純潔なまでの愛憎
「両親に会いたい?」
「……そりゃね。もっと一緒に過ごしたかった。あふれる愛情ってのがまさしくでさ、両親との想い出があるんで、そのあと泥沼に堕ちても一線は越えずに済んだんだろうな。何で死んじまったんだろとは、今も思うよ」
「いくつのときだっけ」
「やっつ。盆に帰省するとき、高速道路でスリップした車に衝突されて」
「拓音だけ助かったんだっけ」
「いや、俺は先に電車で田舎に着いてたんだ。じいちゃんは亡くなってて、ばあちゃんとショック状態。それでばあちゃんは病気になっちまって、いとこの七夏んとこに引き取られたわけ。母方の実家は、長男の家族が同居してて居心地悪そうだったしな」
拓音は頬杖をほどいてハムサンドイッチに手を出し、「いいかな」といったん僕に遠慮する。「どうぞ」と僕が微笑むと、彼はそれをひと口で飲みこんだ。
「ところが、そこで待ってたのは義父の虐待だったんだな。とうさんの弟なんだ。七夏は幼なじみだし、いとこだし、親友だって思う。おじさんは憎いよ。子供っぽい恐怖心さえなければ殺せるのにって思う」
「七夏も手え出されてたんだよね」
「うん。でも、七夏は俺みたく思ってない。父親を憎むべきか迷ってる。俺がおじさんを憎めるのは、たぶん他人だから。そう思ってるから、七夏を否定はしない。肉親を憎むのはつらいよ。傷つかなきゃいけない。俺だって、何で俺ひとり置いていったんだって両親を憎むのは可能なんだ。でも、しない。哀しいだけ。憎むのなんて簡単なんだ。憎悪の種はどこにでも落ちてる。七夏はそれを拾って食べれば毒にあたるって知ってるんで、闘ってるんだ。七夏はおじさんに対して、俺と同じ気持ちにならないほうがいい。それは思うよ」
ファントムリムのメンバーに共通するのは、血への忠誠だ。光樹は陽香さんを愛しているし、拓音も実の両親は想っている。七夏は憎むのを躊躇い、美静も家庭は穏やかだった。
別に否定や嘲笑はしなくても、徹底的に血を無意味を感じる僕は臆してしまう。僕には家族や家庭が愛となる観念自体がない。血なんか煩わしい。だが絶つことはできないのなら、せめてそんなものは瑣末だと唾を吐きたい。僕以上に、蛍華さんが僕にそう思っていたせいだろう。
「七夏とグレておじさんのそばを離れて、光樹たちに逢って音楽で更生できて。注射刺してるとき、両親がよぎったりもした。作ってくれたのに、ダメにしてごめんって。思うけどやめられなくて。七夏がそばにいたんだけど、どうしたらいいのかは分からなくて。光樹たちにだって、逢うだけじゃ変われなかったかもな。立ち直れたのは、そこに音楽があったから。非行で発散してることを音楽にぶつければいいって分かって、攻撃を自分に向けないで済むようになったんだ。音楽にはすごく感謝してるよ」
「僕も売春に感謝してる」
「はは。そうだな、碧織くんみたいな本物の売春はどっかクリエイティヴだよな。自分の魅力が売り物なんだし」
僕は満足も持って笑みになる。そういう理解があるので、僕はファントムリムの面々が外生まれでも露骨に嫌悪せずにすむのだ。
臭いはあっても、それをかきけす悪くない匂いも持っている。弓弦みたいに私情の悪感情もないし、光樹の親友というひいきめもある。
「じゃ、当面はいい感じなんだね」
「うん。恋人もいるし」
「うまくいってる?」
「いってます。彼女といるとこれまでの恋愛がカスに思える。もう少し隣にいて穏やかだったら、先も考えていいかなって思ってる」
僕は果樹さんを想った。拓音のひとりよがりではないだろう。果樹さんが今の状態で安定してるのは、僕にも分かる。
拓音と果樹さんは〈neve〉で出逢った。光樹が三人を連れて陽桜に宣伝に来たとき、僕に会いに〈neve〉に立ち寄ったのがきっかけだ。ひと目惚れっぽい出逢いだったわけで、失礼にもみんな足が早いのではと思っていた。ところが、すでにつきあいは二年を越えている。
「拓音たちってさ、ここんとこ陽桜に遊びにこないね」
「ん、光樹行ってるじゃん」
「四人でさ」
「あー、まあ。そうだね」
「来たらいいのに」
「陽桜って空気違うんだよなあ。個人行動もできないし。歓迎されるのって光樹だけだろ」
「そんなこともないんじゃない。宣伝とかはやっぱ──あ、光樹が勝手にひとりで行くの」
「光樹は『来たら』って誘うよ。つっても──ま、そうだな。ずっと行ってないんで、検討はしとく」
「うん」と僕はツナサンドイッチを口に放りこみ、拓音はきゅうりのサンドイッチを食べる。
茶髪やピアス、タトゥーというじかの装飾があるせいか、拓音はアクセサリーはほとんどつけない。今も所作にきらめくのは、普段の首の繊細な金の鎖だけだ。服の中にしまわれたそれに、どんなトップがあるのかを僕は知らない。光樹が好むマリファナや髑髏ではない気がして、何だろうな、とはつねづね思っている。
