ゆめがたり-14

信じたいのに

 それを眺めてコーヒーをすすった来夢が、「ここ座れば」と思い出したようにあたしに隣をしめした。「女は嫌いなんじゃないの」と言うと彼は少し動揺を表したが、「お前は俺には女じゃないよ」とムカつくことを言ってスペースを作る。立ったままも邪魔なので、あたしはおとなしくそこに座った。
「まあねえ」といつもののんびりした口調で、芽留が沈黙を破る。
「信じてるからこそ、それがすれちがってたらって怖いよね」
 紗月は芽留を見て、言い得ていたのか素直にうなずいた。「自分が一番嫌」とかぼそいながら想いも口にする。
「弓弦のこと、ぜんぜんいい方向に信じられない。悪いことばっかり疑っちゃう。そんなのにも、弓弦にあんなのされて当然、みたいな気持ちにさせられる」
「んー、分かる。僕もさ、ママとパパが孫の顔見れないの実は怨んでんじゃないかとか思うもん。裏切られたらつらい人なんで、余計疑っちゃうんだよね」
「うん」
「そんなん、紗月くんだけじゃないよ。それはへっちゃら。人の気持ちってそんなもん。弓弦くんそういうのは分かってると思うし、それで悪くなったってのはないよ」
「そ、かな」
「完璧なんて、逆に人間味なくて怖いって。欠けてるとこを受け入れるのって愛情の証明でしょ。相手の弱さを補うのも、愛情の楽しみ。弱いとこって強さをくれるから、必要だと思うな。自分を責めるのはまだいらないよ。今は弓弦くんを疑うとこまででいいんだ」
「疑う」と紗月は首をかしげる。「気にしないのもやばいよ」と芽留は紗月をくみとって補足する。
「紗月くんが弓弦くんに冷めてるってことになっちゃう。懐疑も嫉妬も、ある程度なら、心と愛情が健康だって証拠じゃないかな」
「………、そう、かな」
「うん。へへ、登場人物に言わせてることだけど。僕がそう思うのはほんとだよ」
 紗月は微笑み、「ありがと」と言った。「友達だもん」と芽留はにっこりして、盗られるわよ、とあたしは内心弓弦につぶやく。来夢も似た想いなのか、ショウウィンドウに目をやっている。しかし、弓弦が急いで言い訳をしにくる気配はない。
 テーブルにひかえめな視線を流した紗月は、「でも怖いかな」と本音を口にする。
「弓弦がもし、別れたいとか、僕じゃ満足できないとかだったら」
「弓弦くんがそう思うと思う人ー」
 誰も反応しなかった。が、紗月は首を垂らしている。心変わりされる見当があるのだろうか。パスタを飲みこんだ来夢が、「また、あったんだ?」と不意に切り出す。紗月は彼に顔を上げた。
「………、こないだ」
「あいつは理解してるよ」
「もう、何回あったか分かんないです。二年も経ったのに」
「消えるもんじゃないんだ。そういうのが消えないのは、あいつ自身よく実感してる」
「………、」
「紗月くんが考えてることは、絶対にない。あいつは紗月くんの心が必要なんだ」
「心もあげられないんです。弓弦が好きなんですけど、ときどき──」
 あたしと芽留は瞳で問いかけあった。芽留も話が見えないようだ。紗月は深刻と不安を綯い混ぜにした表情で思いつめ、普段は淡々としている来夢の瞳は真剣だ。
 睫毛が長いせいか、彼は横顔がよく引き立つ。色素の薄い柔らかそうな髪、白い肌、もろい骨格が至近距離で空気に感じられる。性格や雰囲気は男らしいので、儚げな美少年とひと言でも片づけられない。
 この世を去ってもなお、この男を縛っている──どんな女だろ、と思っていると、「何」と彼が横目をしてきた。「ビューラー使ってるみたいね」とあたしは皮肉ってはぐらかした。彼は眉を上げたものの、自覚はしているのか何も言わなかった。
「紗月くん」と芽留は穏やかな口調で紗月を覗きこむ。
「今すぐ弓弦くんと顔合わせるのが怖いんだよね。次に顔合わせたら、この話になるの間違いないし。何言われるかって」
「……うん」
「なるべく早く戻るって約束する?」
「え」
「落ち着くまで、僕のおうちに来たら」
「えっ」
「あー、僕だと怪しまれちゃうのかな。じゃ、杏里の家に」
「何であたしよ。ていうか、そんなの逃げてるだけよ」
「あーん、学校も恋愛も逃げてる杏里に言われたくなーい」
「うるさい」
 芽留は紗月の背中を撫で、「ストレートには、たぶん分かんないよ」とまじめに言った。
「ゲイって不安になりやすいんだ。常識が染みついて怖いことばっか考えて、すごく未来が憂鬱になったりする。自信持ったつもりでも、ふっと意地張ってるだけじゃないかとか思ったりね。まして、紗月くんは相手がバイでしょ。ゲイ同士がつきあうのと、ゲイとバイがつきあうのは違う」
