奪われたもの
理衣くんと瑠衣さんの前で、最早私には人格なんてなかった。
どうして、こんなことをされているのか分からない。理衣くんに口をふさがれて。瑠衣さんに体内を犯されて。身勝手に自分の快感だけで動かれて、息もできなくてお腹は痛くて。
軆がばらばらになりそうだった。心は何度もばらばらに惨殺された。
「いい子だね」
私が家に来ると、瑠衣さんは私の頭を撫でた。あの告白以降、理衣くんより瑠衣さんのほうが優しい気さえしてきた。理衣くんは私に口でさせたり、奥まで射精することもあったけど、つまらなさそうな無表情がほとんどだった。
逆に瑠衣さんはストーキングせずとも私が家にやってくることににこにこして、私の快感を攻めてくる。理衣くんの前で瑠衣さんにされて、喘いで、わななき、達してしまうことが耐えられなかった。そんな私を見るほど、理衣くんは軽蔑じみた冷たい眼を凍らせていった。
怖かった。追いつめられて、どんどん背後に崖が迫るような、じわじわと生々しくなる恐怖だった。
理衣くんに裏切られて、まさか友達にこのことを話そうなんて思えなかった。分からない。何も分からない。私がこの町にいなかった数年間で、何があったか分からない。
みんな、理衣くんと私をくっつけようとした。そして、理衣くんは私を瑠衣さんに引き合わせた。グルだったら? みんなみんな、口裏を合わせているんじゃないの? 本当は、みんな、瑠衣さんのねじれた欲望を応援しているんじゃないの?
誰もいなかった。ひどい孤独感に発狂の足音が近づいてくるようで、私は毎晩恐ろしい夢で精神をすりつぶされていった。
もし、言うとしたら。助けてくれるとしたら。必死に考えて、考えて、それは両親だけではないかと思った。
あの理衣くんが。与えるショックは計り知れなくても、両親以外もう分からない。
梅雨が始まっていた。雨が重く暗く降りしきる夜だった。一階のリビングでまったりしていたふたりの元に、砕けた心と嬲られた腰で崩れそうな足元でたどりついた。
「は、話……が、あるんだけ、ど」
おとうさんとおかあさんは振り返った。ちょっと異様な私の様子にふたりは顔を合わせて、「どうした?」とおとうさんが言った。言葉を発そうとしても、心臓が引き攣って声がなかなか出ない。
どこから話せばいい?
どう話せばいい?
そんな混乱で突っ立っていると、突然おかあさんが笑い出して私はびくっとそちらを見た。
「やーだ、こま。そんなに緊張することないじゃない」
「え……」
「大丈夫、中間のことはもう怒ってないから。期末に頑張ればいいし、理由も分かってるもの」
「り、理由……?」
「何だ、かあさん。こま、怯えてるように見えるぞ」
「あのねえ、おとうさんが怖いのよ。ねえ?」
「え……えっ?」
「分かってるから、ちゃんと。理衣くんのことでしょ?」
私は目を開いた。ほんとに? おかあさん、分かっててくれたの? じゃあ、もう私をあの家から解放してく──
「反対なんかしないから」
おかあさんを凝視した。おかあさんは苦笑している。
「そんなに、おかあさんとおとうさん信頼ないの? 大丈夫、理衣くんとおつきあいするなら大切にしなさい」
「理衣くんと──ああ、そうか。何だ、こま。それでおとうさんが怒ると思ったのか?」
「中間も、ちょっと理衣くんにうつつ抜かしちゃったのよね。それに気づいて納得したわ。代わりに、そのぶん期末ではしっかりしなさいよ?」
視界がゆがんだ。涙があふれてきて、「いい話じゃないか、泣くことないだろう」とおとうさんも笑い出した。
何で。何で! 私の話を聞いてよ。そんな話じゃないよ。理衣くんはそんな男の子じゃない。おにいさんと一緒に私をレイプするの。どうして聞いてくれないの。聞こうとしてくれないの。
言えないよ。言えないじゃない。そんな勘違いされたら、もう絶対、言えない──……
「こまちゃん、そのままもっと口開けて」
瑠衣さんにまたあのおもちゃで核をいたぶられ、脳が白く崩壊して喘ぐ声すら絶え絶えになっていた。舌で入口をたどられ、指でかきまわされて、振動は容赦なく快感を送りこんでくる。腰から全身が震えて、目の焦点もおかしくなっていた。
ベッドの軋む音がして、涎を垂らしながら顔を上げると、理衣くんがジーンズのジッパーをおろしていた。
「り……くん、」
「歯立てるなよ。こないだ、お前がにいちゃんでいってる瞬間に歯があたってて、痛かったから」
「理衣、こまゆちゃんは感じてるだけなんだから、しょうがないだろ」
「単に下手なんだよ。そろそろ少しはうまくなれよ」
理衣くん。本当に理衣くんの言葉なの。信じられない。まだ信じたくない。
涙が一瞬熱がこもったけど、すぐに瑠衣さんが振動の角度を深くして声が濡れる。
「……こんな女じゃなかったのに」
私は、虚ろに泳ぐ目で理衣くんを見上げる。理衣くんがどんな顔をしているか、視覚がはっきりしない。
「こまゆちゃんは、昔からこんな女の子だよ」
「っそ。いいから口開けろっつってんだろ」
髪をつかまれて、顔面を理衣くんのものに押しつけられ、私はえずきながらそれをくわえこむ。歯を立てないように。いっそ、噛みちぎればすっきりするかもしれないのに、私はまだ理衣くんへの気持ちを彷徨っている。
こんなことをされながら、もしかしたら、理衣くんは様子を見て助け出そうと思っているかもなんて夢を見る。でも、気持ちよくさせてあげているはずなのに、理衣くんの目は冷酷なままで、やがて夢もちぎれて薄れていった。
