心強い友達
紗月くん、というのは、ひとつ年上の僕の遠方の友達だ。悠紗の暮らす天鈴町で、同性の恋人である弓弦さんと暮らしている。
知り合った切っかけは、『ハンドメイド』という映画だった。同性間の性的虐待と同性愛をあつかったその作品は、非公開情報だけど、紗月くんの体験がモデルになっている。紗月くんは、『ハンドメイド』の脚本を担当した天海芽留くんと友達で、芽留くんは紗月くんの背景を知って、どうしても『ハンドメイド』を書きたくなったらしい。
芽留くんがXENONに主題歌を担当してほしいと申しこみ、XENONの面々は僕と聖樹さんの意見を仰いでから、別名義で一曲、書き下ろした曲を『ハンドメイド』に提供した。そしてその頃、まだXENONに同行していた悠紗が、やりとりするうちに芽留くんと仲良くなった。
そうして、僕は悠紗から紗月くんという『ハンドメイド』のモデルを知った。同世代の近い体験を持つ人なんて初めてだったから、会ってみたいなあなんて思っているうちに、悠紗が引き合わせてくれた。
紗月くんは、天鈴町限定配布の〔こもりうた〕という小説のペーパーを発行している。つらい気持ちを吐き出したいけど、聞いてくれる相手がいない、そんな人のためのペーパーだ。手紙に事情を書いて送ってもらい、それを紗月くんが客観的に小説化して、紙面に載せることで血だまりを吐く。
趣旨に添わない投稿とか、第三者が推し量って書くことができない内容も来ることもある。後者の場合はきちんと断りを入れて、返事の手紙を書くのだそうだ。
天鈴町を訪ねたときに〔こもりうた〕を見せてもらったけれど、これがすべて実体験から書かれたのかと思うと、すさまじいものがあった。
紗月くんの恋人の弓弦さんは、すごく綺麗な男の人で、仕事は堅気ではないとだけ聞いている。僕も紗月くんもびっくりしたのが、恵麻さんと弓弦さんに面識があったことだ。
恵麻さんは、施設に保護される前、天鈴町で荒んだ生活を余儀なくされていた。万引きしないと食事もないような家庭だったそうだ。そこから助け出される切っかけを作ったのが、弓弦さんだった。
当時、素直にお礼も述べられなかった恵麻さんは、できれば弓弦さんに会いにいって、感謝を伝えたいと話していた。そのため、僕は高校を卒業した春休み、恵麻さんと天鈴町を再び訪ねることにした。
前、ここに来たときにもお世話になった〈POOL〉という喫茶店で、僕は紗月くんと再会した。「高校卒業おめでとう」と紗月くんは僕に言ってくれて、「ありがとう」と僕は照れ咲いして、恵麻さんを紹介した。
弓弦さんのすがたがないのを訊いてみると、仕事で少し遅れているのだそうだ。「何か飲んでたらすぐ来るよ」と、紗月くんはカウンターに一番近いテーブル席を僕と恵麻さんに勧め、自分もカウンターからそのテーブルに移ってきた。注文を取りに来たオーナーの女の人に、僕は紅茶、恵麻さんはコーヒーを注文する。ミルクティーを飲んだ紗月くんは、「少しだけ、弓弦にお話聞いてます」と斜め向かいの恵麻さんに目を向けた。
「この街を出てからのことは分からなかったから、元気にしてるのが分かってよかったって言ってました」
「俺のことなんか憶えててくれたのがありがたいです、ほんと」
「弓弦は、自分と関わった人を絶対に忘れないみたいなので。そこは、すごいです」
「弓弦さん、今でもあの頃みたいな仕事してるんですか」
「たぶん、やめてはいないです。いろいろやってるみたいで、僕はよく把握してないんですけど」
「……弓弦さんが、初めて俺に目を留めてくれたんですよね。今やろうとしてることの根源は、そこにある気がします」
「萌梨くんに聞きました。自助グループでしたっけ」
「まず人が集まるかを見てます」
「ね」と恵麻さんは僕を見て、僕はこくんとして紗月くんを見る。
