騒ぐ心音
そうして、私の中学生活が懐かしい町で再スタートした。
キリのいい時期の転校だったから、クラスにもなじみやすかった。もし知らない話題になっても、冬香が上手に取り持ってくれる。そこに雫、さらにそのグループの子たちも仲良くしてくれる。
そのグループのひとりの子が、「真住に告っても、絶対振られる理由は久根ちゃんだったのか」なんて言うから、きょとんとしてしまった。
「告る、って……理衣くん、告白とかされてるの?」
「理衣は女子に人気だよー」
お弁当を食べながら冬香も言うから、「そうなんだ」と言ったきり私は箸を止めて、口ごもってしまう。成長した理衣くんのルックスを思い返せば、それはすぐに納得がいくことだった。
「まあ、でも」とパンをかじる雫が肩をすくめる。
「一途にこまゆだったわけだよな」
「そうそう。何たって廊下で抱擁だもんな」
にやにやする雫グループに、私は頬を染める。
「あ、あれは、再会が嬉しかったからで」
「でも、ぼんやりしてたら掠め取ろうって女子は多いよー」
「冬香まで」
「脈は見せておいたほうがいいんじゃない? 『こまちゃん』のままだって思われたら、理衣はすぐ彼女できるよ」
何と言えばいいのか、分からない。
理衣くんに彼女。それを考えると、心がもやもやと曇る。
けど、だからって、理衣くんにこれ以上近づいていいのだろうか。理衣くんがそれを望んでくれているなら、構わない。それでもやっぱり、理衣くんにとって私が“幼なじみ”に過ぎなかったら。
理衣くんとは、一緒に帰宅はしている。あの始業式の翌日、靴箱で声をかけられて、びっくりした。「今日は一緒に帰ろ」と微笑まれて、昨日一緒に帰りたかったのを見透かされたのかと、恥ずかしくなった。
住宅街に入って、同じ制服が見当たらなくなると、理衣くんは私の手を握った。どきどきして、指先に熱がこもった。理衣くんの家の前に先に着いて、私たちはそっと手を離した。
「明日の放課後も待ってる」と理衣くんは言って、私はこくんとした。それから、理衣くんのクラスが早く終わった日は理衣くんが、私のクラスが早く終わったときは私が待って、一緒に帰宅している。
でも、それだけだ。抱きしめたりとか、あの声でまた名前を呼んだりとか、そういうのはぜんぜんない。
手なんか、よく考えれば昔はいつもつないでいたのだし。私がずいぶん土地勘を忘れていて危なっかしいから、握ってくれているだけかもしれない。
今日の帰宅中も、隣にいる理衣くんを盗み見る。
綺麗な男の子になったなあ、と思う。男らしいかと言われたら、やや華奢なほうなのだけど、かよわくはない。髪はわずかに色が抜かれて栗色っぽく、眉も整っている。
私は顔を伏せて、脈って言われてもなあ、と小さく息をつく。
私は子供の頃と本当に変わっていなくて。思ってしまう。こんなんじゃ、理衣くんに釣り合わない──
そのとき、指に指が触れた。どきんと胸がざわめく。そっと、指が絡んで、手をたぐりよせる。指がもつれて、ゆっくり手がつながる。理衣くんの指は温かくて、その熱が私の指にも伝わってくる。
「何か、あった?」
「えっ?」
「ため息ついた」
私が狼狽えて言葉に迷っていると、「ごめん」となぜか理衣くんは謝る。
「毎日、俺と帰らせて。友達と帰りたいときもあるよな」
「え、ううんっ。私も理衣くんと帰りたいから」
「ほんと?」
「うん。帰りくらいしか一緒じゃないから。何か、同じクラスだったらよかったのにね」
「そだな。足りない、よな」
「うん」
「もっと、一緒に……」
理衣くんの手に力が入る。鼓動が頭まで響く。
理衣くんの妖しい魅力を秘めた目がこちらに向く。
「あ、朝も、一緒に行こうか」
「えっ」
「……あ、いや。ごめん。うわさ立つから嫌だよな」
理衣くんは目を伏せた。私は理衣くんの手を握り返した。
「理衣くんは、いいの?」
「俺は、気にしないけど」
「じゃあ……私も、いいよ」
理衣くんがまたこちらを見た。私は見つめ返して、はにかみながら咲った。
理衣くんは何か言おうとして、唇を噛む。私は首をかたむけた。
「理衣くん」
「こまゆ……はさ」
「うん」
「好きな奴、とかいないのか」
「へっ?」
「住んでた向こうに彼氏とか……」
「いないよっ。そんな、絶対いないっ」
「絶対、って何か怪しい」
