カラフルパーチ-16

心を決めたから

 結婚して大きな問題が起きることもなく、時間は穏やかに過ぎていった。
 結婚式から一年半が過ぎた晩秋の十一月、仕事が終わってスマホを見ると、沙霧からメッセが届いていた。何だろ、とトークルームを開くと、今度の週末に彼氏の真砂くんが遊びに来るから会わないかという内容だった。
 僕は空中を眺めて少し考えたあと、邪魔じゃなければ会いたいと返事を送信した。
 荷物をリュックにまとめて、「お疲れ様でした」と恵麻さんに挨拶して職場をあとにする。吹きつける風が冷えこむ中を駅まで歩いて、ホームで電車を待つあいだにスマホを取り出すと、沙霧から返事が来ていた。
『何で邪魔だよw
 てか、兄貴には真砂のこと紹介したいなーと思うから。
 仲介になってほしいというか。
 ダメかな?』
 僕はまばたきをして、そっか、と思った。沙霧と真砂くんも、そんなつきあいになったのだ。
 もちろん歓迎なので、『聖樹さんに軽く話しておくから、ふたりでうちにおいでよ』と送った。すると『ありがとう、真砂も萌梨がいれば安心って言ってる。』と来て、僕は一、二回会ったことのある真砂くんを思い出した。
 真砂くんはざっくばらんとした性格で、細身の軆にチェックのシャツを羽織っていたりぼろぼろのジーンズを穿いていたりする。隣に沙霧がいると、わりと甘える感じになる。確か、個人のレンタルDVDショップで働いていると言っていた。僕のみっつ上だから、三十二歳か。そんなにふまじめなタイプでもないし、聖樹さんも受け入れるとは思うけれど。
 地元に着くと、暖かい車両を降りた反動の寒さに身をすくめつつ、見切り品で騒がしい商店街を歩いて、ソフトクリーム屋さんに向かった。店番をしていた千羽ちゃんは、僕に気づくと笑顔になって手を振ってくれる。
「売れてる?」と訊くと、「子供たちが買ってくれたりはするんだけど」と千羽ちゃんは寒くなった気候で売れ行きが落ちているのを嘆く。「もうすぐ十二月だもんね」なんて話していると、「千羽ちゃん、今日は上がっちゃっていいよ」と奥からおばさんが顔を出した。
「え、じゃあ精算とか」
「萌梨くんを寒い中で待たせるのも悪いでしょ。気にしなくていいから」
「それなら──萌梨くん、ちょっと待っててね」
「うん」
 千羽ちゃんは、エプロンをほどきながら奥に行ってしまって、「聖乃はうまくやってる?」と代わりに店に立ったおばさんが僕に尋ねる。
「はい。今日は聖乃さんオフだから、今、聖樹さんと夕ごはん作ってると思います」
「あの子が料理するなんてね。この家じゃ、ぐうたら娘だったから」
「店番はしっかりやってましたよ」
「それはねえ、小遣いが出るから。はあ、聖乃と聖良の喧嘩が毎日騒がしいと思ってたけど、なくなると寂しいものねえ」
 おばさんが苦笑していると、時刻が二十時をまわってどこの店も閉店作業を始めた。ソフトクリーム屋さんも例外でなく、僕は邪魔せず路地に引っこむ。指先が冷たくて、コートのポケットに手を突っこんだ。商店街の混雑がすーっと引いていく。
 今日の夕ごはん何だろ、とか思っていると、「萌梨くん」と背後に声がかかって振り返った。白いコートを着た千羽ちゃんが駆け寄ってきて、「お待たせ」と僕に微笑む。僕は首を横に振り、「帰ろっか」とポケットで温めていた手で千羽ちゃんの手を取る。千羽ちゃんはうなずいて僕の手を握り返し、僕たちは家に向かって歩き出した。
 住み慣れてきた一軒家は、以前住んでいたマンションの脇も抜けて、その先にある静かな家並みの中にある。あっという間に空は暗くなり、街燈だけの夜道に足音が残っていく。
 僕は千羽ちゃんに、沙霧と真砂くんのことを話した。沙霧のセクシュアルは、千羽ちゃんと聖乃さんも知っている。「聖樹さんに紹介したいんだって」と僕が言うと、「沙霧さんもパートナー見つけたんだね」と千羽ちゃんは柔らかく微笑んだ。
「家においでよって言ったんだけど、良かったかな」
「私はいいと思うけど──というか、そのとき、私と聖乃さんは席外したほうがいいかな?」
「どうなんだろ。ふたりが知ってることは、沙霧ももちろん知ってるけど」
