白日の少年-14

光のもとで

 ストーブで暖まってきた頃、壱野くんが保健室にやってきて、すでにあった僕のすがたにまばたきをした。それから、「昨日、返事なかったけど」とめずらしく心配そうに問われ、そういえば深実くんからの着信でそのままになっていたことに気づく。
 松瀬先生に事情を受け止めてもらえたことを話すと、壱野くんは大きなため息をついて、「せっかく友達になったのに、学校来なくなるんじゃねえかって心配したぜー」と僕の肩をばしばしとはたいた。僕は咲って、ひとりじゃない、ということを改めて思い出した。
「ひと言も返事ないから、出しゃばって伝えちまったかとも考えてさ。ずっと落ち着かなかったよ」
「ごめん。深実くんも心配してくれて」
「あ、彼氏くんのほうは大丈夫なのか?」
「彼氏って。うーん、周りの反応に合わせるみたいなこと言ってた。好きな人にはちゃんと話すって」
「カムするってこと?」
「うん」
「彼氏くんとそいつがうまくいって、香河くんとくっつかないと、俺が複雑な心境なんだけど」
「好きだって気持ちは言わないって言ってたよ。その、もう好きな人ではない、みたいなこと言ってた」
 僕の言葉に、壱野くんの目がぱっと色めきたつ。
「それは、香河くんが好きってことでいいのか?」
「いや、それは……」
「そうだよなーっ。そう来るよなーっ」
「わ、分からないよ。そんなのまで言ってなかったし」
「告ったら、確実にOK来そうじゃね? 先輩から勇気出してやれよ」
「えと……」
「香河くんだって、親友のことそろそろ吹っ切れてるだろ」
 どきん、と心が反応する。
 どう、なのだろう。鈴里のこと。鈴里を想うと、苦しいほどどきどきしていたのに、もう心はそんなふうには動かない。嫌いになったとかではないけれど、あんな無重力には包まれない。想っていてふわふわするのは、今は──
「単純、じゃないかな」
「ん、何が」
「あんなに鈴里が好きだったのに、優しくされたら簡単に深実くんとか」
「親友には振られてたから問題ないだろ」
「そ、かな」
「誰だって、一緒にいて幸せな奴のほうに惹かれるだろ。彼氏くんといるときの香河くん、親友の話してくれたときより明るくて幸せそうだよ」
「……うん。深実くんと話したりするのは、楽しい」
「じゃあ、いいじゃん。好きになってもいいんだよ」
 僕は壱野くんを見つめた。好きになってもいい。そうだ。不毛に鈴里にしがみついておく必要はない。ほかの人を好きになっていい。だったら、深実くんのこと──
「すごく……好きになってるかもしれない」
 壱野くんは笑顔になって、「それでいいんだよっ」と僕を小突いた。
 鼓動が春めくみたいに鮮やかに動く。好きになっている。そうだ。僕は深実くんが好きになっている。鈴里のことを終わりにできている。
 それはつまり、鈴里を直視できるようになっているということで──
「僕も……」
「ん?」
「僕も、鈴里と話してみようかな」
「え」
「鈴里への気持ちが終わったなら、ちゃんと鈴里の目を見て話せるかもしれない」
「ま、そう思うならやってみてもいいんじゃね」
 僕はこくりとして、沸き起こってくる決心を固めていく。鈴里と話す。あのクラスを訪ねる。クラスメイトにされたことがよみがえって怖くなったけど、首を振って気を強く持った。
 僕も頑張る。深実くんも、頑張って親友の子と話すのだ。僕だって、ぎゅっとしてもらって勇気になったから、今日思い切って鈴里と話してみよう。
 今日の保健室は、テストが近いせいで、範囲を訊いたりプリントを回収したりする生徒の出入りがあった。白田先生はその相手をして、壱野くんはこの一年で自分で作ったまとめプリントを見返したりする。僕もそのプリントを貸してもらって、ノートに要点を写しつつ、昼休みにはあの教室に行こうと内心決めた。
 騒々しいあいだに四時間目まであっという間に過ぎ去り、僕はお弁当をテーブルに出して、「帰ってきたら食べるね」と壱野くんに言い残して保健室を出た。
 生徒がこんなに行き交う廊下を歩くのは久しぶりだ。高い笑い声だけでびくっとしてしまう。決心したとはいえ、胸のあたりに濃霧が噴き出している感じがあった。
 クラスメイトに何か言われるかもしれない。鈴里は話をしてくれないかもしれない。うまくいかないかもしれない。
 けれど、僕はひとりじゃない。保健室に行けば壱野くんがいるし、放課後には深実くんに会える。
 自分に言い聞かせて、階段をのぼり、ついに教室の前に到着した。
 搏動がちぎれそうに脈打つ。指先も息遣いも震えている。
 怖い。それでも、僕は──!
