コーヒー&ミルク-1

言えない恋

 幼なじみの泰人たいとに初めて彼女ができたのは、高校一年生の夏休みだった。
 バイト先のファミレスで、同僚の三歳年上の女子大生に告られたらしい。「泰人はその人が好きなのか」と確かめると、「憧れで想像さえしてなかったレベルで好きだな」と返ってきた。
 一緒に課題を片づける泰人の部屋で、俺は「ふうん」とだけ答えると、無関心を装ってノートに向き直った。
 泰人に彼女。ちょっと意識がぐらぐらする。好きな女の子の話だけでも、これまでけっこうショックを受けてきたけど。
 ついに彼女。
「何だよ。もっと反応しろよ」
 ローテーブルをはさんで正面にいる泰人は、俺の額を小突いて、顔を覗きこんでくる。どきんとしたものの、それは押し隠して目も合わないようにする。
「どんな反応をしろと」
「そりゃ、『おめでとう』とか『うらやましい』とか『爆発してしまえ』とか」
「爆発で」
「真砂は彼女作らねえの?」
「……別にいらねえし」
「そう言う奴に限って、すでに狙ってる女といい感じだったりするからなー。ま、お前も頑張れ」
 泰人はにっとして、乗り出した軆を引くと、「早く俺も大学生になりたいなー」とか頬杖をついた。その頃には、彼女は大学卒業をひかえていると思うが、まあ黙っておく。
 報告も済ませてご満悦の泰人に、俺はため息をこらえ、こめかみが痛むほど歯噛みする。
 お前も頑張れ、か。簡単に言うけどさ。俺は頑張れないよ。たった今、ガキの頃から想い続けてきたお前を、女に奪われて失恋したんだから。
 そう、生まれたときから同じマンションで、幼稚園のときからつるんできた泰人が、俺はずっとずっと好きだった。
 それが同性愛と知る前から好きだったから、小学校になる前は「タイくんが好きだよ」とかしれっと言っていた気がする。そんな俺に「俺もまーくん好き」と泰人も答えてくれて、それがすごく嬉しかったっけ。
 しかし、いつからかホモとかオカマとかそういう知識がついてきて、俺は泰人に不用意なことは言わなくなったし、泰人も特に俺のラブコールがなくなって気にすることはなかった。
 泰人の初恋は小学校四年生のときで、クラスメイトの道橋みちはしさんだった。そして、それからの泰人の恋愛遍歴を俺は全部知っている。
「俺ばっかり話してるけどさ、真砂もいるだろ、好きな奴」と揺さぶられたことは、一度や二度ではない。これまで、「そういうのあんま興味ない」を押し通してきたが、高校生ともなればそんな言い訳も通用しなくなるなとは案じていた。
 適当に誰かを好きとか言っとくか、と白羽候補は物色していたが、女の魅力が分からない俺は、どの子がいいのか決めかねていた。どういうところが好きかとか、そういう話題になったら俺には何も言えない。泰人が好きになってきた歴代の女の子も、嫉妬をさしひいても、どこがかわいいのかさっぱりだった。
 俺がかわいいと思うのは泰人だ。かっこいいのも泰人だ。魅力的なのも、興味があるのも、どきどきするのも、すべて泰人だ。ほかの奴なんかいらない。
 でも、きっと、泰人は同性の俺にそんなふうに想われるのは気持ち悪いとか感じるわけで。その女子大生が、たとえば「かわいいよね、泰人くんって」とか言えば、どうせ真っ赤になったりするくせに。
「そこ分かんねえの?」
 ふと泰人の声がかかって、俺ははっと顔をあげる。勉強の手がずっと同じ数式の上で止まっている。
「えっ、あ──うん。ちょっと」
 俺の返答に「ここはなー」と泰人は解説を始めてくれて、優しいなあなんて胸がきゅっと痛む。
 俺の気持ちを知らないからなんだよな。知ったら、俺たち壊れるんだよな。もろい絆じゃないはずなのに、信頼のぶんだけ、あっけなくかけはなれる。
 本日ぶんの課題を片づけると、俺たちはリビングに移動してカップアイスを食べた。泰人のおばさんは、泰人はバニラ、俺はチョコという好みも分かってくれていて、どの味がいいとか俺たちは喧嘩にもならない。
 勉強で疲れた頭をアイスの甘さでほぐしながら、夢じゃないな、ほんとに失恋したんだな、なんて改めて認識し、切実に息苦しくなったりする。
 この恋が実らないことは、とうに分かっていた。それでも泰人が俺を見てくれなかったことが哀しい。ほかの奴を見つめるようになったことが悔しい。
 俺が泰人の対象じゃないのは知っていた。なのに、一番近くにいたのは俺だったはずが、本当は一番遠かった真実がつらい。
「泰人」