「私にも聖乃さんにも挨拶してたら、彼氏さん、気持ち的に大変だよね。まず聖樹さんに紹介したいなら、私、聖乃さんと買い物にでも出かけてるよ」
「いいの?」
「無理しないほうがいいもん」
「そっか。そうだね」
「萌梨くんは、その彼氏さんに会ったことあるんだね」
「遠方の人なんだけど、紗月くんたちと地域が近いんだよね。だから、沙霧と向こう行ったときにちらっと挨拶したりした」
「そんな遠くなんだ」
「ネットで知り合ったんだって。芽留くんの映画が切っかけみたい」
「ネットかあ……」
 千羽ちゃんは視線を下げて、少し黙りこんだあと、「もうぜんぜん、みんながどうしてるか分からないなあ」とぽつりとつぶやいた。
 千羽ちゃんは昔、スマホ──というかケータイにひどく依存していて、メル友がたくさんいた。その中に粘着質な人がいて、精神的な負担に耐えきれなくなったので、思い切ってネットは断ち切って生活を改めた。しばらく心配だったけど、結局ようやく嫌がらせのメールも届かなくなって、千羽ちゃん自身、僕とつきあうことを優先してネットに依存することはなくなっていった。
「千羽ちゃんのことがあったから」
 僕がそう切り出すと、千羽ちゃんは僕を見てうなずく。
「初めは真砂くんも大丈夫かなって、ちょっと思ってたけど。真砂くんは普通にいい人だったよ」
「……そっか。それならよかった」
「千羽ちゃんには、いつか沙霧のほうから紹介してくれるんじゃないかな。ただ、沙霧って、おじいちゃんとおばあちゃんにはゲイってことも打ち明けてないんだよね」
「そうなの」
「うん。さすがにまだ怖いみたい」
「そうなんだ。聖樹さんに彼氏さん紹介して、分かってもらえたら勇気出せるかな」
「そうだね。パートナーって決めたんなら、ちゃんと挨拶するかもしれない」
 そんなことを話していると、明かりがついている僕たちの家に到着した。
「ただいまー」と僕と千羽ちゃんは声を合わせて玄関のドアを開ける。すると、「おかえりーっ」という聖乃さんの声がして、温かな夕飯の匂いもただよってきた。聖樹さんも「おかえり」と顔を出し、「夕ごはんもうできあがるから」と微笑む。
 僕と千羽ちゃんはひとまず和室に荷物や上着を置くと、手洗いを済ませてリビングを抜けてダイニングに向かった。
「夕ごはん何?」
「鱈のホイル蒸しと里芋の煮物。それと、聖乃さんがお味噌汁を頑張って作ってるよ」
「テーブルに並べるの手伝う?」
「ううん、大丈夫。萌梨くんと千羽ちゃんはゆっくりしてて」
「はあい」と答えた僕と千羽ちゃんは、キッチンとリビングのあいだにあるダイニングのテーブルに着く。聖乃さんは真剣に鍋を見つめて、味噌を溶かしている。聖樹さんはできあがった料理をテーブルに運んできた。里芋の煮物にはイカも入っていておいしそうだ。
「私も料理頑張らなきゃなあ」なんて千羽ちゃんが言って、「今度一緒に作ろう」と僕が言うと、笑顔でこくんとする。聖乃さんのお味噌汁が仕上がると、それと一緒に炊き立てのごはんもやってきて、「いただきます」と僕たちは四人で夕食を囲んだ。
 アルミホイルを開くと、鱈以外にしめじやもやしもたっぷり入っていて、いい香りと湯気が立ちのぼる。銀色の皮を剥いで、だしが染みこんだ白身をごはんと食べる。聖樹さんの料理は、相変わらずおいしい。「お味噌汁おいしくできるよ」と聖樹さんが言うと、「そうかなあ」と聖乃さんも口をつける。
 ちなみに、ここ一年ぐらいでやっと聖樹さんと聖乃さんはお互いに敬語を使うのをやめた。僕から聖乃さん、千羽ちゃんから聖樹さんと聖乃さんには、まだ敬語が抜けないけれども、それはそれでいいかなと思う。
「聖樹さん、今度の週末って家にいる?」
 ごはんを飲みこんで僕がそう切り出すと、「今週末?」と聖樹さんは玄米茶をすする。
「たぶん。沙霧が会いたいって言ってて。家に呼んでもいいかな」
「沙霧? 構わないよね?」
 聖樹さんは聖乃さんを見て、「私は大丈夫」と聖乃さんは里芋を頬張る。
「それで、もしかしたら、会うのは僕と聖樹さんだけかもしれないんだけど」
「え、何で」
 僕は千羽ちゃんと顔を合わせ、うなずかれたので正直に言う。
「聖樹さんに、彼氏の男の子を紹介したいって」
