伝えたい人々
聖樹さんが夕食をリビングの座卓に運んでいたので、「手伝う?」と声をかけると、「大丈夫、座ってて」と言われたので素直にそうした。さっき気づいたメニューのほかに、かつお節のかかった冷ややっこがある。ハンバーグにも大根おろしがかかっていた。
聖樹さんは手早く夕食を運び終えると、エプロンを外して僕の向かいに腰を下ろす。「いただきます」と一緒に手を合わせて、僕たちは箸を取り上げる。
「ごめんね、最近、食事作るの手伝えなくて」
きゅうりとトマトのサラダはごま油で和えてあって、まずその小鉢を手に取りながら僕は言う。「いいんだよ」と聖樹さんは冷ややっこに醤油をかける。
「萌梨くんも働いてるんだから」
「聖樹さんも働いてるのに」
「僕はもう、何年もやってる仕事だし。萌梨くんは日々進歩でしょう」
「あ、今日、利用者さんが使うパソコンが導入されたよ」
「パソコン。そうなんだ」
「エクセルとワードの勉強会とかできるようになったら、利用者さんの役にも立つんじゃないかって」
「そっか。なるほど、確かにエクセルとワードが使えたら仕事に就くとき有利だね」
「自分は使えるって自信になるだけでも違うよね。恵麻さんのアイデアと行動力、すごいなあって思う」
僕はさっぱりした味のきゅうりをぽりぽりと噛む。
「勉強会の希望者がいるといいな」
「そうだね。恵麻くんには、ほんと僕も感謝しないと」
「感謝」
「やりたい仕事が決まってから、萌梨くんもますます前向きになれたし」
「そ、そうかな」
「千羽ちゃんと出逢った頃から、いい傾向はあったけどね」
「それなら、聖樹さんも聖乃さんとつきあいはじめて明るくなったよ。眼鏡だってやめたし」
「はは。そうだね、伊達眼鏡をやめられるとは思わなかった」
聖樹さんは咲って、かつお節のかかった豆腐を口に運ぶ。僕もハンバーグとごはんをもぐもぐとしてから、「千羽ちゃんに聞いたけど」と口の中のものを飲みこんでから言う。
「聖乃さん、惜しかったかもって言ってたらしいよ」
「惜しい」
「眼鏡やめて、聖樹さんが明らかにモテるようになったって」
「そんなことないけど」
「そう? 告白されたりしない?」
「されても、恋人がいますからって断るし」
「聖乃さんもそれは分かってると思うけど、素顔は自分だけのものにしておくべきだったかなって思うみたい」
「じゃあ、眼鏡かけたほうがいいのかな」と聖樹さんは首をかしげ、「眼鏡かけても聖樹さんかっこいいけどね」と僕は笑いを噛む。
「そうかなあ。萌梨くんは髪が短くなって、かわいいって感じからかっこよくなったよね」
「はは……悠紗にも言われたことある。というか、今では一番かっこいいのって悠紗かもしれない」
「僕もそう思う」
「あ、悠紗には昨日結婚のこと報告しておいたよ」
「ほんと? 何か言ってた?」
「聖樹さんが結婚するかどうかは心配してたみたい。自分のおかあさんで嫌な思いしただろうからって」
「そう。いまだにあの子のトラウマになってるのかな。あの母親は」
「かもしれないね。あとは、バンドもバイトも、彼女さんとも順調みたい。頑張ってるみたいだよ」
「そっか」と聖樹さんは表情をやわらげ、「あの子もずいぶん成長したんだよね」とつぶやく。
「僕の中では、保育園に行くのを嫌がってたあの子が、まだ昨日みたいだよ」
「あの悠紗は強烈だったね」
「毎朝泣いてたもんなあ。萌梨くんが気遣って、家にいるのを見てくれるようになったんだよね」
「僕も一日ひとりなのは不安だったし、悠紗がいてくれるのは助かったよ」
「いい兄弟だよね。そう思う」
聖樹さんがにっこりしてくれて、僕ははにかみながらもうなずく。兄弟になると決めたときは、兄弟なんて変な感じだなあと思ったけれど、今は確かに悠紗は僕の弟だ。もちろん聖樹さんも自慢の父親だ。
弟とか父親とかの実感はあとからだったけれど、家族だ、とは出逢った頃から感じていた。僕は聖樹さんと悠紗に家族の温かさを教えてもらった。それまでは、家族なんて血のつながりに縛られた呪いだった。
「聖樹さんは、梨羽さんたちに伝えた?」
「まだだよ。週末はたいていライヴで疲れてるだろうから」
「僕は恵麻さんにも教えたよ。今夜、紗月くんにも教えようかなって」
