空の雫-1

まともじゃない僕ら

 僕は落ちこぼれだ。説明は、これでじゅうぶんだろう。僕は染まれない。ほかにどう言ってほしい? 僕はあんたたちにはなれない。
 僕の下には、女の子がいる。早生まれで十七歳の僕と変わりそうにない、ガラス玉のような瞳をした子だ。生き生きとした瞳が宝石だとしたら、彼女の透いた硬さは模造じみている。モーテルの一室にやっとおさまるベッドで、僕たちはアルコールの味を介して口づけあっている。
 皺が刻まれたシーツに、彼女の紅茶色の髪がそそぐ。愛撫のうちに服を剥ぎ取ると、彼女の軆は男みたいなファッションに反して、量感に恵まれていた。肌は白いけど、服に隠れるそこかしこに紫の押し花がある。体温は蜂蜜みたいに蕩けそうで、滲んだ汗が脱いだ僕の肌と肌をなじませる。
 僕はジーンズの中で先走り、ボクサーショーツの彼女も濡らしていた。
「前開きついてんじゃん」
「男用だもん」
「女のボクサーってあるだろ」
「このデザインが好きなの」
 前開きから挿入できるかな、と思ったが、無理そうなので脱がせて、右中指をもぐりこませる。きゅっと締めつける肉壁を指の腹でなめすと、水飴が仕上がっていくみたいに、指に粘つきが絡みついてくる。
「いい?」
「うん」
 僕は彼女をいじるまま、左手で不器用にジッパーをおろし、トランクスから取り出したものを少しこすった。ベッドスタンドのゴムを咬み開ける。
 抜いた指を痣が咲く内腿に食いこませ、どろどろにひくつく膣を開くと、一気にねじこんだ。指で測ったから、角度は分かっている。
 いつも思うけど、女のここは底無し沼だ。どう腫れ上がったものでも、ずぶりと飲みこむ。僕は彼女におおいかぶさると、喉から震える息をこらえて、腰遣いを調律した。
 今日は十月の四回めの日曜日で、相棒とクラブに出かけた。よく行くパーティをはしごするうち、彼女に出逢って、僕は相棒を放ってモーテルに来た。どうせあいつだって、僕なんか忘れて朝六時の絶頂へと狂っている頃だ。
 緩く揉みあう腰に、軆の端々が発熱する。髪がもつれる彼女のうなじに顔をもぐらせ、蒸発する汗や香水を取りこんだ。彼女の吐息が熱く耳元にかかり、同時にひどく締めつけられて、つい眉が寄る。
 軽く身を起こすと、彼女の唇をふさいで淫した声を殺し、動きを強めた。熱が循環してこめかみに陽炎が起きる。彼女の一点と僕の角度が定まると、逃がさないよう、そこに発熱と搏動を振り絞って僕たちは絶頂に達した。
 触れ合った瞳から唇をちぎり、糸を引くまま肺いっぱいの息をつく。ちょっと咲い合って、彼女の額を撫でてその前髪をはらう。
 余韻の時間はない。引き抜くとゴムをはがし、熱にしなびたそれはゴミ箱にやった。身を起こした彼女は、僕を口で片づけ、下着におさめてジッパーも上げてくれる。
「あ、シャワー浴びたかったかな」
「別に。君は浴びないとね」
「だね。『仕事でした』とも言えないし」
 彼女は、軆にまといついて縞模様になる紅茶色の髪を背後にやる。僕はあの紫の押し花を想った。ちなみに僕には恋人はいないし、ろくに持ったこともない。
「仕事って」
「そういう店で働いてるの。ピンサロになんのかな。彼は見抜くんだ。仕事の臭いか、浮気の臭いか」
「犬みたいだな」
 彼女は肩をすくめて、鎖骨に綺麗な溝を浮かべた。そして、白と黄色のビッグパーカーをかぶり、かかとを踏みつぶしたスニーカーに足を引っかけてバスルームに行く。
 僕は、彼女のバギーパンツともつれていた自分のトレーナーを着る。そういやあの子ブラつけてなかったな、と思いながら、汗ばむくすんだ黒髪をかきあげる。
 僕はアル中でもヤク中でもないけれど、手も肩も腰も細身だ。生活は不規則だけど、ジャンクフードばかりではないから、体質なのだろう。
