さらされたとしても
がつんと頭を襲った混乱に、一気に視覚も体温も真っ白になった。僕と深実くんの写真? 何の? 新聞部の人がSNSにアカウントを持っていて、よく書けた記事をネットに上げたりするのは知っている。その記事が、内輪ネタとしてながら妙に拡散される場合もあるのも知っている。でも、ただ僕と深実くんの写真を載せたって──
そこまで思い、今日、深実くんと手をつないできたのを思い出した。
まさか、あれを撮られた?
だとしたら、話は違う。何で、今日に限って。あるいは、そういう場面を狙っている人がいたのか? そんな。また騒ぎ立てられる。僕は知れたことだからまだいい。でも、深実くんは──
茫然と落としかけたスマホを握り直し、深実くんのトークルームを開いた。通話をタップしようとして、指を引っこめる。しかし、息が浅くなっているほどなのに、メッセに文章をまとめるなんてできそうにない。
どうしよう。謝るのか。せっかく確認した、僕たちのつながりを。
いや、分かっていたではないか。僕は迷惑な奴なのだ。深実くんは僕のそばにいると言ってくれたけど、これはその約束を受け入れるのは驕りだという戒めなのかもしれない。僕の周りにいると、深実くんに迷惑がかかる。勘繰られはじめる、あいつもホモなんじゃないかと。
深実くんに僕のような想いはしてほしくない。大切な後輩なら、それこそ巻きこんではいけないのではないか?
ダメなのだ。僕はやっぱり、ひとりでいないと。深実くんに嫌われないためには、離れておかなくては──
そのときだ。突然スマホに着信がついた。はっと画面を見ると、『深実くん』と表示されていた。
心臓がざわつく。何。何を言われる? とっさにそんなビビった考えがよぎる。
だが、悪いのは僕だ。僕が深実くんに、そばにいることを警戒させなかった。責められても仕方ない。
こわごわ、通話のほうにスワイプする。そして、スマホを耳に当てた。
「深実く──」
『先輩、いきなりすみませんっ。話があって』
「……あ、えと。写真のことなら」
一瞬、息をのむ沈黙が置かれる。
『見た……んですか?』
「ううん。壱野くんから聞いただけ」
『そう、ですか。俺も、人に言われただけですけど……本当みたいですね。本当にすみません』
「な、何で、深実くんが」
『俺が手つなぎたいとかわがまま言ったから。先輩は、周りから一気に責められるなんて、もうされなくていいのに。俺はいいけど、先輩が心配で』
「………」
『ほんとに、ごめんなさい。俺のせいです。明日だけ、学校休めますか? 俺がどうにか話つけておくので』
「み、深実くんひとりでそこまでしなくていいよ。僕だって悪いんだ。僕がゲイだってことをみんな知ってる、っていう危険をちゃんと言ってあげなかった」
『危険なんかじゃないですよっ。俺は先輩に仲良くしてもらえて嬉しかったし』
「僕といたせいだよ。僕みたいにカミングアウトしたわけじゃないのに知られるなんて、ほんとにつらいんだよ」
『俺は、』
「だから、距離置こう」
『………、』
「離れておいたほうがいいんだよ。僕に言い寄られて困ってたとか、言っておいていいから」
『先輩……』
「深実くんに傷ついてほしくないんだ。そのためには、」
『俺はっ』
思い設けない深実くんの語気にびくんと口をつぐむ。深実くんは続けた。
『俺は先輩のそばにいますっ。そんな、ひとりで抱えこまないでください。先輩に距離置かれたら、俺だって、またひとりなんですよ』
「あ……、」
『先輩のことも、ひとりにしたくない。だから、何言われても平気です。周りがどんなこと言っても、俺は先輩といますよ』
「深実くん──」
『大丈夫です。写真のことでは俺は傷ついてません。心配なのは、先輩が傷つかなかったかなって、それだけです』
「……僕も、深実くんに迷惑かけちゃったって。嫌われる……って、思って」
『そんなことありません。それに、さっき危険って言ってましたけど、そんなのとっくに覚悟してます。みんなに知られてもいいから、それでも先輩と一緒にいたいんです』
視界がゆらゆらしたと思うと、頬に雫が落ちていった。
どうして。どうしてこの子はこんなに僕に優しいのだろう。僕を何より思いやって、包みこんでくれる。
ずっと、鈴里が好きだったくせに。鈴里以外なんて考えられなかったくせに。何だか心が揺れて、期待のようなものがこみあげてくる。もし、深実くんとつきあったら、それは幸せだろうと思う。
『先輩』
「ん……うん」
『明日、学校来ますか?』
「うん……行くよ」
『じゃあ、先輩のことぎゅってしていいですか』
「えっ」
『そのときに泣いてください。そばにいないのに先輩が泣いてるのは、何か俺も泣きたいです』
「深実くん……」
『俺が先輩を守ります。だから、大丈夫ですよ』
僕は鼻をすすって、何度も「うん」と答えた。深実くんは柔らかな声で僕をなぐさめてくれて、すっかりどちらが年上なのか分からなかった。
ずいぶん夜が更けてからようやく通話を切った。ため息をつき、宿題やってない、と気づいた。まだしばらく、耳元の深実くんの声の余韻に浸っていたいけど──もらった力強い言葉を思い返し、「よし」と僕は心が安定すると宿題に取り組むことにした。
翌朝、生徒がざわめきはじめる前に学校に着くように、早めの電車に乗った。スマホを握りしめているのは、深実くんも早く家を出て、学校で僕と落ち合おうとしているからだ。朝起きたら、『始業前に会いたいです。』とメッセが来ていたのだ。電車はいつもの満員電車に較べたら楽で、深実くんとメッセでやりとりした。最寄り駅に先に着いたのは深実くんで、僕もあと二駅で最寄り駅だった。『改札で待ってます。』という深実くんのメッセに、『じゃあ、またあとで。』と返して僕はスマホをポケットに入れた。
