忘れるために
「っとに厄介な女だな」と弓弦は煙草を口にして笑いを噛む。
「さすが実樹さんの姪だ」
「………、実樹ねえさんには、大して影響受けてないけど」
「ああ、そうか。ママ、な。お前の母親って興味あるな」
「色目使われるだけなんで、やめといたほうがいいよ」
「そっか。もったいないな。もっと強かったら、お前はあいつを救えたかもしれないのに」
あたしは黙り、ため息をついた。モーテル街を抜け、いつもの通りも抜け、暗い空には鮮やかにイルミネーションが散りばめられている。じき別れ道というところで、あたしは少しまじめな声で煙草をくわえる弓弦を仰いだ。
「あんたって、あいつの斡旋とかしてるのよね」
「ん、まあな。何だ、俺の仕事知ってるんじゃん」
「それしか知らないわ。どうすれば、あいつを紹介してくれるの」
「………、俺に直接言いにくるか、実樹さんとこに伝言残すか、ケータイに注文する。指定日時の三日前までに口座に仲介料振り込んだら、あいつに予約として知らせる」
「あんがい簡単なのね」
「俺の仕事は簡潔が鉄則なんだ。複雑にするほどこんがらかって、ボロが出て足がつく」
「ふうん」とあたしは人混みに目を細める。相変わらず透徹しなくても、足がつく、なんて表現をするからには非合法な仕事なのだろう。まあ似合ってるよな、とあたしは煙草をふかす弓弦の荒んだ麗容を盗視する。
「何で」
「え」
「あいつの買い方って」
「別に。売春ってどんなものかなって思ったの」
「これは俺のやり方だぜ。組織組んで複雑にやってるとこもあるし、明らかに犯罪行為で無鉄砲やってるとこもある。そもそも後ろ盾なんかなくて、客と淫売と直談判ってのもあるし、ずらっと並べて好きなの選ばせる風俗もある。いろいろだよ」
「あいつ、女亡くして以来、女と寝てないのかしら」
「たぶんな」
「………、ホモになっちゃったんじゃないだろうな」
弓弦は笑い、「それはないだろ」と煙草を吸った。やがて別れ道に到着する。「紗月が待ってるのよね」というと、「たぶんな」と弓弦は腕時計を覗いた。
「そういや、芽留のシナリオのことだけど」
「ああ。どう」
「考えものみたいだな。俺はやめといたほうがいいと思うけど。話したいって言ってたんで、近いうちに芽留連れてこいよ」
「分かった。あんたたちが来たっていいのよ」
「そうだな。また行くよ。じゃあ」
煙草を持った右手を掲げ、燻れる煙を指先にもつれさせた弓弦は、来夢のようにうまく人混みに身を隠して消えてしまった。それは、こちらに見送って感慨に浸る間もくれなくて、あたしはため息ひとつで気持ちを切り替えて歩き出さなくてはならなくなる。
弓弦との会話を思い返し、とりわけ売春のところを復習すると、ふうん、とあたしはよく学習して、騒がしくなっていく街に背を向けて家に帰った。
ひとりで街に行ったのを芽留に責められ、〈POOL〉に行かずにやってきたことを語って蒼ざめられた週末が明け、九月最後の月曜日にあたしはママに逢った。冬物の発表の最中でいそがしいとかで、家に帰ってきたのも出張の荷作りのためだった。
十月ぶんのお小遣いをもらったあたしは、事務所の人手は足りているかを訊く。黒いベロアのスーツを着たママは、「どうして」と財布を革のショルダーバックにしまう。
「お金が欲しいの」
「今あげたじゃない」
「自分で稼いだお金がいいの」
「あたしのところで働く気?」
「バイトの雑用でいいからさ。勉強はするよ」
ママはアイラインとマスカラで彩った目であたしを眺め、「考えておくわ」とメタリックなトラベルバッグを手に取った。あたしはママを玄関まで送る。「ちゃんと帰ってきてよね」と言うとママは咲い、「約束する」とあたしの頭を撫でて出ていった。
ママは母親としては包容的だけれど、人間、もしくは女としてはあたしを特別あつかいしない。考えておく、と言われて正直期待していなかったけれど、さいわい本当にいそがしいのか、十月の終わりまであたしは臨時で雇ってもらえることになった。
デザイナーの感覚を要する仕事には完全に触れなくて、パシリや雑用に徹した。「寂しーい」と毎日出勤するあたしに芽留は泣きそうにして、「来月には戻るから」とあたしは幼なじみをなだめてお金を稼ぐ。それでもわめく芽留にマリカさんがママに相談し、涼しくなってきた十月のなかばにあたしはママに三日間の休みをもらった。
一日目は芽留の部屋で芽留に遊ばれて休み、二日めに〈POOL〉に行った。いまだにひとりで電車に乗れないこの幼なじみは、あたしのバイトのせいで脚本問題をあれっきりにしている。来夢に逢ったらやだな、と思っていたけど、彼が昼の〈POOL〉を訪ねているほうがめずらしい。その日は、紗月がひとりで小説を読んでいるだけだった。
紗月も実樹ねえさんも、あたしと芽留の来店を笑顔で迎えてくれた。「ずっと来ないから怒ったのかと思った」と言った紗月に、「まさか」と芽留はにっこりする。あたしがバイトをしているせいで来れなかったのを話し、「そうなの」と紗月はまばたきをした。「ちょっとね」とあたしははぐらかし、芽留が紗月の隣に座ったのでふたりの正面に腰をおろした。
「急に寒くなってきたわね」と実樹ねえさんがホットコーヒーとホットココアを持ってくる。店内の客には半袖もいるけれど、このテーブルの三人は長袖だ。いそいそとリュックサックをおろした芽留は、「考えたんだけどね」と物語の脚色化について話しはじめた。
