彩られた羽
そんなわけで、僕が梨羽さん、聖樹さんが葉月さんにメッセを送信した。しばらく反応がなかったものの、不意に僕に着信がついて、梨羽さんが星がいっぱいの夜空の写真を送ってくれた。綺麗だけど──どういう意味だろ、と思っていると、『今夜はふたご座流星群』とひと言だけメッセも届いた。
ふたご座流星群。何かテレビが言ってたかも、と思っていると、聖樹さんのスマホにも着信がつく。
「え、葉月からなんだけど。今、星がすごいみたいだから見てみろ、だって」
「梨羽さんが写真送ってくれたよ。ふたご座流星群だって」
「あ、私、ネットニュースで見た。輝きが十年に一度なんだって。今夜なんだ」
「ほんとに? 見たいな。サンデッキから見れるかな?」
千羽ちゃんがそう言ったとき、僕のスマホにまた着信がついた。要さんだ。
『梨羽が言ってた。
この世はあの星の数よりつらいことばっかりなのに、その子は生まれてきてくれるんだなって。
今、みんなが見てる星の下に、生まれてくるんだって。』
ふっと梨羽さんの横顔がよぎった。梨羽さんのトークルームをスワイプで戻ると、星空の写真には、本当に数えきれない星が輝いている。美しい写真なのに、急激に切ないものがこみあげてくる。
この星たちと同じくらい、つらいこと、哀しいこと、やるせないことがこの世にはあふれている。僕もそれをよく知っている。死にたくなったほど、知っている。
なのに、そんなこの世に生まれてきてくれる。この世がどんなに痛ましくても、僕たちの元に生まれることを選んでくれた命が、今、千羽ちゃんのお腹の中に宿っている。
あまりにも痛ましいけど、みんながいてくれるこの世界。
『梨羽がそんなこと言ってたら、葉月がダチみんなで星を見ようって言い出した。
だから、どの星が萌梨たちの赤ん坊になって落ちてくるか、探してみようぜ。』
僕がその要さんのメッセを読むと、四人で顔を見交わして、何となく笑顔になってしまった。さっさく和室にあった上着を羽織って、リビングに戻った僕たちは、サンデッキに出る。
「わあっ」と千羽ちゃんが僕の手を引いて声を上げ、「すごい星」と聖樹さんと聖乃さんも天を仰いだ。空気が凛と冷えていて、息が白い。その向こうの澄んだ空めいっぱいに、数多の星がきらきらと散らばっていた。
そのとき、僕のスマホが震えた。見ると悠紗からの通話着信だった。通話にスワイプして「もしもし」と応えると、『紫苑くんからメッセ来た』と悠紗が言ったので、それで電話の理由は分かった。
「綺麗だね」
『うん』
しばらく僕たちは、ばらばらの場所で同じ星空を見上げていた。そうしていると、不意に悠紗が『梨羽くんが「早く会いたい」って』と電話越しに言ってくる。
「え」
『紫苑くんがさ、こんな世界嫌なことばっかなのに、子供が生まれてくるのは哀しいかって訊いたんだって。そしたら梨羽くん、あの星の中にいたら幸せなのに、この世に来ることにしてくれて嬉しいって』
「……そっか」
『だから早く会いたいって。俺もそう思うよ』
「ふふ、みんなそう思ってるよ」
『生まれたらそっち帰るね』
「待ってる。みんな」
『ん。てか、ほんとに星いっぱいだー。この街でも、ここまで見えるってすごいなあ』
「こっち、いくつか流れてるのも見えるよ」
『安産、お願いしときなよね』
「もちろん」
凍りつきそうな風に、感覚が消えていく手をきゅっとつかまれて、見ると千羽ちゃんが隣で星空を眺めている。僕は千羽ちゃんの手を握り返し、みんなと一緒に空を見た。僕たちの温かい体温が、真っ白な息になっていく。
この世には、星の数ほどつらいことがある。僕は知っている。羽をもがれた鳥のようにむごたらしく。でも、どんなに羽がえぐれていても、風切り羽さえ折れていなければ、また星や月や陽射しが彩る空を舞えることも、今は知っている。
そして、空の色のように豊かで、美しい未来に進むことができる。いろんな人に出逢って、いろんな幸せを見つけて、いろんな心に触れて。僕はそんなふうに生きてきたし、これからもそうして生きていく。
