柔らかな三角関係
玄関に立った星華は、僕の部屋を一望して唖然とする。「あたしの部屋もすごいけど」と彼女はポルノ雑誌を足蹴にして歩み寄ってくる。
「ここまで物置みたいではないよ」
「物置」と僕は咲って、ベッドサイドに腰を放る。「コーヒー淹れようか」とテレビを片づけた千歳は腰を上げ、「お願い」と僕がうなずくと、彼はこんどは星華を向く。
「え、と──名前訊いていいですか」
「あ、星華です。希月と同い年だよ」
「僕は千歳です。一応、二十歳……です」
「二十歳」
意外そうに星華はしばたき、「それにしては頼りないですけど」と千歳はあやふやな自嘲の笑みで痛みを紛らす。
たぶん、だから千歳は対人が苦手なのだ。相手となごやかに過ごす術が分からず、自分を貶めて場を保とうとする。
だが、僕が中和の言葉を言う前に、「ごめん」と星華が千歳を取り成した。
「そういう意味じゃなくて。──ま、よく考えるとそうだよね。希月と紡麦につきあうなら、大人の寛容さがないと」
ひとり納得する星華を見つめ、千歳は僕を振り返る。僕が目配せすると、千歳は安堵にうなずいて、星華に飲み物を問うた。
「あ、うん。お願い」
「コーヒーでいい」
「砂糖は一個ね」
承知した千歳は台所に立ち、これ炊きこみの匂いだな、と上着を脱ぐ僕はいい匂いにメドをつける。
星華は僕の隣に腰かけ、「すごい部屋」と笑いをはらんだ声でぐるりと部屋を見まわした。
「これほどじゃないけど、星華の部屋も散らかってんの」
「ゴミはあんまりゴミ箱に行かないね。男が暮らしてるとそうなのかな。でもこれはひどいよ」
「こういう環境が好きなんだ」
「二、三匹、普通にゴキブリ這ってんじゃないの」
「千歳がごたごたさせとくまま掃除できるから。紡麦がフランスの詩小説に出てくる家政婦と同じ才能って言ってたけど、ま、分かんないね」
「だね」とうなずいた星華は千歳のベージュのフードパーカーの背中を見、「君とあの子の友達だから」と僕と顔を合わせ直す。
「おっとりしてるっていうのも、君たちの感覚に較べたら、と思ってた。ほんとにおっとりしてるね」
「僕、千歳が好きなんだ」
「見りゃ分かるよ。ストレートで残念だったね」
「ほんと」
「ここに女は出入りさせないでしょ」
「千歳が来てから、女が来たのは初めてだね」
「あたしって、女あつかいされてない?」
「女性あつかいはしてない」
星華は肩をすくめた。千歳が電子ジャーでカップにお湯をそそぐと、コーヒーの香りがただよう。
「彼がこの部屋に耐えられるって意外だな」と、星華はバックで犯されるポスターをかえりみる。
「希月だって、こういうの冷めてそう」
「別に燃えもしないけど。千歳は僕の趣味ならって理解してくれるんだ」
「すごい趣味。こんなん、どこで見つけるの」
「そりゃあ、ポルノショップとか通販とか。拾ったのもある」
「みんな目隠しは入ってるのね──」
言いながら、「ん」と星華は新聞で気になる記事を見つけたように、不意に目をこらす。
「あれって、マジックで書いてる」
「目があるのやなんだ」
「男って、顔入りが好きだよね」
「顔っつーか、目が嫌なんだよ」
「何で」
「何でって──あるじゃん」
「目え合わせたくないようなもの?」
「そう」
「目なんかどうってことないじゃない」
「気持ち悪いんだよ」
星華はいまいちしっくりしなかったが、追求はせず、「あたしの目にはビビってないね」と僕の虚空の瞳をガラスに通す。言われて初めて僕もうなずき、意識するとそらしてしまっても、それはおもはゆさのせいだ。
千歳が湯気を引くコーヒーを持ってきて、受け取った僕は、陶器ごしのほどよい熱でじわりと指先を癒す。「ありがとう」と星華も口をつけ、どこに落ち着けばいいのか千歳が視線を迷わせたので、僕がふとんの上に引いて、ベッドサイドに座らせた。
