カラフルパーチ-21

生きていく音

 週末はよく晴れていたのに、今日はちょっと雲が動いている。でもそのほうが風もあって涼しくてよかった。昼間は閑散としている街並みを歩き、マップを見て何度も立ち止まりながら慎重に進み、十四時少し前に〈POOL〉にたどりつくことができた。
 自動ドアを抜けると、「あっ、萌梨くーん」とおっとりした声に呼ばれて、僕はテーブルを見る。
「芽留くん。久しぶり」
「久しぶりーっ。わーん、結婚式行きたかったよーっ」
 歩み寄った僕に駆け寄ってくると、芽留くんはいきなりそう言って僕の手をつかんでぶんぶんと振る。
「はは。ごめん、芽留くん有名人だから、一般人の結婚式に呼んだら悪いかなと思って」
「えー、そんなことないよお。でもよかったねえ、結婚。今更感すごいけど、ほんとにおめでとう。聖樹さんにもおめでとうって言っておいてね」
「うん。もちろん」
「喉渇いてない? 何か飲んで涼んでから行こうか」
「そうさせてもらう。まだ時間あるよね」
「ナビによると、一時間もかからないみたいだし。パーキング見つける時間は抑えなきゃだけど」
「了解。アイスティーでも飲もうかな」
「ミキさんっ、萌梨くんにアイスティーですっ」
 芽留くんに言われたミキさんは注文を受けつけ、話をしていた女の人に断って席を外し、奥に注文を伝えにいく。ミキさんと話していた女の人は、スツールごとぐるりとこちらに身を返してきて、「いい歳なのに、あんたはほんとに変わらないわね」と芽留くんに言った。
「僕、まだ三十だもん」
「もう三十でしょ」
「あと五十年くらい生きるのにー」
「あんた八十で死ぬの?」
「分かんないけど。長生きはすると思うよ」
「……長生きはしそうね」
 僕が芽留くんと女の人のやりとりを見ていると、「あの子は杏里っていって、芽留の幼なじみなんだ」と紗月くんが声をかけてきた。はたとそちらを見て、「幼なじみ」と言うと、「僕のママと杏里のママが親友なの」と芽留くんが解説する。何かそんな人がいる話だけ聞いたことあったな、と思いながら僕はとりあえずテーブル席に着き、芽留くんはその隣に座る。
 結音ちゃんはベリーのタルトを食べていて、「杏里ちゃんも結婚してるんだよ」と甘い匂いのカスタードクリームを頬張った。「はあ」と振り返って見た杏里さんは、スタイルもよくて美人だけど、それに加えて気の強そうな印象があって、あんまり接したことのないタイプだなと思う。
「あ、えと……初めまして」
 それでも一応挨拶すると、「こちらこそ」と答えただけで杏里さんはカウンターに向き直った。「杏里が感じ悪いよー」と芽留くんがごねると、「初対面で馴れ馴れしくするタイプじゃないでしょ、彼」と杏里さんは言い当てる。「そういう感じって分かるかな」と僕は紗月くんに訊いて、「杏里は男の人に鋭いから」と紗月くんは苦笑いした。
「でも、ちゃんと旦那さんひと筋だし。いい子だよ」
「そうなんだ。旦那さんも来てるの?」
「ううん。杏里はミキさんの姪でね、ここでよくしゃべってるんだよ」
「確かに、似てる感じあるかも」
「今日会ったのも偶然。結婚前は、杏里と芽留はご近所でもあったんだけどね」
 うなずいていると、「はい、どうぞ」とミキさんがアイスティーを持ってきてくれた。ミキさんも杏里さんのように美人だけど、きつそうな感じはなくて艶やかな感じだ。「ありがとうございます」と僕はストローをグラスにさし、澄んだ香味を飲みこんで喉を癒やす。
 芽留くんと杏里さんはまだ何やら言い合っていて、その様子が喧嘩するほど仲がいいといったものに見えて、なるほど幼なじみ、と納得してしまった。
 それからしばし、〈POOL〉でのんびりして、ホールの入場が十八時からなので、十六時くらいに僕たちは席を立った。「また杏里の家遊びに行くね」と芽留くんが言うと、「何ももてなさないわよ」と杏里さんはおもしろくなさそうにコーヒーを飲む。
 けれど、「僕と弓弦もたまには挨拶に行く」と紗月くんにも言われると、「弓弦はまたスカウトしようとされるわよ」と杏里さんはおかしそうに笑ってみせていた。「スカウト」と僕がまじろぐと、「杏里の旦那さんは、モデル出身の俳優さんなんだ」と芽留くんが説いて、やっぱり芽留くんの周りは華やかだなと思った。
 会計前に、僕も杏里さんに会釈しておいて、今度は目礼してもらえた。それぞれお金をはらうと、〈POOL〉を出てパーキングまで歩き、そこから車で会場ホールのそばまで一時間ぐらい走った。
 さいわい、ホールから徒歩十分くらいのコインパーキングに車を停められて、元は駅のロッカーにでも預けようと思っていた旅行かばんは、トランクに入れたままにしてもらえた。
 ホールの入口の前には、すでにいくらか入場待ちをしている人たちがいた。「ここで待つなら、今日ちょっと日陰でよかったねえ」と降る気配はない雲を芽留くんが見上げ、僕たちはうなずく。
