「だって涼風って、俺より友達のほうが大事そうじゃん」
蝉の声が聞こえてくると、毎年もうすぐ誕生日かあなんて思い出す。
今年は二十六歳になる。そろそろ歳取るのはいらないかも、なんて思いつつ、あまり深く考えずにいた。
今は彼氏もいるし、焦って「誕生日にひとりなんて!」と友達をかきあつめる必要もない。そう思っていたあたしに、彼氏の竜寿は誕生日一週間前に別れを告げた。
「え、待って。何で?」と心当たりがなさすぎて、むしろ冷静に問うたあたしに、三歳年下の竜寿はむすっとしたあとに、メンヘラ女子みたいな理由を述べた。
俺より友達のほうが……何だそれ。メンヘラ女子でも、ちょっと口にするのを躊躇いそうな直球だ。
「友達……は、それは、大切だけど」
「ぶっちゃけ、俺、涼風の一番じゃないじゃん」
「一番って、順番とか──」
「俺の一番は涼風なのに、涼風に『会いたい』って言われたらすぐ会いにいくのに、涼風は友達と遊ぶ約束あったらそれを優先するよね」
「……え、と」
「そういうのが、もう疲れた」
疲れた、って。そう言いたいのは、そんなことを責められる私のほうだわ。
というか、年下ゆえに竜寿に甘ったれなところがあるのは分かっていたけど、こんなにこじらせている奴だったのか。
面倒だなあ、もう。そう感じたあたしは、ため息をついて「分かった」と目を閉じて言った。
「じゃあ、別れるということで……」
「何で反対してくれないの!? 本気で俺のことがどうでもいいの?」
「あのねえ……」
「涼風、俺より友達に好きな人いるんでしょ。知ってるんだ。理輝って人のこと、よく話すし」
「あれは親友であって、」
「親友が男って何だよ! ほんともう……涼風は俺で遊んでるんだよ。ひどいよ」
彼女の誕生日一週間前に、メンヘラこじらせる野郎もなかなかにひどいと思う。
しかし、理輝のことを勘違いする彼氏は、正直竜寿が初めてではない。確かにすごく気の合う親友だし、あたしの話題から理輝を切り離すってちょっとむずかしい。
それでも、それが男をいらつかせるのは学んでいるので、だいぶひかえているつもりなのだけど──
「竜寿は遊びじゃないよ」
「じゃあ、理輝って奴とはもう連絡取らないでよ」
「それはできないから、別れるしかないね」
「やっぱり、俺よりそいつのほうが大事なんじゃん」
「どっちのほうが大切かなんてなかったけど、今この場で、理輝のほうが大事になった」
「は? 何で? 俺は自分の気持ちを伝えただけじゃん。そういう意思の疎通はなるべくしようって、つきあう最初に涼風が──」
「疎通じゃなくて押しつけでしょ。あたし、竜寿の友達とか仕事に文句言ったことある? そういうのは、相手の領域として尊重しなきゃいけないの」
竜寿の瞳がうるうると濡れてきたけど、あたしは無視して飲みかけだったアイスカフェラテを飲みほした。
ドーナツは残っているけれど、これ以上この席にいたくない。「これ食べていいから」と竜寿のお皿にドーナツを移すと立ち上がった。
「涼風」
「連絡先、とりあえずまだブロックはしないけど、そのうちすると思っといて」
「ほんとに俺と別れるの?」
「別れたいって言ったじゃない」
「それは──」
「食い下がると思ってたなら、それはごめん。でも、あたしのプライベートは竜寿だけのもんじゃないんだよね」
愕然としている竜寿に、あたしがそんな顔したいわ、と内心で嘆いて席を離れる。
ドーナツの甘い香りがただようお店を出ると、七月の直射日光がまばゆく視覚を刺した。熱気がすごい。目の前にあるのは、ざわめくスクランブル交差点で、その先に駅の改札がある。
このドーナツショップで竜寿と十三時に落ち合って、五分で別れを切り出されたので、涼むヒマもなかった。どっかで涼んでいくか、ちゃっちゃと帰宅して部屋のクーラーでだらけるか。何秒か考えて、帰るか、と決めると、ちょうど青信号になったので交差点へと歩き出した。