 よれて湿ったシーツを這い、ベッドスタンドに面したベージュのカーテンをめくる。淫猥なネオンが、魚の死骸みたいに闇に浮かんでいる。
 このへんはちょっとしたモーテル街だ。僕はここの裏通りの連れこみ宿崩れのアパートに暮らしている。毎週末はしごするクラブの界隈もご近所で、僕は毎日このへんをふらついているわけだ。
 戻ってきた彼女は、安っぽいシャンプーでなく、ほどよい香水をなびかせていた。
「シャンプーじゃ『やってきました』って感じでしょ」
 そう言いながら、バギーパンツに脚を通す。悪ガキみたいな格好なのに、ふわりとくすぐる匂いは瑞々しくなめらかだ。でも、もう僕は“臭い”になるから、彼女に触れない。
 僕はジージャンを、彼女は赤と黒のジップアップニットを着て、部屋をあとにする。
「そんなんで売り物になんの」
 部屋番号のバーがぶらさがる鍵をちゃらつかせながら、僕は彼女の格好に眇目をする。
「仕事のときはマシな格好してくよ」
 彼女は、エレベーターのボタンをぽんと押して点燈させる。そういえば、その爪はすらりとした指に沿って伸びて、色もサイバースカイだ。フロントで支払いを済ますと、「じゃあね」と僕と彼女は玄関でさっぱり別れた。
 左手首のデジタル時計は、青いライトをつけると“4:47”と表示した。
 空は闇に包まれている。広くない通りを見まわすと、クラブ周辺のようにきらびやかではない中、ふたり連れがちらほらしている。だが、行きずりの体温では足りないのか、みんな防寒は万全だ。実際、息こそ色づかなくても、風は無感覚に冷えこんで、体温が故障したように指先が消え入っていく。
 歩き出した僕はじめつく路地裏を抜け、さらにひっそりと暗くなる裏通りに出ると、数分でアパート305号室に到着した。
 階段をのぼると、廊下というより空間があり、両手に部屋が並んでいる。僕の部屋は、左の手前から三番目だ。玄関脇の窓には、カーテン越しに温かそうな明かりがもれている。
 僕はいろいろ押しこむポケットから鍵を取り出すと、灰色のドアを開けた。
「ただいま」
 声をかけながら、外の寒気を後ろ手で断ち切る。暖房が空気をやわらげる室内からは、「おかえり」という物柔らかな声が返ってくる。
「早かったね」
 駆け寄ってきたのは、僕のいとこで同居人の千歳ちとせだ。
 僕よりふたつ年上なのだが、もろげに華奢で、くせっぽい髪もすべすべの肌も色素が薄い。一応男に見えるけど、中性的で、格好も僕みたいにだらしなくない。
 おっとりしつつも、瞳は奥へと溶暗していて、あまり穏やかではない。
「途中で抜けてきちゃって」
「女の子といた?」
「臭うかな」
「いい匂い。希月きづきが寝る子だもんね」
 僕は咲ってスニーカーを脱ぐ。彼はバイで僕に気があるけど、こちらがストレートなのはじゅうぶん理解している。
紡麦つむぎは」
「今──五時か。ジョイント中じゃない」
「こないだみたいに、台所で吐かれまくるのは困るな」
「トイレでやれってな。今日、夕飯何?」
「チキンカチャトーラ。トマトのシチューみたいな奴だよ。あと、マカロニサラダ。食べる?」
「よろしく」
 軽く袖をめくった千歳が向かったキッチンは、玄関の左手に面している。リビングルームになる部屋にはパイプベッドが置かれ、ゲームやビデオデッキにつながったテレビもある。クローゼット、ベランダ、ユニットバスもある部屋だ。
 ワンルームなのに千歳が転がりこんできて、狭さはあっても、ここにさらに例の相棒──紡麦も加わるときもあるぐらい、僕はそんなのは気にしない。
 リビングのフローリングは、めちゃくちゃに散らかっている。服は脱ぎっぱなし、雑誌は開きっぱなし、食べかけは封を開けっぱなし、CD、MD、ビデオテープ、雑貨の海を踏んだり蹴ったりして、ベッドにのぼる。