いろんな人が集う止まり木で、いつしか癒えて空を切るようになった羽をときおり休めながら、前に向かって進んでいく。いろんな人が僕を支えてくれている。だから、僕もまたそんな人たちの止まり木になれる存在でいたい。
聖樹さんに出逢うまで、僕はそんなこと知る由もなかった。僕を救ってくれたその人が、今、大切な父親でいてくれる。だから、僕は自分も父親になれるのが、とても幸せだ。
千羽ちゃんも言った。聖樹さんみたいなおとうさんに。そうなりたい。その子がいつでも帰ってこれる止まり木でありたい。
流星群の中で、ひときわ煌めく流星に願った。
僕は聖樹さんのような父親になって。
千羽ちゃんはどうか無事な心身で。
君がここに生まれてきますように──
その願いに一気に心を込めて、流れ星がすうっと光に飲まれるのを見守る。
かけがえのない存在が、またひとりこの家に来る。それを大切な人たちが祝福してくれている。もう、こんなに幸せでいいのか分からないほど幸せだ。
僕の未来の色彩が、またひとつ増えるのだ。それはきっと、僕と千羽ちゃんの夢が混ざった、きらきら光る無垢な色をしている。
──そうして、僕と千羽ちゃんふたりだけでなく、聖樹さんと聖乃さんの温かい想いにも包まれ、お腹の子は十ヵ月間を健やかに過ごした。
つわりの時期は、千羽ちゃんはかなりつらそうだった。僕には分からない感覚だから、千羽ちゃんには積極的に「無理」と感じたものをはっきり言ってもらった。たとえ良い香りでも、匂いが最もつらい様子だったから、料理は聖樹さん、洗濯は聖乃さんが頑張った。僕も日用品の買い物のとき、消臭に使うものなどは、香りが残らないものに切り替えた。
それを過ぎて安定期に入ると、千羽ちゃんにも穏やかな様子が増えてきた。やっと周りにも妊娠していることを打ち明けて、みんなに「おめでとう」をたくさん言ってもらった。ふたりで名前を考えたりするのも楽しくなってきた。
エコーを見せてもらったとき、僕らに性別を聞いておくか確認したあと、「女の子ですね」と産婦人科の先生は教えてくれた。それから、用意するベビー服は、思わずピンク色や花柄が増えてしまった。
四人で食事を取るときには、けっこう元気にお腹を蹴ってくるらしい。「早く一緒に食べたいのかなー」と千羽ちゃんは咲う。その頃になると、千羽ちゃんのお腹は目立ちはじめて、ほんとにここにいるんだなあ、と僕にもじわじわと親の実感が湧いてきた。
聖乃さんの実家であるソフトクリーム屋さんは、もちろん千羽ちゃんに産休をくれたし、出産後の育休も遠慮なく取っていいと理解してくれた。なので、夏が厳しくなってきた八月から、千羽ちゃんはバイトを休み、家でゆっくり過ごすようになった。
おかあさんになる前にしておきたいことはあるか尋ねると、「今のうちに、萌梨くんにいっぱい甘えておきたい」と千羽ちゃんは恥ずかしそうに言った。だから、僕はいっそう千羽ちゃんとの時間を大切にして、一緒に料理をしたり、DVDで映画を観たりした。
ついに陣痛が始まったのは、九月六日のお昼頃だった。利用者さんが帰っていった十七時、ちょっとスマホを見たら、『痛いの来たかも』とだけ千羽ちゃんからメッセが届いていた。僕が慌ててそれを報告すると、「そばにいてあげたほうがいいよ」と恵麻さんは僕の帰宅を許してくれた。
僕がばたばたと帰宅すると、千羽ちゃんがリビングでうずくまっていたので、「大丈夫?」と僕は千羽ちゃんを介抱する。千羽ちゃんは軽く息を切らしながら、かなりの痛みに耐えているようで、僕はすぐ病院に電話した。
さいわい、すぐ受け入れてくれるとのことだったので、タクシーで病院に向かう。千羽ちゃんは僕の手を握っていて、僕も千羽ちゃんの手を握っていた。
「子宮口開きかけてますね」
先生はそう言ったから、じゃあもうすぐ生まれるのかなと僕は思ったけど、まだまだ頭が通るくらい開かないと、赤ちゃんが出てこれないらしい。
