コーヒー&ミルク-3

かけちがえたままで

 翌日、泰人は俺の家に寄らずに先に登校してしまった。時間ぎりぎりになっても泰人が来ないことでそれを悟り、俺はひとり急いで家を出た。
 最寄り駅はけっこう大きいので、混雑するホームで泰人のすがたがあるか探し出すのは、不可能だった。朝のラッシュで他人と密着し、駅に到着するたびぐちゃぐちゃになって、何とか高校の最寄り駅にたどりつく。
 予鈴前に教室に登校すると、何事もなかったように泰人は誰かと笑っていた。一応、言いふらしたりはされていないようで、クラスから偏見の目が刺さってくることはない。
 自分の席に着くと、今月の席替えで話すようになっていた前の席の奴に、ノートを借りて宿題を写した。「泰人の写さないのか?」と言われ、俺はそいつに曖昧に咲うしかできなかった。
 いつも一緒に行動していた俺と泰人がつるまなくなったのは、クラスでは軽くうわさになった。何か言いたそうにする奴はいても、実際に突っ込んで質問してくる奴はいなかった。
 別に喧嘩しない。しかし、目も合わせない。
 そんな状態が続き、俺たちはそれぞれに、別の友人たちに混ざって動いた。そして自然と、俺と泰人が永年の幼なじみだったなんて跡形もなくなっていった。
 冬休みになっても相変わらずだったし、むしろ、同じ教室内ですれちがうこともなくて、距離は広がった気がした。
 俺の両親は年末年始もいそがしそうで、顔くらいは見せたものの、ゆっくり過ごすこともなく仕事を優先していた。希砂が寂しいと駄々をこねた日には、俺と千砂でなだめた。
 こういうとき、希砂は甘いカフェオレを作ってやると、ちょっと落ち着く。俺はキッチンで、コーヒーにミルクと砂糖をたっぷり入れたカフェオレを作った。マグカップの中で、黒いコーヒーに白いミルクが渦巻いて、溶けあって、柔らかなカフェオレ色になる。
 俺もこんなふうに分かり合いたかったのかな、とぼんやり思った。泰人に、ゲイだということだけは受け入れてほしかったのかもしれない。全否定して、友達ですらなくなって、そこまで俺たちの友情が簡単だったなんて……。
 三学期が始まり、ついに俺の生活が崩れはじめた。
 教室がひどく窮屈だった。泰人と挨拶もしないのを思い知るのもつらかったが、適当な友人たちと話を合わせるのが面倒だった。女子の誰がかわいいとか。気になるとか。つきあいたいとかやりたいとか。
 今日もあの虚しい会話に混ざるのか、と白い息をついた冬空のある朝、俺はざわめく駅の前で足を止めた。みんな駅に吸いこまれていく。当たり前のように。
 でも、俺はきっとそれに混ざってもいい、当たり前の奴じゃない。俺は親友に拒絶されるほど、世間一般とは「異なる」奴なのだ。なのに、これ以上、何でもないみたいに笑って教室に行くなんて──
 一歩、後退った。身を返した。ついで、ごく普通の朝の光景から逃げ出した。
 そのまま、学校に行くのもサボった。駅前を少し進んだところの、あまり治安のよくない天鈴町という街をふらついた。次の日もそうして、その次の日からは、トイレで着替える私服まで用意してきた。
 無駄にぶらついていても狩られる街なので、時間のつぶせる場所を探した。見つけたのが、天鈴町の北側にあるテアトル街だった。映画館だけでなく、DVDのレンタルショップ、アダルトなビデオハウスまで、映像作品一色の通りだ。
 リバイバルを延々と流しているような映画館は、一度入場したら、再入場しない限りずっとシアターの座席にいて怒られることもない。そんな場所で、俺は今まで特に好きも嫌いも意識していなかった映画を観あさった。
 そのとき公開していた映画の中に、『水空』があった。天海智生監督の作品で、同性愛がテーマの作品だった。
 暴力を振るうほど奏を愛するタクミ。そんなタクミを受け入れて愛するそう。俺には暴力なんてよく分からないけど、タクミが発狂しそうなほど奏を想っているのは分かったし、だから奏もタクミから逃げ出さないのも分かった。
 ラスト、ふたりはどこかの町に手をつないで逃げ出す。すぐ誰かにつかまるのは分かっていても、束の間、ふたりきりになる。改札を抜けて微笑みあったふたり、それは俳優の演技と忘れるほど幸せそうで、俺は泰人を失って以来、初めて泣くことができた。
 俺も泰人と、ただそんなふうに咲っていたかったんだと思った。でも、俺はそれができなくなっていた。泰人もそれはできないと拒んだ。俺たちはやっぱりダメだったんだ、とひしひし喪失感が浮き彫りになって、涙が止まらなかった。
 パンフレットを買って、『水空』は天海監督が息子さんのために撮った作品だと知った。息子さんはゲイなのだそうだ。
『息子は脚本書いててさ、いつか俺に監督させるのが夢なんだと』と言っている様子を撮った写真で、天海監督は豪快な感じの容姿なのに、無邪気なくらい嬉しそうに微笑んでいた。あふれていた涙を拭きながら、その映画が実現したら絶対観たいなと思った。