ひと通り聞かされた紗月は、いささか拍子抜けていた。「何」と芽留が首をかしげると、「そんなんでいいの」と紗月は十五時のおやつらしいアップルパイをいじる。
「そんなん」
「そのままじゃなくていいの」
「そりゃあ、そっちのがいいけど、紗月くん嫌でしょ」
「まあ」
「ならしないよ。しないほうがいいってことだもん」
「……そっか」
「してもいいって思ったの」
「僕の体験ってことを出さずに、芽留のフィクションってことで出すならいいかなあと」
「ほう」
「できれば変えてほしいとこもあるよ」
「そお。それなら、変えても紗月くんにヒントもらったっていうのは表には伏せておくね。パパとママには言っちゃうかな。いい?」
紗月はうなずき、「これまでのこと全部話したほうがいいの?」と不安げに芽留に訊く。
「話せるとこだけでいいよ」
「いや、芽留になら話していいんだ。ただ、ここではちょっと。僕たちの部屋に来てよ。それか、僕が芽留の家に行く。一気に話さなくていいよね」
「もちろん。そうだね、話してもらったほうが知らないうちにダブったりしないし。じゃあ、取材のあと構想練って、浮かんだシーンで訊きたいことあったら、そういう状況の気持ち、訊かせてもらっていい」
「うん。弓弦も、僕がいいなら協力してくれるって言ってた」
「よかった。で、構想まとまったらがーっと書く。書き上がったの、添削してね。嫌だなって思うとこ、教えてほしいんだ。僕だとされたことない人だから書けちゃう、無神経な表現もあるかもしんないし」
「分かった」
「そのあとパパに見せる。ここまでやって、つまんないって言われたらつらいな」
紗月は咲って、「いいって言ってもらえるように一緒に頑張ろ」と言う。芽留は嬉しそうに咲ってうなずき、「だって」とあたしを向く。あたしは「ほんとにいいの?」と軆をほてらせるコーヒーをすすって紗月を向く。
「うん。芽留が無神経なことしないのは信じられるし。この街はともかく、外だったら苦しい人の役に立つかもね。〔こもりうた〕だって僕はそういう動機でやってるんだし、いいかなって」
「そっか」とあたしは首肯する。やめておいたほうがいいと言っていた弓弦も、紗月がそう言うならうなずくだろう。
「変えるとしたらどういうとこなの」
紗月に質問されて、「ん」と芽留は湯気の立つココアから口を離す。
「加害者を家族にするとか」
「えっ……と、僕、その気持ちは分かんないかも」
「あ、そう? じゃ、学校は学校か。助けてくれる人、恋人じゃなくするとか。家族とか友達」
「………、そこは恋人でいいと思うよ。ゲイってことも絡めるんでしょ」
「あ、そうか。弓弦くんに当たる人は普通の人にするよ。で、同じ学校で出逢う。弓弦くんっぽい要素は残したいな。おうちだと弓弦くんの心に触れそうだし──あ、ゲイってことで捻くれた不良」
「いいかも」
「ゲイってことで傷ついてる心理も、ふたりのあいだで通じるよね。よし、メモ」
リュックを探る芽留に、「すごいね」と紗月はあたしを見る。「同感」とあたしが返すと、「何が」と芽留はまばたきをする。
「そういうのすぐに思いつくのが、よ」
「そお? 設定思いつくのは簡単だよ。それをどうやって煮つめて、いかに深く表すかが才能じゃないかな。と、パパが言っていた」
「そうかなあ」
「それ、芽留たちは出てこないの?」
「え、僕。どうだろ」
「僕は芽留と杏里ができて楽しくなったよ」
「そっか、友達ね。うん、友達っていうのは入れておくよ」
「来夢はどうするの」とあたしが口を挟むと、「そりゃそのまま不良の親友で」と芽留はノートとシャーペンを引っ張り出す。
「ゆいいつゲイを理解している。む、主人公とのつながりに切迫感が出ない。あ、ゲイってことを言えずにいる。言ってないのに親友ってなあ。エピソードも増えるし。出さないかも。いや、ほかのキャラクターとミックスするかな。ただ、ふたりともゲイってことに自信ない状態だよね。もうひとり、自信あるゲイが必要だな」
「それは芽留じゃん」
「えー。僕ー。ていうか、そうなると三角関係の恐れが。あ、恋人いることにするか。その恋人に虐待食いとめる役割持たせたらまとまるね。大人がいいかな。子供ばっかで逃避行がいい?」
紗月は首をかしげ、「公表するとしても外だよね」と確認する。芽留がうなずくと、「なら大人が出て、合理的なほうが受け入れやすいんじゃないかな」と意見する。
納得した芽留は、せっせとメモをつけはじめた。それを覗きこんだ紗月は、すごいなあと言いたげにミルクティーを口にする。あたしは正面で傍観し、芽留が人前で創作活動に励むのってめずらしいよなと頬杖をついた。
そんなわけで、芽留は紗月協力の元で創作活動にいそがしくなり、あたしも十月の後半はバイトに集中できた。取材のため紗月とふたりで会ううち、やっと芽留は〈POOL〉へひとりで行けるようになった。マリカさんは息子の急成長をしみじみと見守り、現在連絡を取れるところにいるらしいトモキさんに電話をかけたりしている。あたしはママに、実樹ねえさんが語った父親のことを伝えたりして、そのあいだに冬の感触を濃く持った十一月がやってきた。
仕事内容は、すでに春に向けたものになっている。すごい季節感だよなあ、と思いつつ、ひとまず忙殺が収まったのであたしは上がりだ。「どうぞ」とママにきっかり十万円のお給料をもらって、「何に使うの」と問われる。「失恋の切り札かな」とあたしは答えた。
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