つながる秘密
『沙霧さん、聞いてほしいことがあるんだけど……』
六月の終わりの霖雨の昼、俺は沙霧さんにそんなメールを送った。なかなか返信が来ないので、相談っぽいのは重かったかなと心配していると、『どうした? 何かあった?』と沙霧さんのメールが着信する。一応ほっとしてから、俺は震えそうな指でメールを打った。
『いや、何かあったとかじゃないけど。
沙霧さんには、知っててほしいことがあって。』
『何?
真砂くんがそう思うなら聞く。』
『ありがとう。
俺って、ハンドメイドのことで沙霧さんとつながったじゃん。』
『そうだな。
すでに懐かしいけど。』
『たくさんメールしてるもんな。
その中でさ、言えてないことが一個あって。』
頭の中が、ちりっと火花のように光る。
泰人を失ったあの日がよぎる。遠ざかって見えなくなった背中。また、あんなふうに失うかもしれない。
なのに、なぜ俺はこんな指向を沙霧さんに話そうとしているのだろう。沙霧さんを泰人のように失くしてしまったら、俺は……
『真砂くん、無理に言わなくていいと思うけど、』
俺の返事が遅いせいか、そんな沙霧さんのメールが来て、はっと我に返る。
無理に、言わなくていい。それなら──
『俺は話してもらえたら嬉しい。』
続いたその一文に、視界が揺らめいて、泣きそうになった。俺を受け入れようとしてくれている。
そうだ、沙霧さんならと思ったから。この人には自分を偽りたくないと思ったから。
『沙霧さん、俺ね、ゲイなんだ。』
ひと思いに送信して、急激に喉が苦しくなった。
ああ、言っちゃった。送っちゃった。これで終わりかもしれない。いや、沙霧さんを信じたい。偏見する人じゃないって信じたい。この人は俺のことを分かってくれるって思った。
そう自分に言い聞かせていると、ケータイに着信がついてびくんと全身で反応した。メール──じゃなくて、電話着信。俺は慌ててケータイを開き、『沙霧さん』という着信表示を認めると、通話ボタンを押した。
「も、もしもしっ」
『あ、もしもし。今、電話大丈夫?』
「大丈夫。今日オフだし」
『俺もバイト夕方からなんで、少し話せるな』
吐きそうなくらいに、鼓動がせりあげてくる。
話。電話くれるって、どういう意味だろう。やっぱり、直接つながりを絶つために、とか……?
『えーと、何というか……マジで?』
「えっ。あ、……うん」
『そっか。……マジか』
深いため息が聞こえる。俺は視線を彷徨わせ、沈黙が続くほど、まずかったかな、と感じてくる。つい「ごめん」と口にすると、『えっ』と沙霧さんの驚いた声がした。
『何で謝んの』
「だって……気持ち悪いよな」
『いや、ぜんぜんっ。そんなことはないよ』
「でも」
『それはないよ、ほんとに。びっくりしたけど』
どっち、だろう。気を遣ってくれているのか。本当に気にしないのか。沙霧さんが目の前にいるわけではないのが、その瞳を見つめて確認できないのが、焦れったい。
「……沙霧、さん」
『ん?』
「俺、親友に告って振られたことあるから」
『え、男?』
「うん。だから、沙霧さんも無理しなくても……」
『無理って』と沙霧さんは苦笑いをこぼした。
『そんなのしてないよ。できないし。自分のこと、気持ち悪いとか思ってられないだろ』
「うん……ん? 自分のこと? あ、俺がってこと?」
『……ええと──そうじゃなくて』
沙霧さんはひと息ついて、それから、ゆっくりと言葉をつなげた。
『俺も、だから』
「……え」
『俺も、その……ゲイなんだよな』
空中に向かって目を見開いた。
何? 何て? 俺も? 沙霧さんもゲイ?