「そ、そんなことないよ。私は、その──」
考えたこともない、好きな人なんて。
強いて想っていた男の子を挙げるなら、理衣くんだ。会いたかった。何してるかな。元気かな。私を憶えてるかな。そんなことばかり考えて、恋なんて余裕はなかった。
けれど、それを伝える前に理衣くんの家の前に着いてしまった。私たちは、名残惜しくても手を離す。
「じゃあ」と理衣くんは私を正面から見つめた。
「明日の朝、ここで待ってる」
うなずいた。
「遅かったら、迎えに行く」
ちょっと咲った。
「八時くらいに、ここ通ると思う」
「ん、そっか。同じくらいだ」
「じゃあ、明日から一緒に学校行けるね」
「うん」
「嬉しい」
私が微笑むと、うなずいた理衣くんは手を持ち上げた。そして、ちょっと躊躇ってから、私の頬に触れてくる。すごく熱くなっていたから身を引きそうになったけど、こらえて、でもやっぱりうつむく。
「こまゆ」
「……ん」
理衣くんが身をかがめた。そして、耳元でそっとささやいた。
「今度、俺んちに来れる?」
顔を上げた。至近距離で、瞳が触れあう。理衣くんの目は、私を飲みこみそうに捕らえている。
理衣くんの家。それは──
突然、子供のはしゃぐ声が聞こえた。私たちはぱっと離れた。直後におかあさんと手をつないだ男の子が角から現れて、おかあさんのほうが私たちに会釈していく。
私たちは一緒にぺこりとして、残されても何だか気まずくて、「じゃあ」と私は一歩引いた。
「明日、また」
「あ、ああ」
「えと……その、ときには、お菓子でも作っていくねっ」
「えっ?」
私は、理衣くんの目も続く言葉も確かめずに身を返した。心臓が苦しいくらいどくどくいっている。それでも振り返らず、家の前に着いてやっと大きく息を吐いた。
青い天を仰ぐと、暖かな風が頬を撫でる。意味伝わったよね、と深呼吸してから、私は家へと門を開けた。
「おかあさん、泡立て器ってどこにしまったのー?」
さっそくお菓子を作ったりはしなくても、器具の様子見ぐらいはいいかと、夕食後の片づけも終わったキッチンを探ってみた。
男の子が食べるお菓子が分からないのだけど、簡単にクッキーとか焼きプリンでいいのだろうか。必要な器具を探しながらそう言った私に、リビングでおとうさんとまったりお酒を飲んでいたおかあさんが、振り返ってきた。
「泡立て器は、三段目の引き出しだったかなー」
一段目ばかりあさっていた私は、三段目の引き出しを開けた。そこには、泡立てだけでなく、木べらなどのお菓子作りに使う器具が揃っていた。
「使うの?」
「えっ。ん、まあ」
「こまがお菓子作ってくれるなんて、久しぶりじゃないか?」
「やあねえ、おとうさん。きっと男の子に作るのよ」
う、と私は手を止めてしまう。
「そうなのか?」とおとうさんに言われても何とも返せずにいると、お酒の入ったふたりは大きな声で笑った。
「そういえば、こまはこの町に彼氏がいるんだもんなあ」
「おとうさん、何言ってるのっ。そんな人いないよっ」
「え、いなかったか?」
「理衣くんでしょう。いつも一緒だったわよね。この町にまだいるんじゃないの?」
「いた、よ。もう会った」
「そうなの! 元気そうだった?」
「うん、すごくかっこよくなってた」
「おとうさん、のろけてるわよ、娘が」
「『かっこいい』なんて、おとうさんはもうこまにずいぶん言われてないなあ」
「分かった、理衣くんにお菓子持っていってあげるのね」
「そうかそうか。幸せだなあ、理衣くんは」
「もう、ふたりで盛り上がらないでよっ」
恥ずかしくなった私は、三段目にあった器具で事足りると推して、リビングは通らず、奥をまわって二階への階段に向かった。
ため息をついて、頬に触れる。
脈とか。彼氏とか。私には、そんなのはよく分からない。
けれど、理衣くんに触れられるとすごくどきどきする。
理衣くんは?
理衣くんは、私と手をつないで、どう感じているのだろう。その瞳に私を映して、何を想っているのだろう。この頬に触れたとき、何を考えたのだろう。
理衣くんの気持ちが分かれば──お菓子の準備はできるのに、はっきり確かめる言葉の勇気は出ない。
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