巣に招く
水曜日以降の僕と紡麦はいそがしい。
仲間たちに商品をさばき、パーティに顔を出す。先週星華に逢ったパーティでは、つい彼女のすがたを捜してしまった。ポップコーンみたいに弾けた紡麦と別れると、いないかなあとあの悪ガキな格好を求めて、踊る人波をかいくぐる。
すると、突然背後から口をふさがれ、こめかみに何か突きつけられた。
「手を上げろ」
右こめかみに刺さるものは、拳銃の人差し指だ。僕は咲って手を上げると、あのなめらかな匂いの頭を肩に抱きこむ。背中に胸の弾力が跳ね、右肩に顔を出したのは、無論星華だ。
「遅かったね」と彼女は僕の腰にベルトみたいに両腕をまわし、「まあね」と僕は星華の曲線的な顎に頬をあてる。彼女の顎は温かいけど、僕の頬は冷たい。
「来る前にちょっとバイトしてきた」
「売人?」
「あれ、言ったっけ」
「人に聞いた。本当なの?」
「まあね。何か欲しい?」
「ううん、始めるとやりすぎるから、あんましないの。そっちもしらふだね」
「今んとこは」
「今からするの」
僕は肩をすくめた。星華に会えなければ、やるつもりだった。が、何だかそれは恥ずかしくて言いたくない。
「僕も軽くしかやらないよ。例の友達みたく、コントロールできる自信ないし」
「今日も別行動」
「うん──」
見やった店内は、ヤクをキメて踊る人間が、陰った光にごった返している。紡麦のちっちゃなすがたを見つけだすのは、僕の部屋でコンタクトレンズでも探すようなものだ。僕の腰から腕をほどいて隣に来た星華は、例によって赤と黒のジップアップニットに色落ちした黒のクロプトパンツを合わせている。
「会ってみたい?」
もう耳と口が密接していないので、空気を揺るがす音楽に負けない大声で訊く。
「興味はあるかな。ジャンキーな芸術家」
「本人は別に創作してないけど」
「男だよね」
「ん、言わなかった」
「言われたかな。ま、希月の友達ならおもしろそうだね」
「星華は、友達ってうざい?」
「何で」
「一匹狼なんじゃないの」
「あー、まあ。孤高ぶってるわけじゃないし。愛想咲いが好きじゃないの。だから、余計ドラッグには絡みたくないんだよね」
確かに、ドラッグが絡んだ関係なんて、ろくなものではない。中毒になると、もはや相手の価値を“持っているかどうか”で測る。
僕と紡麦も例外ではない。今はヤクがまわりきっていないから安心でも、紡麦は飄々と言ったことがある。
『俺はいつか末期になるから、そんときはさっさと見捨てろよ』
星華は紅茶色の毛先を指に絡め、床屋の看板みたいにくるくるとさせながら、「半分はね」とつぶやいた。
「強制されてるの」
「強制」
「男に。あたしがほかの人間とつきあうの、嫌なんだって」
「ずいぶんな野郎だな」
「怖いかな、そういう男がついた女って」
「えらい男?」
「クズ男」
「じゃあ、別に。たかが知れてるし」
「君もずいぶんな野郎だよ」
僕は笑って、「しばらくしたら、挨拶終わってあいつはブースに落ち着くから」と星華をカウンターに誘った。
時刻は零時をまわっている。星華の髪に似た色のアルコールをすすり、「先週どうだった?」とスツールに立て膝をする彼女を気にかけてみる。
「え」
「ばれた?」
「あー、まあ」
「よくそんな男とつきあえるな」
「ほかに行けるとこないもの」
僕は彼女の無頓着な横顔を見つめたあとに、「今日は朝までいられんの?」とグラスの冷たい表面をいじる。
「まあね。どっか行く?」
「んー、それもいいけど。あのさ、僕の部屋に来てみない?」
「希月の」
「と、ルームメイトの」
「待って。そのルームメイト、精神的に不安定とか言ってなかった」
「落ち着いてれば普通だよ」
「他人が顔出したりするのは平気なの」
「あー……」
今の千歳は、鬱状態が去ったばかりで名残が強い。やばいかなあ、と思っても、星華と気が合えば、彼の気丈になる要素が増えると思うのだ。僕としか接しなかった頃より、紡麦と知り合ってからのほうが、千歳は明るくなった。
まずはこのまま、紡麦と引きあわせたほうがいいだろう。紡麦と合うなら、千歳とも合うかもしれない。合わなければ、考えたほうがいい。