 すっかり天海監督にはまり、ますますいろんな映画を観て、それでも飽き足らずに、家でもレンタルしたDVDを観て過ごした。学校がどうなっているかなど、どうでもよかった。
 どうせもう行かない。つくえで勉強しているくらいなら一本でも多く映画を観たい。
 天海監督の作品はもちろん、影響されたと語っている映画もどんどん観て、それでも観尽くせないほどコアな作品が集まったレンタルショップを見つけて以来、そのショップの常連にもなった。
「お前さー、学校はいいの?」
 そんな生活が一年ほど過ぎた頃、例のショップのオーナーが、いまさら俺にそんな質問をしてきた。「冬休み前に、退学かどうかはっきりしろみたいな連絡は来ましたね」と俺はレジ前の新入荷作品をチェックしながら答える。新入荷といっても、新作DVDばかりでなく、オーナーがどこからか発掘してくる、ずいぶん古い映画のビデオだったりもする。
 店番しながら、いつもレジ内のテレビで映画を観ているオーナーは、めずらしく俺のほうを向いた。恰幅のいいおっさんだが、客への対応はぶっきらぼうで、接客業になっていないその落差が何だかくせになってくる人だ。
「退学すればいいんじゃね」
 ざっくり言われて噴き出しながら、「そうですかねー」と俺は花の名前がタイトルになったイタリア映画のビデオを手に取る。
「高校なんか辞めて、うち手伝えよ」
 だが、そんな思いがけない言葉が続いたので、「えっ」と俺はオーナーに向き直った。オーナーはレジ台に頬杖をつき、あまり整頓されずにひたすら棚を埋める映画が詰まった店内をしめす。
「コレクションしてるうちに、商品すげえ増えたし、整理とかメンテとかやってくれるスタッフがそろそろ欲しかったんだ」
「俺で、いいんですか」
「お前がいいわ、店内にいても気にならないし」
 俺はまばたきをしてから、退学、と思った。
 そう、だな。どう考えても、もう行かないしな。親に切り出すのは少し怖いけど、どのみち俺が通っていないことは承知だろうし、俺はふたりのように法律関係に進む気もなかったし。学校なんかより、ここで働くほうがきっと有意義で楽しい。
 かくして、俺は三年生になる前に高校を退学した。両親は思ったより怒らなかったけれど、二十歳までに収入を安定させて自立するようにと言った。
「分かった」と俺がうなずくと、仕事をするならあったほうが便利だろうと、ケータイのみ支援として買ってもらえた。俺はそれでさっそくワンルームの物件を見たり、SNSに登録して日記に映画の鑑賞メモをつけたりした。
 自分がゲイだということは、泰人を除けば、相変わらず誰にも話せていなかった。SNSにはゲイや同性愛者のコミュニティもあったけど、そこに参加する勇気もない。たとえネット上でも、ゲイだと名乗れば嫌なメッセが届くかもしれないし、最悪、特定されたらリアルが害される恐れもある。
『水空』の主人公である“麻綾まあや”と、本名の“マサ”を掛け合わせて、「真彩まさ」と名乗るSNSでは、俺はただ映画ジャンキーの十代ということしか分からないようにしていた。同じく映画好きな人と交流や情報交換して、よほど仲良くなればケータイのメアドを伝えて直メしたりはする。
 それでも、泰人のことやゲイであることまで打ち明けられる人はいなかった。
 そんな生活が、数年間流れた。二十歳になる前に、狭いワンルームだけど、ひとり暮らしも始めることができた。
 俺が出ていくなら、少しは家に顔を出してほしいと、保証人になってもらうときに両親に伝えた。男である俺がいない家は不用心だろうし、千砂だけでなく希砂も大人びてきたとはいえ、やっぱり両親に構ってもらえない寂しさはあるだろう。
 俺の頼みに、両親は顔を合わせてからうなずき、「真砂にも寂しい想いをさせたのなら悪かった」ととうさんは謝り、「真砂がしっかりしてるから、甘えてしまったわね」とかあさんも同じく謝ってくれた。
 妹たちは、俺が出ていくことになんか無関心な年頃だけど、出ていく前の日には、黙々とご馳走を作ってくれた。お礼に、食後には俺がカフェオレを淹れて、千砂も希砂もしんみりとそれを飲んでいた。
「たまに様子は見に来るから」と俺が言うと、ふたりとも無言でうなずく。「おねえと喧嘩したら、おにいの部屋泊めて」とふと中学生になる希砂のほうが言うと、「そのときは、あたしがにいちゃんの部屋行くし」と高校生の千砂はむっとしたようにやり返し、ふたりが言い争いを始めたので、俺は咲ってしまった。
 自立のことは、泰人には何も言わず、妹たちにも伝言しなかった。というか、現在の泰人がどんな生活が送っているのか、まったく知らない。
 たぶん、普通に大学生になっているのだろうか。やっぱりおじさんを継いで医者になるのだろうか。彼女とはどうなったのだろう。
 気になることはあっても、わざわざ知ろうとは思わなかった。泰人への恋心は緩やかに風化しているとはいえ、たぶんまだ、本人に会ったらバカみたいに揺れてしまう気がした。

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