愛を売る仕事
僕の仕事は、愛を売ることだ。
しかし、僕が売るのは蕩かすような熱を持った愛であり、維持が困難な氷の愛ではない。僕はそんな冷たい愛は知らない。だからきっと、こんな、いずれは冷める温かい愛を振りまける。
消毒するように熱いシャワーをきゅっと止めると、やたら広い浴室全体をくまなく映す鏡を振り向いた。モーテルの鏡だけあって、曇りもない。こんなのは、露出狂の人間が使うのだろう。ここで交わり、自分で自分を窃視する。
ハーフミラーなので、向こうで待つ人間にこちらを観察させる用法もある。石けんの匂いと僕の香水が立ちのぼる中、雫を落とす前髪をかきあげて鏡を眺める。
降りしきっていた水滴の熱を受け、白い肌はほどよく色づいている。左胸の心臓の上では、今日も白鳥の影絵が羽ばたいている。
十九歳になって二ヵ月、全般的にはしなやかなほうだろうが、昔に較べてずいぶん肩幅が広くなった。手足も伸びたし、頬から顎、胸から腰への線も直線的になった。骨格の成長に筋肉が追いつかず、華奢な印象は保たれている。
けれど、僕はつい、目尻がくっきり切れこむ妖しい色香の瞳を眇め、艶のある唇をゆがめてしまう。
子供の頃は、自分にこんな大人の軆がやってくるとは思っていなかった。あの頃はおしゃぶりみたいに桃色で小さかった性器も、陰毛の中で恐ろしいことになっている。しゃぶるものなのは、相変わらずだけど。
僕は向こうでこちらを眺めているだろう相手に手を振ると、湯気が満ちる浴室を出た。
便器と洗面台のあいだの銀のラックに、白いタオルが備えられている。それに雑に水滴を吸わせると、脱ぎ捨てたジーンズを拾って、ものを左手の中に収めた。ジーンズとスニーカーだけ履くと、Tシャツとタオルは腕にさげて、板張りのドアを開ける。
室内は、クーラーが消されて蒸していた。
ベージュの絨毯に白い壁紙の部屋にあるのは、さあどうぞ、といったダブルベッドとチェスト、クローゼット、小型冷蔵庫ぐらいだ。あとは壁にいくつか貼られた、ホモ用ポルノポスター──たくましい男が、色っぽく愁えた瞳で悩ましいポーズを取っている。
白いシーツのベッドサイドには、ハゲでデブの中年男が待っていた。
彼は僕に微笑み、僕もにっこりとする。ベッドスタンドに目をすべらせると、手を振った意味があった証拠に、今は壁になっているハーフミラーを開くリモコンの位置がずれていた。僕は無造作にベッドの下に服を落とすと、彼の前に立った。
「シャワー、浴びるの」
なめらかな声で訊いて、ワイシャツのぶあつい肩に、忍びこませるように指先から右手を置く。
「いや。君が浴びてほしいか」
「君?」
「水鳥」
「僕はかまわないよ。汗の匂いって大好き」
僕は彼のうなじに手をまわすと、口づけた。得体の知れない口臭がして、ねばつく舌はほてっている。べたつくうなじから頭を抱えこむと、しばらく唇を揉み合わせた。
下を盗み見ると、スラックスのあいだがはりつめはじめている。僕はガムを噛むような音をちぎり、上品に絨毯にひざまずいた。
ファスナーをおろし、下着をずらし、赤黒いそれに頬擦りをするふりで、左手のもの──レモンタブレットを口をふくむ。素早く噛んで、口内に清涼を広げる。
息苦しそうな先端になだめる口づけをすると、肩をかがめて口から喉、食道を伸ばして陰茎を一気に飲みこんだ。陰毛に絡みつく汚臭を、レモンの香りに紛らしながら、頭をかすかに揺すり、脈内を際立たせていく熱く硬い棒をたっぷりしゃぶる。
