家族になった理由
熱気をかきわけるような気だるさの中、マンションに戻ると、聖樹さんは食器洗いなどの家事も終え、座卓でPCを開いていた。
「ただいま」と声をかけると、「おかえり」と顔を上げてくれて、「仕事?」と僕は訊いてみる。「悠のブログ見てた」と聖樹さんは画面をしめし、僕も中腰で覗きこんでみる。そこには、ライヴの様子やオフショットが載っていて、写真の合間にはひと言が書いてあった。
悠紗は僕の義弟で、聖樹さんの実の息子だ。昔は三人でまったり暮らしていたものだけど、音楽を志す悠紗を、聖樹さんの友人であるインディーズバンド、XENONが付き人として採用し、悠紗は十歳になるかならないかのときから全国を飛びまわっていた。
それが、去年──悠紗は十八歳で、ついに部屋を借りて都市部の街に拠点を置くようになった。悠紗の担当はギターで、着々とヴォーカル、ベース、ドラムスとメンバーも集まり、今はenfant terribleというバンドで活動している。
悠紗はXENONのライヴのサポーターもしていたし、ほかのメンバーもそれぞれキャリアがあるようで、お客さんは毎回たくさん入って盛り上がっている様子だ。二、三回こちらに帰ってきてライヴしてくれたこともあるけれど、XENONに負けない大盛況だった。
「悠紗、うまくいってるみたいだね」
写真の中でバンドメンバーと笑っている悠紗に、微笑みながら僕が言うと、「あの子、音楽以外に興味なかったからなあ」と聖樹さんはしみじみと答える。
「ほかの道なんていうのも、考えてなかったし。しっかり音楽でここまで来れてよかった」
「メジャーデビューするのかな」
「どうなんだろ。インディーズにこだわらないようなことは言ってたね」
「悠紗のこと、テレビで観れるようになったらすごいなあ」
「全部録画しなきゃ」
きまじめな聖樹さんの台詞に笑ってしまったけれど、僕もそれを手伝ってしまうだろうと思う。幼い頃からギターを頑張ってきた悠紗の活躍は、残せるものは残していきたい。
「彼女さんとも、仲良くいってるのかな?」
僕がそう言うと、「それ、まだ実感なくて」と聖樹さんは苦笑いする。
「あの悠が、女の子と同棲してるんだよね」
「子供の頃、好きな女の子なんてできないよって言ってたのがかわいかった」
「あはは。まあ、僕たちが教えられることは教えたし。教えられないことは四人が教えたよ」
「悠紗は人生の先輩に恵まれてるよね」
「ほんと。きっと悠なら、彼女さんを幸せにするよ」
「僕もそう思う」
聖樹さんはタブを閉じて、PCも閉じると、「少しお茶でも飲もうか」と提案した。僕がうなずくと、立ち上がってキッチンに移動する。
聖樹さんは冷蔵庫のペットボトルのストレートティーをグラスにそそぎ、僕は棚をあさってアーモンドクッキーの箱を見つける。それを持って座卓に戻ると、千羽ちゃんを送ったあと、まだ何も飲んでいなかった僕は、冷たい紅茶を飲んで喉を癒やした。聖樹さんは個装のクッキーを一度割ってから封を切り、破片になったものを食べる。
千羽ちゃんとの結婚を考えていくことを、聖樹さんに話すのはいいのだろうか。どのみち、聖樹さんにいろいろ訊かないと分からないのだけど。聖樹さんは悠紗の母親と結婚に失敗しているから、あまり結婚にいい想いがないかもしれない。それでも、僕が結婚するなら聖樹さんに伝えたいことはあるし──
話そう、と決めると、「聖樹さん」と僕はグラスを座卓に置いた。
「うん?」
「きちんと、話しておきたいことがあって」
「話しておきたいこと」
「そろそろ、真剣に考えたほうがいいのかなって。その、……千羽ちゃんと、結婚というか」