 扉をすべらせた。にぎやかだった教室が止まった。ついで、こちらにみんな集中してきた。視線が肌に刺さる。しかし僕は顔を上げ、教室を見まわした。
 水内。いる。舞根。いる。鈴里。──いる。
 僕は深呼吸して、鈴里に視線を据えて口を開いた。
「鈴里。少し話せる?」
 視線のいくらかが、鈴里に流れる。咬みつくように何か言ってくる人はいない。僕の席は、あの窓際の一番後ろの空席だろうか。そんなことを思っていると、がたんと鈴里が席を立ち、教室はささめき程度の話し声を取り戻してくる。
「……久しぶり」
 僕の目の前にやってきた鈴里は、気まずそうにそう言った。どきどきは、しない。けれど、やっぱり、胸が疼くような感じはある。それでも、「久しぶり」と返した僕の声は冷静だった。
「ずっと、会えてなくてごめんね」
「あ、……俺こそ」
「避けてたんなら、こんなふうに会いに来てごめん」
「いや……いいよ。話って」
「そろそろ、普通に話せるかなと思って」
 鈴里は視線を伏せていて、僕を見ない。だから、その心も読めない。
 何から話せばいいのだろう。自殺未遂までしたこと? 今は保健室登校をしていること? もう鈴里にそんなつもりはないこと?
 いや、そんな皮肉めいたことじゃなくて──
「写真、見たよ」
 不意に鈴里が口を開き、僕ははたと顔を上げる。
「えっ」
「新聞部の」
「あ……、そっか。いや、それの言い訳に来たんではないよ」
「そう、か」
 鈴里はうつむいたまま、僕と目を合わせない。僕は決心がついた。とはいっても、鈴里はまだ違うようだ。今このときも、僕を気持ち悪いと感じているのかもしれない。
「鈴里」
「……うん」
「僕、鈴里とは、仲直りしたいって思ってるんだ」
「えっ」
「鈴里とこのまま他人になるのは嫌だ。応えてほしいってわけじゃない。僕も今は、鈴里に対してそういう気持ちはない。それでも僕たち、親友に戻れないのかな」
「夕絽……」
「ずっと仲良く育ってきたのもいらなくなるくらい、鈴里はもう、僕が気持ち悪い?」
 鈴里は一瞬、こちらを見た。僕はそれを見つめ返した。その途端、鈴里は泣きそうに顔をゆがませ、目をこすってから首を横に振った。
「鈴里──」
「ごめん」
「えっ」
「ごめん、夕絽。ひどいことしたのは俺のほうなのに」
「鈴里……」
「どうしたらいいのか分からないからって、何でもやっていいわけじゃなかったんだって、すぐ分かったんだ。でも取り返しつかなくて、いまさら忘れてくれってクラスのみんなに言って、かばう勇気も出なくて。夕絽ひとりばっかり傷つけた。俺のせいだ。全部」
 何とか涙が落ちないようにする鈴里を見つめ、鈴里もまた、ひとりで苦しんでいたのが伝わってきた。
 そうだ。鈴里に悪意がなかったのは分かっている。鈴里は、親友と思ってきた同性からの愛情に混乱して、誰かに相談したかっただけなのだ。
「夕絽と今まで通りでいたいのは、俺のほうだ。でも、俺は夕絽の親友の資格なんてないよ」
「そんなことないよ。僕こそ、混乱させてごめんね。鈴里がいい奴だからそういう感情を持っちゃったけど、もう大丈夫」
「うん。ごめん、夕絽。──みんなも。夕絽に告白されたことが悪かったんじゃない。あのときはうまく言えなかったけど、どうやったら夕絽と友達でいられるかなって、俺はそれをみんなに訊きたかっただけなんだ」
 鈴里の言葉に、教室の中では、目を交わしたりうなずきあったりするクラスメイトが現れる。
「香河くん、教室に戻ってきていいと思う」という女子の声がした。その声を皮切りに、こちらに駆け寄ってきたり、「不登校がいるままクラス替えとかやっぱ嫌だしな」と言ってくれるクラスメイトが騒ぎはじめる。
 中には冷たい視線もあったけど、それ以上に、僕の不在を気にしてくれていたクラスメイトが多かった。やっとこみあげる安堵に、僕が自然と咲ってしまうと、鈴里がようやく僕のことをまっすぐ見てくれる。
「咲わなくなったから」
「え」
「俺のせいで、夕絽、ぜんぜん咲わなくなってたから」
「……あ、」
「よかった。これからは、またちゃんと、俺が夕絽のこと守れるように頑張るから」
「ううん。いいよ、もう守られなくてもいいんだ」
「でも」
「守ってくれる人、ちゃんとできたから」
 鈴里は僕を見つめた。僕が照れ咲いすると、伝わるように鈴里も咲って、「紹介しろよ」と言ってくれる。それは一番の友情の言葉で、僕はうなずくと、もう一度笑顔になった。

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