いつもの夜
僕を買う方法は、ふたつある。例の〈neve〉に張っているところを直接買うか、周旋屋に予約を入れて個人的に落ち合うかだ。
店には縛られていない。店に縛られて高級男娼になることも可能だったが、ならなかった。可能だっただけあって僕は売れっこで、運がいいか何時間もねばるかしないと、〈neve〉でつかまえるのはむずかしい。そんなわけで、僕を買うなら周旋屋に注文するのが主流だった。
僕の注文を管理するのは、弓弦というふたつ年下の少年だ。彼は一時間いくらで斡旋代をとり、日時、出合い場所、何時間買われたかの予約の情報を僕に流す。そのメモは手渡しに限らず、〈neve〉や行きつけのモーテルに残したりで送られる。
ほかの予約との間合いはすでに弓弦が調整しているし、休みたい日は前もって申請しているので、受け取った予約にこちらが文句をつけることはほとんどない。すなわち予約の受け取りが契約で、その後の勝手な行動には罰がつきまとう。勝手な行動とは、淫売なら約束をすっぽかすとか、客なら契約以上のことをするとかだ。逆に、淫売なら危険から守ってもらえたり、客なら安全な満足の保険があったり、まあ周旋屋を通すのは堅実な手段だった。
僕は弓弦の傘下ということになっている。その肩書きは、正直不本意だった。僕は彼の上にいる例の後援者の傘下であり、弓弦に管理されているのは、その人が僕を弓弦に任せたからに過ぎない。こんなのをぶつぶつしてもしょうがないし、僕はおとなしく彼に切りまわされているけれど。
この弓弦というのが、僕は嫌いではなくも、得意でもなかった。みんなは屈託なく愛していても、僕は彼に懐けない。彼はもともと、外の人間だった。かなりこの街に染まっていても、僕は彼に残る外の異臭を嗅ぎ分ける。
何というか、彼はとても理解があるのだ。それが僕には胡散臭い。本当にこの街の人間なら、残酷なぐらい自分のことしか考えないはずだ。
嫉妬もある。彼は僕と同じくらい、後援者に気に入られている。あの人は、滅多に他人を信用しないのに。
弓弦もうすうす、僕の屈折した想いは感じている。そこで媚を売るでなく、一歩引くという判断をくだしているのは、素直に褒めてやる。
僕が弓弦に任されるようになったのは、墓穴でもあった。僕は以前はその後援者──豹さんというのだが、その人の直下で働いていた。僕はそこにいるとき問題を起こし、豹さんは僕を手元に置くのをやめて、弓弦というひと置きを作った。豹さんの元にいると、思うように働けなかったのは事実だ。僕は豹さんに理想を分かってほしかったけど、豹さんはそれができなくて、僕を自由にした。
あのときは、豹さんには迷惑をかけ、それ以上に心配をかけた。手放して以来、豹さんは僕に会うのを減らしている。不安も感じてしまうが、弓弦に任せたのは嫌がらせでなく、大切に想っての選択だろう。
弓弦は豹さんの数少ない腹心だ。きっと、僕を適当な奴には任せたくなかったのだ。そうと分かっていても、外の奴だったくせに、と偏見がまといつき、どうも弓弦へのひがんだ目をほどけなかった。
「水鳥は敵と味方をはっきり分けるよな」
レモンのかかったアイスティーを、カウンター越しにさしだし、頼さんはそう苦笑する。「そうですかね」と僕はそれを受け取り、ストローに口をつける。
「好きでも嫌いでもないって奴、いないだろ」
「客は好きでも嫌いでもないですよ」
「プライベートでだよ」
「毬音とかどっちでもいいですよ」
「問題発言だぞ」
「ま、うーん。そうかなあ。外かこの街かがけっこう指針ですね」
「弓弦は間違って外に生まれただけで、この街の奴だと思うぞ」
僕は答えずに、きんと冷たいアイスティーをすすった。ここは〈neve〉だ。十九時半で、僕は二十時に客とここで落ち合う約束をしている。
白と淡い緑の壁紙に木の床、広々とした店内は、通路もすっきりして席が整列している。空調も肌によりそい、かすかな木の匂いにやすらぎがある。ちょっとにぎやかではあっても、軽食も雑誌もトイレもあり、何時間でもいられる喫茶店だ。