「とりあえずサイトを作ったから、あとはSNSとか掲示板で宣伝したり紹介したりして、来てくれる人もできてきたところ」
「そうなんだ。どういうことしてるの?」
「今は、公民館とかの部屋を借りて、お茶しながら雑談、みたいな」
「そんなに資金があるわけでもないですしね。きちんとした団体にしたいので、事務所になる物件を見つけないと」
「会社にするんですか?」
「会社というより、施設ですかね。集まった人の居場所になれるような」
「応援してます。──萌梨くんにもいい職場になるといいね」
僕がうなずいていると、紅茶とコーヒーが運ばれてきた。「いただきます」と僕は砂糖を溶かして、落ち着いた香りの紅茶に口をつける。恵麻さんはコーヒーをブラックで飲んで、「あ、うまい」とつぶやく。
その言葉に紗月くんがにっこりしていると、「あら、いらっしゃい」とオーナーさんが入ってきたお客さんに声をかけた。「紗月」とそのお客さんが第一声を発したので、紗月くんだけでなく、僕と恵麻さんも振り返る。
「弓弦。仕事大丈夫?」
「ああ。ごめん、十三時って約束だったのに──」
そう言いながら歩み寄ってきたのは、相変わらず、そのへんのモデルより整った容姿を持つ弓弦さんだった。僕に目を留めると、軽く頭を下げてくれる。僕もそうすると、弓弦さんは僕の隣の恵麻さんを見た。
恵麻さんも飲んでいたコーヒーをおろして、おもはゆい笑みを作ったあと、「お久しぶりです」と会釈した。弓弦さんはテーブルのかたわらで立ち止まり、「恵麻か?」と懐かしむ声で訊いてくる。
「はい。すみません、ずっと連絡もしなくて」
「気にすんな」と弓弦さんはくすっと咲ってから、「ずいぶん男らしくなったな」と紗月くんの隣に座って恵麻さんと向かい合う。
「最後は──お前が十四のときか。ろくに食えてなくてがりがりだったのに」
「今はバイトしてて、やりたいこともやってます」
「萌梨くんと何かやってるとは紗月に訊いた」
「へへ、萌梨くんは俺の右腕です」
恵麻さんがやんちゃに笑うと、弓弦さんも嬉しそうに微笑んで、「どうしてるか気にはなってたけど」と肩をすくめる。
「今はしっかりやってるならよかった。ごめんな、この街に来るのつらさもあっただろ」
「きちんと、弓弦さんに挨拶したいってずっと引っかかってたんで。機会ができたのは嬉しいです」
「そっか。ま、さっきも言ったけどあんまり気にすんな」
「あのときは、弓弦さんが気にかけてくれるのをまともに聞きもしなくて。施設に連れていくって迎えが来たとき、初めて弓弦さんがほんとに俺を助けてくれたって知って」
「実際に動いたのは、俺じゃないよ。そこまでの権力もなかったし。俺を補導に雇った人が何とかしてくれたんだ」
「弓弦さんがそれを頼んでくれたんですよね」
「頼むというか──放っておいたら何も変わらないとは言った。そしたら、お前を引き取る場所を探したのはもっとえらい人だよ。まあ、何ならその人にひと言伝えておく」
「お願いします」
「おう。しかし、こういう機会ができたのもすごいよな。まさか萌梨くんの上司とは」
「それはみんな驚いてる」
紗月くんが咲いながら言って、みんなも咲ってしまう。弓弦さんはオーナーさんにコーヒーを注文し、「恵麻がこうしてるの見ると、紗月が言ってたのもそんなに悪くないのかもな」と言う。
「僕?」
「〔こもりうた〕で見過ごせない奴がいたら、萌梨くんたちに逃がすのを手伝ってもらうって言ってたじゃん」
「あ、萌梨くん、それって恵麻さんに話した?」
「話しました──よね?」
「うん。──聞いてます。状況がひどい人からコンタクトがあったら、俺たちのところに連絡くれて、対応を施設に相談する話ですよね」
「はい。ご迷惑でしょうか、やっぱり」