電車の中で、『彼氏と別れた』と理輝にメッセを飛ばした。土曜日、理輝もオフなのですぐ既読がついて、『www』という返信が来た。ついで、『俺も昨日振られた』と来たので、『マジか』とあたしは反応する。
『涼風と映画行ったの知られて、彼女ブチ切れ』
『彼女さん、ホラー嫌いなんでしょ?』
『うん。だから涼風と行ったって言ったんだけど』
『あたしの彼氏も、俺より理輝が大事なんだろって切れてた』
『大事なの?』
『順番とかなかったよ』
『それなー。てか、奈々実がホラー観れるなら、普通に奈々実誘ってたし』
『一緒に行ったあたしが女だからかなあ』
『たぶんな。揃ってフリーか』
『だね』
『今夜飲むか』
『そうしますか』
『夜そっち行くわ』
『りょーかい』
そんなやりとりをしていると、最寄りの駅が近づいてきた。『また夜にね』と送ると、『おう』という短い返信と共にOKのスタンプが来たので、あたしはスマホをバッグにしまう。
夜は飲みということになるので、最寄り駅で降りたら、スーパーに立ち寄ってお酒とおつまみの材料を買った。
駅から徒歩十分のアパートに到着すると、部屋はつけっぱなしにしておいた冷房のおかげで、だいぶ涼しかった。
お酒とおつまみの材料を冷蔵庫に入れて、冷房を全開にしておくと、ざっとシャワーを浴びて汗ばんだ軆を流す。タオル一枚で、その肌に冷房の風を当てて、すっきりしてくるとやっと服を着る。
来るのは理輝だから、Tシャツにレギンスパンツで問題ない。セミロングの髪も、縛ってアップでまとめてしまう。
部屋が冷えて冷房の温度を少し上げると、テレビの前のダメになるクッションに沈みこんで、天井を見上げる。
あーあ、別れたのか。誕生日はひとりかな。
実家に帰ると言えば、おかあさんがおいしいもの作ってくれるだろうけど。おとうさんも、ちょっとお小遣いくれるかも。でも、あたしのこの気持ちは、そういう話じゃなくて──
竜寿のこと、好きになったのはあたしのほうだ。我慢しなきゃいけなかったのかもしれない。でも、けっこうあたし、竜寿に対して我慢してきたのだ。
話題を振ると、いつも反対意見から入ってくるとことか。メッセでラリーになってて、突然ひと言もなく落ちるとことか。あんまり合わないかもって感じていた。
でも、職場のそばのコンビニで、先輩に怒られながら頑張っているすがたがかわいくて、泣きそうな声の接客に「頑張ってね」と声をかけずにはいられなくて。好きになっちゃったから、連絡先を渡して始めたのは私だから、私が彼を受け入れなきゃいけないって思ってきた。
けれど、ほんとは、私のひとり暮らしのこの部屋に入れたとき、当たり前のように煙草を吸いはじめたときから、『は?』とは言いそうにはなっていた。
竜寿は今年就職したし、もうあのコンビニは辞めている。だから、別れてしまって気まずいなあという場面も特にない。メッセも、あの様子だったとはいえ、来ない気がする。
というか、あたしが謝るのを待つと思うし、待ってるうちに忘れるのではないのだろうか。それで、新しい彼女でもできたときに、平然と久々の連絡をよこすのだ。
そんなもん知るか。だからあたしは、しばらく様子見したあとに彼をブロックする。
特別親しくなる前は、かわいかったんだけどなあ──なんて思いつつも、あのまま面倒な感じが当たり前になっていたら、あたしのメンタルがやられていた。
あきらめるしかない。あたしに見る目がなかった。一年半でも、つきあってくれたのはありがとう。もう自由にやってくれ、あたしに君は手に負えない。
あくびをひとつこぼして、テレビをつけると、ぼーっと画面を眺めていた。ガラス戸のレースカーテンの向こうからオレンジ色が透けてきて、ようやくクッションから生還してスマホを見た。