この仕事を始めた頃は、これを口におさめるのにも難儀していた。喉に詰まらせたり、えづきをこらえたり。頭では、口から食道を通すと分かっていても、技術が追いつかなかった。ちっさいほうが単純にいじりやすいじゃん、とまで思っていたが、今は大きくてもいたぶり甲斐がある。
僕のフェラは、喉の吸引と舌の愛撫だ。歯は使わない。柔らかくないし、快感が過ぎて痛みを感じる人もいる。歯は唇でおおい、まろやかな刺激に徹底して、彼のものを育てる。
彼は僕の焦げ茶の髪をつかみ、手淫する右手のように、僕の頭を激しく動かした。僕は動かされるまま動く。けれど手つきが狂暴になると、さりげなく彼の指に指を絡めて情動を痺れさせ、頭を引き抜く。スラックスと下着を取って、ベッドに押し倒した彼に、僕は馬乗りになってかぶさった。
「してくれよ」
僕のしたたる瞳を無視し、彼は歯がゆそうに腰をよじる。
「水鳥」
「僕の中でいって」
「あとでいってあげるよ。してくれ。痛いんだ」
「僕だってあなたが欲しい」
僕はセックスで買われた。フェラチオではない。フェラチオ代を別途でくれるというなら、すぐさまそいつをねぶってやるが。
彼の性器にジーンズ越しの自分の性器をあて、弱くこすって快感を焦らしながら、彼の上半身を剥いた。毛のまといついた、でっぷりとした胸と腹──老化の恐怖は、死の恐怖に勝る。
人間も果物と同じだ。瑞々しいときにもぎとったほうがおいしい。それでも僕は、彼の脂ぎった軆に愛おしく口づけを施し、贅肉を甘美に溶かしていく。
焦らすのも、やりすぎるといらだたしい。紙一重の瞬間に、僕は彼の股間に口づけを届かせる。勃起に執着がない僕は、そのぱんぱんの苦しみに、情で流されることはなかった。
僕は男に愛されるのが好きだ。でも、僕の客はちゃんとした男が好きなゲイが多く、別に僕はオカマっぽくはない。ジーンズを脱ぐふりで、尻ポケットのコンドームを指先にはさむ。そして、スニーカーも床に足蹴にし、性器を飲むふりでコンドームをかぶせた。彼の熱された鉄のような性器を口でなぶり、身を起こして彼の腰に腰を沈める。
彼は向き合って僕の性器をいじり、僕の顰めた眉や甘い声を垂らす口元を見るのが好きだ。やがて、僕と彼は上下を入れ替わり、彼は僕の腰を抱えあげて杭を突き刺す。僕は彼の首に腕をまわし、さらに中に呼びこみ、強い熱に呼吸を荒げた。
流れる汗の合間に、僕の香水が鼻をかする。きしむベッドに喘ぎ声を混ぜつつ、薄目を開けて、彼から目を離さずにいた。視界の端で、息遣いの上下に合わせて、胸の黒い白鳥が羽をひるがえしている。
正確な律動がどんどん早く深く大きくなって、彼は短い雄叫びをあげて果てた。
僕は、僕にもいってほしい人でないかぎり、いちいち達さない。面倒というか、そんなことをしていたら、体力が持たない。僕の性器は事が終わったのを悟ると、さっさとしぼむ。股間に手を探りいれ、彼の上を離れながらコンドームもはがす。息を切らす彼の隣にもぐりこみ、彼がこちらを見ると、親密に微笑した。
彼は僕を絞め殺すみたいに抱きしめた。僕は彼の胸に頬を当てる。醜い軆だ。でも、僕は嬉しい。軆なんてどうだっていい。彼が僕に愛情を感じているのなら。
人によってそれは欲望と呼ばれたり、執着と呼ばれたりするわけでも、僕は愛と呼ぶ。すごく温かい愛だ。電気ストーブのような愛だ。金というプラグを受け、僕は彼の腕に愛を感じる。