「ねえ、拓音」
烏龍茶を飲み干していた拓音は、「ん」と溶けかけた氷が残るグラスをおろす。
「答えたくなければいいよ。拓音って、いつもその金のネックレスしてるよね」
「これ」と拓音は金の鎖をつまみ、さらりと明かりを映したそれに僕はうなずく。
「何か思い入れあるの。ただのチェーン」
「ロケットペンダントだよ」
「ロケット──」
「写真が入れられる奴。外に出してたらださいんで、しまってんの」
「何の写真が入ってんの? 果樹さん?」
「家族の写真だよ。三人で写ったやつ。縮小してさ」
「家族の」
「子供の写真持ち歩いてる父親ではないけどさ。人には見せないし。ただ、十年もいられなかったぶん、あの八年間は肌身離さずにいようかなって」
僕は拓音を見つめた。彼は照れ咲ってサンドイッチの添え物のプチトマトを食べる。
親しみやすさは事実でも、軽薄っぽいのは見ためだけなのだろう。光樹のおかげで、僕は家族を愛する人間を見下しはしない。手軽そうなのに、ハマれる深さが拓音にはある。それが果樹さんを本気にさせたのかもな、と思った。
今日のライヴに話を移していると、「何か仲良しになってない?」といきなり光樹が僕の背中に抱きついてきた。めずらしくできあがっている彼に、僕と拓音は顔を合わせる。
「拓音、浮気するなら別のとしなよ。碧織は僕のだよ」
「男と浮気なんてできません」
「本気はもっと悪いっ」
「男と恋愛はできません」
「ふん、時代遅れだね」
「何だよ、お前はできるのか」
僕は肩にかかった光樹のしなやかな腕をほどき、「酔ってるでしょ」と幼なじみの綺麗な頬をつねる。
「酔ってないよ」
「いや、酔ってる」
「おい、こいつに何飲ませたんだよ」
拓音が向こうに問うと笑い声があがり、「光樹が酔うの見てみたかったんだもん」と女の子が言う。「今の聞いた?」と僕が言うと、「不愉快」と光樹は確かに多少理性があるのは確認させる。
「ああ、もう、僕は酔ってないよ。酔ってないからね」
「酔ってないって連発すると、酔ってるみたいだよ」
「そうかな。あー、何か軆が軽くて重い。帰れるかな。碧織の部屋に泊まろうかな」
「ここは陽桜じゃないよ」
「え? あ、そっか。どうしよ」
「七夏が車で送るだろ」
「そんなん、機材に埋もれちゃうよ」
光樹は僕の右隣のスツールに腰かけ、息をつく。笑ってしまうと、「笑わないの」と光樹は渋面で僕の頬をつねって仕返しした。
「そういえば、碧織と話すの今日初めてだね」
「だね」
「今日のライヴどうだった」
「よかったよ。ラストの曲は心臓止まった」
「ラスト──あ、あれね。あんな歌は、かあさんには聴かせられないね」
「聴かせたことないの」
「ないよ。怨みがましいじゃん」
「事実なんでしょ」
「かあさんに押しつけるべき感情ではないよ。僕が弱かっただけだし。あー、僕かあさんに似て酒は強いのにな。そのくせかあさんってしょっちゅう二日酔いだったっけ。僕も明日は二日酔いかな」
「やだ」と光樹はテーブルに突っ伏して唸る。酔っていない、とはいえ、しらふでもないようだ。光樹にしては感情の表出がでたらめだ。拓音と目を交わして苦笑してしまいつつ、僕は光樹の背中や橙色の髪を撫でた。
あの“平衡感覚”について想う。あの詩があんなに刺さってくるのは、深い意味で複雑だった。あのコーラスの通り、あの歌は光樹の陽香さんへのどうしようもない愛情を表わしている。愛されていると知ってるから、何をされても愛しているけど、愛されているか分からなくなりかけたとき、愛していていいのか不安になる。そんな歌だ。何でそんな歌が刺さるんだろ、と思う。僕も蛍華さんを愛している、もしくは愛したいということになってしまう。そんなわけない、と思っても──稀に、愛されてたほうが便利だったろうな、とかは思う。
僕が蛍華さんを憎んでいるのは確かだ。でも、それが純粋な憎悪か、混ぜ物もある憎しみかは分からない。ふたりきりで殴られていた頃、僕は蛍華さんに純粋な憎悪を抱いていた。珠生が介入して、その狡猾な仕打ちにはいくらか心を痛めた。もしかして、できれば愛したくはあったのかもしれない。
なぜ、蛍華さんは僕をあんなに憎んだのか。そんな陳腐な疑問はない。真の憎悪に理由はない。真の愛情に条件がいらないように。もし蛍華さんが僕を愛してたら、と愚かしい想像をするときはあった。もしそうだったら──今も昔も、現実味不足で何も浮かばない。
現在は開き直っている。淫売をやっていてもいなくても、僕はこういう、愛をゆるがせにする人間だった。要するに僕は、母親に保つのがむずかしい氷の愛どころか、熱っぽい一時的な愛情ももらえなかった。そういうことだ。蛍華さんに関しては、もうその事実でたくさんだと思う。
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