「いや、まさか。ただ、今はそこまで力のある団体ではないのが逆に申し訳なくて。俺がいた施設とはつながってますし、違う施設でも、俺たちの活動に興味のある子が遊びに来てくれるようにビラ置かせてもらったりしてるんで。連絡もらえたときの横のつながりは、備えていきたいと思ってます」
「ほんとですか。ありがとうございます」
「俺自身が弓弦さんにそうしてもらって救われたから。手伝わせてもらいます」
紗月くんは安堵を混ぜて笑顔になり、そんな紗月くんの頭を弓弦さんは愛おしそうに撫でる。紗月くんは弓弦さんを見て改めて微笑み、「よかったな」と言われてこくりとした。
紗月くんと弓弦さんは、何だかいいなあ、と想ってしまう不思議な魅力のあるふたりだ。僕も千羽ちゃんとあんなふうにつながりたいなあ、なんて憧れる気持ちもある。
夕方まで四人で雑談して、日帰りでいつもの町に戻ってきた。その後も、僕が天鈴町に行ったり、紗月くんがこの町に来たりで、数回は会っている。
しょっちゅう会える友達ではないのだけど、メッセや通話もあるし、僕にはとても信頼できる存在だ。だから、千羽ちゃんとの結婚式には紗月くんは来てほしいし、紗月くんが来るなら弓弦さんも招待したいなと思う。
──その日、千羽ちゃんのバイトはオフで、家で趣味の絵を描いているとのメッセが来ていたので、僕はまっすぐ家に帰った。聖樹さんには、夕食がふたりぶんでいいのは先に伝えてある。聖樹さんより早く帰宅できそうなら僕が夕食を作ろうと思っていたけど、今日も地元に着いたのは十九時半くらいで、もう聖樹さんが帰って作ってるな、と推測してそのまま帰宅した。
ドアを開けると、肌に触れたクーラーの冷気にほっとして、家の中に「ただいま」と声をかける。靴を脱いでいると、「おかえり」と夕食の匂いと共に聖樹さんがキッチンから玄関を覗いた。
「大丈夫? 今日も暑かったね」
「ほんと。汗びっしょり」
「シャワー浴びたら? 上がる頃に夕ごはんもできるよ」
「いい匂い。夕ごはん何?」
「おろしハンバーグ。さっぱりしてるのがいいかなと思って」
「お腹も空いた。ちょっと何か飲んでからシャワー浴びる」
「どうぞ」
僕は廊下を抜けて、外の熱気でほてった頬を手の甲で抑えながらキッチンに踏みこむ。冷蔵庫を開けると、麦茶のボトルがあった。それを取り出して、水切りに並んだままのグラスを手に取ってそそいだ。
グラス越しに手のひらにひんやりとした感触が伝わり、それを一気に飲むと、香ばしい冷たさが喉を潤す。ふうっとため息をつくと、聖樹さんが料理をしているキッチンを向いた。
フライパンでは、ハンバーグがおいしそうな匂いと音を立てて焼かれている。ボウルにきゅうりとトマトを和えたサラダができていて、炊飯器でも水蒸気が上がってごはんが仕上がりそうだ。聖樹さんは味噌汁を作っていて、お玉杓子ですくった味噌を箸で溶かしている。
「じゃあ、シャワー浴びるね」と僕が言うと、聖樹さんはうなずき、「ごはん用意しとく」と微笑んでくれた。
昼間の熱がこもる自分の部屋にリュックをおろすと、スマホは取り出して、充電につないでおいた。着替えを選んで抱えると、エアコンで部屋を冷ましておくかに迷い、シャワーのあともリビングでごはんだしな、とやめておいた。
洗面所に入ると、汗が染みこんだ服を脱いで、換気扇がつけっぱなしの浴室に踏みこむ。タイルはひやりとして肌に心地よく、パネルで温度調節してから空の浴槽に向けてシャワーを出す。少しぬるめのお湯を軆に浴びせると、軆に張りついたような汗がするすると落ちていった。
さっぱりしたかったから軽くボディソープで軆を洗い、髪は濡れないようにして泡をすすぐ。顔も洗ってすっきりすると、息をついてから浴室を上がった。タオルで水滴を拭うと、緩いシルエットのそのまま寝てしまえる服を着て、素足で洗面所を出る。
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