聖樹さんはまばたきをして、でもすぐに「そうだね」とうなずいた。
「つきあいはじめて、ずいぶんだもんね」
「八年だね。年齢的にも二十七と二十五だし」
「昔は適齢期とか言ったね。うん、考えていいと思うよ」
「それで、えと、聖樹さんは──」
「僕?」
「聖樹さんは、聖乃さんとしないの? 結婚」
「えっ」
思い設けなかったのか肩を揺らした聖樹さんに、僕は気がかりをひとつ語る。
「ずっと昔、悠紗と約束したんだ。聖樹さんのそばには僕がいるから、悠紗は音楽のために家を出られるって。僕がいなかったら、悠紗は、聖樹さんをひとりにできないって言ってた」
「………、それは、もう──だいぶ昔の話でしょ」
「昔の話になっても、僕は聖樹さんをひとりにしたくない。だから、もし僕が千羽ちゃんと暮らすようになって家を出るなら、今度は聖乃さんにここにいてほしい」
聖樹さんはうつむき、「そうだね」と小さくつぶやいた。
「ひとり暮らしは、正直不安かな」
僕は聖樹さんを見つめたのち、「僕がひとりで考えてることだけど」と前置きして切り出した。
「千羽ちゃんがいいって言ってくれたら、結婚しても聖樹さんと暮らしたい」
「え」
「僕にも聖樹さんが必要だから。やっぱり、気持ちが落ちこんだとき、分かってくれるのは聖樹さんだし」
「でも──」
「聖樹さんも聖乃さんと結婚して、四人で暮らすとか……無理かな?」
聖樹さんはとまどいを見せて、顔を伏せたものの、「僕たちの都合じゃないかな?」と不安そうに言う。
「聖乃さんも、千羽ちゃんも、やっぱり結婚したらふたりで新婚生活がしたいんじゃない?」
「どうしてもそれがいいって言われたら、せめて聖樹さんは聖乃さんと結婚してほしい。じゃないと、僕が悠紗に怒られるし、悠紗も安心して音楽ができなくなると思う」
「……そっか」
「聖樹さんは、結婚ってつらかった思い出しかないかもしれないけど。聖乃さんとなら、違うと思うんだ。きっと楽しいよ」
「そう、だね。それは、僕も思う」
「聖樹さんも、結婚考えていってくれないかな。それで、もし千羽ちゃんと聖乃さんが分かってくれるなら、変わらずに一緒に暮らそう」
「ごめん、僕が情けないせいで」
「僕も同じだよ。うなされたり、フラッシュバックしたり、そういうときは、聖樹さんじゃないとダメだし──僕たち、支え合えるから家族になったんだよ」
僕の言葉に聖樹さんは少し瞳を潤まし、「ありがとう」とうなずいた。
そう、僕たちはそのために家族になった。誰よりも分かりあえる、鎮めあえる、支えあえるから。同じ痛みを通し、孤立させずに寄り添う。ひとり重い闇で苦しんできた先で、見つけた光そのものなのだ。僕と聖樹さんができることなら一緒に暮らしていきたいのは、自立できないとか依存しているとかではなく、そのために出逢った家族だからだ。
週末、聖樹さんは聖乃さんとデートに出かけた。つまり、聖乃さんがオフなので千羽ちゃんがお店に出ていて、僕は家でひとり家事を済ましていた。
食器洗い、洗濯、掃除、昔から家事には慣れているので、手際よくこなしていける。ひと息ついたときにはお昼になっていて、キッチンを覗いて見つかったお素麺を湯がくと、氷で引き締めて香ばしいつゆに浸しながら食べた。
朝早くから蝉が鳴く今日も猛暑で、ガラス戸越しの日射しは熱っぽくてまばゆい。洗濯物が乾くのも早いだろうなあ、と素麺を食べ終わると麦茶をすすり、昼下がりに乾き具合見るか、と決めると、使った食器をキッチンのシンクに移して洗った。