うん、やっぱり竜寿からは何もない。理輝からは『そろそろ家出るからなー』と来ていた。
あたしはガラス戸にカーテンを引くと、電気をつけて簡単なおつまみを用意しはじめる。
合わせ酢で和えた冷たい鯖缶、海苔とチーズを巻いて揚げたちくわ、あとは枝豆をたっぷり湯がく。お酒はあたしはチューハイだけど、理輝はビールで合っているだろう。
枝豆多かったかなと思ってつまんでいると、ドアフォンが鳴った。一応インターホンで対応すると、『来たぞー』と理輝の声が返ってきたので、あたしは玄関に走る。
「いらっしゃいませー」
「いらっしゃいましたー」
そう言う理輝も、黒のパーカーと黒のジャージ、完全にオフの格好だ。
手にはふくろを提げ、「何か買ってきたの?」と訊くと、「酒。と、柿ピーとチー鱈」と理輝は答える。「いいですねえ」とあたしは彼を部屋に招いた。
「あ、ダメになる奴だ! ダメになる奴があるじゃん」
「こないだ買ってしまった」
「ダメになる?」
「ふとんじゃなくてこれで寝れる」
「ダメだなあ」
理輝はからからとしたあと、壁に立てかかっている折り畳みのローテ―ブルを出して、その上にお酒やおつまみを広げる。あたしも用意していたおつまみをキッチンから持ってくる。
「枝豆だよなあ」と理輝はぷしゅっとビールのプルタブを開けた。あたしのぶんのレモンチューハイもあり、「では」とあたしたちはそれで乾杯する。
「お互いのせいで、見事失恋した我々ですが」
「はい」
「正直、俺は別れ際にぐちぐち言われすぎたので、もうよく分からんのです」
「そうなの? 映画のせいじゃなくて?」
「それは切っかけというか。俺がインドアなのもつまんないし、趣味がホラー映画なのもキモいし、プレゼントの趣味も悪いしって……」
「ズタボロじゃん」
あたしが遠慮せずに笑うと、「ズタボロだよ」と理輝はむすっと枝豆を含む。
「何なんだよ。俺、そんなに男としてやばい?」
「ちなみに彼女にあげたプレゼントとは」
「えー、鏡とか? コンパクトミラーって言うの?」
「微妙だわ」
「お前かわいいぜって意味なのに」
「もっと身だしなみをしろって圧でしょ。あと、何か幼稚だわ」
「涼風はもらったら嬉しくない?」
「あたしは好きだったら何でも嬉しいけどねえ」
「その気持ちだ」
「彼女、あんまり理輝が好きじゃなかったのかも」
「何だよ。それなら、何プレゼントしても詰みだし」
「告ったのどっちだっけ」
「俺」
「だよねえ。あたしもだけどさ」
「実際、彼氏より俺なのか?」
「元彼ね。どっちがとかないし。何、男ってそれ気にすんの? 女のが気にしそうだけど」
「元彼くんの女友達とか元カノとか気になんねえの?」
あたしは頬杖をつき、爪楊枝に刺したちくわを口に放る。海苔とチーズが香ばしい。
「気にならないわけじゃない」
「だろうが」
「でも、気にしたらキリがないと割り切る」
「男らしいな」
「あたしの彼氏はどいつもこいつも理輝に嫉妬して、面倒臭いから。あたしは彼氏になった人の交遊とかに、同じことしたくないと思う」
「まあなー。俺も彼女に涼風のことちくちく言われるの多い。そこから冷めていくこともある」
「彼女には冷めてなかったの?」
「俺の部屋でチケット見つけてさ、それが大人二枚になってたから、いや涼風だしって言ったら、雪崩のようにいきなり切れてきた。涼風が親友なのも理解してると思ってたから、『ほんとは嫌に決まってるでしょ』って……いや知らんわ」
「あたしも、理輝が存在しないかのような演技まではできないからなー」
「それでも俺は、涼風と親友やめるのが正解とは思わないよ」
「あたしもだよ。いいよ、そのうちまともな男が見つかるでしょ」
