虚ろな黒
「僕が十六のときに、XENONがインディーズでアルバム出してね、それで偶然XENONを知ったんだ」
「アルバム出してるんだ」
「うん。ファントムリムはその次の年に出たセカンドに収録されてる。そっちでは英語表記。音楽性とか歌詞にも惹かれたけど、僕はXENONのバックグラウンドに一番惹かれたんだよね」
「イジメしてたんだよね。光樹に聞いた」
「ベースの要さんがね。みんな隔離教室っていうので出逢ったんだ。問題あるんで、一般教室を切り離すって」
「美静がイジメやってた人を支持するって不思議」
美静は虚ろな瞳と調和しない優しい笑みを唇に浮かべ、「そうでもないよ」と穏やかに言う。
「僕みたいな奴なんで、要さんみたいな人に憧れるんだ。僕だって、なれるものなら要さんの側に立ちたかった」
「髪のせいなんだっけ」
「うん。くだらないよね。母親が赤毛っぽくてね、その遺伝。で、黒くない、みんなと違うって責められてエスカレートして。三年生のときかな。髪はただの切っかけだったんだ。追求できる糸口があれば、誰だってよかった」
「外っぽいよね」
「ほんと。でもあの頃はすごくこの髪がつらくて、何やったって真っ黒にしたかった。墨を塗りつけたこともある。髪が黒かったって、どうせ続く域に達してたのにね」
美静は壊れた感覚でおかしそうに咲い、くせ毛っぽさが柔らかそうな髪を揺らす。
「家はよかったんだよね」
「うん。けど言えなかった。幸せすぎたんで、そんなの持ちこめなかった。言ったところでどうなるんだろうって思ったし。登校拒否したって、日中ずっと家にいることで、自分はああいうのをされるから今ここにいるんだって、学校でのことが頭にちらつきそうだった」
「今は分かってもらってんだっけ」
「光樹が勧めてくれてね。味方にできる家族なら味方にしておいたほうがいいって。両親もね、バカみたいにぜんぜん気づいてないことはなかったんだ。僕が何も言わないんで、立ち入るべきか切り出せなかったって」
ファントムリムのメンバーはみんな血に忠実だけど、そうなってうなずける快適な家庭に育ったのは美静ひとりだ。僕は美静本人や光樹にその愛情にあふれた家庭の様子を聞くと、鼻で嗤いはしなくても、果てしなく遠く感じる。
「光樹がかっこいいって思ってたんだよね」
「うん。中学になっても変わんなくて、二年生でおんなじクラスになって。僕がいっそそうなりたいって思ってるのを、飄々とやってた。イジメはしてなかったけど。光樹が僕に声をかけてくれたんだ。午前中に帰ろうとしてて、僕がいいなあって見てたらこっちに来て、『一緒に帰る?』って」
思わず咲い、「そういうのって変わんないね」と自分と光樹の始まりも、光樹が普通に話しかけてきてからだと話す。当の光樹は隣で自分のうわさに仏頂面で、「褒めてるんだよ」と僕は幼なじみをなだめた。
「美静が初めに音楽にいたんだっけ」
「父親もギター弾くんだよ。趣味で、アコースティックだけど。ギター弾いたり、曲作ったりするのはずっと僕のはけ口だった。あんなのされるようになってからは、特にね。あの頃作った曲は、さすがに光樹にもあげられないな」
「え、何で」
「僕の情念が強すぎるんだ。光樹の気持ちを乗せにくいと思う」
「自分で歌わないの」
「いや、それは。光樹の声が綺麗だなあとは思ってて、自分では歌いたくないんで引きこんだんだ。光樹が切っかけで、学校一危険だったふたりとも仲良くなれて。七夏と拓音もかっこいいなあと思ってたよ」
「そうなんだ」
「変わってるよね。そんなのされたら、普通は暗黒面にいる人は怖がって嫌悪する。僕はうらやましい。要さんがイジメた相手は、自殺したんだ。僕はそれに軽蔑を感じない。僕もできれば、あの人たちを踏みつけて、殴って、自殺させたいって、そう思う」
きつい言葉を静かな口調で並べ、美静はエレキギターをあやつる綺麗な長い指をカップの把手に絡める。冷めているだろうミルクティーに唇を浸す彼を見つめたあと、僕はウインナーのしっぽとパンのみになっているホットドッグを口に押しこんだ。
「光樹みたいに、僕も家族にはよく会いにいくんだ」
「仕送りもしてもらってるんでしょ」
「うん。僕の親は音楽やるのを理解してくれてるしね。やりたいと思うことがあって、それが生きる気力になるならやりなさいって。でね、実家の場所は生まれて以来変わってないんで、同級生に遭うんだ。去年かな、僕がここでバンドやってて、けっこう売れてるのをその人は知っててね。友達みたいにしてくるんだ」
美静は小さく咲い、僕は砂糖がぬるく沈殿しないうちに紅茶をすする。
「僕を殴った手で、馴れ馴れしく肩に触ってくる。『あの頃は君を勘違いしてただけ』って」
僕は美静を見た。美静はミルクティーの水面を見ている。
「……ムカつくよね」
美静は一瞬瞳をブラックホールほど虚ろにさせ、すぐに僕に微笑んだ。僕はそれをどんな表情にもまとまらない顔で見つめ返し、ただうなずいた。