 十八時になると、待機していた人たちが動き出し、僕たちもenfant terribleで取り置きしてもらっているのを確認してもらい、チケット代とドリンク代をはらう。中に入ると、フロントのようなフロアがあって、そこで物販が始まっていた。
 その先の扉の向こうが、ホールだった。左手にバーカウンターがあり、さっそくドリンクチケットを飲み物に変えている人がいる。ステージに近い前の方に人は集まっているけれど、「後ろなら盛り上がっても巻きこまれないって言ってた」と悠紗の助言をそのまま繰り返し、僕たちは最後列の壁際でステージを見渡すことにする。
「結音見える?」と紗月くんが気にすると、結音ちゃんは「楽器あるとこは高いから見える」とわくわくした表情で言った。「ほんとにいつもに較べたら広いねえ」と芽留くんはきょろきょろして、「勉強になるなー」とどうやら作品に生かすことを考えている。
 開演は十九時だ。それまで僕たちはそわそわと話をしたりしていたけれど、ふっと会場が暗転して照明がステージを照らし出すと、トップバッターのバンドからイベントが始まった。
 各ライヴハウスの主力アーティストが集まっているだけあって、素人目にも出演者のレベルが高く、観客も前方から真ん中くらいまでは前倒しになりそうに盛り上がっていた。「悠ちゃんは前のほうで観たいなあ」と結音ちゃんが言って、しかし紗月くんは、「僕があの中に行けない」と真顔で答えていた。
「僕も悠くんは前のほうで観たい」と芽留くんまで言い出し、「行っちゃっていい? あれに混ざってきていい?」と僕と紗月くんに訊いてくる。「気をつけてね」と紗月くんが言うと「わあい」と芽留くんは人だかりの中に入っていって、「芽留くんずるーいっ」と結音ちゃんが声を上げた。
「結音も大きくなったら自分で行けるからね」
 紗月くんは結音ちゃんの頭を撫でて、結音ちゃんは若干拗ねてしまっていたけれど、いよいよ悠紗たちenfant terribleがステージに登場すると「わあっ」と瞳を輝かせた。
「──意外とお客さん入ってるね。かったるい月曜日の夜なのにありがとう」
 疾走感のある曲を二曲続けて演奏してから入ったMCで、夏椰くんがそう言うと拍手が起こった。
「身内とかも来てくれてるのかな。ちなみにうちからは、ギターの兄貴が遠方から来てくれてます」
 う、と何だか恥ずかしくなると、「萌梨くんだね」と紗月くんが隣でくすりとする。
「何て言ったらいいのかな……僕たちは追いかけてる存在が本当に大きくてさ、届くのかなって不安になるときもあるんだ」
 XENONとBazillusか。確かに、なかなか強烈な存在だろうなと思う。
「でも、肩を並べられる存在になりたい。追い越せるとは思ってないけど、追いつけないとも思ってない。わざわざライヴに来ないと何やってるか分かんないようなバンドじゃなくて、遠くに住んでたって、ライヴに来れなくたって、僕たちの言いたいことが届くようなバンドになりたい。なるよ。だからついてきて。じゃあいくよ!」
 悠紗のギターが、空気を急激に捻じった。初生くんのベースと漣くんのドラムスのリズムが絡みあって、すべりこむように三曲目が始まる。
 僕は夏椰くんのMCを思い返し、不意に、昔とりとめなく考えたことを思い出した。
 聖樹さんに出逢って、部屋にかくまってもらって、でも、いつまでも隠れられてるわけがないと思って。そうだ、当たり前だ。どうせ僕は、そのうち親元の町に連れ戻される。しかし、聖樹さんと悠紗の温かさを知ったあとで、あの孤独を生きていけるだろうか。そんな不安が渦巻いて、ただそのときのために、悠紗には名の通った有名すぎるほどのバンドをやってほしいと僕は思った。優しい夢が覚めて、おぞましい現実に引き戻されても、テレビ越しに悠紗に会えるなら、かろうじて生きていけるかななんて……
 それを思い出すと泣きそうになって、顔を伏せた。今、僕はあの恐怖から、解放された。自由に生きている。好きな人たちと過ごしている。僕を追いまわす悪魔たちからはかけはなれた。
 そんなふうに救われたけど、悠紗にはすごいバンドのギタリストになってほしい。それが悠紗の、悠紗の仲間の追いかける夢なら。応援したい。どんなに遠くてもその音が届くほど、手が届かない存在になること。僕はあの大切な弟のそんな夢が叶う日を信じている。
 顔を上げて悠紗を見た。enfant terribleのステージを目に焼きつける。恐るべき子供たち。きっと将来、とんでもないことになる子供たち。
 今はまだ近くで見守っているけれど、必ずあの子たちは、自分たちを育てた人たちと同じ景色を見るだろう。自分たちの音を求めるたくさんの顔、声、拳──あの頃から一番強かった悠紗ならできるよ、と思って、やっぱりどうしても涙が頬を伝ってしまった。

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