指輪
どうにか千羽ちゃんのご両親への挨拶が終わったのを、夕食後に聖樹さんに報告すると、「お疲れ様」と聖樹さんはおっとり咲ってくれた。食後の座卓には紅茶とアーモンドクッキーを用意して、それを口にしながら「無意識に頭下げてたなあ」と僕が言うと、「男らしくてよかったんじゃない?」と聖樹さんはティーバッグから淹れたての紅茶を飲む。
「男らしかった……かな」
「へりくだって頭下げたわけじゃないでしょう。これからは千羽ちゃんを任せてくださいっていう意思表示だよね」
「まあ、うん。そうかな」
「僕、そんなかっこよく挨拶できるかな」
「聖樹さんは明日行ってくるんだよね」
「うん。お昼から」
「聖樹さんは、かっこよくとかじゃなくても、いつも通りにしてればいいと思う」
「そうかなあ。なよなよしてないかなあ」
「ぜんぜんしてないよ」
「ほんと?」
「うん。聖樹さんはすごくしっかりしてる。そうじゃなかったら、僕と今こうやって親子にもなってなかったし」
「ふふ、ありがとう。そうだね、萌梨くんを引き取る勇気が持てたんだから、聖乃さんをお嫁さんにもらう挨拶もできるよね。頑張るよ」
「応援してる」
僕の言葉に聖樹さんはうなずき、「そういえば今日、悠と少し電話したよ」と聖樹さんはカップを置く。クッキーをかじった僕は、「悠紗と」とまばたく。
「『婚約おめでとう』って僕にも言っておきたかったって。僕が誰かと結婚しようと思えたのが嬉しいって言ってた。自分の母親が僕を傷つけたから、聖乃さんとも結婚はしないんじゃないかって心配だったらしいよ」
「うん、悠紗はそれすごく気にしてたと思う」
「あの母親のことを乗り越えてくれてよかった、って。乗り越えたことになるのかな」
「なるよ、もちろん。結婚しても幸せになれないとか、もう思わないでしょ」
「それは、相手が聖乃さんだからのような」
「そんな人を見つけられたのが、すごいんだよ。それまでは、結婚したら幸せになれるなんて思わせてくれた人いなかったでしょ」
「うん──そうだね、聖乃さんが初めてだな」
「悠紗は、自分の母親が聖樹さんにとってそうじゃなくて苦しんだのを知ってるから。嬉しいと思うよ。聖樹さんを一番想ってきたのは、悠紗だもん」
「そう、だね。あの子には、酷な面も見せてきたよなあ……。安心してくれるなら僕も嬉しい」
聖樹さんは照れ咲いのような笑みを浮かべ、僕も微笑む。
そう、悠紗はいつも心から聖樹さんを想ってきた。その絆がとても優しいから、僕もふたりの家族になりたいと願ったのだ。
次の日、お昼ごはんを食べたあとに、聖樹さんもスーツを着て聖乃さんの家へと出かけていった。夕食までには帰ってくるとのことだったので、夕方には支度を始めようと思いつつ、余った時間には音楽を聴きながら、リビングの共用PCで物件を見たり結婚のあれこれを調べたりした。
情報を泳ぎながら気づいたけど、そういえば僕は、婚約指輪を飛ばしている気がする。以前スワロフスキーの指輪は交換したけれど、婚約指輪って別だよなあと指輪をネットで調べてみた。千羽ちゃんはやっぱりダイヤモンドだよな、と相場を見て、金額にひとりで咳きこんでしまった。
いや、絶対的に無理な金額ではないけれど──さすが、みんな本気だ。婚約指輪自体、ダイヤモンドが多いらしかった。顔合わせのときに用意しているものだと書いているところもあって、もしかして昨日おとうさんとおかあさんの前ではすでに贈ってなきゃいけなかったのかな、と焦る。
これ早く用意しなきゃいけない奴だ、と思ったけど、注文から三ヵ月かかる場合もあるとあって、どっちみち間に合わなかったと頭を抱える。
話は進んできているし、今から街に見にいこうかなと思いつく。もし千羽ちゃんが憧れているなら、ちゃんとしてあげたい。たぶん今日ぱっと持ち帰ることはできなくても、それならプロポーズのときにさしだせなかったぶん、改めて千羽ちゃんと見に行って好きなものを選んでもらおう。
よし、と僕はPCの電源を落とすと、一応財布にカードが入っているのを確かめて、快晴のもと電車で街に出ることにした。
五駅くだったところが市街地で賑やかなので、そこまでおもむいた。聖樹さんの弟、僕と悠紗の叔父である沙霧は、このあたりに住んでいる。時間あったら部屋寄ってみようかな、と思いつつ、僕はデパートになっている建物の中に、体温がおかしくなりそうな暑さから避難した。
ちょうどブランドショップがアクセサリーを展開していたので、ブランドかあ、とまったく分からないけど歩いてみる。女の子たちでショウケースを覗きこんでいたり、カップルで店員さんの話を聞いていたり、さまざまなお客さんがアクセサリーを見ている。
ショップがたくさんある上、さらにその店内に指輪がいくつも展示されていて、聖樹さんはプロポーズのとき渡せたってことはひとりでこの中から決めたんだよなあと感服する。というか、受け取りまで三ヵ月なら、結構前から指輪自体は準備していたのだろうか。
