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ふたりになりたい

 もう一度ひとりでゆっくり観たいと言った沙霧にDVDを貸した翌日の木曜日、その日も僕に授業があったから、僕と千羽ちゃんは学校で待ち合わせた。うまくできないかもしれない。それでも、僕は男としての覚悟は決めたつもりだった。
 しかし、どう切り出せばいいのか分からない。そういう雰囲気とは、どういう流れで来るものなのか。とりあえず、ふたりきりにならなくてはならないのか。今週末も千羽ちゃんは僕の家に来てくれるだろうか。いや、でも悠紗がいつ入ってくるか分からないのが、ちょっと──
 そんなことを上の空で考えていたせいか、授業が終わってもぼけっと席に着いたままで、千羽ちゃんに何度か呼ばれて僕ははっとした。
「あ……あれ、先生は」
「授業終わったよ。このあとも、授業ある?」
「え、と……なかった、と思う」
「じゃあ、あのね、話があるんだけど」
「えっ」
「あ、すぐ済む話だよ。たぶん……すぐに」
「そ、そう。じゃあ、何か飲みながら」
 こくんとした千羽ちゃんと教室を出て、並んで歩きながら、どうしよう、とまた頭がぐるぐるした。十月が近いのに、僕も千羽ちゃんも、見かける生徒もまだ半袖だった。でも、風は涼しくなって、千羽ちゃんのあの優しい香りに僕はどきどきする。
 適当に飲み物を買って、「めずらしいね」と言われて、それがお茶でなくオレンジジュースなのに気づいた。頼りなく咲って、僕たちは空いていたベンチに腰かける。
 そして──ここから、どうしよう。心を決めた、とか言って始めるものでもないだろう。手とか握ってみるのだろうか。いや、違う。こんな、白昼のベンチで何を始めるのか。
 まずはふたりきりだ。ふたりきり、には、どうすればなれるのだろう。一瞬、ホテルとかよぎったけど、それは嫌だ。そのための場所なんて、さすがに気持ち悪い。その部屋で数えきれない行為が行われてきたなんて、吐き気がする。でも、だとしたら、どこかいいのか……
「……萌梨くん?」
 眉間を寄せて考えこんでいた僕は、袖をつかまれてはっとした。今日は髪を流す千羽ちゃんが首をかたむけ、僕を見ている。
「え、あ、ごめん」
 聞いてなかった、というのは言わなくても伝わったみたいで、千羽ちゃんはうつむいた。僕は自分を引っぱたきたくなった。バカだ。千羽ちゃんを安心させたいのに、これでは逆ではないか。どうして僕は、こんなに情けないのだろう。
「ごめん、千羽ちゃん」
「……ううん。やっぱり、今日は帰ろ──」
「話して。ほんとにごめん。その、あの……わ、分からなくて」
「え」
「ち、千羽ちゃんと、その、ふたりになりたいな、とか」
「………」
「変な意味じゃなくてっ。その、えと、僕たちはつきあってもうすぐ二ヵ月なのに、ええと……」
「……うん。だからね、おとうさんとおかあさんが萌梨くんに会いたいって」
「えっ」
「今度の土日は、私の部屋に来てくれないかな、って話で」
「あ……、お、……おとうさん」
 そう言ったきりビビっている僕に、千羽ちゃんは笑みを取り戻す。
「大丈夫だよ、私とおかあさんの話で、おとうさんは萌梨くんを気に入ってるみたいだから」
「おかあさん……あ、元気にしてる?」
「うん。おかあさんも萌梨くんにまた会いたいって」
「そ、そっか。……はあ」
 声に出して息をつく僕に、千羽ちゃんはちょっと恥ずかしそうにつけたした。
「私の部屋なら、ふたりきりになれる……し」
「えっ」
「萌梨くんの家でも、そうなってるけど。悠紗くんが、突然来るときあるもんね」
「うん、僕もそれ思って……」
 千羽ちゃんの家。千羽ちゃんの両親。僕の印象もそんなに悪くないみたいだ。もちろん、ちょっと怖い。自信もない。いざ僕を見たら、情けない奴だとばれて、突き放されるかもしれない。
 でも、たぶん、そういうのを乗り越えないと、先にも進めない。
「……分かった」
 僕は頬に色をさしていた千羽ちゃんを見つめ、深呼吸のあとにそう言った。千羽ちゃんの瞳が僕を映す。
「じゃあ、今度は、僕が千羽ちゃんの家に行くよ。ちゃんと、ご両親に挨拶する」
「ほんと?」
「うん。そうだよね、そろそろだよね。それに、千羽ちゃんは僕の家族に会ってくれてるし」
「嫌じゃ、ない?」
「嫌ではないよ。ただ、ちょっと……怖い」
 声を消え入らせる僕に、千羽ちゃんはくすりとした。
「私の両親、ほんとに、そんな厳しい人ではないから。むしろ、喜んでるもん。ついに私に彼氏かって」
「そ、そうなの」
「うん。きっと歓迎される。来てくれるなら、嬉しい」
