少年たち
セーラー服でこの街はやばいかと思っても、服を買うほどのお金はないので開き直った。コスプレとでも言っとけばいいわ、と思ったけど、堂々としていればあんがい放っておかれるものだった。そもそも、昼間なので人通りが死んでいる。
腕時計を見ると、十三時前だった。おなか空いた、と胃に痛みも覚えていると、前方に二週間ぶりぐらいの〈POOL〉を見つける。
道端では無関心にされたけど、ここではそうもいかなかった。客にも店員にもぎょっと凝視された。カウンターに行く途中のあの席には、またあの男の子がいて、同じく唖然としている。
今日は彼には相席がいて、二十歳ぐらいの荒んだ雰囲気の綺麗な男だった。そのへんの芸能人より遥かに端正な顔立ちで、印象的な鋭い眼光を前髪で隠顕とさせている。輪郭から骨格まで、ぞんざいに削ったようなのに線が完璧だ。でも、やっぱりあたしにぽかんとしていて、ゆいいつ、冷静にあきれているのが実樹ねえさんだった。
暖房に救われる体温に感覚をそそぎ、あたしは先日と同じ席に腰かけた。実樹ねえさんは息をつき、「そういうところ、ねえさんそっくりね」とメニューをさしだす。あたしはにっこりとして、「ママみたいにできないって落ちこんでたから嬉しいわ」と痺れた指でメニューを開く。
「ねえさんも気分が塞ぐと無茶してたわ」
「いらないところが似るって奴ね。コーヒーちょうだい」
実樹ねえさんはうなずき、奥に行く前に茫然とする店内に安全宣言を出した。たかが制服で呆気に取られ、ある意味、この街はうぶなのだろうか。
スカートがすれて腿が痛がゆくなっている。冷たい指を生き返る頬に触れさせ、体温が馴れあうと頬杖をついてメニューをめくった。財布を覗き、はらえる範囲のミートソースパスタに決める。
メニューを閉じると、あたしは左後ろの男の子の席を振り返った。こちら側が男の子で、向こうが綺麗な男だ。恋人同士なのかしら、と思っていると名前を呼ばれ、あたしは実樹ねえさんにコーヒーをもらう。
「あれが例の恋人」
「え」
「あのふたり」
背後のふたりをしめすと、実樹ねえさんは肩をすくめた。「ゲイカップルって初めて見た」と興味深く振り向くと、奥の男にガンをつけられた。ガキっぽい反応に笑ってしまい、あたしは実樹ねえさんにパスタを注文する。実樹ねえさんはまた奥のドアの中に何か言うと戻ってきて、あたしを眺め、改めて息をついた。
「すごい度胸ね」
「はっきり、ずうずうしいって言っていいのよ」
「自覚はあるのね」
「ここではそうなんでしょ。あたしはただの布切れでって思うけど」
「その布には、特定の意味があるでしょう」
「まあね。サボってきて、そのまま来たの。先公が進路がどうってうるさくてさ」
実樹ねえさんはどうとも言えない顔をして、あたしはコーヒーで体温を溶かした。後ろで恋人同士のひそひそ話が聞こえる。芽留に見せて自信をつけさせてやりたいものでも、あいつは滅多にあの町を出ない。ちょっと引きこもりよね、とあたしはコーヒーの湯気と香りを吹く。
「ずっと来ないから、夢だったのかとも思ってたわ」
「忘れてたのよ」
「ねえさんには」
「言ったわ。会うの怖いって」
「そう」
「冷静だったよ。実樹ねえさん、戻ってきたくないんでしょう」
「ええ」
「なら、おじいちゃんたちには黙ってたほうっていいってさ。ママは、あたしの父親が悪いって分かってたよ」
「………、ちょっと怖いわ」
「何が」
「杏里が。何を見抜かれてるか」
「中坊の小娘だよ」
「ねえさんの娘だわ」
「あたしはママほど賢くないよ」
実樹ねえさんは微笑み、あたしも咲ったところで、「実樹さん」とこころよい低音の声がかかった。移った実樹ねえさんの視線をたどると、例の恋人同士の綺麗な男がカップを突き出していた。実樹ねえさんはカウンターをまわり、テーブルのかたわらに行く。
あたしは温まった体温にウィンドブレーカーを脱ぎ、こないだ男の子が座っていたスツールに置いた。実樹ねえさんと男は、立ち話をしている。男の子はノートに書き物をしている。実樹ねえさんはカップを持ってカウンターに戻り、奥に入った。
あたしは恋人同士を盗み見る。男の子の書き物を覗きこんだ男が何か言い、男の子は咲う。
仲がよさそうで、何だかうらやましい。あたしはああいう穏やかな恋をしたことがない。あたしの恋愛はいつだって急激で、支配的で、何も残らない。ただ、あの人を好きになったことにだけ、胸に重みが残っているけど。コーヒーをすすり、ため息に水面を揺らす。
やってきたミートソースパスタをスプーンの上でフォークに絡ませ、今日の夜をどう過ごすかに悩んだ。芽留の家は留守だし、ママは仕事がいそがしい。外をうろつくのは寒いし、家は担任からの電話が鬱陶しい。
が、おとなしく自宅にいるしかなさそうだ。こういうとき別の友達がいればと思っても、あたしは恋愛同様に友達を作るのも下手だ。ひとりは嫌いじゃなくても、今はひとりは苦手だ。増える考えごとに、未来の直視を余儀なくされる。将来何してるかなんて分かるわけないじゃん、と今日も説教を垂れてきた担任にいらついて、コーヒーを飲む。
昼食が終わっても、あたしはコーヒーのお代わりでぼんやりしていた。実樹ねえさんは何も言わず、客もセーラー服に慣れてくる。来店した客はやっぱり驚いても、周囲が気にしていないので、すぐなじんだ。男の子はデイパックからペンケースと方眼紙を取り出し、何やらレイアウトしている。男は男の子が一緒に出した封筒の束をもてあそんでいる。あたしは五感を殺して内界に堕ちこみ、迫ってくる現実に吐きそうになっていた。
否応ない環境の変化は、未来への不安をかきたてる。小学校卒業のときはこんなのはなかった。小学校卒業と中学校卒業は、切り開かれる角度が違う。いや、たいていの人間は高校卒業あたりでこの憂鬱な未来の切開に取り憑かれる。勝手に生きているあたしは、責任が多くて将来が生々しい。
大人になって自分がどう生きているか。いろいろ考えていると気分が悪くなり、このまま時間が止まればいいのにと思う。大人なんかなりたくない。なってどうするか決まるまで止めておければいい。芽留は無関心は怖いと言っていた。本当だ。あたしはやりたいことがなくて、自分が空っぽみたいで、それがすごく怖い。
高校行くしかないのかなあ、と頬杖をついていると、外は陽が落ちていた。「そろそろそれで外歩くと面倒よ」と実樹ねえさんに言われても、着替えなんてない。「今のうちにさっさと帰るわ」と席を立ったとき、自動ドアが開く音がした。ウインドブレーカーを羽織っていたあたしは、その客への実樹ねえさんの対応が、「いらっしゃいませ」ではなく微笑だったのに手を止め、暗くなりつつある空を落とす窓際の入口を振り返った。
そのまま、視線も止まってしまった。来店してきたのは、ものすごい美少年だった。色素の薄いくせ毛、白皙の肌、顔立ちは女のあたしより遥かに愛らしい。軆の線も、骨格の割に筋肉が追いついていなくてもろい感じだ。そして、そんな繊細な容姿を気にしない、トレーナーとジーンズをざっくり着ている。
視線を感じたのか、たぶん二十歳には満ちていない彼はあたしを見て、例によってセーラー服に眉を寄せた。彼は男の子たちのテーブルの脇で立ち止まり、「何あれ」とあまり声変わりで穢れていない声で言う。
「実樹さんの親戚だって。ほら、こないだ、何か紗月が言ってたじゃん」
綺麗な男が言い、美少年はあたしの後ろの実樹ねえさんを見た。実樹ねえさんは肩をすくめ、「ふうん」と彼は興味もなさそうに男を奥にやってその隣に座る。
カウンターをまわって出てきた実樹ねえさんに肩をたたかれ、はっとした。「彼はやめておいたほうがいいわ」と実樹ねえさんはあたしに耳打ちする。
「並みの女じゃ手に余るの」
「……またゲイなの」
「ストレートだけど。きっとねえさんもそう言うわよ」
実樹ねえさんを見た。実樹ねえさんは微笑み、「暗くなるわよ」とあたしの背中を押す。ひとまず、ウィンドブレーカーを着た。
実樹ねえさんは問題のテーブルのかたわらに行って、美少年の注文を受ける。実樹ねえさんは、あの三人の交遊に個人的に関わっているみたいだ。あたしはウィンドブレーカーから財布を取り出し、お金はテーブルに置くとそのそばを通った。
ノートへの書き物に戻っていた男の子が過敏に顔を上げ、その反応にふたりもこちらをちらりとした。何だか立ち止まってしまいそうになったけど、男にできない男に愛想使ったってな、とそっぽを向いて通りすがった。「今度は着替えて来なさいよ」と言った実樹ねえさんには手を振って、あたしは〈POOL〉を出ていった。
とはいえ、ショウウィンドウを通りながら、ガラス越しに店内の三人を盗視した。美形のふたりが、封筒の中の便箋を取り出そうとして、男の子に慌てて取り上げられている。男の子は取り返した封筒を束ね、その恋人が何か言っている。
それよりあたしは、そのさまを笑顔を含みながら見ている美少年に気を取られた。彼はやめておいたほうがいい。実樹ねえさんがそう言うのなら、それが賢明なのだろうけど。ショウウィンドウを外れて視界に触れた白い息に、あたしはやっと寒さを思い出して身をすくめる。
実樹ねえさんのお気に入りなのだろうか。だとしたら、まあ、並みの女なら手を出しても劣等感に駆られるだ。
というか、どうでもいいけど、あたしはまだまだ並みのガキだと言われてしまった。ママもそう言う。あたしは遠ざかっていく〈POOL〉をかえりみて、いい男だったのにな、と舌打ちした。
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