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変わるとき

 握っていたケータイが着信音を鳴らして、僕は未登録のメールアドレスの表示を認めてから、隣にいる千羽ちゃんを見た。千羽ちゃんもケータイを握っていて、その手は少し震えていて、僕の視線をたどって僕と瞳を重ねる。「これで合ってる?」と僕がケータイをさしだすと、千羽ちゃんは画面を覗きこんでまばたきし、静かにうなずいた。
「ちゃんと、今変えたアドレス」
 そう言った途端、実感で緊張がほどけたのか、千羽ちゃんは大きなため息をついた。力も抜けたのか、ライムグリーンのベッドもわずかに沈んだ。僕はちょっと咲って、「これでさすがに来ないね」と言って、千羽ちゃんはこくんとしても気がかりそうに僕を見上げる。
「やっぱ、ほんとに、ほかのメル友にもアドレス教えちゃいけないのかな」
「絶対信頼できるなら、僕はいいと思うんだけど。聖樹さんはそう言ってたね」
「コンピューター関係のお仕事の人が言うんだもんね。分かんないよね、あの子がどう訊き出すかなんて」
「うん……」
「みんなサイト持ってる人で、緩くつながりがあるから、確かに偽名とかで入りこめるし。あの子のストーカーっぽいこと自体を知らない人もいるし──」
 自分に言い聞かせる千羽ちゃんを、僕は懸念で見つめてしまう。千羽ちゃんは気弱に咲った。
「ごめん、やっぱたくさん話聞いてくれた友達もいるから。いきなりメール通じなくなって、きっと嫌われるね」
「聖樹さんは、すぐ変えられるからサブアドも勧めてたけど」
「うーん、直アド伏せてサブアドしか教えないって、薄情に取られるんだよね」
「そうかな。連絡絶つよりは」
「たぶん、ダメだと思う。何だろうね、ネットのそういう感覚って」
 千羽ちゃんはケータイを閉じてかたわらに置いた。僕はとりあえず、千羽ちゃんの新しいアドレスをケータイに登録する。
 二学期が始まってしばらく、まだまだ残暑が厳しい中、僕と千羽ちゃんはつきあいはじめて一ヶ月が過ぎていた。学校でも会えるのに、土曜日や日曜日にも会うようになっている。高校生にそんなにお金があるわけがないので、デートは映画に一度行ったくらいで、たいていは僕の部屋でのんびりする。
 千羽ちゃんの部屋には、まだ行ったことがない。行かない理由は、すごくくだらないかもしれない──土日だからおとうさんがいるわけで、僕が、ちょっと怖いとか思っている。千羽ちゃんのほうは、悠紗のギターに感嘆したり、聖樹さんに料理を教わったりしている。
 このあいだ、沙霧にも千羽ちゃんを紹介した。僕からメールで都合のいい時間を聞いて、沙霧の住む騒がしい街に出向いた。ちょっと迷ったあと待ち合わせのカフェを見つけて、ふたりで沙霧を待っていた。千羽ちゃんを連れてくるのは内緒だったのだけど、やってきた沙霧は、「……『千羽ちゃん』?」といきなり言い当ててきた。
「えっ、な、何で」
「悠からすげーメール来るんで」
 そういえば、特に口止めも何もしていなかった。別に口止めすることでもないけれど。
「兄貴からも一度、簡単にメール来たよ」
 言いながら沙霧は空けていた正面の席に腰かけ、かしこまっている千羽ちゃんには軽く微笑む。
「『悠からメール行ったと思うけど、萌梨くんに彼女ができたよ。沙霧の話もあれば聞かせて。』って。あればとっくに自慢してるっつーの」
 僕は笑いながら、それはどっちなんだろう、と内心首をかしげた。たぶん、いまだに僕しか知らないことだけれど、沙霧は男性を好きになる男性だ。
「あ、それで──俺が一方的に知ってる感じだけど。初めまして、千羽ちゃん。いや、“ちゃん”は馴れ馴れしいか」
「いえ、いいですよ。私も萌梨くんと悠紗くんから少しお話は聞いてます」
「そっか。変なこと吹きこまれてない?」
 くすくすと笑いを噛んだ沙霧に、「すごく家族想いな人だって」と千羽ちゃんはまだ硬さのある声で返す。
 そこでウェイトレスが来て、沙霧はアイスコーヒーを注文した。僕はアイスティー、千羽ちゃんはアイスカフェラテだ。それを三人共ゆっくり飲んで、一時間くらい話しただろうか。いつのまにか千羽ちゃんの緊張もほぐれて、「お祝いに」と沙霧がその場はおごってくれて──千羽ちゃんは、僕の大切な人にも認められていっている。
 XENONはさすがに千羽ちゃんもびっくりするだろうなあ、と思い、そういえば要さんや葉月さんからは何も来ていないことに気づいた。沙霧は僕が打ち明けるまでそっとしておいてくれたけど、あのふたりは楽しげに揶揄ってきそうなのに。帰宅した僕が話していないか悠紗に訊くと、XENONには伝えていないのだそうだ。沙霧にメール送信したあと、やはり伝えようとはしたらしいが、聖樹さんに「沙霧はもう言っちゃったなら仕方ないけど、できれば萌梨くんから言わせてあげなさい」と諭されたそうだ。