「まあ、まずは友達と会ってみてよ。紡麦っていうんだ」
「かわいい名前」
「顔もかわいいよ。十五歳」
「中学行ってないんだっけ」
「すごいよな。僕はさすがに中学は行ったよ」
「あたしは卒業はしたけど、グレてたな」
「喧嘩三昧」
「あたし、これでも女なの。売りとかね。自分の金持って、とっとと家出たかったんだ」
「僕もだよ。帰らずに生き延びるために、何でもやってる」
僕と星華は顔を合わせ、「何か同族だよね」と彼女は含み笑ってカクテルを口にする。
ところで、星華はほとんど化粧をしていない。唇に淡く色がかかっているくらいだ。あとは香水で、頬などはそのまましっとりとしている。「化粧面倒なの」と彼女は言った。
確かに面倒でじゅうぶんなかわいい顔だけれど、瞳は相変わらずガラス玉だ。
「希月ー!」
星華と雑談にふけっていると、背後にそんな呼びかけが混じった気がした。振り返ると、「やっほー」と両腕を頭上にかかげる紡麦がいる。水中のように人をかきわけてこちらにやってきている。
「あれ?」
同じく振り返って紡麦を認めた星華は、僕を一瞥する。僕は肩をすくめた。たどりついた紡麦は、星華のすがたにくるくるした瞳をしばたかせる。
「んー、と。えへへ。こんにちはっ」
汗に湿る前髪をいじくりながら、照れたみたいに紡麦は咲う。「こんにちは」と星華はくすりとしながら返した。
僕は時計を見る。
「まだ二時間も経ってないじゃん。もう場所変え?」
「まっさか。ララが来てるって聞いたから探してんの」
「日本帰ってきたんだ」
「そうそう。ここはぜひ本場を譲ってもらわなきゃっ。んで、この方は」
僕は星華と顔を合わせ、「この前から話してるだろ」と紡麦に向き直る。
「星華っていうんだ。僕とタメ」
「星華さん。ふうん。ふふふ」
「何ですか」
「いや、べーつにい」
「千歳のことなら話してるよ」
「何だ。ちっ、つまんねえ。んーっと、俺は紡麦。十五歳の受験生です。中学行ったことないけどっ。あはは、よろしくー」
ひとりで笑った紡麦に星華は笑いを噛み、「よろしく」と髪をはらってきちんと微笑む。
「意外と話になるんだね」
「え、何が」
「ジャンキーって聞いてたから」
「あー、今落ちてきてるから。そろそろ追加入れる。つーか希月、最近、質落ちてない? 効き目弱いよ」
「君に免疫がつきすぎ」
「そっかなあ。マイカさんは薬しないの」
「サイカね。するけど、適当だよ。やればハマるから」
「ハマればいいのにい」
「ハマったら死ぬでしょ。あたし、腰抜けだから、自分が死ぬよりは他人を殺すの」
「うー、俺はその場は謝って逃げますわ。そして後日、改まって」
「君のが怖いよ」
僕は口を挟まず、ふたりのなめらかになっていく会話を眺めた。良さそうだ。確かに紡麦は誰にでも適当に屈託ないけど、星華はそんな紡麦とさえ合わない女の子ではないわけだ。
「彼女を部屋に連れていこうと思うんだけど」と言うと、「いいんじゃない」と紡麦は驚くことなくうなずいた。
「ん、でもあの部屋に」
「千歳が気にするかな」
「千歳は君が連れてきたのなら、嫌でも我慢するだろうけどさ」
「やな言い方」
「めちゃめちゃエロが貼ってありますよ」
「あー。まあ、貼ってんだけど」
星華は弟のポルノを見つけた姉みたいにおかしそうに笑う。
「好きなの?」
僕はちょっと決まり悪く首をかたむける。
「趣味かな。そういう感覚のものが好きなんだ。B級エログロ。SMからスプラッタまで、僕の部屋にはいっぱいある」
「ゾンビをペットにしたいしー」
紡麦はカウンターに肘をつき、僕のグラスを勝手にあおっている。
「希月ってSMっぽかったかな」
「自分のセックスは普通だよ。悪趣味を眺めるのが好きなんだ。んー、女の子が来る部屋じゃないかも。やめとく?」
「ポルノが好きなことを隠さない男は好きだよ。そのルームメイトが気にしないなら行ってみたい」
「大丈夫だと思うよ。暗いっていうより、静かって感じだし。ね」
氷をころころいわせていた紡麦は、「いたいけなんだよね」と述べた。
「ところで、千歳ってことは女だよね」
「男」
「……君たちの名前って、なんか中性的だね」
希月、千歳、紡麦──まあ、性別不詳と言えなくもない。
