甘すぎないココアを飲む。
「こないだ、実樹ねえさんのとこに行ったって話したじゃない」
「ゲイの人の恋人引っぱたいたとき」
「そう」
「あれねー、いい感じだよね。啖呵かっこいいし。使おうかな」
「あたしがしたことって出さないでね。そのとき、男の子が小説書いてたの」
「む。小説って、今、杏里が読んでるやつ」
「そう」
「ふうん」と芽留はグラスにさしているポッキーをかじり、椅子に体重をかけてきしませる。
「小説って神経使いそうだよね。感覚描写とかも普遍的な言葉で済ませられないし。個性を張りつめさせないといけない」
「脚本と変わんないんじゃないの」
「違うよお。小説は映像に頼れないでしょ。主人公の主観を客観的に描写しなきゃいけない。バランス悪いよね。お酒みたいなもんじゃない。のめりこむほど酔いたくなるけど、酔わずに冷静じゃなきゃいけない。内容が強烈なだけ、主人公に食われないのがむずかしくなってくというか」
「食われる、ねえ」
「書かないから、たぶんだけど。脚本はあくまで客観性だよ。食われるって心配はない。主観をだらだら書いたって、そうとう才能ないと映像化したらつまんないからね。脚本は読みごたえじゃないんだ。台詞にしたって、読ませるんじゃなくて聞かせるんだから、言わせりゃいいってもんじゃない。視聴効果が前提だし、正反対だよ。小説はどれだけ冷静にお酒に溺れるかだけど、脚本はどれだけ冷静にお酒を断ち切るかなんだ」
 あたしは眉を寄せ、「よく分かんない」と正直に言った。芽留は照れ笑いして、「それで、小説が何なの」と話を戻す。
「ああ、いや、その子もそうやって物書いてて、しかもゲイだし。あんたと気が合うんじゃないかと思って」
「………、家出とかした人なんでしょ」
「おとなしい子だよ。いきなりあたしを『杏里さん』とか呼ぶし」
 芽留は噴き出し、「似合わなーい」とげらげらとした。あたしは芽留にクッキーの包装紙を投げる。彼の背中にあたって床に落ちたそれを、「もお」と芽留は椅子を立って拾い、ゴミ箱に捨てる。
「新しいとこに行ったら、イメージも湧くかもよ」
「そうかなあ」
「町出るの怖い?」
「ママはついてってくれないでしょ」
「あんたマザコン?」
「ママは僕がゲイだって理解してくれてるもん」
「ゲイとか当たり前の場所なんだよ。それに、あたしも行くんだし」
「ふむ。ま、ほんと言うと、ちょっと行ってみたいかなあって思ってたの」
「じゃ、来たらいいじゃん。あたし、そのゲイの子──紗月って言うんだけど、仲良くなったとこだし」
「じゃ、今度ね。ママに訊いてからね。行く日は前もって教えてね」
「はいはい」
 芽留はうなずき、つくえに向き直った。あたしはクッキーをかじって小説を読む。
 小説、といっても、紗月が書くのは作りごとでもないのか。まあ、会ったときに彼自身が芽留に説けばいいだろう。「マリカさんに電車賃もらっときなさいよ」というと、芽留は手をひらひらとさせた。
 かくして数日後、あたしは芽留を引率して〈POOL〉に出向いた。カーキのストレートパンツに紺のフリーツの上着を着た芽留は、そわそわとあたしのデニムコートのベルトをつかみたがる。「やめなさい」とその手をはらいながら、少し悪い天気に肌寒い中を歩いていく。
 芽留はリュックを抱きしめ、初めて見る景色にきょろきょろしていた。時刻は十四時過ぎで、昼食は芽留の家で食べてきた。あたしは田舎者の幼なじみをはたいて、到着した〈POOL〉に引っ張りこんだ。
 実樹ねえさんの微笑に微笑を返し、空席のカウンターの右端に手前のテーブルに目を移す。そこには折りよく、紗月だけでなく恋人くんとその親友もいた。今日は弓弦くんは紗月の隣に座っていて、来夢がこちら側にひとりで座っている。
 顔を上げた紗月が笑みを作って、あたしも咲った。が、歩き出そうとして服を引っ張られ、かえりみると芽留がビビっている。
「何よ」
「怖いよお」
「怖くない」
「人間がいるよ」
「決まってんじゃない」
「僕って引きこもりっぽかったじゃん」
「トモキさんの息子だろ」
「パパはパパだもん」
「じゃあ帰るか」
「ひとりで帰れないよお」
 息をついて、「あたしが守ってやる」と言った。芽留は情けない目であたしを見て、そろそろとついてくる。テーブルの三人も実樹ねえさんも、あたしが連れてきた新顔に注目している。
 あたしはまず、芽留を連れてカウンターに行った。実樹ねえさんは芽留ににっこりとして、芽留は引き攣った笑顔を返す。
「恋人?」
「幼なじみ。芽留よ。こないだ話したでしょ」
 実樹ねえさんは芽留は眺め、「ご無沙汰してるわね」と言った。「え」と芽留は狼狽えてリュックを抱きしめる。
「ど、どっかで会いましたっけ」
「赤ちゃんのあなたが、はいはいしてるところを杏里に馬乗りされて、つぶれてたのを見たことがあるわ」