 ──『登録しました』という表示を認めると、僕はケータイをベッドスタンドに置いた。「私のもそっちに」と言われて、千羽ちゃんのケータイも並べる。それを見つめて、「一応、」と千羽ちゃんは息をついた。
「日記で、謝っておく。日記はみんな読んでくれてるから。ほんとの事情を、全部書ければいいんだけど。私、文章はまとめるのが苦手で」
「いいんだよ」と僕が制しても、千羽ちゃんは首をかたむける。
「『彼氏が嫉妬するので、アドレス変えてメル友はみんな切ります』、なんて……いいのかな。ごめんね、萌梨くんを悪役にしちゃって」
「千羽ちゃんはそれだけのことをされたから。あんなふうになるほどのストレスになってるんだ。それを絶つのは悪いことじゃないよ」
「そう、かな」
「メル友の人と連絡取れないのは寂しいと思うし、どう取られるか怖いと思うけど」
「ん。まあ、メル友ともメール減ってたんだけどね」
「そうなの?」
「萌梨くんとばっかりメールしてた。『久しぶりになってごめんね』から文章始めてばっかりだったよ」
「あ、ごめん──」
「いいの。それだけ、今の私には萌梨くんが一番なんだと思う。だから、いいんだ。メルアド変えて。メル友切って。サイトは板もメルフォも置かない。そうしないと、私はあの子にびくびくしつづける」
「……うん」
 千羽ちゃんは僕の瞳を瞳に映し、「ずっとね」と微笑んだ。
「リアルがつまらないから、ネットに依存してたの。今は、リアルが楽しいよ。悠紗くんかわいいし、聖樹さん素敵だし、沙霧さんも優しかった」
「沙霧は人見知りあるんだけどね」
「そうかな」
「僕は初対面からずいぶん怪しまれたよ。実際怪しかったんだけど」
「まあ、私は萌梨くんの彼女ですから」
 僕は千羽ちゃんを見た。おっとりした垂れ目がにっこりする。僕は頬を染めて、「彼女ですか」とぎこちなく視線を部屋にやった。
「違いますか?」
「……彼女ですね」
 完全に照れてうつむいてしまったとき、「萌梨くーん!」とドアの向こうに悠紗の声がした。僕ははたと顔を上げて、千羽ちゃんがうなずくと、ドアを開けにいった。すると、そこにはケータイを握りしめて頬を紅潮させる悠紗がいた。
「どうしたの」
「メール来た?」
「え?」
「要くんから」
「え、えーと来てな──」
 そのとき、僕のケータイが鳴った。千羽ちゃんが手に取り、持ってきてくれる。僕はケータイを開いた。
「このアドレス、葉月さんだけど」
「え、マジで」
 首をかしげる千羽ちゃんに、悠紗はXENONについて熱く語りはじめた。僕はメールを開いて、あんまり長くない文面に目を通した。
『梨羽がやばい感じですよ。
 何か映画の曲オファーされて、ラッシュとかいうBGMない状態のDVDもらったんだけど。
 あの内容は梨羽に見せるべきじゃなかったね。
 まあ俺たち興味ねえのに、見ると言ったのは梨羽なので梨羽のせいですが。
 近々そのDVD送るわ。』
 ぎょっとして悠紗を見た。「ポルノがねー」とか言い出しはじめていたので話題を止め、「映画って」と言うと、悠紗は神妙に首肯する。
「え、何ていう映画。というか、メジャー行くの?」
「分かんない。監督は天海あまがい智生ともきらしいよ。脚本がその息子でね、息子が直審判してきたって」
「……直談判?」
 千羽ちゃんがそう言って、悠紗はメールを見直して「直談判」と
照れ咲いした。
「天海智生監督って、『水空』の監督だよね」
「お、千羽ちゃん知ってるの」
「うん。主演の松原まつばら恵那えなの『あたしと恵那』読んだ」
「あの人って、最近はちゃんと女優だよね。けっこう好きかもしれない」
「そのオファーの映画見て、梨羽さんがやばいって書いてあるんだけど。どういう映画が多い監督なの?」
「俺、名前しか知らない」
「私も作品は見たことないけど……。世界的な監督みたいだよ」
「だったらXENONと正反対なんじゃ」
「まあ、断るだろうね。いやー、でもびっくりした。どんな映画なのかは気になるね」
「あ、DVD送ってくるらしいよ」
「マジか。じゃあ見るだけ見たいかも」
 メールに目を落とした。梨羽さんに見せるべきではなかった。確かに梨羽さんは過敏な人だけれど、僕の精神も神経質なところがある。ちょっと見るの怖いな、と思わなくもなかった。
 そのとき、左手にある玄関が開いて聖樹さんが買い物ぶくろを提げて帰ってきた。僕の部屋の前でたむろしているのに気づくと、「ただいま」と言いつつあきれた息をつく。
「悠、またふたりの邪魔して」
「とうさんにはメール来た?」
「え、ケータイ見てないけど」
「何かねー」
 言いながら悠紗は聖樹さんに駆け寄り、僕と千羽ちゃんは顔を合わせた。悠紗と聖樹さんは何やら話しこみそうだったので、僕たちはそっと部屋に戻った。「萌梨くんの周りって何気にすごいよね」と千羽ちゃんに言われて、「周りはね」と僕は苦笑してしまった。

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