「僕も今夜メッセージで四人に伝えようかな。たぶん、かなり騒がしく萌梨くんにも着信つけてくると思うけど」
「いいよ、ぜんぜん。嬉しい」
「ごはんのあとにでも。あの四人は、相変わらず恋人はできてないのかな」
「どうなんだろ。五月にEPILEPSYで帰ってきたときはいないって言ってた」
「じゃあ、ふた月ぐらいで変わってはいないか。いいんだけどね。四人とも、いまさら誰かとつきあうイメージ湧かない」
「要さんと葉月さんは、もしかしてって思ってたけどなあ」
「見事に女の人のことは性欲処理にしてるままだね。悠がそのへんは影響されずに彼女を作ってくれたの、僕、ほんとにほっとしてる」
思わず笑ってしまうけれど、実際そうだなあと思う。悠紗が要さんと葉月さんみたいに恋愛よりポルノを選ぶ男に育っていたら、やや複雑なものがあった気がする。悠紗は幼い頃、よく分からずに「ぽるのはー」とか言い出したりしていたけど、最近はそれもなくなったなと気づく。
「おじいちゃんとおばあちゃんにも報告しないとね」
「それは、一緒に実家に行ってしようか」
「そうだね。僕、千羽ちゃんのご両親に挨拶行くのが緊張する。おつきあいは知ってもらってるけど」
「僕も、聖乃さんのご両親に交際は認めてもらってるのに、何か怖い」
「そこも頑張ろうね」
「一緒にね」
「家族なら、沙霧にも教えとかないと」
「僕から言っておく?」
「沙霧は聖樹さんからがいいと思う。兄弟だし」
「そうだね。いつのまにかいろんな人に囲まれてるんだね、僕たち。結婚を知らせたい人がたくさんいる」
「いいことだよね」
「うん。ごはん食べて、まずは四人のスマホにメッセージ送ろう」
「僕も紗月くんに連絡する」
そんなわけで、僕たちは夕食を食べるのに集中して、空腹もあったのですぐに平らげてしまった。
洗い物は僕が担当して、聖樹さんはリビングでスマホをいじりはじめる。レモンが香る泡で食器やフライパンを包み、きゅっとするまでゆすいで洗い終えると、僕もスマホを取りにいった。
今度は部屋を冷やすドライをつけておき、充電の終わったスマホをリビングに連れていく。聖樹さんはスマホから顔を上げ、「四人とも同じ文章でいいかな」と訊いてくる。「いいと思うよ」と僕は床に座る。
「反応、誰が一番かな」
「とりあえず、要から送ってみる」
そう言って、聖樹さんはXENONの四人にメッセを飛ばしていく。僕もスマホの画面を起こし、たぶん何度か推敲するので、アプリで直接作文はせず、メール画面を開いた。書き出しは普通に『ごんばんは。』でいいかと入力していたら、聖樹さんのスマホが予想以上に早く鳴った。
「誰?」
「葉月だ。出ていい?」
「うん」
一番は葉月さんか、と思っていたら、僕のスマホにもメッセ着信がついた。確認すると、梨羽さんだ。どきどきしながら梨羽さんのトークルームを開くと、「おめでとう」系統のスタンプがみっつ連続で並んでいた。
梨羽さんは相変わらず文章はそんなに打たず、いつも写真やスタンプを送ってくる。そのスタンプも赤と黒だけの線画や影絵、ゾンビのキャラクターとか、独特なスタンプが多い。
お礼と一緒に『スタンプおもしろいですね。』と送っていると、「ちょっと落ち着いてよ」と通話相手をたしなめる聖樹さんの声がして顔を上げる。
「そう、萌梨くんと一緒に式も挙げようかって。──うん、来ていいから。ちゃんと四人とも招待するよ。──萌梨くん? ここにいるよ。──はい。うん、分かったから」
聖樹さんが気圧されているのに笑いを噛んでいると、また僕のスマホが鳴った。今度は紫苑さんで、『おめでとう』とシンプルなひと言が来ていた。それに対して『ありがとうございます。』と送信していると、「萌梨くん」と聖樹さんがスマホをさしだしてくる。
「葉月が話したいって」
「スマホ借りていいの? 僕がかけなおさなくていい?」
「構わないよ」
僕は聖樹さんのスマホを受け取ると、耳に当てて「もしもし」と声をかけた。『うおーっ、萌梨かあーっ』とお酒が入ってるのかなとも思うテンションの声が返ってくる。
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