カラフルパーチ-19

にぎやかなテーブル

 弓弦さんは紗月くんに笑顔を見せたあと、僕にも気づいて軽く頭を下げた。僕も同じように返し、「これなら、みんなで悠ちゃん待てるね」と結音ちゃんが言った。「どういう意味?」と首をかしげた弓弦さんは、紗月くんに事情を聞くと、こころよく僕が悠紗を待つのにみんなつきあうことにしてくれた。
「そういえば、萌梨くんたちの式のあと、俺たちもやっと指輪揃えましたよ」
 結音ちゃんを挟んで、紗月くんの隣に座った弓弦さんが、そう言って左薬指の指輪を見せてくれた。僕はまばたきをして、紗月くんに目を移す。すると、紗月くんも恥ずかしそうに指輪を見せてくれた。
 僕は思わず笑顔になって、「あのときが切っかけになったならよかった」と言う。「ありがとう」と紗月くんはこくんとした。それから弓弦さんは、「翼も座れよ」とかたわらに立っている男の子に声をかける。
「え、でも俺──」
「帰るなら帰ってもいいけど」
「弓弦さん、このあと帰るんですか」
「紗月と結音に夕飯作ったら、また街に出る」
「じゃあ、ここで待ってます」
「犬か」
「犬です」
 まじめな顔で答える翼くんに弓弦は肩をすくめ、「こいつ、隣にいいですか」と僕に訊いてくる。もちろんうなずいて、旅行かばんは足元に移動させた。「犬は言うこと聞いて、お座りしなさい」と弓弦さんが言うと、翼くんはやや躊躇ってから、「失礼します」と僕の隣に座った。
「翼、お手もする?」
 結音ちゃんが無邪気に笑って手を伸ばすと、「こら」と紗月くんがその手を引っ込めさせた。弓弦さんも結音ちゃんを軽く小突いて、「そいつは翼って言って、頑固だけどいい奴なんで」と僕に詫びる。
「弓弦さんの側近って、紗月くん言ってましたけど」
「側近……かなあ。こいつもいろいろあって、そこから引っ張り出したのは俺です」
「あ、悠紗の彼女も弓弦さんが」
「毬音はガキの頃から知ってます。親が捻くれてるんで、あいつも苦労したんですよね」
「そうなんですか。悠紗の彼女とか、僕も不思議な感じです」
「俺も、毬音にしては真っ当な彼氏連れてきたなあって不思議です」
「そうだ、弓弦。萌梨くんが行く悠紗くんのライヴに、僕と結音も行きたいって話してたんだけど」
「え、結音つぶれるんじゃね」
「つぶれないもん! 子供も行けるんだよ」
「広いホールで、お客さんでいっぱいになるわけでもないから、わりとゆっくりしてるんだって」
「悠紗に言えば、チケットは取り置きしてくれると思います」
「芽留も行きたいって言ってて、帰りは車で送ってもらえると思うし」
「そうなのか。じゃあ、あんまり遅くなるなよ」
 そう言って弓弦さんは紗月くんの頭を撫で、「ありがと」と紗月くんははにかみながら咲う。「じゃあ、その日もよろしくお願いします」と弓弦さんはこちらを向いて、僕は首肯した。
 そのあと、ギターを背負ったままの悠紗が〈POOL〉にやってきた。「萌梨くんっ」と悠紗は駆け寄ってきて、「久しぶり」と僕は笑みになる。「ぜんぜん帰れてなくてごめんね」と言われて首を横に振り、「悠紗が一番やりたいのは音楽だって、聖樹さんも僕も知ってるから」と言うと悠紗は「さすが萌梨くん」とにこっとした。
「てか、遅くなって焦ってたけど、え、紗月さんとか弓弦さんとかここで夕飯……?」
「夕ごはんは、おうちで弓弦が作ってくれるよっ」
「ここ、夜になったら娼婦とか男娼がうろついて、その客も来るからな。萌梨くん危ないんで、一緒に悠のこと待ってたんだよ」
「俺待ち!? え、うわっ、何かすみません。じゃあ、えーと、毬音ってもう帰ったか分かりますか」
「休憩室でスマホやってるわよ」とミキさんが声をかけてきて、「呼んでもらえますか」と悠紗はお願いする。請け合ったミキさんは毬音さんを呼びにいき、「じゃあ萌梨くん、部屋行こうか」と悠紗に言われて、僕は足元の旅行かばんを膝に引き上げた。
 翼くんは素早く立ち上がって僕を通してくれる。会計をしていると、「悠」とバッグを提げた毬音さんも現れ、「じゃあまた月曜日に」と紗月くんたちと別れて、僕たちは人通りが混みあいはじめて熱気がただよう道に出た。
「月曜日にも会うの? 昼?」
 悠紗が首をかたむけたので、僕は忘れないうちに今からチケットが確保できるか訊いた。「余裕だけど」と返ってきたので、「紗月くんたちも行きたいって言ってて」と伝える。「マジかっ」と悠紗は取り置きを快諾してくれて、僕はひとまずほっとした。