 エアコンの真下で、温風がそそぐここも、シーツはずりおち、ふとんと毛布がぐちゃぐちゃに絡み合っている。この部屋で清潔なところは、千歳が世話するキッチンとユニットバスくらいだ。
 壁や天井には、ポスターやフライヤーが貼られまくっている。道ばたではぎとったライヴ告知、雑誌から破ったグラビア、連続殺人や猟奇虐待の記事、えぐいポルノポスター──
 僕は、ポルノの被写体の目は黒いマジックで塗りつぶす。目があると、ポルノじゃないからだ。床に散らかる雑誌のどのページの女も、壁にたくさんべたつくどのポスターの女も、プライバシー保護みたいに目に黒帯が入っている。
 まくらもとに転がるヘッドホンは、ベッドスタンドの柵と背中合わせのラックに乗る、ラジオMDにつながっている。その先にキャスターに乗ったテレビがあり、外国のアニメが爆発の場面で一時停止になっている。
 千歳は僕がバイトや遊びにいっているあいだ、この部屋で食事を作ったり掃除をしたり、アニメを観たりしている。
 千歳はひとりでは映画やテレビ番組が観れない。実写の人間が映っているからだ。そんなわけで、誰もいない部屋で試聴するときはアニメとなり、特に外国製のカートゥーンばかり観ている。軆がゴムみたいに伸びたり、爆薬で吹っ飛ばされても生きていたり、そういうのだ。
「このビデオ、まだ観る?」
 パイプの柵に頬杖をつく僕は、焜炉の前で、煮つめて柔らかくなったトマトの匂いをただよわせる千歳に問う。
「もう希月、ここにいるよね」
 鍋をかきまぜるまま振り返った彼に、「うん」と僕はラジオMDに仕込まれているCDを確認する。XENONだ。
「飯食ったら寝る──前に、シャワーも浴びる」
「じゃ、普通の映していいよ」
「いつ何をどこまで観たっけ」
「二日前に、『死人の晩餐』を、ゾンビが内臓かきあらしてるとこまで」
「タイトルセンスないよなあ。分かりやすいけど」
「観るの?」
 千歳はシチューを杓子で味見し、火を止めている。
「お食事中はやめといたほうがいいかな」
「紡麦が、続き観たいって言ってなかった?」
「もう忘れてるよ。ああ、一度でいいからゾンビをペットにしたい」
「餌どうすんの」
 僕は笑ってベッドを飛び降り、ジージャンを脱ぎ捨てるとテレビの前に腰をおろした。
 あたりは、ビデオテープとDVDロムと攻略本がごっちゃになっている。そばにラジオMDもあるわけで、CDとMDもある。ラックにはすでに漫画がいっぱいだ。
“死人のばんさん”と殴り書きされたビデオを画面に映すと、腐爛死体が生き残りの腹と悲鳴を引き裂いていた。
「もし、この世がゾンビに覆われたら、ゾンビになりたい? 生き残りたい?」
「ゾンビになりたい」
「僕は生き残りがいいや」
 僕は立て膝を抱え、真っ赤な内臓をえぐりだす土まみれの手を見つめる。
「毎日ゾンビで、殺戮三昧」
「どうせ食べられるんだよ」
「人間の肉は鳥肉に似てるんだってさ」
「やめてよ」と棚から皿を出す千歳は顰蹙した声を出す。
「これ、手羽先入ってるのに。紡麦来なかったから、三本ずつだね」
「でも、ゾンビもいいよね。死んでるんだし。生きていかなくていい」
 含み笑って、膝に頬を押し当てた。室温にほぐれた頬に、色あせたジーンズの生地がざらざらする。
 ベランダへのガラス戸を流し見ると、迷彩柄のカーテンの裾が白みはじめていた。頬と同じく生き返った指先でリモコンをいじり、死人の無表情な熱中を眺めていると、千歳が背後に座卓を広げて食事の用意してくれた。

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