車内に制服すがたもまだそんなに見受けられない。今のうちに学校に行って、松瀬先生に事情を話せば、とりあえず新聞部に写真を削除するように言ってくれるだろう。そして、深実くんのことも気にかけてもらえるように頼んでおこう。
暖房のきいた電車を降りると、冷たい風が急に吹きつけてきて首をすくめてしまった。小走りにホームを抜けて改札に向かうと、切符売り場のかたわらに深実くんがいるのを見つけた。ICカードで改札を通って、「深実くん」と駆け寄ると、顔を上げた深実くんも僕に近づく。
「先輩」
「ごめん、けっこう二駅長かったね」
「いえ、ぜんぜん。すみません、こんな時間から」
「大丈夫だよ。みんな来てから学校行くのも怖かったし」
高校の方向に足を踏み出し、深実くんは隣に並ぶ。冷え切った風が体温を急速に奪っていく。
僕は深実くんに、松瀬先生に話して新聞部に掛け合ってもらうのように頼むのを伝えた。深実くんはうなずきながらも、どこか上の空だったので、「先生とは協力したくないかな」と気にしてしまう。
「あ、いえ。そうじゃなくて」
「ほんと?」
「………、昨日、先輩と通話したあとなんですけど」
「え、うん」
「例の、親友からメッセが来てたんです」
「えっ」
「『写真見たけど本当なのか』って」
「───……」
「だから、もう、あいつに見られたなら、見られて困る奴ってほかにいるかなとか。いや、先輩のことでもあるんで、削除でいいんですけど」
「そ、う……」
「あいつには、『明日話すから』って言っちまったんですよね。だから今日、あいつにほんとのこと話そうと思うんです」
深実くんを見上げた。深実くんも僕を見る。怯えて隠れる子供のような瞳だった。
「先輩に朝会いたかったのは、勇気をもらうためだったんですけど。なぐさめてもらうみたいに言ってすみません」
「ほんと……に、話すの?」
「はい。ほかの奴は、うるさくなければごまかしておきます。ただ、あいつには、ほんとの俺を知っておいてもらいたいんです」
「そ、っか」
「怖いですけど。これも、切っかけかもしれないし」
「無理は、してない?」
「拒否られたらショックですよ。でも、隠してるのもつらいから」
「……うん。大事な人なら、そうだよね」
「だから、今日の放課後は、あいつと話すんで保健室──」
「ま、待ってるよ」
「えっ」
「あ、学校出て話すかな」
「いや、校内のどっか適当なところでとは思ってます」
「じゃあ、僕、保健室で待ってるから」
深実くんは僕を見つめて、困ったように咲うと、「ほんとにしますよ?」と言った。
「えっ」
「たぶん、いろいろ我慢できなくなってるから。ほんとに、先輩をぎゅってして甘えますよ」
「深実くん……」
「先輩には先輩の好きな人がいるのに、そんなの、」
「いいよ。ぎゅってしていいから」
「……でも」
「僕も深実くんをひとりにしたくない」
深実くんは唇を噛んで、ふと立ち止まると僕の手をつかんだ。僕の手も深実くんの手も冷たく、特に僕は感覚が痺れている。
「先輩」
「うん?」
「あいつに、話します、けど」
「うん」
「好きだとか、そういう気持ちは言わないと思うんです」
「う、うん」
「だって、何か……もう違うから」
僕は深実くんを見つめた。深実くんは視線をそらし、僕を引っ張って高校への道を急いだ。
好きだとか。そういう気持ち。もう違う。それは──……
高校に到着すると、靴箱で手を離していた僕たちは、職員室に向かった。さいわい松瀬先生のすがたがあって、話も聞いてくれた。「何でこうおもしろがる奴がいるんだろうな」と松瀬先生は苦々しく息をついて、新聞部に厳重注意をするのを約束してくれた。
「それで──この、一緒に撮られた深実くんなんですけど」
「ああ。一年七組の深実だろう」
「えっ、俺のこと」
「白田先生に簡単に聞いてる。それに、直接は受け持ってないが、これでも一年生に教えてるからな」
「あの、じゃあ、深実くんに何かする人がいたときも」
「気をつけておこう。この高校に来てくれたお前たちを、卒業まで見届けるのが先生の仕事だからな」
松瀬先生はにっとして深実くんの肩をたたき、深実くんはやや緊張しつつもうなずいていた。少し心配だったことが、ひとつ解消された。僕が卒業しても、あと一年、深実くんはこの高校に残ることになる。でもひとりにしたくはない。松瀬先生が見守ってくれるなら、僕も心強かった。
それから、僕は保健室まで深実くんに送り届けられた。「親友の子に話すの、頑張って」と人影のない廊下で僕が振り返ると、不意に深実くんに肩をつかまれて、引き寄せられた。
え、と声に出す間もなく、一瞬、ぎゅっとされた。その匂いに心臓が飛び跳ねた僕は、すぐに軆を離されて、ぽかんと深実くんを見上げる。
深実くんは僕に微笑み、「これで頑張れます」と言って身を返していった。その背中を見ていて、とくとくと鼓動が温まって頬がほてっていくのを感じた。
もしかして。そんなことを考えてしまうけど、いや、早とちりだったら恥ずかしい。それでも、もしかして深実くんは──。そして、それ以上に僕は……
本当に「もう違う」のかもしれない、と甘い感覚を残す軆を持て余し、しばらくその場に突っ立っていた。
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