ゆめがたり-12

春が来たら

 三月に入る直前、とうとう学校の呼び出しがあたしを越えてママに届いた。家で落ち合ったあたしとママは、「面倒ねえ」と共感しながら学校に出向いた。
 生徒指導室で安っぽいお茶を出され、あたしとママ、担任はテーブル越しにソファで向き合う。教師の話はありきたりで、結末を知る再放送のドラマよりつまらなかった。あからさまに倦む私服のあたしをたしなめ、スーツを着たママは一般論を並べ立てる先公と冷静に戦う。
「この子の行く手に大人が必要なときは、私が責任を負いますので」
 ママはそう言って教師の存在を否定し、わずらわしくして話合いの邪魔をするなとも釘を刺すと、勝手に話を切り上げてあたしと生徒指導室をあとにした。「かっこいい」とあたしは言ったけど、「話合いで答えは出すって妥協したわ」とママは舌打ちしていた。
 その後、ママは仕事にかまけているお詫びとして、あたしを食事に連れていってくれた。
 車を地下駐車場に停め、連れていかれたのはそのビルの最上階のレストランだった。ママの事務所がそばにあって、ママはここの顔なじみだ。
 堅苦しすぎない内装や雰囲気に、客も澄ました男女ばかりではない。雑談や笑い声が溶けこみやすい雑音になったここは、あたしも何度か来たことがあり、冗談半分にカウンターのマスターに口説かれる。夜景を望める窓際に案内したウェイターもママを敬っていて、男に尊敬される女っていいなあ、とここに来ると思う。
 ウェイトレスとはざっくばらんに話し、ママはマリカさんだけでなく女友達も多い。あたしは友達なんていなくて、そのへんをママにしかられていても、最近の同年代なんてどうしようもないのだ。向こうにすれば、あたしのほうがどうしようもないのだろうけど。
「シュンイチさんとどう?」とドリアをつつきながら尋ねると、「まあまあね」とママは黒い指先でナイフとフォークをあやつり、ムニエルを切り分ける。
「仕事が騒々しかったの。今度展示会もあるわ。先週会えたのが一週間ぶりだった」
「あたしには平気で一ヵ月ぐらい会わないくせに」
「恋愛と家族のつながりは違うのよ。恋愛は危ういかわりに大切にされて、家族は強いかわりにないがしろにされるの」
「ないがしろにしすぎてもいけないと思うよ」
「だから、今こうしてるわ」
 あたしは咲って、ワイン代わりのグレープジュースを飲んだ。「最近の杏里のこと知らないわ」と言ったママに、「大して変わらないよ」とあたしは近況をかえりみる。
「学校行ったり、芽留と遊んだり、実樹ねえさんのとこに行ったり」
「通ってるの」
「たまに。こないだ、芽留も連れていったよ。あ、そこで三人ぐらいの男と知り合ったか。その中のひとりがゲイで、芽留と仲良くなってた。紗月っていうの」
「女の子みたいな名前ね」
「でも男。で、相手の男がすごい美形でさ、こっちはバイなの。でも紗月に夢中」
「同性愛はまだ形式に頼れない代わりに、絆が強くなるのよね」
「で、そのバイの男──弓弦っていうんだけど、彼の親友がちょっと気になったかな」
「あら。ストレートでしょうね」
「ストレートよ。でも男娼なの」
 ママは噴き出し、ついで笑った。周りが振り返る中で笑いをおさめたママは、「さすがのあたしも、そんなのと恋愛したことないわ」と言う。
「ホストはあるけど」
「立派な男相手。売り専だったかな。金のためには男とも寝るって」
「いいじゃない、潔くて」
「そお?」
「お金も愛のうちよ。贈りもののひとつもしない男なんてたかがしれてるわ」
「それだけじゃないの。その弓弦が言うには、そいつ、失恋引きずって恋愛しない主義らしいんだ」
「みじめね」
「相手、死んだんだって」
 ママはひそみをして、白ワインのそそがれたグラスに口をつける。
 アルコールの匂いは、あたしにはちょっと恐怖だ。子供の頃、失恋したママを受け止めてあげる力がなかった頃、あたしは酔ったママがどんなやつあたりをしても耐えるしかなかった。皿を割っても、大声を出しても、時に殴られても。今のあたしは、醜いからやめろと引っぱたき返して、泣かせてあげるけど。
「ママにアドバイスもらえって芽留に言われた」とあたしが言うとママは息をつく。
「本気なの?」
「たぶん違う」
「じゃあ、やめておきなさい」
「何で」
「死んだ相手に執着する人間と恋愛するのは、やめたほうがいいわ。無意味な劣等感におちいるだけ。そういう人間にとっての死んだ相手には、勝てないのよ。死には美化しかないの」
「……美化」
「それに打ち勝つ生の気力があるなら別よ。ないなら、やめておきなさい。あんたのためでも、その彼のためでもあるわ」
 コーンスープをすくうあたしは、ママの意見に反論を見つけられない。事実なのだ。
 あたしには、死んだ人間に固執する人間とつきあう強さはない。死に閉ざされた心を切り開く、生の輝きもない。彼の繊細な容姿を想い、今のうちなら気持ちもなかったことにできるかしら、とたやすくあきらめに心を揺らす。