 紗月は芽留を見る。芽留の言葉は、わりと彼の心に沿っていたようだ。「ゆっくり考える時間がいるんだ」と芽留は言い、あたしは息をついた。「弓弦と別れないためにするのよね」とあたしは紗月を向き、紗月はこくんとした。「じゃあ、あたしのママに襲われないように」と警告はすると、紗月は一度芽留と顔を合わせ、笑顔を作ってうなずいた。
 そうして、紗月はしばらくあたしと芽留が預かることになった。紗月は“外”に出るのに恐怖がある様子でも、あたしと芽留が付き添うことで気をやすんじていた。「弓弦には俺がうまく言っとく」と来夢に言われ、「嫌われるでしょうか」と紗月は不安げにする。「紗月くんがしたいことなら、あいつは理解するよ」と彼は諭し、紗月は自分に言い聞かせるように頼りなく首肯していた。
「紗月くんに手え出したら、冗談抜きでやばいぜ」
 実樹ねえさんにも挨拶する紗月を眺め、来夢はあたしに釘を刺す。芽留は紗月の隣についていた。あたしは彼に目を向け、「ゲイに手を出すって趣味じゃないの」と言う。彼は咲い、「口達者な女って苦手だな」と言った。
「昔の女を思い出すよ」
「死んだって奴」
「………、どっから聞いた」
「弓弦よ。そこまでしか聞いてない。だからあんたには手を出すなって」
「手え出したい?」
「さあね」
「やめておいたほうがいいよ。俺の女は彼女ひとりなんだ」
 ごく親切な忠告の口振りだった。本当に親切なのか、罠か、意地悪か。「あんたに俺のことはどうにもできない」という彼の静止した瞳に、親切以外の影はない。
「俺は彼女のものなんだ。お前にくれてやるものなんかないよ」
「お前ってやめてくれない?」
「杏里。俺に手を出すな」
「………、あたし、あんたのこと何て呼べばいいの」
「来夢でいいよ」
「あたし、あんたのお客さんじゃないのよ」
「じゃあ、好きに呼べば」
「本名教えてよ」
「もう忘れた」
「教えてくれたらあきらめる」
「常套手段。俺の名前は来夢だよ。昔の名前は俺の名前じゃない」
 あたしは肩をすくめ、「あきらめてやらないから」と席を立つ。彼は面倒そうに息をついた。紗月たちがこちらにやってきて、あたしと彼を見較べる。「振られてたのよ」とあたしは代金をテーブルに置いた。
 弓弦がやってくる前に、ということで、あたしたちは彼を残して〈POOL〉を出ていく。自動ドアを通りながら、あたしは頬杖に沈む彼を見つめ、憶えてろよ、と心で毒づいた。
 四月も下旬で、空は五月晴れの鮮やかさだった。空の青は眺めるほど柔らかさが深くなる。この時期は風も陽射しも一番心身になめらかで、日中は引きこもっているこの街の人は少し憐れだ。まったく人通りがないことはなくも、街並みは閑散と眠っている。
「春は心のお休みなんですねえ」と風に髪を撫でられる芽留はほのぼのと太陽に目を細め、デイパックを背負う紗月はいくらか元気に咲った。
「来夢くんにはああ言っといたけどさ、僕のおうちにも泊まってくれるでしょ」
「どっちでもいいよ」
「そお。ママが会いたいっていってたから、会ってよ」
「……おかあさん」
「僕のママはいい感じだよ。ね」
 芽留はこちらを向き、「愛情を知ってる人よ」とあたしは真ん中の芽留を越えて紗月をやすんじる。紗月はうなずき、芽留も満足そうにうなずいていた。三人の中では紗月が一番身長があり、あたしと芽留は変わらない。「何か変な感じ」と紗月はデイパックのストラップを握る。
「何が」
「こういうの。僕、友達って持ったことなかった。弓弦にしか砕けられなくて、ほか、みんな敬語だし」
「外でもいなかったの」
「うん。外ではみんな怖かった」
「ゲイってことで、ここに来たんだよね。あ、ばれてリンチされたとか」
「え、いや、……というか。まあ、ここに来たのはゲイってことだけじゃなかった」
「そお。弓弦くんと逢ったのは二年前だっけ」
「うん。ゴールデンウィークが明けた頃」
「この街で逢ったの? 外?」
「この街」
「ここ、ひとりで来たの」
「うん」
「すごいね。僕は怖いや。今も杏里がないと」
「ない、ってどういう意味よ」
「あ、いや──」
「今度から放っていこうかしら」と眇目をすると、「杏里様」と芽留が腕にすがってくる。紗月は微笑み、芽留はそれに気づくと照れ咲った。

第十五章へ

error: