青氷の祠-10

早熟なお姫様

 ビル街を通って飲食街に出ると、僕は〈neve〉を見つけて毬音をそこに連れこんだ。
 光樹に毬音、僕に由縁のある客はいつもここではめずらしい。自分の子供なら疎ましい限りでも、他人の子供は責任がいらないので、かわいがる奴が多い。毬音はここではお姫様で、好奇に色めきたった男娼たちに引っ張りまわされる。
 しかし毬音は、「お腹空いてるの」としたたかに彼らを振りはらい、僕が腰かけたテーブルの相席に座った。
「水鳥にいさん、子供にはちゃんと栄養取らせなきゃダメだよ」
 果樹さんが持ってきたメニューを広げる毬音を眺め、たかった数人の男娼のひとりが言う。クーラーの冷たさにくつろいでいた僕は、「今、取らせてんじゃん」とご馳走のところをめくる毬音をしめす。
「水鳥にいさんって、ここんとこホテルにいたんだよね。そのあいだ、毬ちゃんどうしてたの」
「部屋に放置」と僕は簡潔に返す。
「もお、大人が子供をイジメるなんて聞き飽きちゃったよ」
「水鳥にいさん、ここは斬新に、毬ちゃんに愛情そそいでみたら」
「えー」
「やだなあ、こんな保護者」
「どのぐらい放ってたの?」
「一週間ぐらい。夏乃がいるかと思ってたんだ」
「まだ続いてんの」
「あいつが勝手に戻ってくんの」
 僕が眉をひそめる脇で、「ちょっとほっぺたこけちゃったね」と栗色の髪を伸ばした色白の美少年が、毬音の頬を撫でる。やや身を引いた毬音に、周りの男娼が噴き出す。
「今の手つき、いやらしかったよね」
いこいってロリコンだっけ」
「将来有望じゃん」
 毬音に色目を使うこの憩は十六歳で、母親が凌辱ポルノ映画の花形だ。凌辱されるのがハマり役、ということは、その母親は清純そうなわけだが、彼も清潔で物静かな感じが穢したい欲望を駆り立てる。
 おととしまでは別の縄張りで女装し、娼婦をやっていた。そろそろ女の子のふりも厳しくなったので、男娼に転身した。女装娼婦と男娼では、客に求められることがいっさい違う。脱落するのも多いのだが、彼は母親の血もあって、冒涜されることをうまくこなしている。
「お腹減ってるってことは、一週間、何も食べなかったの」
「食べてないのは三日」
「三日」
「僕ならおじさんのしゃぶっちゃってるな」
「毬ちゃん、こういうとき、女は一番高いものを選ぶんだよ」
「入れ知恵しない」
 僕にじろりとされながら、毬音はハンバーグセットを注文した。朝食がまだだった僕も、ミックスサンドイッチとアイスティーを頼む。
 注文を知らせにいく果樹さんを目で追っていると、カウンター内の頼さんと視線が合った。眼鏡越しににやにやとされ、何とも言えずに水に顔を伏せる。
 毬音の存在をこころよく思っていないのは、僕や夏乃の比でなく、豹さんだ。はっきりと否定するのでなく、距離を取って、かわいがろうとしない。毬音が嫌いなのかと一度訊いたことがある。嫌いではないが、受け入れるのに時間がかかると豹さんは答えた。
 ショックだったのだと思う。僕があんな安っぽい淫売と、思い入れもない子供を作って。愛しあった女との大事な子供であれば、誰よりも豹さんは祝福してくれただろう。
 憩たち数人は、僕と毬音のテーブルの隣に引っ越してくる。ハンバーグセットで空腹が満ちてくると、やっと毬音は彼らの相手をするようになった。
 毬音の口達者は、こういうときに培われる。「毬ちゃんはどういう大人になりたい?」と訊かれ、「パパとママみたいにはなりたくない」と答え、「かわいくなーい」とかわいがられる。僕は閉口し、さっぱりしたサンドイッチを胃におさめていった。
 予約専門に近い僕は、お安く落ち合えるわけがないと客に好機を狙われていないのもあり、無事本日を休暇にできた。僕に見送られ、男娼たちが買われていった二十三時半過ぎには、にぎやかさが落ち着いた。「パパはお仕事いいの」とココアを飲む毬音が訊いてくる。くだらない週刊誌をめくっていた僕は、「ここで『パパ』と呼ぶな」と答える前に鋭く言った。
「碧織さん。……水鳥さんか」
「なるべく本名は伏せる」
「水鳥さん。お仕事いいの」
「今日は休むよ」
「予約は」
「ない。予約入れる奴が、ある程度調整してるんだ。男は絞られるのがこたえるからね」
 毬音はよく分かっていないようにうなずき、皿に盛られたビスケットに手を伸ばした。売れ残るような男娼は僕と親しくなく、毬音に興味も薄い。今は僕が毬音の相手をしているが、零時を過ぎたら果樹さんが少し構ってくれるだろう。
 そんなことを思っていたとき、自動ドアが開く音がして、何となく振り返った。
「あ」
 僕がもらした声に、黒いリュックを肩にかける相手もこちらを見た。鋭い瞳に完璧な輪郭や骨格がぞっとしそうに秀麗な少年──弓弦だ。
 Tシャツにジーンズという軽装の彼は、こんな時間にこんなところにいる僕に、整った眉を怪訝そうにゆがめる。
「何してんの」
「お休みだよ」
「ちゃんと」
「そお。ちゃんと」
 自分が休みにした日に限って働く僕を知る弓弦は、肩をすくめて店内に踏みこむ。カウンターに歩み寄りながら、頼さんに挙手で挨拶し、頼さんも親しく応えた。
「あれも男娼?」
 弓弦を横目に、毬音はストローに口をつけ、「あれは周旋屋」と僕はページをめくる。
「しゅうせん──」
「僕の予約を管理してんの。逢ったことなかった?」
「うん」
 毬音の肯定は事実なようで、弓弦は毬音のすがたにやや面食らい、「あの子、何ですか」と頼さんに訊いている。「水鳥に訊きな」と返された弓弦は僕を見、僕は無視して活字をたどる。
「似てますね」
「ますね」
「まさか」
「ん、弓弦は知らなかったか」
「聞いたこともないですよ」
「みんなチクっていいか迷うんだな。水鳥がお前を嫌ってるのは有名だから」
 僕は仏頂面を上げ、「人聞き悪いですよ」と口を挟む。
「お、本人の前では媚売るか」
「気に入らないけど、嫌いではないです」
「同じじゃないか」
「嫌いになるなんて、労力かかって面倒ですよ」
「どうだ、弓弦」
「………、別に無理に好かれなくても。それより」
 弓弦はリュックに手を突っ込み、予約のメモらしき紙を頼さんに渡した。「はいよ」と頼さんはそれを預かり、弓弦は手に残した数枚を持ってこちらに来る。
「水鳥の」
 僕は週刊誌を置き、「どうも」とそっけない手つきで受け取った。毬音をちらりとした弓弦に、「こいつはね」と予約を憶える僕はあっさり言う。
「僕の子供なんだ」
「……マジで」
「うん」
「恋人がいるとは聞いたことある」
「あんなん恋人じゃねえよ」
「でもママだよ」
 弓弦は毬音に目を向け、「いくつ」と耳あたりのいい低音で訊く。
「四歳」
「名前は」
「毬音」
「ここ、よく来てんの」
「だいたいはお部屋にいるかな」
「零時だぜ」
「だから」
「すでに昼夜反転かよ」
「夜寝て昼起きてたら、ごはんもらえないだけだもの」
 弓弦は僕を見た。僕は黙殺してメモをジーンズのポケットにねじこんだ。
 やっぱり、ダメだ。弓弦には外にいたにおいがする。かすかであっても分かる。反発して溶けこめないくせに鼻に残る、自分とは違うにおいだ。おまけに私情で気に入らないので、いっそう弓弦のにおいは僕の癇に障る。
 僕は昔、周旋屋としても弓弦を信用していなかった。豹さんが弓弦に僕を預けたとき、彼は十三にもなっていなかった。しかもたった数ヵ月前には外にいた。この街で年齢は瑣末でも、外にいたのは致命的だった。彼に切りまわされながら、僕のボスは豹さんなのにといつも窮屈に思っていた。今でも僕のボスは豹さんだ。でも、だからこそ従っておこうと、今は弓弦を仕事人としては信頼している。
 弓弦も、なぜ僕が自分をしっくり受け入れないのか、理由は察している。それはいくらか彼を傷つけているようだ。外にいたにおいを消し去りたいのは、ほかならぬ弓弦なのだ。それでも僕はすげなく彼を嫌悪し、彼の湮滅したい過去を蔑視で暴く。
「そういや、恋人ができたってほんと?」
 週刊誌の“熱愛発覚”の文字に、僕は思い出して弓弦に問うた。「え」と弓弦はどきりとした色を瞳に浮かべ、「まあ」と口の中で歯切れ悪く応える。
「ただのうわさ?」
「いや。できたよ。先月」
「あんま好きじゃないの?」
「え、何で」
「歯切れ悪いから」
「好きだよ、ちゃんと。まだ、恋人とか言うの慣れなくて」
「たらし、やめたんだね」
「あいつがいるならもういいんだ」
「女? 男?」
「男」
 無表情に弓弦を眺めた。「何」と弓弦は臆面し、僕は軽く鼻で笑う。
「さんざんやって、つまるところホモ」
「悪いか」
「別に。相手もバイ?」
「ゲイだよ」
「せいぜい、女と浮気しないようにね」
 毬音はくすくすしながらアイスココアを飲んでいて、弓弦はこの親子にやりにくさを感じたようだ。頼さんを振り向き、「そいつらはすれてんだよ」と苦笑混じりに励まされている。
 弓弦はコーヒーで一服しつつ、頼さんに淫売たちの様子を聞いて、「また来ます」と〈neve〉を出ていった。彼を見送り、でもこの街で名を売るのはもともと外の奴が多いな、と僕はストローで品のない音を立てて紅茶を飲み干す。
 果樹さんがまもなく毬音の相手をしにきてくれて、僕は紅茶をお代わりするついでに、カウンターに移った。
「敵でもないのに弓弦を嫌う奴って、今じゃめずらしいよな」
 グラスをさしだし、頼さんは僕の頑固を揶揄う。
「みんなに好かれてるんで嫌いってんじゃないですよ」
「分かってるよ。外のにおい、な。俺は感じないな」
「頼さんも、元は外の人間ですよね」
「におい感じるか」
「多少。気にしなきゃ大丈夫です。弓弦は──豹さんのこととかあるし」
「豹だって、元は外の人間だ」
「………、僕が田舎者なんですね、閉鎖的なんですね。はいはい」
「俺たちは、お前に敬意を持って引けめを感じてるよ。お前にでかい顔されても言い返せない。お前は純血種、俺たちは雑種だ」
 スツールに体重をかけて息をつく。背後では毬音が果樹さんに恋人について訊いている。
 純血種。そんな大層なものではない。根っから異常なだけだ。
 僕は外から来た人間が嫌いだ。反面、彼らのほうが人間として正常なのも知っている。引けめを感じるべきなのは、本来僕のほうだ。
「外って、どんな感じなんですか」
「ぜんぜん行ったことないのか」
「ないです。一番の遠出が彩雪ですね」
「光樹か」
「じきライヴですよね。光樹は外はものすごいって言ってました」
「ものすごいよ。知らないほうがいいさ。純血が穢れるだけだからな」
 紅茶をストローでかきまぜ、まろやかな苦味を飲む。本当は分かっている。外のにおいが嫌だ。その理由も真実であれ、僕が外の人間を忌み嫌うのにはもっと根深い理由がある。
 外から来て、僕をひとしきり嘲笑い、また外に消えたあいつ──
 だが、こんなのは黙っている。「純血種も楽じゃないですよ」とうそぶくと、頼さんは眼鏡の奥で笑う。場所を変えるのか売れ残りの男娼が会計に来て、「でもうらやましいよ」と僕に肩をすくめた頼さんは、レジへと歩いていった。

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