バンドの由来
「じゃあ、ごたごたっていうのは」と光樹がかしげた首に耳元の黒曜石を光らせる。
「あ、毬音が家出したんだよね」
「思ったより早かったね」
「早すぎて戻ってきたよ。弓弦が保護してさ、どうのこうの」
「大変だったね」
「どうのこうので分かるのかよ」と七夏が突っ込み、「大変だったのが分かればいいんだよ」と光樹は僕のホットドッグの添えもののフライドポテトを食べる。「毬音を迎えにこいって言われたんだけど」と僕はカップを抱いて指を温める。
「指定場所が東通りでさ」
「うわ、僕の部屋の正反対」
「僕、弓弦に切れたよね」
「自転車ぐらい調達してくれたの。いや、タクシーかな」
「徒歩」
「そりゃ切れるよ」
「ね。思うよね。光樹は分かってくれると思った」
「碧織に中央渡らせるってなあ。東通りなんて、まさか行ったの」
「行きましたよ」と僕は舌を気にして熱い紅茶をすすり、熱が飛び散った胃から体温をほぐす。
「悲惨だったよ。帰りなんか毬音が背中にいてさ、蛍華さんに会わなくてよかった」
「そんな外に接近したの初めてじゃない? 大丈夫だったの?」
「ぜんぜん。頭切れるし、あとで軆の震え止まんないし。光樹の気持ちが分かったよ。いや、あんなもんじゃなかったんだろうね」
「そうなのかな。頑張ったんだね。僕はそれがどれだけ死ぬ気だったか分かるよ」
誰かにそう言ってほしかった僕は泣きそうに礼を言い、光樹は外に引っ張り出されていた頃の瞳で僕を分かってくれる。この街になじんでいるとはいえ、外に行けなくもない三人は顔を合わせている。
「てかさ、元はといえば夏乃が僕を殺しにきたのが悪かったんだよ」
「えー、殺されるとかはやめといたほうがいいよ」
「ナイフ持って乗りこんできてさ」
「刺されなかった?」
「使われる前に取った。下着の中に隠し持ってた」
「殺し屋みたいだな」と評した拓音に、美静と七夏はうなずく。
「あいつがそんな変なの仕掛けてくるんで、僕も切れて毬音にどうこうすることになって、それで毬音は家出して。僕、初め毬音は夏乃に殺されたと思ったんだ。風呂場に血がついてたんで」
「切り刻んだのかな」
「僕もそう思った。毬音が言うには、夏乃の生理の血だって。僕さ、夏乃が来たの不思議だったんだ。先月半殺しにしてやって、一ヵ月は来ないだろうと想ってたら半月で来てさ。生理前で無鉄砲と化してたんだね」
「女って生理の前後で人格変わるよなー」
「七夏は生理前の女の子に触って、まったく無意味に引っぱたかれたことあるんだよね」
「いらんことは言わんでよろしい」と七夏は光樹を睨み、僕は笑ってウインナーが香ばしいホットドッグにかぶりつく。
「碧織くんの日常って、ほんと僕たちには物語の世界だよね」
「んー、ここんとこは僕にしても変なの続きだよ」
珠生ともいろいろあった、と言いかけ、僕はふと考えて口元についたケチャップを舐める。珠生のことは、僕が驚いたのだから光樹も驚くだろう。僕たちが驚くなら、この三人にはきっともっとあくが強い。いや、この三人は珠生に対して前提がないのか。それでも──急に黙りこくった僕を、「どうしたの」と光樹がテーブルに上体を伏せて覗きこんでくる。
「ん、珠生とも逢ったんだ」
「何か言われたの」と口ごもったせいか、光樹は心配そうに眉を寄せ、僕は上の空に咲って首を振る。
「ただ、何か、あいつ変わったよね」
「変わった」
「そう思わない?」
「ま、そうだね」
「外で何やってたんだろ、とか思うんだよね。経験ってあんなに根こそぎ人を変えるもんかな」
「珠生って碧織くんのライバルの」とクリームソーダのバニラアイスをすくう拓音が訊いてくる。
「似たようなもんだね」
「光樹も逢ったって言ってなかった?」
「うん。変わってたよー」
「元はえらそうだったんだっけ」
美静はそうカップを持ちあげ、「碧織にね」と光樹は瞳を記憶に浮かせる。
「僕にはそうでもなかった。碧織にはきついこと言うんだ」
「碧織くんを打ちのめすって並大抵のことじゃねえよな」
七夏のつぶやきに、「同感」と拓音は笑い、「ていうかね」と光樹が口を挟む。
「碧織は珠生のおかげで打たれ強くなったとこもあるよ」
光樹が三人に珠生の情報を流すあいだ、僕ははじけそうなウインナーや瑞々しいレタスを噛み、路地裏や数日前の珠生を想っていた。
珠生は嫌いだ。けれど、あの彼を悪意で吹聴することはさすがにできなかった。あの珠生はとても陰口として余興にできるものではない。光樹とふたりのとき、相談としてまじめに話したほうがいいだろう。