「えっ、う、嘘だろ」
『何でこんな嘘つくんだよ』
「……気を、遣って……とか」
『どんな気遣いだよ。というか、真砂くんこそ、ほんとだよな?』
「俺はほんとだよっ。ほんとに、ずっと好きだったの男だし。沙霧さんは?」
『俺はどっちかというか、女に興味が持てない感じで』
「ああ……。じゃあ、好きな人いないの?」
『いない。真砂くんはいるんだな』
「振られたの、もう何年の前だから。もうさすがに」
『そっか。けど、すごいな。俺、誰か好きになっても、告白とか無理だ』
「いいことないよ」
『頑張ったんじゃん。えらいよ』
急に心がきゅっと締まって、ケータイを握りしめた。目をつぶって、落ちかけた涙をこらえる。
頑張った。えらい。
泰人への告白を、いまさら、そんなふうに誰かに肯定してもらえるなんて思ってもみなかった。俺はどれだけ泰人に迷惑をかけたのかと、ひとりでそんなふうに思うだけだった。しかし、沙霧さんはあのとき俺が勇気を出したことを認めてくれるのだ。
「沙霧さん……」
『ん?』
「俺、沙霧さんに会ってみたい」
『えっ』
「会いたい」
『え、でも……遠いだろ、けっこう』
「ん……でも、」
『会うなら、バイトのオフも合わせないといけないし』
「……めんどくさい?」
『そうじゃなくて。会いたい、とは俺も思うよ』
「ほんと?」
『うん。でも、急には予定入らないから。会うのは、いつかしよう』
「迷惑だったら、」
『そんなことないよ。真砂くんに会えるのが、迷惑なわけないだろ』
目をつぶったまま、抱えた膝に額を当てた。
好き、と思った。好きになりかけている、なんて嘘だ。とっくに俺は沙霧さんを好きになっている。
だから会いたい。文字じゃなくて。電話越しじゃなくて。生身の沙霧さんと時間を過ごしてみたい。自分以外のゲイに会いたいとか、そんな好奇心じゃない。俺を否定しなかった沙霧さんに、会って──できることなら、触れてみたい。
それからも、俺たちは連絡を取り合い、ゲイならではの体験を分かち合ったりした。沙霧さんが打った文字、発する声、すべてが愛おしくて、恋心は俺の精神に深く根差していった。
ああ、俺ばっかり好きになってるのかな。沙霧さんはゲイだけど、俺を好きになるかまでは分からない。相手がゲイでも、片想いは片想いっていうのはあるだろう。
分かっていても、俺は沙霧さんに「会いたい」とか「声が好き」とかぽろぽろと気持ちのかけらを見せてしまった。それでも沙霧さんは、連絡をやめたり、返信を遅くしたりすることはなく、ただ『真砂くんって、わりと甘え体質だな』と電話で咲った。
甘え。そうなのかな。長男でしっかりしているつもりだけど。でも、沙霧さんに接するときの俺は、どんな相手に対するときよりも素直になれている気がした。
俺が会いたいと言うと、沙霧さんはそうだなとは返してくれるけど、そこから具体的に日時を合わせる話にはならなかった。やはりさすがに、会いたいと思っているのは俺の一方通行なのだろうか。
俺のことは受け入れてもらったし、それどころかゲイの知り合いができた。贅沢ばかり押しつけて嫌われたくもない。甘えるより我慢しなきゃいけないかな、とも思いはじめた八月下旬、『真砂くんって、兄弟いる?』というメールが沙霧さんから届いた。
『妹がふたりいるよ。』
『妹か。
何かかわいいな。』
『どうなんだろ。
ずいぶん会ってないけど。
沙霧さんは兄弟いるの?』
『俺は兄貴がひとりいるよ。
仲はいい、すごくいい。』
『強調w
家族と仲いいのはうらやましい。』
『両親は堅物だけどな。』
『俺の両親も頭堅いよ。
ゲイなんて言えないし。』
『妹には言ってる?』
『言ってないよ。』
『そっか。
俺はさ、兄貴には言おうかなって最近思うんだ。』
俺は文面にまばたきし、『電話で聞こうか?』と気にかけてみた。『うん』と返ってきたので、俺は沙霧さんに電話をかけた。
ちなみに、ケータイのキャリアが同じだと分かって以来、俺と沙霧さんは三人だけ通話定額にできるプランに加入している。
「おにいさん、受け入れてくれそうな感じなの?」
