愛してないけど
夏乃が帰ってきたのは、売ったサファイアで滞納を埋めた三日後だった。
五時半過ぎの明け方、僕は買ってきたファーストフードのハンバーガーを毬音と食べていた。温もりを残すナゲットをつまんだところで、ドアを蹴る音がして、僕と毬音は顔を合わせた。
が、無視して食事を続けていたら、今度は殴る音がした。なおも無視していると、「いるのは分かってんのよっ」と金切り声が聞こえ、僕はしぶしぶハンバーガーを置いて立ち上がった。
「鍵あるだろ」
蒸した玄関でドアを開けた僕は、そんな開口と共に渋面を作った。背中に伸びる波打つ髪をはらった夏乃は、「失くしたのよ」とSMっぽいブーツを響かせて玄関に踏みこむ。茶色のベロアのノースリーブ、赤い革のミニスカート、首まわりや指先の貴金属がうるさい。
「どこで失くしたんだよ」
「知らないわ」
「男に盗まれたんじゃないだろうな。変な泥棒が来たら、お前のせいだ」
「何であたしのせいなのよ。あんたがあたしをすぐ追い出すんじゃない」
「お前が勝手に出ていくんだろ」
「出ていきたくさせるのはあんたよ」
「じゃあ始めから戻ってくんなよ、このゲス女っ」
「新しい男ができたら、こんなとこすぐ出てやるわっ」
「どうせなら長続きする男とくっつけよ。二週間に一度は帰ってくるじゃないか。まあ、お前なんかと長くいられないのは、僕がよく知ってるけどなっ」
そのとき、ばたんっと室内からドアを閉める音がした。僕と夏乃はそちらを向く。また、毬音が空き部屋に行ったのだろう。
僕はこまねいて、汚い文句をねじこむと、息をついた。夏乃は、アイシャドウにアイラインにマスカラまで入った、どぎつい目を眇める。
「まだ捨ててないのね」
「お前が捨てなかったんだろ」
「あたしはあんたに捨てたわ」
「じゃあ、僕の勝手じゃないか」
「いつか手え出す気なのね」
僕は夏乃のファンデーションがたっぷり塗られた頬を引っぱたき、冷房のきいた奥に行った。指先に夏乃のくせのある香水がなびく。僕はこの香りを、蛍華さんの匂いとは違うという理由で、ぎりぎり許している。
朝陽が射しこみかけたリビングで、毬音はハンバーガーと共に消えていた。僕は床に座ってハンバーガーを持ち直し、夏乃は玄関でごそごそしたのちやってくる。
夏乃は床に札束を放った。ブーツに入れてきたものだろう。下着やスカートのウエストからも、いろいろ出てくる。小さな紙切れが出てきて拾うと、素早く奪われた。僕は薬はほとんどしないが、夏乃はよくやっている。
夏乃は、僕よりみっつ年上の娼婦八年生だ。吊った目と眉は、化粧で強調せずともきつい。髪は茶色に脱色されて、毛先は巻いている。美人だが、それを化粧で台無しにしている。美人はしつこい化粧をしないほうが美人だ。肢体はすらりと白く、量感も申しぶんない。縄張りが違うので詳しく分からなくても、購入してくれる男に不足はしていないだろう。
男娼をやめて、ヒモでもやろうかとグレていたとき、あさった女の中に夏乃はいた。たくさんの男に愛されるのが好きな僕は、女にあまり欲求を燃やさない。男とばかり接し、女の血の匂いにも敏感になっている。生理に限らず、女は何だか変な匂いがする。ゲイになったわけではないと思う。僕の性は、本能より男になじみすぎているのだろう。
ハンバーガーのふくろを空にすると、僕は口元についたケチャップを舐めた。口直しにアイスカフェオレを飲む。僕はコーヒーの苦さがいくつになってもダメだ。
外ではすずめの鳴き声に混じり、蝉の鳴き声が目覚めはじめている。持ち帰ったものを部屋のあちこちにしまう夏乃を横目に、床に散らかった夕食を片づけた僕は、押しいれのふとんを床に引っ張り出した。
電燈と冷房を消し、毛布はかぶらずに敷きぶとんに仰向けになる。蝉の声が反響し、眠りの糸口がうまくつかめない。カーテン越しにも夏の強い太陽が天井に映し出され、それに目を細めて煙草を吸っていると、シャワーを浴びた夏乃が戻ってきた。
「お顔に火傷するわよ」と濡れた髪を縛る夏乃は言い、僕は鼻であしらって、まくらもとの灰皿に灰を落とす。汗が浮かびはじめていても、冷房をつけて寝ると、睡眠薬を飲んで寝たように起床が速やかにいかない。寝るに限る、と煙草をつぶしてうつぶせになると、夏乃がかたわらに座った。
「ねえ」
「ん」
「あんた、最後に女と寝たのいつ?」
「お前とが最後だよ」
「あんた、ホモでしょう」
「何でホモが女に勃起するんだよ」
「じゃあ、男とばっかりで溜まってない?」
夏乃に尻目をした。夏乃は瞳と唇を濡らしていた。この女の欲情原理は僕には謎だ。「淫乱」とつぶやいて身を丸めようとすると、夏乃は僕におおいかぶさってくる。
「あたし、あんたは嫌いだけど、あんたのセックスは好きよ」
「ふうん」
「あんたのっていやらしくないもの。女を性的に見ないの」
「男にはすごい流し目するよ」
「あんたはそのへんの男とは違うわ。セックスだけね」
「眠いから、勝手に使って」
そう仰向けになると、夏乃は僕の服を脱がして自分の肌も剥いた。僕は夏乃のさらされた軆の線を眺める。僕にとって、女の軆は男娼生活でよけいに不思議だ。柔らかで、しなやかで、危うい曲線は絶妙を描がいている。肌にこすれる肌が自分とは違うことに、僕の股間は理由もなく昂ぶってくる。
勝手に使って、と言いながら、結局僕は夏乃の誘惑に応えた。貪欲な口づけをかわし、乳房を舌でいたぶりながら尻をつかむ。血液が熱くめぐったもので、僕は彼女の中に押し入った。女の匂いが吐きそうに迫り、あえてその濃密な腐臭を吸いこんで、自分の中の男を感じる。揺すぶるように彼女の中を彷徨い、やがて僕は、膣の痙攣に誘われて射精した。
僕と夏乃はいつも生だ。妊娠すれば今度こそ堕ろせばいいと思っている。毬音で子供には飽き飽きしている夏乃は、傷めつけてとっとと子宮をダメにしたいのだろう。
愛がないので事に余韻はなく、終われば互いに相手を突き離す。荒くなった呼吸が落ちつく頃には、僕も夏乃も汗にまみれる全裸のまま、眠りに落ちていた。
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