「実樹はどう?」と問われ、あたしは父親が実樹ねえさんに娼婦をさせていた話をする。複雑そうにしたママに、「会いにいかないよね」と確かめる。「あの子が嫌がるわよ」とママは咲い、白身の魚を口にした。あたしもドリアを食べて、弓弦が実樹ねえさんを助けたことなんかも話す。あたしの父親がどうなったか知らないというところで、ママは笑っていた。
 レストランを出たあと、同じビルで服と本を買ってもらった。ママがデザインした服をもらえることもあるけれど、買うほうが多い。ママはこのあと、呼び出しでつぶした時間のぶんの仕事があるらしい。家に送ってもらいながら謝ると、「親だもの」とママは微笑んだ。
「杏里」
「ん」
「進路のことだけどね」
「……うん」
「何か考えた」
「………、ぜんぜん」
 ママは煙草を肺に溜め、ハンドルを握っている。
 時刻は二十一時前で、イルミネーションの元で通りは渋滞していた。ママはいらつくと煙を出さない。暖房がこもっていても、窓を開ければ寒すぎるし、それより排気ガスに酔ってしまうだろう。
 ママの車にはママの香水と煙草の匂いがして、車特有の悪臭が少ない。匂いだけで車の窮屈さも削がれるもので、ママの車に乗るのは嫌いじゃない。
 それでも、匂いも心には勝てないのか、未来を想うと息苦しく、あたしは深呼吸のようなため息をついた。
「あたしの部下に、デザイナーになるために高校中退して、家出した子がいるの」
「え、ああ。聞いたことある。今は親と和解してるのよね」
「そう。その和解したときの約束で、その子はデザイナーの仕事のかたわらで高卒を取ったわ。高校っていっても、いろいろあるのよ。全日制、定時制、単位制とか通信制とか」
「うん」
「杏里はたまにだったら学校行けるのよね」
「我慢はできる」
「だったら、単位制か通信制に入学するのはどうかしら。中学への言い訳になるわ。どうしても肌に合わなければ、辞めたっていいし」
「辞めていいの」
「自殺でもされるよりマシよ」
 あたしは咲い、車が少し動いた。ママは時計をちらりとして、「電話しなきゃ」とつぶやく。事務所にだろう。
「もう三月になるでしょ。今からどっか入学できるの」
「そういうところは、生徒の募集が四月とは限らないみたい。随時ってわけじゃなくても」
「へえ。すごいね」
「試験は、紙より面接ね。どう、中学ともきっぱり縁切りたいでしょう」
「うん」
「したいことが見つかれば、そのとき辞めればいいわ。見つからなくても、高卒がもらえるんだし。あると便利なのは確かよ。ただ、最低限の勉強はしないと退学もあるわ」
「あたし、中学の勉強、ぜんぜん分かんない」
「そういう高校は、信じられないぐらい基礎からやるらしいわよ」
「そっか。そうだね。三月だもんね。ぎりぎりまで待ってみたけど──」
 シートに沈みこんだ。半眼になると、ネオンやヘッドライト、信号が睫毛にかすむ。暖房に頭がぼやけ、食べたあとの軆のシートベルトが締めつけて少し気分が悪い。
「あたし、大人になったら何してんのかな」と言うと、「誰にも言い切れないわよ」とママは言う。
「ある日突然何になりたい、何をしたいって思い立つかもしれない。結婚して家庭に収まったっていいのよ。心を踏みつぶしても働かなきゃいけなくなることもあるわ。あたしとしては、死ぬ以外なら何でも受け入れるつもりよ」
 ママを見た。ママは微笑し、あたしも咲う。「分かった」とあたしの姿勢をただす。
「芽留も言ってたしね。待つのと考えるために、高校行ってみる」
 ママが笑んだところで車が流れ、ママは正面を向いた。
 高校ね、とあたしは他人事のように思う。女子高生という奴になるわけだ。あたしが。イメージつながらないわ、とあたしは窓の向こうの車や人の混雑を眺める。
「杏里」
「んー」
「さっきの話だけど」
「さっき」
「死んだ人間に執着する人間は面倒だって」
「ああ。あたしもそう思う。そんな気力ない」
「待って。あたしと杏里は違うわ。良くも悪くもね。興味が本気になることもあるの」
 あたしはママを向く。暗がりにママの表情は窺えなくても、運転していて正面から目をそらしていないのは見取れる。
「あんたの好きなようにすべきだわ。あたしの意見は、傷つくのが怖い女の意見よ。あんたは傷なんか怖がらない」
「怖いわ」
「彼を知りたいと思うなら、味わってから踏みこむかを決めたっていいの。彼を知れば、傷ついてでも欲しいって思うかもしれない。本気でね」
「本気って怖いよ」
「あんたは本気になれる素質があるわ。ない人もいるのよ」
「ママは」
「ないから結婚しないんじゃないかしら。永遠に愛し合うなんて信じられないわ」
 黙りこんで、シートに飲みこまれる。本気。彼を想ったあたしは、やばそうなんだよなあ、とぐったりする。
 彼には影がある。あの闇に触れたら、最後になる気がする。取りこまれて、行き先も逃げ道も真っ暗で、すべてが頼りない手探りになる。あたしには闇を切り裂く光なんてないし、それでも構わずに突っ走る強靱さもないし、まして道を直観する能力なんてものもない。
 あたしは彼を知りたいだろうか。まあ、本名ぐらいは──何だか大息してしまうと、惹かれないのが身のためね、と思索を放り出してシートに脱力した。

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