 芽留はあたしを見た。あたしは適当に笑っておいた。「でね」とあたしは芽留の目を後ろのテーブルにやらせる。
「この子が紗月ね」
 カウチの右側に腰かける紗月をしめすと、「お」とすぐ後ろにいた芽留は後退った。紗月は人見知りっぽく不器用に頭を下げ、芽留も似たように頭を下げる。「この子が芽留」と言うと、紗月はあたしにはきちんとうなずいた。
「で、隣が彼の恋人で、奥がその親友、かな」
 あたしの後ろで、芽留は興味深そうにテーブルの人間関係を窺う。弓弦くんと来夢は顔を合わせ、互いにどんな顔をすべきか悩んでいる。芽留は紗月に関心を向け、「ゲイってほんとですか」とか訊いている。
「え、まあ」
「わあ。あのね、僕もなの。初めて自分以外のゲイ見ました。生で」
「はあ」
「うるさい?」
「あ、いえ。えと──じゃあ、外は大変ですよね」
「んー、まあ。引きこもりしてるからよく分かんないです」
「引きこもり」
「登校拒否。パパとママに勧められて」
「………、勧める」
「んっとね、カミングアウトして傷つけられるなら、大して行かなくていいとこだからやめちゃえって」
 紗月は鼻白み、恋人と顔を合わせる。「変わった親だな」と弓弦くんはつぶやいた。
「親に、ゲイだって認めてもらってるんだ」
「うん。僕、ママに自分がゲイだって教えてもらったんだ」
「は?」
「学校の性教育で男同士がなかったから、同性同士はないのってママに相談したの。そしたらあるよって、ママが僕に同性愛を教えてくれた」
 紗月は口ごもり、「まだ変わってるよね」とあたしに確認する。「残念ながらね」とあたしは言っておく。「ゲイだって知ったら学校行かせなくなったわけ」と口を挟んだ弓弦くんに、芽留は首を振る。
「隠してたら心に悪いから、僕がゲイって認めた上で教室にいさせてくださいって、ママと先生に会いにいったんだ。そしたら先生は、イジメになるから隠してくれって言った。それでママが怒って、そんなとこ行かなくていいって」
 弓弦くんは親友と目を見交わし、「どう思う?」と言った。「奇跡的な親」と彼は答えた。紗月は芽留を見つめたあと、「僕は親には何にも言えなかったな」と言う。
「家出したって杏里が」
「うん。受け止めてもらえる自信がなかったんだ。僕の親は、そんなふうに賢くなかった」
「そお。つらいね」
「え」
「えー、親に親の才能がなかったんでしょ。親が頭悪いのって、その人の人生を壊しちゃうと思うな」
 紗月は芽留に睫毛をしばたたかせた。「幸せな奴だけど、あなどれないよ」とあたしはスツールに腰かけ、実樹ねえさんにコーヒーを注文する。実樹ねえさんは咲いを噛んでいて、「おもしろい子ね」と奥に行った。
「その『幸せ』って褒めてないでしょ」と言った芽留に、「当然じゃない」とあたしは返す。ふくれっ面になる芽留に咲った紗月は、「大丈夫だよ」と言う。
「え」
「親のこと。断ち切ったしね。断ち切った先で、僕にはこの人もいた」
 紗月は弓弦くんを見て、瞳を受けた弓弦くんはやや臆面した。ついで決まり悪そうにして、奥の親友に笑われる。それを見た芽留は、「そっか」と首肯する。
「いいなあ。僕、理不尽に傷つかずに済んでるかわりに、真っ当に傷つく機会も失くしてるんだよね」
「君ならそのうちいい人できそうだよ」
「ほんと。へへ、杏里と一緒だ」
「一緒」
「杏里もそう言ってくれるの」
 注目されて一瞬面食らったあたしは、「童貞って嫌いなの」とはぐらかす。「好きな人もできたことないの?」と紗月に訊かれ、芽留はこくんとする。
「ほんとに家に閉じこもってるんだ」
「散歩とか買い物は行くよ。パパに会うときは遠くにも行くし。ママとね」
「一緒に暮らしてないの」
「うん。パパはいつも世界中うろうろしてるんだ。たまに日本に帰ってきて、空港のそばのホテルで会うの」
「仕事?」
「半分はね。映画監督なんだ。天海あまがい智生ともきっていうの」
「天海智生!?」
 急に反応した弓弦くんに、みんな一斉にそちらを見た。「マジで」と構わずに身を乗り出す弓弦くんに、「パパのこと知ってるの」と芽留はまじろぐ。
「知ってるよ。『水空』の監督だろ」
「あー、うん。そう、あれはパパが僕のために作った映画なんだ。ゲイってことを知ったときに」
「へえ。すっげえ。なるほど、それでそんないい親なのか。ほら、紗月もあの映画、ビデオで観てたじゃん」
「……殴るシーンとかあったの」
「そうそう」
「………、あれ、怖かったよ」
 身をすくめる紗月に、実樹ねえさんにコーヒーをもらうあたしも多少同感する。芽留に贈ったものとあって、その映画では同性愛があつかわれているけれど、内容はわりと過激で、ゲイである自分に自信のない男がゆがんだ嫉妬に取りつかれ、罵倒しながら恋人に暴力を振るうシーンがあった。

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