「えっ」
「聖樹さんには、知っておいててほしいと思いはじめたんじゃないかな」
「そ、そうなんだ。え、僕は嬉しいけど。僕だけ?」
「いきなり私にも聖乃さんにも紹介するってなったら、沙霧さんも彼氏さんも大変なんじゃないかって」
 千羽ちゃんが補足すると、「なるほど」と聖樹さんは納得する。
「じゃあ、ふたりはどうする?」
「私と聖乃さんは買い物でも行こうかなって。聖乃さん、冬服でも見に行きませんか」
「ん、いいよ。沙霧くんたちに無理させるのも悪いもんね」
「たぶん、聖樹さんに分かってもらえてほっとしたら、千羽ちゃんと聖乃さんにもそのうち紹介してくれると思うので」
 僕が言うと、「楽しみにしてる」と聖乃さんはにっと笑う。
「萌梨くんは、沙霧の彼氏さんに会ったことあるんだっけ」
「うん。ちゃんとした人だよ」
「そっか。そうだね、僕があいだに入って、とうさんとかあさんにもできればほんとのこと話してほしいし」
「僕もそう思う」
「分かった、今週末だね。憶えておく」
「じゃあ、聖樹さんも『いいよ』って言ってたって沙霧に伝えておくね」
 僕がそう言うと聖樹さんはうなずき、それから思い出した様子で「週末といえば、来月は梨羽たちが帰ってくるね」とカレンダーを見る。「EPILEPSYだっけ」と訊くと「そう」と返ってくる。
 昔はEPILEPSYの機会の少なさに気が遠くなっていたけれど、最近は早いなあなんて感じてしまう。もちろん梨羽さんたちに会えるのは嬉しいのだけれど、僕も歳を取ったんだななんて思ってしまった。
 夕食後のリビングで、聖樹さんにも話を伝えたことを沙霧に連絡しておくと、『土曜日の昼くらいに行くから。』と返事が来た。昼食を用意しておくかを訊くと、『作ってくれるならよろしく。』と返信が来たので、聖樹さんとメニューを相談しておこうと決める。
 千羽ちゃんと聖乃さんは、スマホでショップのサイトを見せあいながら、見に行きたい冬服の目当てを決めている。
 お風呂入っておこうかな、と僕はソファを立ち上がって、バスルームにつながるパネルの前でお湯張りを選んだ。「お風呂入る?」と聖樹さんに訊かれて、「うん」と答えると「じゃあ全部早く洗っちゃうね」と聖樹さんは空になった鍋にスポンジをすべらせる。
「聖樹さん」
「うん?」
 僕の呼びかけに聖樹さんはこちらを見直し、「何というか」と僕は口火に迷ったあと切り出す。
「沙霧って、おじいちゃんとおばあちゃんには真砂くんを紹介しないのかな」
「………、まだ、ゲイってことも言ってなかったっけ」
「言ってなかったと思う。だから、その……聖樹さんが真砂くんを受け入れたら、沙霧もおじいちゃんとおばあちゃんに打ち明けてみようって思うかなって」
「そう、だね。とうさんもかあさんも驚くだろうけど、これまで恋人をひとりも紹介をされてないのも心配してるからなあ」
「そうなんだ」
「うん。打ち明けたら納得はするかもしれないね」
「じゃあ、そのときは聖樹さんが架け橋になってくれる?」
「もちろん。そのためにも、彼氏くんとのこと応援してあげないとね」
「あ、土曜日の昼に来るってメッセ来てた。お昼も作っておいていいって」
「了解。グラタンでも作ろうか」
 そんなことを話せてほっとしていると、ベルが鳴った。あと五分でお風呂が沸くと音声も流れる。「行ってくる」と僕が言うと、「ゆっくりあったまっておいで」と聖樹さんは微笑んだ。
 それから僕は、普段着を置いている和室に行くと、着替えを選んで浴室に向かった。湯加減を見ながら浴槽に柚子の入浴剤を入れて、柑橘系の香りの中でのんびりお湯に浸かる。指先までほかほかしてくると、髪や軆を洗ってゆすぎ、もう一度浴槽で軆を温めてからお風呂を上がった。
 水気をタオルで拭き取ってルームウェアを着ると、洗面台に向き合ってドライヤーで髪を乾かす。身なりがすっきりすると、僕はリビングに戻って「お風呂空いたよ」と声をかける。みんなが順番にお風呂に行く中、僕はスマホに来ていた着信を確認して、必要なものには折り返したりした。

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