「あ、それで──この子が毬音だよ。つきあってる……と思う」
「と思う」
「たまに不安になるほど愛想がない」
「はあ……」
「さっき挨拶したよ、おにいさんでしょ」
「え、そなの」
「うん。──さっきは勤務中だったのにすみません。私語で怒られなかったですか」
「少しだけでしたから」
「毬音には、とうさんにも会ってほしいんだよなー」
「父親なんてどうせろくでもないでしょ……」
「俺のとうさんに会ったら、そんな偏見も変わるって。いつか会ってもらう。よし、萌梨くん、はぐれないようについてきて」
「分かった」
 悠紗は毬音さんとは手をつないで歩き出し、僕は旅行かばんが人に当たらないよう気をつけながら、ふたりについていった。
 店の明かりで通りはわりと明るく、話し声や笑い声、音楽がごちゃ混ぜになって騒がしい。たまにすれちがうテイクアウトの店先からいい匂いがした。人混みと昼間を照り返すアスファルトで暑くて、汗が滲んでくる。
 そんな通りを悠紗についていって抜けると、アパートが並ぶさっきより静かになった場所に出て、その中のひとつの二階の一室が悠紗と毬音さんの暮らす部屋だった。
 そんなに広くはないフローリングのワンルームだけど、エアコンはあるし、キッチンとユニットバスもついている。壁にはポスターがたくさん貼られていて、段ボールにCDが詰まっていたり、ギターの機材がしまってあったりする。
 お揃いのものとか、カップルらしいものは見つからなかったけど、ふたりには同じ空間に帰ってきてリラックスしている空気が確かにあって、同棲してるんだなあ、とようやく実感したりした。
 僕は部屋の隅にかばんを置き、毬音さんはさっそくキッチンに立った。クーラーをつけた悠紗もギターや荷物をおろして、冷蔵庫から缶ビールと烏龍茶のペットボトルを取り出し、烏龍茶を僕に渡す。
「悠紗、ビール飲めるの?」
「ライブハウスでよく飲んでるうちに慣れた」
 プルタブを抜いた悠紗は、ごくごくとビールを飲む。もうこの子二十一だからお酒飲んでもいいんだよな、とついつい「お酒はダメだよ」なんて言いそうになるのをこらえる。
 僕も水分が足りなくてくらくらしていたので、冷え切った烏龍茶をごくんと飲んだ。胃がひんやりして心地よくて、ふうっとため息をついてしまう。
「悠紗は、十八のときからずっとここに住んでるの?」
「そうだよ。たまに頭おかしくてうるさい住人がいるけど、そういうのいるから、俺も気にせずギター弾いてる」
「こ、怖くない? 気をつけてね」
「隣の人の名字も知らないくらいつきあいないから、何かあってもスルーで大丈夫」
「聖樹さんの名義で借りたんだよね。保証人も」
「とうさんは、この部屋実際に見てなくて、書類送って書いて返送してもらっただけだけど。とうさんが見てたら『この部屋はやめなさい』って言ってそう」
「言うと思う」と僕が静かに肯定すると悠紗はからからと笑う。
「でもさ、だからってとうさんに仕送りもらっていい部屋に暮らすのは違う気がするんだよね。今の稼ぎでこの部屋が精一杯なら、この部屋で我慢だよ」
「仕事、中古CDショップとライヴハウスのホールだっけ」
「そう。でも、俺は音楽にも金使うし、毬音がいなかったらもっとろくな生活できてないかも」
「いつかは毬音さんを楽させてあげなよ」
「うん。だからメジャーで売れたい」
 僕は微笑し、「応援してる」と言った。悠紗は照れながらもうなずき、「明日は、俺んとこのメンバーに会ってくれるんだよね」と予定を確認してくる。
「みんな都合つきそう?」
「三人とも会いたいって言ってた」
 enfant terribleのメンバーは、全員二十歳過ぎだと聞いている。昔は同年代の友達なんて持たなかった悠紗だけれど、変わったんだなあと感じる。
 トマトソースのいい香りがしてきた頃、「悠、お皿出して」と毬音さんが言って、「はいはい」と悠紗は立ち上がった。毬音さんが作ってくれたのは、シンプルなトマトソースのパスタだった。
「悠紗が手料理ちゃんと食べてるのは、聖樹さん喜ぶと思う」
 僕がつぶやくと、「とうさんの料理ほど栄養しっかりしてないけどね」と悠紗はパスタをフォークに巻きつけ、「悪かったね」と毬音さんはライチのジュースを飲んでいた。

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