ちなみにここは、売春の店ではない。勝手に淫売がたむろしているのであって、置屋ではない。ここの店主の頼さんが豹さんの友人で、そうと勘違いしている人は多い。しかしこの〈neve〉は、淫売やその客でなくとも出入りは大歓迎だ。だが、現在では客はほとんど淫売、特に男娼が溜まっていた。
頼さんは三十台後半で、短髪に伊達としか思えない眼鏡をかけている。親しみやすい笑顔とは裏腹に、軆つきはがっしりとたくましい。ここで問題を起こせば、すぐさまその太い腕にたたきだされる。
頼さんは普段は快活でも、切れると半端でないらしい。僕はたたきだされたことはあっても、切れられたことはない。切れられないに越したことはないそうなので、僕は頼さんにいらない毒は吐かない。吐こうと思わせる人でもないけれど。
「最近、豹さんに会いました?」
「先月会ったな。水鳥の様子も訊いてきたよ」
「僕に訊きにきたらいいのに」
頼さんは何も言わず、ただ笑った。僕は眉を寄せ、でも突きつめたところではぐらかされそうで、黙ってアイスティーを飲む。
「豹は、水鳥が思うより水鳥を想ってるよ」
「疑ってるわけじゃなくても、最近会わないんで」
「あいつはいそがしいしな」
「弓弦とは連絡取ってるじゃないですか」
「仕事だろ。豹にとって、水鳥はプライベートなんだよ」
頼さんを見た。にやりとされて、どぎまぎと頬を染める。僕はストレートでも、豹さんに対する執着は、恋愛に近いのかもしれない。
そこに突然、「おかわり」という高い声が割りこんできた。
ミルだった。おっとりとやんちゃが綯混ぜになったような印象のこの子は、十三歳だ。父親がポン引きの彼は、自然と男娼になったこの街生まれの子だった。よって僕は、この子は弟分として認めている。
「何の話?」
「水鳥にいさんが嫉妬してる話」
「嫉妬って何ですか」
「嫉妬は自覚するに限るぞ」
「……多少はしてますけど」
頼さんは物笑いすると、「君が聞いてやりな」とミルに僕を任せて、奥におかわりを呼びかけにいった。僕と顔を合わせたミルは、「弓弦くんがどうとか聞こえたよ」とふんわりした髪を指先でいじる。
「ま、いろいろね。いいの、そうだよ。嫉妬です。ははは」
「弓弦くんといえば、恋人できたの知ってる?」
「あの人、やっては捨てるたらしでしょ」
「それをくつがえす人に逢ったらしいの。鈴月くんがね、弓弦くんのお店に行ったときそういう話を聞いたって」
「ふうん。やり手なのかな。あんなたらしを落とすなんて。男? 女? あいつバイだよね」
「それは知らない。でも、この頃、ホテルとかで会わなくなったしさ。恋人はほんとなんだよ」
弓弦は、淫売としてもやっていけそうな、希少価値の美形だ。この街に流れこんでいなければ、モデルでもやっていたに違いない。その容姿を最大限に活かし、彼は逸品の仕事人である反面、すさまじい無節操だった。
そんな奴に、貞操をくくらせる恋人が現れたわけか。弓弦というのは、僕にとって何もかも胡散臭い。
「ミルは恋人とかどう?」
「僕はまだ仕事が好き。水鳥にいさんは、恋人いるんだよね」
「恋人なのかなあ。毬音のよしみでずるずる来てるだけのような」
「毬ちゃん、元気?」
「生意気盛りだよ。すっげえかわいくない」
「水鳥にいさんって、繊細そうなわりに、すごく暴力的だよね」
ミルがくすくすとしたところで、頼さんがおかわりのアイスココアをもってくる。「客来たら、ちゃんとタブレット噛むんだよ」という僕の助言にこくんとすると、ミルは元の輪に帰っていった。
僕も孤高を気取っているわけではない。できればみんなと雑談に興じたくても、まもなく席を立つのが分かっているので、やはりカウンターで頼さんに相手をしてもらう。
そして、二十時に客がやってくると、ミルたちには手を振って、〈neve〉をあとにした。
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