『兄貴なら大丈夫かなと思う』
「そっか……分かってくれるといいね」
『うん。あとさ、真砂くんに言っとかなきゃいけなくて』
「ん、何?」
『俺、天海芽留に会えるかもしれない』
「え……」とぽかんとした声をもらしたあと、その言葉を反芻した俺は、「ええっ!?」と思わず大きな声を出す。
「芽留さん!? 『ハンドメイド』の? 脚本家の人だよね?」
『そう。詳しいことはまた話すけど、芽留さんが俺の親戚に縁があって、ゆっくり話でもってなったらしくて。そこに俺も混ぜてくれるみたいなんだ。俺が「ハンドメイド」好きなのは、親戚知ってたから』
「ええー……芽留さんと親戚に縁があるって……。じゃあ血のつながりも」
『いやいや、そこまで近くない。説明むずかしいな……まあとにかく、会えるかもしれなくて』
「うん」
『真砂くんとは、ずっと話してきたけどさ。「ハンドメイド」とか芽留さんの存在には、すげー救われてきたじゃん。真砂くんと仲良くなれたのも、「ハンドメイド」のおかげだし』
「うん」
『芽留さんに会えるなら、もらった勇気みたいなものをしめしたいって思ったんだ。それで、兄貴に打ち明けようかなと。兄貴なら分かってくれるんじゃないかっていうのは、ずっとあったし』
「そっか。うん、芽留さんも嬉しいと思う」
『そうかな』
「勇気になりたいって、パンフで言ってたもん」
『そっか。うん。頑張る』
俺が「頑張れ」と言うと、『ありがと』と沙霧さんは照れたように咲って、『というか』と続ける。
『ごめんな、俺より真砂くんのほうが、芽留さんには会ってみたいはずなのに』
「ううんっ。俺は、ほんと……何も縁がないし」
『……それでさ』
「うん?」
『兄貴に話して……分かってくれるか分かんないけど話して、その気持ちに整理ついたら、真砂くんに会いにいっていいかな』
「えっ?」
『今は兄貴に話すってことで頭いっぱいで、緊張してる状態だから。会っても上の空で失礼だと思うんだよな。真砂くんとはちゃんと話したいし』
「沙霧さん……」
『つっても、バイトが連休とかなかなか取れないんで、会える時間はばたばたかもしれない。それでも、いい?』
「いいよっ。ぜんぜん、三十分だけとかでもいいよ。会いたい。沙霧さんに会ってみたい」
『そっか。よかった。ごめん、俺の都合ばっかで』
「そんなことないよ。俺こそ、何度も『会いたい』ってしつこかったよね。ごめんね」
『まあ、それは……嬉しかったから。いいんだよ』
安堵が押し寄せ、息をついてしまう。
よかった。俺ひとりが会いたいと思っているわけではなかった。ちゃんと考えてくれていたのだ。おにいさんと芽留さんのことが、目先にあっただけで──そこまで考え、芽留さんに会うのかあ、とかすかに不安を覚える。
沙霧さんはすごくかっこいい。話していて楽しい。芽留さんが、もし沙霧さんを好きになったら──俺、勝てないよな。あの天海芽留に惚れられたとして、沙霧さんが拒むのもあんまり考えられないし……
『真砂くん?』
沈黙した俺に、沙霧さんが窺うような声をかけてくる。俺ははたとして、何ごちゃごちゃ考えてるんだ、と恥ずかしくなりながら「じゃあ、会えるってなったとき教えて」と言う。
「俺のほうは、オフ融通きくと思うから」
『分かった。予定立ってきたら伝える。てか、兄貴に同性愛無理って言われたら、真砂くんに泣きつきそう』
「そのときは、話聞くよ。うまくいっても聞かせて」
『うん。ありがとう、頑張ってくる』
俺はケータイを握り、芽留さんに惚れるなよ、とか冗談でも言えなかった。
何だろう、俺って。沙霧さんとつながっていられたら幸せだと思った。けれども、近づくたび欲張りになってしまう。
沙霧さんが芽留さんに会える。あっけらかんと喜べたらいいのに。せめて、俺だって芽留さんに会いたいとか思えたらいいのに。ふたりが恋に落ちてしまわないか、そんなことを真っ先に案ずるなんて──俺って醜いな、と思った。
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