ひと晩じゅう、千羽ちゃんに付き添った。日づけが変わった午前二時頃、陣痛の間隔がいよいよ短くなってきた。ようやく助産が始まって、苦しそうにいきむ千羽ちゃんの手を握ったまま、僕は死闘にも見える時間を励ましつづけた。
九月七日。六時十五分。
元気な産声が上がって、無事、五体満足の健康な女の子がこの世に誕生した。
「おとうさん、抱いてみて」
助産師さんは、僕の腕におくるみの中のいる赤ちゃんを預けてくれた。そのふにふにした柔らかさとほのかな重み、何よりほかほかした体温にどきどきしながら、僕は赤ちゃんを慣れない腕に抱いた。まだ目も開いていなくて、生まれたてで赤みがかった軆をしている。けれど、僕と千羽ちゃんの子供をついに腕に抱いているのだと思うと、目頭が痛いぐらいに泣きそうになった。
それから、赤ちゃんは千羽ちゃんの母乳をちょっと飲んで、新生児室に移った。ガラス越しにも、僕はずっと赤ちゃんを見つめていた。
「萌梨くん」と呼ばれて振り返ると、聖樹さんと聖乃さんがいた。「あの子」と僕が我が子をしめすと、「これで、僕たちは五人家族だね」と聖樹さんが優しく言って、僕はこくんとした。
「名前はどうするの?」
「あ、うん。最後は僕が決めてって言われて、いろいろ考えてたけど、何か、あの子の顔見たら決まっちゃった」
「そっか。じゃあ、千羽ちゃんに伝えておいで」
僕はうなずき、千羽ちゃんが休んでいる部屋に向かった。ひと晩じゅう、眠れずに陣痛と闘っていた千羽ちゃんはうつらうつらしていたけど、僕の声には反応して睫毛を上げた。僕はベッドの脇の椅子に座って、「お疲れ様」とまずは千羽ちゃんをねぎらう。
「ふふ、萌梨くんのためだから頑張れた」
千羽ちゃんは涙ぐみながら微笑み、僕は「ありがとう」と微笑み返す。
「あ、それで、赤ちゃんの名前だけど」
「決めた?」
「うん。彩羽、ってどうかな」
「いろは」
「千羽ちゃんが描いた絵みたいな綺麗な色をした、自由に飛べる羽で、彩羽」
いろんな名前を考えていた。字数とか語感とか、いろいろ考えた。けれど、結局は僕と千羽ちゃんの希望や夢をこめた、そんな名前にしたくなった。
彩羽。千羽ちゃんが大好きな、絵を描くこと。そして、僕が大切している、自由に飛べる羽があること。そのふたつをかけあわせた名前だ。
「そっか……。彩羽。綺麗な名前だね」
にっこりした千羽ちゃんの手に、僕は手を重ねる。
「あの子が大人になったとき、『生まれてよかった』って思ってもらえるように、みんなで見守っていこうね」
千羽ちゃんはうなずいて、僕の手を握り返す。窓からは朝陽が射しこみはじめている。
そうしていると、「鈴城さん、授乳いいかな?」とベッドごと彩羽が部屋に運ばれてきた。「あ、はい」と千羽ちゃんは上体を起こそうとして、僕はそれを手伝った。そして、千羽ちゃんは丁寧に彩羽を腕に抱いて、母乳を与えはじめる。
大好きな千羽ちゃんとの、かわいい娘。聖樹さんの言っていたことが分かる。この子が無条件に大切だ。自然と気持ちが優しくなる。守ってあげたいと決心が強くなっていく。
これから、僕たちは彩羽を未来に導いていく。この子にはどんな未来が待っているのか、それは僕たちにも分からない。でも、幸せな光があるように、僕たちがその手と手をつないで歩いていこう。
大丈夫、歩いていける。羽ばたいていくときまで、僕たちがそばにいる。
だから、彩羽。困ったときは、安心して僕たちを頼るんだよ。僕たちは、決して君を見捨てることはない。
美しく彩られた羽で飛んでいく日まで──いやたとえ飛び立っていっても、僕たちはずっと、ずっと、君の一番の味方でいる。そのために、僕も生きていく。
君が僕をまたひとつ強くしてくれるんだ。
ありがとう、彩羽。
この世に生まれてきてくれて、そして、僕たちの家を選んでくれて──本当に、心から、ありがとう。
ふと朝のさえずりが聞こえて、僕は窓を振り返った。陽光に満ちた青空の中へと、飛んでいく鳥たちが見える。
風を切っていくその羽ばたきは、とても自由で、どこへだって行けるように感じた。
FIN