 窓の向こうが茜色になる頃、俺は「帰るわ」と冷房の効いたリビングを立ち上がった。「おう」と泰人も見送るために腰を上げてくれる。
 玄関先でスニーカーを履くと、俺は泰人を振り向いた。
「ん?」
「ありがとな」
「え、何が」
「………、まあ、彼女のこと話してくれて」
「ああ。いや、真砂には普通に話すよ。ほかにはまだ黙ってるけど」
「え、何で」
「簡単に振られた場合が恥ずかしいじゃん」
 俺は小さく噴き出し、「彼女が告ってきたんだろ」と苦笑いする。
「そうだけど。分かんないじゃん、年上とかさ。ガキだなって思われたら終わるし」
「ガキがいいから、年下好きになるんじゃないの?」
「それ、何か意味違くね」
「はは。ま、泰人はガキじゃないから大丈夫だよ」
「……そう?」
 俺は何も言わずに咲った。言葉にしたら、余計なことまで言ってしまいそうだった。
 泰人はガキじゃない。優しいし。頼りになるし。いつも俺の面倒見てきてくれたよな。だから、好きだったよ。お前のことが、俺はどうしようもなく好きだよ。
 たぶん、世界で一番最初にお前に恋愛感情を持ったのは、俺なのに──
 泰人の家を出て、エレベーターを使うまでもなく、五階から三階に降りると俺の家がある。「ただいまー」と言いながら玄関に上がると、「にいちゃん、おかえり!」と妹の千砂ちさがキッチンから顔を出す。さらに「おかえりー!」とその下の妹の希砂きさも、千砂を真似て顔を出す。
 千砂は中学一年生、希砂は小学四年生だ。法律関係で働く両親は、かなり多忙で、この家は俺たち三人でも成り立つようになっている。もっと幼かった頃には、さすがに家政婦さんが派遣されていたが。協力する場面は多くも、兄妹仲はいたって普通だ。
 カレーの匂い、と思いながら俺はリビングに向かい、ソファにどさっともたれかかると目を閉じた。
 泰人、明日はバイトって言ってたな。ということは、たぶん、彼女にも会うのか。
 どんな女なのかな。いつか紹介されたりするのだろうか。俺、そのとき咲えるかな。というか、明日から、ちゃんと咲えるかな──
 そんな思考に沈んでいると、千砂と希砂は夕飯の支度をダイニングのテーブルに整え、「おにいも食べよー!」と希砂が俺もダイニングに来るようにせっついてきた。俺はまぶたを押しあげ、幼いならではのツインテールの希砂を見つめてから、「はいはい」と立ち上がる。千砂のほうはボーイッシュなショートで、美少女ではないけど、美少年と言ったら何か通用しそうな感じだ。
 テーブルにはカレーライスとポテトサラダ、それからオニオンスープが並んでいた。「何かこないだもカレーだったよな」と俺が席に着く前にグラスにミネラルウォーターをそそぐと、「嫌なら食べなくてけっこうですー」と千砂は脱いだエプロンを自分の椅子の背凭れにかける。
「別に、嫌ではないけど」
「明らかに文句だったし」
「……まあ、今日はサラダ違うんじゃね」
「それはどうでもいいから、食器洗いはにいちゃんね。用意、何にも手伝わないし」
「分かってるよ」と俺は椅子に座り、向かいに希砂、斜め向かいに千砂が座る。「いただきます」は、何となく普段から声は揃えるようにしている。
 カレーでもそうじゃなくても、千砂の料理がうまいのは確かだし、それをせっせと手伝う希砂も料理上手に育つのだろう。そして、ふたりともいい男にもらわれていくわけで、しかし残る俺がゲイだから孫は無理と言ったら、両親はどんな反応をよこすのだろう。
 千砂と希砂は、一緒に過ごしてきた時間が長いから、俺がゲイだと知っても、何となく嫌悪まではしない気がする。両親はほとんど一緒に過ごしたことがなくて、正直よく分からない。
 たまに食事に行ったりした感触では、ふたりは堅い。昔ながらという堅さでなく、まじめすぎる堅さだ。一姫二太郎とはいかなくも、等間隔で俺たち三人を作ったこと自体、すごい計画性だなと感じる。
 両親にカミングアウトするのは大変だと思う。嫌悪はしなくても理解までいくか分からないから、やっぱり千砂と希砂に打ち明けるのも怖い。
 俺は家族に好きな人の話はできない。今はそれが通用する年頃だからいいけれど、いずれ、まだ結婚しないのか、せめて恋人は紹介しないのかとか言われるようになるのかと思うと、憂鬱すぎる。
 泰人にさえ、何も言えないのだ。泰人は俺に彼女のことを話してくれたけど、俺は泰人に言えるわけがない。男が好きとか。しかもお前のことが好きとか。……言っていいわけがない。

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