 僕は千羽ちゃんの瞳の中にいて、その僕は、それでもやっぱり怖気づきそうだった。けれど、ここまで言ったのなら、どのみち断ってはいけない。
 そうだ。何だか、自分の欠陥について悩んで、その欠陥が塞いでいる道しか考えていなかったけど、進まなくてはならない道はほかにもある。千羽ちゃんのご両親に会って、大事な娘さんとこうしておつきあいさせてもらっていること──それを、きちんと挨拶する。それだって、僕たちが深めなくてはならない絆のひとつだ。
 僕はしっかりうなずいて、千羽ちゃんはほっとした笑顔になった。
「──千羽ちゃんのご両親に?」
 その夜、いつも通り夕食のあとは聖樹さんとお茶しつつ、ゲームをする悠紗を眺めていた。つけている感触に慣れてきた指輪に指を絡ませながら、千羽ちゃんのご両親に日曜日に会うことを話すと、聖樹さんはびっくりした表情で言った。
「えー、もう結婚すんの」
 レースゲームでコントローラーをまた乱暴にあつかいながら、悠紗が突拍子のないことを言う。
「な、何で結婚」
「確かに萌梨くんと千羽ちゃんは結婚できるよね。十九と十七」
「聖樹さんまで」
「僕が結婚したのは十九で──そうなんだよね。今の萌梨くんのときに悠も生まれた」
「そんなんじゃなくてっ。やっぱり、つきあいさせてもらってること、挨拶したいし。それだけだよ」
「結婚すればいいじゃん」
 あっさりと言う悠紗に困っていると、「まだ高校生だしね」と聖樹さんがやっと助けてくれる。
「だけど、男の子としてはかなり緊張するんじゃない? おかあさんとは会ってるんだっけ」
「あのときは、ただ頭下げられて、よく分かんなかったし。すごい、緊張するし。怖いし」
「怖い」
「その、お、おとうさん……が」
 不謹慎にも聖樹さんは噴き出し、「真剣なんだよっ」と言うと謝られる。
「でも、そういう萌梨くん、何か新鮮」
「千羽ちゃんは怖い人ではないと言ってたんだけど。それでも、何か、千羽ちゃんは大事に育てられたんだろうなあって思うから」
「そうだね。そのぶん、悪い虫ではないかは見られそうだね」
「虫……」
 僕の絶望的な声に、「大丈夫だよ」と聖樹さんは笑いを噛んで頭をぽんぽんとしてきた。
「萌梨くんは僕の自慢の息子なんだから。絶対、悪い虫だなんて言われない」
「……そう、かな」
「萌梨くんは僕が認めた子だし、悠紗も沙霧も、みんな、いろんな人が認めた立派な男の子だよ。自信を持って行っておいで」
 僕は聖樹さんの穏やかな瞳を見つめた。その色合いは、出逢ったときから変わらなくて、きっとこれからも変わらない。僕も、聖樹さんが心から自慢の父親だ。「俺は応援してるから、俺のときも応援して」と言う悠紗も自慢の弟だ。そんなふたりに認めてもらった自分を信じて──週末、千羽ちゃんのご両親に会ってこよう。
 安心したくて早く来てほしいような、心の準備に遅れてほしいような、学校は休んだ金曜日はそんなざわめきが心を覆っていた。土曜日は、気晴らしに聖樹さんと悠紗が服まで見立てる買い物に連れていってくれた。「スーツでしょ」と言う悠紗に、「結婚じゃないんだってば」と聖樹さんは生地のいい服を手に取る。結果、ジャケットとスラックスを買ってもらった。中のTシャツは持っているものでいいと遠慮したけれど、それでも一万円近く飛んでいた。使いまわせそうなお洒落な紙ぶくろを提げて、何だか謝ってしまうと、「きちんとした服も一着持っておくと便利だから」と聖樹さんは微笑んでくれた。
 そしてやってきた日曜日、あんまり服に頓着しない僕がファッションを気にした格好をしてきたので、千羽ちゃんは「ごめん」と言いながら顔を伏せて笑いを抑えた。千羽ちゃんはオレンジのストライプのワンピースに、ピンクのカーディガンを羽織っている。髪は休日だけどほどいていた。「変かな」と僕が服を引っ張ると、「違うの」と千羽ちゃんは首を振った。
「ただ、おかあさんはびっくりすると思う」
「びっくり……ですか」
「あの日とイメージが違うから」
「い、イメージ壊すかな」
「ううん。かっこいいよ。萌梨くんは、その、かわいいって感じだったけど。かっこいい」
 かっこいい。言われたことがない言葉にどぎまぎしていると、「行こう」と千羽ちゃんは自然に僕の左手を取った。僕も自然に握り返して、やっぱりその手は冷かったけど、ずっとつながっているうちに温まってきた。
 心臓がどくどくと不安な血をまわして、慣れない路線に気分が悪くなる僕は、本当に情けない。千羽ちゃんの最寄り駅で降りて、「こっち」と千羽ちゃんの家が近づくほど、お守りでもあったら握りしめていそうな気持ちになってくる。

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