そんな話を交わしながら、あたしも理輝もお酒を進めた。理輝が買ってきたぶんを飲んでしまっても、あたしが用意していた冷蔵庫のぶんを飲んで、おつまみもあるし、明日は日曜日だし、そのうち頭がふわふわになってきても飲んだ。
とはいえ、あたしはお酒には強いので意識ははっきりしていたけど、理輝はくらくらしはじめた。「寝る?」と訊くと、「水飲みたい」と返ってきて、そういえばミネラルウォーターは買っていなかったことに気づく。
水道水も何だし、「買ってくるわ」とあたしが立ち上がると、理輝は「んー」とうめいてから、「俺も行く」とおぼつかない足取りなのについてきた。
外はすっかり夜更けだったけど、コンビニまでの一本道は等間隔の街燈が明るかった。理輝がすぐ膝を崩しそうになるので、「こら」とあたしは彼の腕を引っ張って転ばないように助ける。
人通りはなく、静かで、アスファルトを踏む足音がぬるい夏風を揺蕩う。喉からお酒の後味が少しせりあげていて、息遣いが酒気帯びしているのが分かった。
駅とは反対の方角に、三分歩いたらコンビニだ。たった三分歩いただけでも、熱気で軆が汗ばんだので、コンビニの冷房にはすーっと癒やされる。
ふらふらの理輝をドリンクコーナーに引っ張っていくと、ミネラルウォーターのペットボトルを二本取った。あたしが腕を放した途端、理輝はその場に崩れて半分眠りこけはじめたので、何でついてきたかなあと苦笑しつつ、「起きろー」と頬を軽くたたく。
はっと理輝は顔をあげ、「あー、やべ。寝るわ。マジで寝そう」とか言いながら立ち上がり、「二本買うの?」とあたしの手にあるペットボトルに目を留める。
「あたしも飲むからね」
「そっか。よし。買うか。待ってろ」
「あたしが買うよ」
「何でだよ。いいって、貸せ」
理輝はペットボトル二本をもぎとると、レジにさっさと向かっていってしまった。肩をすくめてあたしは隣に並び、会計の済んだミネラルウォーターを受け取ると、「ありがと」と言っておく。「これぐらい何でもないし」と言う理輝は、歩きながらミネラルウォーターを飲む。
しかし部屋に戻ると、意識がまた遠ざかったのかぐしゃっとフローリングにつぶれて、そのまま爆睡してしまった。あたしは吐息をついて毛布だけかけておくと、おつまみの残りを口に運びつつ、ミネラルウォーターをゆっくり口にする。
理輝と出逢ったのは、高校一年生のときだ。
あたしは春の体育祭でじゃんけんに負けて実行委員になってしまった。まだクラスになじむことすらままならないときなのに、知らない中学出身の男の子とやたら一緒に行動させられて、あたしは完全に滅入っていた。
ハイテンションな練習、すでに熱中症が心配な暑さ、先輩たちの一年のこき下ろし。人前では何とか笑顔を作っていても、ひとりになって明日の予定を眺めていると、目が虚ろに沈む。
今日もまた実行委員の集会に向かっていると、「お前、友達いないの?」と隣を歩くペアの男の子に、いきなりそんな土足すぎる質問をぶつけられた。
「は?」
「教室で誰ともしゃべってないから」
「いないんじゃないよ。作れなかったの」
「俺もだけどな」
「今グループに入らなきゃいけないのに、何、体育祭って。実行委員って」
「分からんでもない」
「もう一年間、あのクラスはダメだわ」
「うむ」
あたしは彼を見た。彼もあたしを見て、「もっと愚痴っとけ」と言った。
「愚痴……」
「今のお前は、愚痴る相手がいないからしんどいんだよ」
「………、」
「愚痴れる相手は作れ」
「だから、作れないんだよ、もう……あのクラス」
「じゃあ俺に愚痴っとけ。代わりに俺も愚痴るけど。俺なんか、体育が一番嫌いなんだぞ。体育祭が自由参加になるのはいつなんだよ。やりたい奴でやっとけと思うわ」
「あたしもそう思う……」
「だろ。もうやだ。不登校したい」