じっとり汗ばむ中で、僕たちはしばらくそうしていて、「シャワー浴びておいで」と彼はみずから腕を放した。初回の客を事後にひとりにするなんて無謀でも、彼はなじみだ。僕はざっと汗を落とし、ジーンズのベルト通しにぶらさがる携帯用の香水をつけなおすと、今度はTシャツも着て部屋に戻った。
彼はスラックスを穿いていて、左の薬指にさっきはなかった指輪をはめていた。気づかないふりで隣に座り、ふかふかの脇にもたれる。
「ほら」
彼は僕に定価を渡した。これがフェラだけだと下まわるし、SMなどおまけがつくと上まわる。ノーマルをコンドームつきで最後まで、が定価だ。でも、定価でさっさと帰るのは、ある種の客以外にはしない。あとを焦らして、チップももらう。
僕は彼に服を着せると、チップをくれたお礼に、一階まで一緒に降りた。
フロントにはクーラーがきいていて、シャワーより暑さを癒やした。二十四時間、映画を流す局を映すロビーのテレビは、ポルノのお時間だった。フロントのブロックカレンダーは八月二日、奥の時計は三時過ぎをさしている。周りには、売れ残りの淫売や行きずりのふたりがうろうろしていた。
部屋代は彼がはらう。周旋屋にはらい、僕にはらい、モーテルにはらい、それでも僕をむさぼるのだからすごい。なじみのこのモーテルの僕の部屋なら、最後に割引はある。しかし、僕を一回抱くのを削れば、この人は高校生の娘に高級ブランドのバッグでも買ってやれるだろう。彼は家庭に愛を感じられず、今日は出張だと家族に嘘をつき、僕で愛を買っている。
外は雑多な人通りにむっとしていた。モーテルの看板の電燈が、青紫に階段を照らしている。
喧騒とネオンに入り組む人混みに、彼の後ろすがたが消えると、肩を揉んで息をついた。三時。もう予約もないし、彼の前にも客を取った。帰るか、と力を抜いて、僕は歩き出した。
立ち並ぶ建物がばらまくイルミネーションが、踊りながら宿屋街を映し出している。話し声、笑い声、怒鳴り声。この街は、夜に息づいて、昼には死ぬ。本当に死ぬのだ。ぱったりと鳴りをひそめ、たとえ人間が出歩いていたとしても、ゾンビのように虚ろだ。みんな夜に活気づき、陰った場所でいろんなことをやる。淫売、リンチ、薬物──陽桜というここは、遊郭っぽいので淫売が主流だ。
僕はこの街の男娼だった。働きはじめて、七年半になる。僕のお披露目は、十一の冬だった。実際手を出されるようになったのは十五の秋で、ほぼ四年前だ。
生まれたときから、男娼になると決められていた。いや、嫌なら抵抗の術もあったろうが、普通にいけば男娼になってしかるべきだった。僕の母親は娼婦で、僕は生まれも育ちもこの私娼窟なのだ。
学校に行かず、この街を出ず、僕はひたすら母親の部屋にいた。そこで彼女が、めまぐるしく恋人を入れ替えるのを見ていた。押しこめられた奥の部屋で、異様な声をあげて男と絡み合うのを見ていた。男を罵り倒すのを見ていた。男に殴られるのを見ていた。そして、もちろん気紛れに虐待されながら、吐きそうな気持ちばかり味わって育った。
彼女を怨んではいない。嫌いは嫌いだ。でたらめな育てかたをされたせいでなく、単にあの女も僕を唾棄していた。男娼になったのを機に、あの女の元を離れた。以来、この街のどこかにいるあの女と、一度も顔は合わせていない。
現在、僕は自活している。保護者のような後援者はいて、その人が背後にいるおかげで、ここで安全に売春している。僕が心からひざまずける人なんて、その人くらいだ。
【第二章へ】