瑠衣さんが、また振動を当てがったまま体内に侵入してくる。押し寄せる快感にどうしても口でする余裕がなくなって、理衣くんは舌打ちして引き抜き、私の手に自分を握らせた。
「しろよ」とそっけなく言われて、明言もされていないのに手首を動かして理衣くんをしごく。瑠衣さんの腰の動きに合わせてベッドが軋んで、響き渡る振動の刺激に、私はのけぞりそうに繰り返し痙攣する。手の中の理衣くんがどんどん硬くなって、激しく脈打つ。「こまちゃん」と呼ばれて理衣くんに顔を向けた瞬間、頬に理衣くんがミルクのように濃い白を吐きかけた。
どうして。どうして私、こんなことされてるの。
私が何をしたの。理衣くんを好きになっただけなのに。好きな人にこんなことをされて。好きな人のおにいさんにこんなことをされて。
なぜ、私がこんなに心を踏みにじられて、軆を嬲りつけられて──
「もう……こんなのやめて……」
瑠衣さんが私の中にたっぷり射精して終わると、部屋には私のすすり泣きが残る。
恐怖とか。嫌悪とか。そんなものは超越していた。どんどん黒くなる絶望に、気分が悪かった。精液にまみれて、全裸で、ベッドの隅で、膝を抱えて。
理衣くんは壁際に座りこんで頬杖をつき、瑠衣さんは自分のことを片づけていた。
私は頭を抱えて、がたがたと震えながらそう言っていた。
「何でもする……こんなこと以外なら、何でもするよ。欲しいものは盗んでくるよ。嫌いな人がいるなら殺すよ。だから、もうやめて……!」
視線を感じた。言っていることの責任に恐怖を覚えつつも、口車でもいい、とにかく私はこのふたりの欲望に縛られた毎日から逃げ出したかった。この家の前に来ると素通りできない、異常な強迫観念から逃れたかった。
「何でもするんだって、にいちゃん」
「ほんとに何でもできるの、こまゆちゃん」
鼻で嗤われるかと思っていたら、思いがけない反応に私は顔を上げ、こくこくとうなずいた。
瑠衣さんは目を細めて、理衣くんは口を開けて、ふたりとも笑った。やっぱり反応はそれだけかとがくんと頭蓋骨を支えられずにうなだれたとき、突然笑い声はやんだ。
「かあさん返せよ」
理衣くんの声だった。私はぴくんとうごめき、濡れた視界でそちらを見た。
「え……?」
「何でもするんだろ? じゃあ、かあさんを返せよ」
「な……に、」
「そうだな、かあさんを取り戻してくれるなら、実際こまゆちゃんとかどうでもいい」
「お、おかあさんは、亡くなったって……」
「ああ、とっくに死んだよ。こまゆちゃんのおとうさんに殺されてね」
──え?
言われたことが分からずにいると、理衣くんが瑠衣さんよりとげとげしい声で吐き捨てた。
「かあさんはお前の父親にレイプされて、そのショックで自殺したんだ。俺に、にいちゃんに、とうさんに嫌われたくないからって……死ぬから許して、嫌いにならないでって!」
何……。何を言っているの、この人たち。
おとうさんが? 私のおとうさん?
「それ見て笑ってたのが、こまゆちゃんのおかあさんだよ。俺は現場見たからね」
「そん……な、」
「こまゆちゃんを通して、俺たちのかあさんを知ったあの男は、かあさんに振られて、腹癒せに無理に迫って犯すようになった。あの男のセックスって異常なんだけどさ……まあそれは言わないでおいてあげる。まあ、こまゆちゃんのおかあさんがそれを向けられなくなってほっとして、ほかの女に向かったのを喜んだぐらいは異常」
「お、おとうさん……私のおとうさんはっ、」
「俺のせいだ。俺がお前なんかとちょっと仲良くなって、かあさん同士を知り合わせたからっ……」
「理衣。そのことは誰も責めてない」
「自分で許せないんだよっ。こいつの親のせいで、俺たちのかあさんは死んだ! こいつさえいなければ、今だってかあさんはこの家にいたのに!!」
「こまゆちゃんは、罰を受けてくれたからマシだ、理衣。一度は逃げられたと思った。ほんとは、あの日するつもりだった。のこのこ帰ってきて、理衣に騙されて、ほんとバカな女だとは思うけど」
嘘、だ。
嘘。
この人たち狂ってるから、私をねじ伏せる理由をつけたくて、おかしな妄想を始めているんだ。
おとうさんはそんな人じゃない。おかあさんはそんな人じゃない。私の両親まで妄想に巻き込まないで。
全部全部全部、気違いの言いがかりだ!
軆の震えが止まらない。ベッドを転がり落ちて、呼吸を必死に整える。散らかった服をかき集めると、いい加減に身につけた。
名前を呼ばれたけど、どちらにだったか分からない。
本当に吐き気がする。もう嫌だ。耐えられない。腰が鈍く痛んでいても、立ち上がってドアに向かった。
ふたりとも止めなかった。また来ると思われている? 私は来てしまう? 分からない。でも、今は思う。
二度とこんな家に来るもんか!
ドアを開けた。廊下を前のめりに進んだ。崩れ落ちそうな膝では、階段で転ばないのが大変だった。薄暗い玄関まで這いつくばって進む。小刻みの手で靴を履いていたときだった。
がちゃ、という音がした。玄関の開く音だった。
雨音がすごいのにやっと気づいた。
私は息を吸った。そしてその湿った外の匂いにすがりつくように、気を失う寸前にやっと叫んでいた。
「助けて……お願い、助けて!!」
【第十章へ】