あたしは彼の横顔を見つめた。けっこう、てきぱきと実行委員の事務処理をこなしているように見えていたけれど。内心は、あたしと同じくらいうんざりしているらしい。
集会が終わったあと、彼はあたしに自分の連絡先のメモを握らせた。「俺にいつでも愚痴れ。俺もいつでも愚痴る」と言った彼が、理輝だったのだ。
あたしはすやすやと酒に飲まれて眠ってしまっている理輝をかえりみて、結局あたしをきちんと心配してくれるのは理輝なんだよなあと思う。失恋したら一緒に飲んでくれるし。三分とはいえ、夜道をひとりで歩かせなかったのだって。
そんな理輝が、あたしにとっては心の支えなのだ。だから、理輝を突き放してまで彼氏を優先しようとも思わない。
散らかったテーブルを片づけると、ダメになるクッションにうずもれて毛布をかぶり、やっぱりふとんを敷かずにそのまま寝てしまった。
夢に竜寿が出てくることもなかった。代わりに、理輝と過ごした高校時代、大学時代、就職後をゆらりゆらりと夢で思い返した。
きっと、このままずっと、理輝はあたしのそばにいるんだろうな。そんなことを夢うつつに思っていると、いつしか部屋の中が薄暗くなって、朝が近づいていることに気づいた。
目をこすって首を伸ばし、室内を見まわした。酔いつぶれていた理輝のすがたがない。あたしは軆を倒してクッションを脱出すると、飲みかけのミネラルウォーターで舌を湿した。
カーテンが半開きなのでベランダを見ると、理輝はそこで煙草を吸っていた。理輝も喫煙者だけど、あたしの部屋の中で勝手に吸いはじめることはない。
あたしはガラス戸をすべらせて、「おはよ」と寝ぐせのついた背中に声をかけた。「んー」と手すりに寄りかかって、似たようなアパートに囲まれているだけの景色を理輝は眺めている。
「煙いな」
「え、部屋の中入ってる?」
「入ってないけど」
「ごめん」
あたしは理輝の右隣に並んで、蝉もまだ鳴きはじめていない、蒼ざめた静かな夜明けを見やった。理輝がくわえる煙草の火種から、副流煙が燻れている。
それをあたしが吸ったら、あたしの肺まで黒くなってしまうのだっけ。煙草なんか吸うなら、あたしに愚痴ればいいのに。そう思うけど、あたしは高校時代の理輝みたいに、まっすぐ彼を励ませない。
「なあ、涼風」
「んー?」
深く考えずに理輝を見上げると、不意に、唇に苦みを帯びた温もりがかすめた。
驚いて、とっさに言葉もなくて、ただかたまる。そんなあたしに理輝は小さく失笑して、煙草に触れていたほのかな熱がこもる指であたしの指を絡めとる。
「……どうして」
やっとそれだけ言えると、理輝は手すりに上体を預けて左手に煙草を持ち、こちらを見てくすりと咲う。
「理由、言っていいの?」
あたしは理輝の悪戯っぽい瞳を見つめたのち、蒼然とした空の向こうから、じわりと太陽が昇ってくるのを眺めた。一日が始まっていく。
もしかして、あたしたちの関係も、ある日、そんなふうに新しく始まったりするのかな。今すぐには考えられないけど、思ったより、それは嫌じゃなかった。
理輝も朝陽に目を細め、煙草を吸う。その匂いも、理輝の匂いだから、本当はそんなに気にならない。
副流煙に肺を染められても、理輝のことは嫌いになれない。あたしは予想もしなかったけど、理輝の中には、その火種みたいにあたしへの気持ちが灯っているのかもしれない。
滲み出していくように、桃色がかったオレンジが雲のない空に広がっていく。その色を切り開くように、日の出の金色の光が射しこむ。
副流煙はそんな閃光とは真逆で、本来あまりよろしくないものなのだろうけど。それがまだ言わない理輝の気持ちなら、あたしはそれに染まっていいと思う。
不意に、朝一番の蝉が鳴きだした。誕生日か、なんてまた思い出したけど、どうやらあたしは、その日をひとりで過ごさずに済むみたいだ。
FIN