飲みほした紅茶のカップの底に、ぼんやり自分の目尻の切れこんだ目を見つける。美静はミルクティーの水面で自分の目をどう見たんだろ、と何気なく思い、口に出せないまま消えた。
「僕たちの中で一番危険なのって、美静なんだよね」
僕が近くの喫茶店へ行くのに立ち上がった零時十五分前、四人も席を立って彩雪に帰ることにした。美静と七夏と拓音は、人混みにはぐれない程度に前方に離れている。僕と光樹は並び、やりあう三人をイルミネーションに見ていた。
人混みがあっても風は冷たく、香りを奪うその流れが頬に深く感じられる。雑音は相変わらずで、三人の声が聞こえないようにこちらの声もあちらには届かない。風に橙色をなびかせながら、光樹は低く静かにそう言った。
「はっきり憎悪を抱えてる」
「拓音もでしょ」
「拓音は実の両親で家庭に愛情が存在できるのも知ってる。美静は学校に対して、百パーセント憎悪だよ」
僕が視線を向けても、光樹はかすかに睫毛を傷ませるだけで、ほぼ無表情に三人を見つめている。
「美静には完全に空っぽになったとこがあるんだ。僕とか、拓音とか、七夏には、かなり引っくりかえされたけど、底のほうにちょっと残ってる。美静にはそれがない」
「けど、光樹たちがいるよ」
光樹はかすんでいた瞳を僕に向けた。僕の瞳をまっすぐ受けると、瞳に豊かさを取り戻す。笑みのまま首を垂らしてうなずき、「そうだよね」と顔を上げた。「ほんとに怖いのはひとりぼっちだよ」と僕は言い、「僕は碧織にもいるからね」と光樹は僕を肘で小突く。僕は咲ってやりかえしながら、脳裏の片隅にくすんだ黒髪をよぎらせていた。
別れ際の喫茶店の前では三人とも挨拶し、今度のライヴの日時も確認しておいた。四人を見送ると僕は店に入り、五分後に客と落ち合ってモーテルにしけこむ。そのあともうふたり客を取ると、僕はだいぶ寝坊するようになった日の出の中、六時頃に帰宅した。
毬音は今日も絵を描いていた。夏乃はいない。毬音が殺しているのは、今日は誰でもない人のかたちだ。
閉まっていないカーテンが吸いこむ朝陽の気配に、フローリングに流れる焦げ茶の髪がきらめきかけている。僕は眠たい目をかばってカーテンを閉めた。
怪我も治って回復しつつある顔を、毬音は僕へとねじまげる。僕は毬音のかたわらに寝転がると、じかの床に骨を痛めた。
「夕飯食った?」
「ううん」
「食べる?」
「うん」
「休んでからな」
毬音は答えずにスケッチブックに向き直った。ぼうっとした頭に鳥の声も遠く、静かだ。そういや虫の声がなくなってるな、と思う。
いっとき腰を休めてシャワーを浴びた僕は、豚肉を生姜で焼いてキャベツを千切りにした。味噌汁もこしらえると、ごはんは昨日の残りがある。毬音のぶんも盛ってやると、僕たちは床で夕食を取った。
片づけをしてふとんに仰向けになると、僕は煙草をくわえて住宅情報誌をめくる。浴室から毬音が帰ってくると、雑誌は閉じて煙草もつぶした。
「毬音」
「ん」
「お前、将来淫売にならないとか言ってたな」
「ならないよ」
「じゃあ、学校どうすんの」
冬物のふとんにもぐる毬音が、こちらを向いた音がした。僕も防虫剤のにおいが残る冬ぶとんをかぶり、薄暗い空を見ている。
「行かなきゃいけないの」
「外に行くんだろ」
「外に行くかは分かんない」
「ふうん。学校って知ってる?」
「パパと反対のとこでしょ」
「どういう意味だよ」
「自分で決めなさいっていうのがないの。みんな一緒」
「……まあな」
室内には、煙草の残煙より僕の香水より、僕と毬音の同じシャンプーの匂いが強い。身動ぎすると、香水の落ち着く匂いを嗅げた。
「行ったほうがいいの?」
「お前が堅気でやりたくて、行きたいなら行けばいいさ」
「ここ学校あるの」
「この街の学校はまともじゃないと思うよ。もし行くなら、もらわれっこになって外の学校に行くんだな」
「もらわれっこ」
「僕はついていかないよ。弓弦あたりが、いい里親を捜し出すさ。あいつも喜ぶだろ」
「もらわれてほしい?」
「お前の好きにさせてるだけだよ。やっぱりやだって思えば、僕んとこに帰ってきてもいいし。十五歳までならな」
毬音は僕の頬に瞳をとめていて、僕は白い天井に細目をしている。毬音の視線がどこかに移ったのが、軽くなった頬と身動ぎの音で分かった。放置したような沈黙が流れ、「行きたくなったら言う」と毬音は言った。
「うん」
「今はいい」
「うん」
毬音は何か続けそうだったが、緘黙してごそっとふとんにもぐりこんだ。僕も眠気に腫れるまぶたをおろしていたわる。
まあ、学歴など無意味な裏社会の仕事は、淫売ひとつでもない。僕にも毬音が娼婦になるかは謎だ。堅気にはならない気がする。この小娘は、僕や夏乃によって、闇で平均台を渡りきる洗礼を受けまくっている。
毬音の巣立ちは、絶縁と同義語だ。こいつが何になろうと関係ないか、と僕は案じを切りあげると仰向けを横向けにする。そして、まくらに染みついた匂いに顔を伏せると、体温に温まったふとんに力を抜いた。
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