きらきらしたアクセサリーを見てまわり、店員さんから説明してもらったりパンフレットをもらったりして、延々とお勧めされそうなのを「彼女とまた来ます」と言って、何とか逃げる。
いくつか気になった指輪のブランドとショップの位置をチェックしていたら、時間が経ってしまった。自販機で烏龍茶のペットボトルを買って、澄んだ苦みを一気に半分飲んで、スマホを見ると十六時をまわっていた。
僕は沙霧のトークルームを開いて、今街に出ているので部屋に寄ってもいいかというメッセを送る。さいわい、すぐに既読がついて、『散らかっててよければどーぞ』と返信も来たので、僕はペットボトルにふたをして、煮えているような青空の下に出た。
沙霧の部屋があるアパートは、にぎやかな表通りの裏手にあって、居酒屋や焼き鳥屋に混じって建っている。僕がチャイムを鳴らすと、インターホンでなく直接ドアを開けた沙霧が、「お、久しぶり」と出迎えてくれる。
色素の薄い髪やスマートな骨格は聖樹さんに通じていても、服装や雰囲気は聖樹さんより荒削りなのは変わらない。
「お邪魔します」と僕はゲームが散らかった部屋に踏みこんで、室内に行き渡ったクーラーにほっとしてしまう。
「今日も暑いなー。部屋出たくねえや」
沙霧はあくびをして、僕は風の当たる床に座る。
「仕事は?」
「今日夜勤」
「コンビニ続いてるね」
「何だかんだ、これで生活できてるからなあ。あーっ、でも俺も三十過ぎたしな。さすがにいろいろ考える」
「就職?」
「まず貯金を学費にして、資格取ろうかな」
「いいと思う。僕も資格取ったし」
「だよな。あ、そんなことより千羽ちゃんと結婚するんだよな。おめでとう」
「ありがと。今、婚約指輪見てきた」
「千羽ちゃんと?」
「ひとりで下見。ブランドとかぜんぜん分からないけど、気になるのはチェックしておいた」
「結婚って大変そうだよな。漠然と」
「沙霧はしないの? 真砂くんと」
「男同士は結婚できません」
「披露宴挙げるだけならできるんじゃない?」
「あいつ、そういうのやっぱしたいかなあ」
真砂くん、というのは沙霧の恋人で、僕のみっつ年上の男の子だ。昔、沙霧はゲイだということを勝手に感づいた僕以外には隠してきたけど、最近やっと聖樹さんや悠紗にはカミングアウトした。悠紗は「そっかあ」と流したものの、聖樹さんはなかなかびっくりしたようで、でもきちんと受け止めてくれていた。
沙霧が自分のセクシュアリティを認められたのは、例の紗月くんがモデルになった映画『ハンドメイド』を観たのが大きいらしい。紗月くんの友達である脚本の芽留くんもゲイで、作品によってセクシュアルマイノリティの認知を広げたいと頑張っている。そんな芽留くんの行動に、沙霧も救われたひとりなのだ。
「沙霧は、結婚に興味ない?」
「あんまり、結婚だ指輪だって縛られたくない気もする。一緒にいられるのが一番大事だよ」
「そっか。僕もそんな感じだったけど、千羽ちゃんが喜んでくれてるかなと思うから」
「女はプロセスも楽しいんだろな」
「うん。だから、堅苦しくしたいわけじゃないけど、手順は踏んでいきたいなって」
「いいんじゃね。そういや、兄貴と一緒に式挙げるのか」
「そう。それで、四人で生活していこうかなって物件見に行ったりしてる」
「引っ越すのか?」
「今住んでるあたりの一軒家にね」
「それなら、うちの兄貴をこれからもよろしく」
「うん。聖樹さんがつらいときは、僕がいたほうがいいってみんな言ってくれて。逆もね」
「俺もそう思う。兄貴の深いとこは、萌梨が一番分かってやれるから」
僕はこくんとして、かたわらに置いていた飲みかけの烏龍茶を飲んだ。そのペットボトルが空になったそのとき、スマホに着信音がついて沙霧と顔を合わせる。
「俺の音じゃないな」
沙霧がそう言ったので、僕はショルダーバッグからスマホを取り出した。ポップアップが出ていて、聖樹さんのメッセージだった。タップして開いてみる。
『萌梨くん、ご挨拶済んだよ。
すごく緊張したけど、優しく対応してもらえた。
それで、二十時にお店が閉店したら、一緒に夕食食べないかって誘われたんだ。
千羽ちゃんも今日バイトに来てて、萌梨くんが来るなら一緒にって言ってる。
萌梨くんがよかったら、聖乃さんの家に来れるかな?』
ほっと胸を撫でおろす。聖樹さんもうまくいったのだ。
「何?」と訊かれたので、沙霧にも内容を伝える。「家族に挨拶って、ほんとに結婚だなー」と笑ったあと、「飯行くんだろ」と沙霧は僕の肩をたたく。
「来たばっかりなのにごめん」
そう言いつつ僕が立ち上がると、「俺んとこは、いつでも来ていいから」と沙霧は僕を玄関まで見送ってくれた。「結婚式は来てね」と言うと、「おう」と沙霧はにっこりしてくれた。
【第十一章へ】
