カラフルパーチ-5

僕の仕事

 将来、自分がどんな仕事をしているのか、二十歳になるぐらいまで分からなかった。聖樹さんのようにサラリーマンをこなせる自信もなければ、悠紗のようにつらぬきたい好きなこともない。
 いつか千羽ちゃんと家庭を作りたくても、もちろんそのためには僕も働いていなくてはならない。どうなるのかなと、不安が芽生えかけていたとき、恵麻さんに出逢った。
 聖樹さんは家にかくまっていた僕を引き取ろうと思って、そのまま警察に行ったわけではない。たぶん、警察にまっすぐ行っていたら、僕は昔の家に引き渡されていたし、聖樹さんは誘拐罪で捕まっていた。
 聖樹さんは、僕の事情も自分の事情も知った上で、かくまったことも引き取ることも理解してくれる場所を探すことにした。今では僕のおじいちゃんとおばあちゃんである両親にも手伝ってもらい、性的虐待を含む虐待からの保護に特出した施設を見つけ、そこに僕のことを相談した。
 さいわい、話を聞いた花丘さんという職員の女の人が、聖樹さん、そして僕の話を聞いて理解をしめし、「もう家に帰らなくていいよ」と言ってくれた。それから、ようやく警察や役所に届け出て、僕は告発するめまいと懸命に闘って、家庭裁判所の一室で書類を受け取って、聖樹さんの戸籍に入った。
 二十歳の夏、花丘さんに挨拶に行こうという話になった。花丘さんはまだその施設にいて、僕と聖樹さんをこころよく迎え入れてくれた。そのとき、恵麻さんも施設を訪ねて子供たちの相手をしたりしていた。
 恵麻さんは、以前その施設に保護されていたそうで、今度は自分が受け皿になれるようなことをしたいと動き出そうとしていた。その手伝いにさせてもらえることになったのが、見通しのなかった僕の未来をやっと映しはじめた。
 最初は、心の傷で生きづらくなっている人たちの『つみき』という名前の小さなサークルだった。けれど、いずれは集まってくれた人たちが社会に溶けこむ助けをする、正式な就労支援の場にしたいと恵麻さんが語ってくれたから、僕はそういう場所には必須の心理士になれたらいいと思って、残りの高校生活は進みたい専門学校を決めて勉強することができた。
 二十一歳から三年間、専門学校で勉強しながら、公民館を借りたりしていた『つみき』が事務所を持ったり、簡単な作業を卸してもらったり、福祉サービスとして登録されたり──社会に認められていくのを手助けしていた。
 僕が資格を取って、専門学校を卒業したのが去年の春で、恵麻さんは僕をすぐ『つみき』の正社員として採用してくれた。それから僕は精神的に社会に適合できない利用者の人の話を聞いたり、書類関連を引き受けたり、レクリエーションに混ざったりしている。
 恵麻さんはみっつ年上の三十歳で、今のところ仕事ひと筋で、彼女がいるとかできたとかは聞かない。僕と千羽ちゃんのことは、とても応援してくれている。だから、この週末に千羽ちゃんと結婚しようというのが「いつか」の話でなく、聖樹さんたちと共に「来春」を目指すのが決まったのは、月曜日のまだ時間帯が早くて、『つみき』に僕と恵麻さんしかいないときにでも話そうと思っていた。
『つみき』の事務所は、僕の最寄り駅からひと駅南に下り、駅前のビル街の一角にある。役所や警察署なんかも集まった地域だ。初めて訪れる人には、雑居ビルばかりでややこしいので、たいていはこちらが駅まで迎えに行く。もちろん、役所から紹介で来る人もいて、そういう人にはケースワーカーさんが付き添ってくれる。
 どんな人も、利用を決めてもらえたら、役所で軽く面談してもらって、利用許可が下りてからマイペースに通ってもらう。土日は休み、それ以外は毎日来る人もいれば、週に一度の人、月に一度の人、来なくなってしまう人もいる。来てくれる人も、作業をする人、本を読む人、職員と話をしたい人、一日の利用者数は少人数ながらいろいろだ。
 訪れる時間も決まっていないけれど、九時から十七時という利用時間は設けてある。お昼も自由で、お弁当でもよし、そばのコンビニに買いに行ってもよし、お小遣い程度のお金をはらってくれたら、けっこうおいしいお昼ごはんをこちらが用意することもできる。
 更新手続きをすれば利用は無料だし、作業をすれば少しのお金にもなる。
「おはようございます」
 雑居ビル二階の『つみき』のドアの鍵は開いていて、そう声をかけながら中に入る。すると、「おはよう」と恵麻さんの声がして、後ろ手にドアを閉めた僕は、靴をスリッパに履き替え、案内やチラシが貼ってある衝立の脇を抜けて、室内を見まわす。