「今日って炊きこみご飯」
「うん。と、魚と煮物。よく分かったね」
「いい匂いだし」
「食べる?」
「コーヒーであったまってからね。まだ三時前だし」
「早かったよね」
「彼女を連れてこようと思ったんで。紡麦は追加でピークの頃」
「だろうね」
千歳は微笑み、僕は「彼女とはクラブで逢ったんだ」と星華を見る。千歳には彼女について何も言っていない。軽く紹介しようとすると、「先週と先々週も過ごした子だね」と千歳は手品の仕掛けを言い当てるようにくすりとした。
「えっ」
「この香水覚えてる」
「あ、あ──」
空中に浮かせた視線を星華の瞳に置き、星華は自分を見下ろす。
「香水、で分かったの?」
「くせがあるとかじゃないよ。いいと思う」
「いや、でも他人越しで分かるって……つけすぎかな」
「初対面の子をつれてくるとも思えないから。──先週、前と同じ匂いがしてるなあとは思ったんだ」
千歳は僕を向き、「そなの」と僕は何となく決まり悪くなる。
「うん。でもね、もしかしたら、ほかの人についた匂いなら気づかなかったかも。希月だから」
千歳は悪戯っぽく咲ったけれども、ふと僕は、鬱が来たのはそのせいかと思い当たった。だとしたら、申し訳ない。とっとと話して、別に秘密で仲良くなったのではないと言えばよかった。
「ごめんね」と言うと、千歳は首をかたむけて微笑した。
「希月と星華さんがそういうつもりなら、祝福するよ」
「え、いや、それは──どう?」
「あたし、一応男いるのよね」
「そうなの?」
「なの。一緒に暮らしてるし」
「けっこう深いんだ」
「そんなこともないよ。好きでもないし。家族って、好き嫌いどうだろうが一緒に暮らさなきゃいけないじゃん。あんな感じ」
「僕と千歳は好きで暮らしてるけどなあ。紡麦もね。あいつも半分ここの住人だよ」
「あたしのほうが、祝福することになるんじゃないの」
星華は咲ってコーヒーに唇を浸し、僕と千歳は顔を合わせる。そうできるならしたい、とさえ思うが、やっぱり、僕と千歳が結ばれることはないと思う。
「ポルノ以外にもいろいろあるね」
星華は壁を振り返り、「だね」と僕もリメイクファッションみたいにつぎはぎに壁紙を埋めるフライヤーやグラビアをかえりみる。
「これは──あ、知ってる。小学生連続通り魔。こういうのも好きなの」
「異常犯罪はいいよね」
「紡麦とよく変な知識ひけらかしてるよ」
「人間の頭がゆであがるまで一時間かかる」
「そういうの」
「連続っつっても、日本じゃ二、三人が相場だけど。外国は軽く十人いくよね。変わった自殺とか、悪趣味な虐待の記事もあるよ」
「やられるほうはたまんないけどね」
星華はあきれてコーヒーをすすり、「そんなん知ったこっちゃないね」と僕も熱が取れてきたコーヒーを、舌を用心させずに胃に通す。
「知れるもんでもないし。紡麦ならドキュメンタリー読んだりしてる。加害者視点にしか感嘆しないけど」
「僕たちは滅入るようなむずかしいもの、紡麦はよく追いかけてるよね」
「じゃ、千歳くんにも意外な趣味ってあるの」
「えっ」
「希月はエログロで、紡麦は難解で」
千歳は僕と顔を交わし、一度シーツの皺を見つめると、「僕は単純なものしか観ないよ」と顔を上げて隠さずに言った。
「深いのは、怖いんだ。すごく単純な、筋道通ってないくらい非現実なアニメとかしか観れない」
「アニメ」
「実物の人間が映ってると、ダメなんだ。希月たちがいれば大丈夫だけど、ひとりでは映画もテレビ番組も観れない。僕は耐えられるものの消去法だから、好きだから観てるってわけじゃないかも。外には出られないし、それしかやることがないんだ」
「出られないって、病気」
「どうだろ。これじゃダメだとは思ってても、思うしかできなくて」