「ていうか、千歳くん? 一緒に寝たりするとか言ってたじゃん」
「千歳は特別なんだ」
「美しいね」
「あ、やっぱそう思うよね。やーい、耽美野郎」
「ほかの男だったら吐くよ。たとえ女の子みたいだろうが、紡麦とだって一緒に寝たりはしない」
「るさいな、俺だってこの面、気にしてんのに」
「ゲイではないわけね」
「千歳はバイで僕に気があるよ」
星華は胡散臭そうな目をなずませ、「複雑なんだよ」と紡麦はけらけらと笑ってグラスを置く。
僕と千歳の関係は、じかに触れてみないと、聞くだけでは怪しいばかりだろう。「会って実際見れば、いろいろ雰囲気分かるよ」と言うと、「そだね」と彼女はスツールを降りて、紅茶色の髪をコートの裾のようにひらりとさせた。
「紡麦は残るだろ」
「そう言われると邪魔したくなるよね」
「じゃあ来る?」
「残るよ。フライヤー持って帰るし」
「あ、そっか。よろしく」
「はいはい。よっし、そろそろ追加いくか」
トマトカラーのリュックはロッカーに預ける紡麦は、黒字に白ラインがはいった、ずるずるのパンツのポケットを探りながら、「じゃねー」と騒がしい混雑に消えていった。
星華は僕を見て、「おもしろい子」と言った。僕は苦笑してスツールを立ち上がると、彼女の肩を入口へと押した。
地上では、行き交う人の髪や頬に寒風が吹き荒れていた。三日前に十一月に入り、ネオン越しの空に目をこらすと、雲が一面にかかっている。
確か、出かけ際には小雨もぱらついていた。あれこれゴミが転がるアスファルトをにじると、じゃり、と濡れた音がする。
星華の髪に揺れる匂いを、風とのすれちがいざまに嗅いでいると、雑談のうちに部屋に到着していた。
「え、こんな近いの」
「ん、星華の部屋は遠い?」
「近くだけど。こんなの、近いってよりまだこの界隈じゃん」
僕は笑いながら、きしめきを抑えて階段をのぼり、電球がひっそり寒い廊下を抜けて鍵を取り出す。部屋からはちゃんと明かりがもれていて、落ち着いてるんだ、とほっと胸の黒いものをほどく。
紡麦を初めて連れてきたとき同様、勘に頼っただけだから、千歳の負担にならない決め手はなかった。来る途中に星華にそのへんは断り、「もしダメだったらもう呼べないけど」と謝りもした。「ほんとに大事なんだね」と星華は僕と千歳を多少理解した様子で咲い、首肯はよこしてくれた。
「ただいま」
ドアを押して顔を出すと、ふっと暖まった空気においしそうな匂いがした。「おかえり」とテレビの前から立ち上がった千歳が駆けよってくる。
今日の夕方、今日は大丈夫だなと思って出かけた通り、冷水で溺れたように蒼ざめた頬も、くっきり浮かんでいた隈も薄れていた。僕にくれる微笑も陰りなく穏やかで、その優しい光は僕にも柔らかな気持ちをくれる。
千歳はすぐ僕の背後の星華のすがたに気づき、ほんの一瞬、“他人”への嫌悪が混じった怯えをよぎらせても、すぐ思いがけない客への驚きに移る。
「誰?」
「僕の友達。いいかな」
「もちろん。希月の部屋なんだし」
その言葉の含むところに僕は曖昧に咲い、「大丈夫だと思ったから」と千歳の瞳を見つめる。僕の瞳を受けた千歳は、一度瞳を伏せてから、「うん」と僕を信じることにして微笑んでくれる。
「ほら」と僕は振り向いて星華に玄関をしめした。彼女はいつのまにか、焦れったい教師のようにこまねき、冷気を流しこむ半開きのドアにもたれていた。千歳に上目を使った星華は、続いて僕に目を移した。
「あたし、邪魔でしょ」
「え、何で。別に」
「あたしも、そう鈍感じゃないのよね。──ほんとに、いいの?」
星華は千歳に目を向け、その遠慮がちな瞳に千歳はきょとんとする。そして頬と瞳をストーブに当てたようにやわらげると、「どうぞ」と室内に一歩引いた。
それでも星華は引っかかる様子でも、僕に続いて赤紫のスニーカーを脱いだ。「鍵締めて」と僕に言われ、アクアブルーの指先が鍵をかける。千歳は先に部屋に駆け戻って、アニメが映ったテレビを消すと、僕にはにかみわらった。
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