ふだんは容赦なくしゃべってしまう僕が言いよどんだので、光樹もそれを察したのか、「まあ僕は碧織がイジメられてなきゃいいよ」と言う。僕が微笑み、「それは平気」と返すと、その話はまとまってしまった。
男娼たちが買われてにぎやかさが落ち着いていく店内で、僕たちの話題は僕の夏乃の愚痴から女のことに移った。この中で穏やかに恋愛をしているのは、拓音だけのようだ。僕はあの通りだし、光樹は例の女の子と煮え切らない距離を埋められずにいる。美静ははなからひとり身で、七夏は互いに本気ではないのだそうだ。「いいなあ」とみんなで拓音を見て、彼を臆させていると、「光樹くんだっ」という無邪気な声が自動ドアの開く音に重なった。
「やっほー」と光樹は振り返って手を振り、かわいいというより幼いその男娼は笑顔でぱたぱたと駆け寄ってきた。僕は席を立ち、「ここに座りな」と彼に席を譲る。「わあい」と彼がそこに座って頼さんにミルクセーキを注文すると、「いいかな」と断って光樹がいた美静の隣に食べ物ごと移動した。
「碧織くんといる光樹は近くても、ほかのといる光樹は元はこっちの奴なんだなあって感じ」
確か売り出し中のその男娼に、「お客さんついてきた?」と訊く光樹を眺め、コーヒーを飲んだ七夏はそう言った。残りのふたりもうなずき、「そう?」と僕ははみでたレタスからホットドッグに食らいつく。
「碧織くん以外のこっちの人とは、僕たち、あんまりしゃべらないんだ。それで、ほかの人は光樹だけの交遊なんだなあってなる」
もぐもぐとしていたホットドッグを飲みこみ、そっか、とうなずく。すると、美静と七夏が読んでいた雑誌をめくっていた拓音が、「あ」と声を出した。
「これの来月号に、インディーズ特集でXENONが載る」
「マジ」と七夏が反応し、「そんなの書いてた?」と美静も雑誌を覗きこむ。僕も見てみたが、キセノン、なんて文字はない。「どこ」と訊くと、XENON、がそうなのだそうだ。「買わなくちゃ」と美静が彼にしては色めいて待望する。
「次のいつ発売」
「来月の七日」
「買ったら読ませて」
「うん。めずらしいね、XENONがこういう取材受けるの」
「そういや、十二月にXENON来るんだよな」
「え、ほんと」
「こないだ張り紙が出てた」
拓音の情報に、「チケット欲しいなあ」と美静は誌面を見つめる。三人は雑誌を覗いてXENONとやらについて話し、不案内でついていけない僕は、ホットドッグの体積を減らすことになる。
いつのまにか隣のテーブルには、もうひとり男娼が立ち止まっていた。僕も僕以外の人と話す光樹を見ると、わずかばかり遠さを感じなくもない。僕には光樹以外にはまともに友人がいないせいだろう。
七夏と拓音がページをめくって話を移すと、美静は僕の隣に帰ってくる。放ったのを詫びる美静に、僕は微笑んでかぶりを振った。
「XENONって、みんなの神様だっけ」
「うん。特に僕のね。っていっても、歳はいつつも変わんない」
「きついんだよね。ヘヴィロック」
「そこが好き。僕たちのバンド名も、XENONの曲から来てるんだ」
「あ、そうなの。ファントムリム」
「神経症の一種なんだ。事故とかで脚とか腕を切断して、もうないはずの手足に痛みを感じるって」
「意味深」
「そのXENONの曲ではね、心を切断してるんだ。痛いぐらいなら心なんかないほうがいいって。それでもまだ胸のあたりが痛い。空っぽが痛いんだ」
僕は美静を見つめ、「僕たちみんなそんな感じでしょ」と美静はそよ風みたいにごくひかえめに咲う。淡い茶色の髪は地なのでけばけばしさはないし、軆つきも四人の中でもっとも中性的だ。装飾もないし、この人は繊細や穏和という言葉がふさわしい。けれど、やはりその物静かな瞳には虚ろな影があり、それが空っぽにした心の表出なのかな、とちらりと思う。
「僕が提案したんだよね。みんなにその曲聴かせたら、みんなも共感して。XENONに許可ももらってる」
「知り合いなの」
「ううん。XENONってメジャーに行く気ないんで、アンダーグラウンドに全国のライヴハウスをうろうろしてるんだ。この街に来るときもあって、それで鉢合わせたときに」
「怒られなかった」
「怒られるかな、と思った。それがバンドの趣旨を表わしてるなら好きにしろって。ころころしてたバンド名が、ファントムリムに落ち着いてきてたんでほっとしたよ」
美静は柔らかに含笑し、ミルクティーについてきたらしいブラウニーを食べる。
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