 左手が職員の事務室で、右手が利用者のスペースだ。そのスペースの窓際で、恵麻さんがデスクトップPCに向かい合っている。そこにPCなんてなかったはずなので、「パソコン置くんですか」と僕は恵麻さんの背中に歩み寄る。
「うん。ワードやエクセルの勉強会を開けたら、のちのち役に立つ人も多いんじゃないかって」
 答えながら、恵麻さんは眼鏡をかけて画面と向かい合っている。恵麻さんは体格が大柄でしっかりしていて、でも顔立ちは表情が穏やかなせいか、瞳も口元も柔らかい。
「そうですね。とりあえず一台ですか」
「だね。何台も一気に揃わないね。好評だったら二台は置きたいけど」
「興味持ってくれる人、ちゃんといそうですけど」
「社会復帰のスキルにはなるよね」
「僕もそう思います」
 PCの画面を覗く。『準備をしています』という表示がゆっくり点滅し、次に切り替わる気配はない。
「来たら使えるパソコンがあると、利用者さんも楽しいかもですね」
「うーん、まあネットにはつながないんだけどね」
「そうなんですか」
「ネトゲとかに利用されるのは良くないし」
「いますかね」
「分からないけど。ネットにつながなきゃ、ウイルス感染もないし」
「なるほど。まあ、ゲームもデフォルトのアプリのくらいならいいんじゃないですか」
「そうだね。あと、ネット接続しないソフトならいくつか買っていいかも。来たけど手持ち無沙汰って人の相手になってくれるといいよね」
 恵麻さんは僕を振り返って微笑み、僕も笑んでうなずく。恵麻さんの利用者の快適さにこだわる姿勢はすごいなあと思う。
「というか、パソコンのセッティングって時間かかるね。届いた昨日にやっておけばよかったな」
「今朝からしてるんですか」
「そう。自分のパソコンなら、メーカーいつも一緒だからさくっと開通できるんだけど。他社製品をナメてたよ」
「そのメーカーなら分かるってだけでもすごいですよ。僕はパソコン、よく分からないです。全部聖樹さんができちゃうので」
「ああ、仕事IT関連だっけ」
「はい」
「萌梨くんは、いつも報告とかでエクセル使いこなしてるよ」
「聖樹さんとたくさん勉強しました」
 恵麻さんが笑って「努力が頼もしいよ」と言ったとき、画面の表示が不意に『もうすぐ準備が終了します』に変わった。「お」とそれに気づいた恵麻さんは、「八時には間に合いそうだな」と掛け時計を見やる。
「ほかの職員さんも来ますね。あ、そうだ。ひとつ恵麻さんに報告があるんです」
「ん、何?」と恵麻さんは振り返ってきて、軆を椅子にもたせかける。僕は少しかしこまってから、「先週一週間くらいで決まっていったんですけど」とリュックのベルトを握る。
「千羽ちゃんと結婚することになりました」
「おっ」
「何月何日ってわけじゃなくても……でも、ずっと前から決めてはいました。それが来年の春ぐらいにって、具体的に決まったので」
「そうかあ。よかった、おめでとう」
「聖樹さんも彼女さんと結婚しようってことで、話が一気に固まったんです」
「聖樹さんも。そりゃ、さらにめでたいね」
「結婚式も一緒に挙げて、そのあと四人で暮らすことにも、千羽ちゃんも彼女さんも納得してくれて。聖樹さんとは、引き続き一緒に暮らしていきます」
「そうだね。そのために親子になったんだもんね」
「はい。自立してないのかな、とか考えたりもしますけど、僕と千羽ちゃんのぶんのお金は家に入れるつもりだし、やっぱり聖樹さんがいる安心感は自分には必要かなって」
「いいと思うよ。俺も萌梨くんと聖樹さんが別々に暮らしはじめたら、正直ちょっと寂しい」
「ありがとうございます。結婚式、なるべく身内でとは思ってますけど、恵麻さんは呼びたいと思ってます」
「いいの?」
「紗月くん呼びたいんで、そしたら弓弦さんもついてくると思いますし」
「ああ、ついてくるだろうね。そっか、じゃあ俺も出席させてもらうよ」
「はい」と僕は微笑み、そのとき「おはようございまーす」と職員の女の子の声がした。「おはよう」と僕たちが返すと、衝立から現れた彼女も「わあ、パソコン!」と僕と同じ反応をして、駆け寄ってくる。僕は恵麻さんに事務室の鍵を預かってそちらに向かうと、朝一番のメールチェックから仕事を始めた。

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