それから、エアコンを消している部屋からウォークマンと読みかけの本を持ってきて、クーラーのきいたリビングでヘッドホンをかぶる。悠紗が送ってくれたCDから取りこんだenfant terribleを再生すると、仕事の後学になりそうな本のページをめくった。僕の職場はいろんな心の傷を抱えた人が利用するから、知識をつけておいて無駄にはならない。
途中、洗濯物を取りこんだりしつつ一日本を読んで、最後の奥付までめくると軽く背伸びして座卓に置いていたスマホで時刻を見た。もうすぐ十七時だ。聖樹さん夕食食べてくるのかなあ、と首をかしげ、その疑問をメッセで飛ばしておく。
そして、本を読んでいるあいだに来ていた着信をチェックしているうちに、さっそく聖樹さんから返信が来た。聖樹さんのトークルームに移ると、『今日は聖乃さんと食べてくるので、千羽ちゃんとゆっくりしてください。』とあった。
『了解です。』と僕は返すと、今度は千羽ちゃんのトークルームを開き、バイトを上がったら一緒に何か食べようと誘った。すぐ既読にならないのは、仕事中だからだろう。
どうしようかな、と音楽を止めてヘッドホンをはずしながら考える。外食もいいけれど、今からなら僕が何か作っても間に合う。千羽ちゃんは、外食より僕の料理のほうが好きかなあと冷蔵庫を覗きにいくと、サーモンの切り身やサラダになりそうな野菜があった。
ムニエルでも作ろうか、と献立が思いついたので、そうすることにした。野菜はトマトとアボガドでサラダ、じゃがいもでマッシュポテトを作ろう。あとはスープとごはんをつければいい。よし、と僕はエプロンを身につけて、料理に取りかかった。
お米を洗って炊飯器にかけ、片栗粉を敷いたまないたに、サーモンを二枚取り出す。塩をふりかけて味つけすると、片栗粉をまぶしていく。フライパンにオリーブオイルを垂らし、バターを柔らかな匂いに溶かすと、弱火でサーモンを炒める。胡椒を加えたりしつつ両面焼くと、レモンを落として蓋をして蒸し焼きにした。そのあいだにトマトとアボガドのサラダを作り、できあがったサーモンムニエルはそのまま、また温められるようにフライパンに置いておく。
次はじゃがいもの皮を剥いて、マッシュポテトを作る。串が通るまで火にかけ、ゆであがるとフォークでつぶして、牛乳、バター、コンソメを入れて弱火で仕上げていく。塩胡椒で味をととのえるとできあがりだ。最後のコンソメスープは、顆粒のものを食べる前にマグカップに溶かすことにした。
料理に没頭していると、一時間くらい、すぐに過ぎてしまった。時刻は十八時半を大きくまわっていて、あと一時間と少しで千羽ちゃん上がるな、とスマホを見ると、千羽ちゃんの返信がついていた。
『メッセありがとう!
夕方のおやつ休憩です。
私も萌梨くんと夕食一緒したいな。
よかったら、萌梨くんが作ったごはん食べたい~。』
つい笑ってしまったけど、それならごはん作ってよかった、とほっとする。夕ごはんは用意できたよ、と返信しておき、一時間後くらいに商店街に迎えに行こうと時計を見やる。
それまでのあいだは、さっき着信していたメッセへの返事を作文することにした。無心にフリック入力をしていると、それでけっこう時間はつぶれて、はっと時計を見ると十九時半が近づいていた。外はまだ少し明るくても、カーテンを引き、身なりを一応確認して部屋を出る。
玄関を隔てて、異次元に飲まれるみたいに温度が変わる。マンションを出ても風はなく、空は緩やかに紺色に落ちようとしている。どこかでまた蝉が鳴いていて、夕食時の物音や匂いも散らかっていた。そんな住宅地を抜けて、遊ぶ子供たちも帰ってしまった公園沿いを歩き、ざわめく駅前に出る。
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