千歳は黒い綿パンツの膝に目を下げて無重力に微笑み、星華はその横顔を見つめる。
だいぶ軆がほぐれた僕は、壁にもたれかかった。
「じゃあ、希月とはどうやって知り合ったの」
「僕と希月は、いとこなんだ。希月が初めて僕を分かってくれた。僕がここに閉じこもるのも、それが安定になるならって甘えさせてくれてる」
「その代わり、家事押しつけてるけど」
僕は空にしたカップを床にやって口を挟む。
「僕たち、一緒に暮らしてるといろんな面で心地いいんだ。紡麦がいると、さらに楽しい」
「あたしが踏みこんでよかったの」
「いいかなと思ったんで、連れてきたんだ。ときどき遊びにきなよ。構わないよ。──ね」
そう千歳に振ると、次は千歳は迷わずにうなずき、その千歳の様子に星華も吹っ切れたようで微笑んだ。「あたしのことさんづけなんてしなくていいよ」と彼女は言い添え、「じゃあ僕のことも」とふたりは呼び捨てを交わすことにもなる。
僕は千歳に負担をかけずにすんだことにほっとして、これがまた千歳の糧になればいいな、といつもの笑みを取り返した千歳に思った。
星華もコーヒーを飲み干すと、紡麦は来ても食事を取る状態ではないだろうと、食事になった。紡麦のぶんを星華にあてようとした千歳に、「あたしはつまみ食いでいいや」と部屋で男と食べることを星華は語る。千歳は無理強いせず、自分と僕のぶんを座卓に並べた。「じゃあそろそろ」と星華が立ちあがって、ひとりで帰っていったのは、五時半も近い頃だった。
星華は自分に男がいることを軽く話しても、それとの生活がどんなものかは、ほとんど語らない。僕は先週抱いたとき、彼女にあった痣を思った。千歳が掃除はしてくれているわけだが、こんな、野郎しか出入りしない部屋で過ごして、今日の彼女にはとりわけ男の気配が絡みついたかもしれない。
「ごめん、びっくりさせて」
座卓を拭くふきんを取りに台所に来た僕は、食器をシンクに並べる千歳を窺う。千歳はこちらを向くと、たおやかな笑みで首を振った。
「楽しかったよ」
「無理して合わせたとかじゃ」
「そう見えた?」
「見えなかったけど──見えなかったら、見えなかったぶんだけ」
千歳は伏せがちの睫毛と咲いながら、中性的な手にスポンジをとって、洗剤をふくませる。千歳がそういう笑みをすると、どこかしら中世の肖像画のようだ。
「大丈夫。ほんとに怖くなかった」
「……そっか」
ならば虚弱あつかいしたのを謝ろうと思っても、しつこいかと言葉に詰まる。千歳は僕を察した瞳でくすっとすると、「すごいね」と握りしめて雲があふれるように泡立ったスポンジを、茶碗にあてた。
「え、何が。星華」
「希月。紡麦のときもそうだったけど。僕と合う人をよりわけてくれる」
「あー、まあ。何だろ。何かね」
うぬぼれるつもりはなくても、どう言葉にすればいいのか分からない。僕は湿って冷たいふきんを手に絡め取って、いじくる。
千歳の指に伝う雪のような泡から、淡くレモンが香っている。
「好きなの?」
「えっ」
「彼女のこと」
「……さあ」
「寝るんでしょ」
「友達っぽいよ」
「友達で寝るかな」
「寝ないけど。行きずりでもないし。そうだね、よく分かんない」
「男の人に嫉妬する?」
「ぜんぜん」
「僕はうらやましいな。希月と触れあったりできるの」
僕は千歳の柔らかな髪や白い頬を見つめた。彼はすごく性別が曖昧だ。だけど、やっぱり僕は欲情できない。
プラグがさしてあれば動き出す機械も、抜けていればいくらスイッチを入れようが動かないように、反応しないのだ。
僕は靴下の爪先を見つめた。
「僕としたい?」
「よく想像できない」
「千歳ってしたことないんだよね」
顔を上げなおすと、「うん」と千歳はうなずく。
「してみたい?」
「……どうだろ。僕には、寝たいってことは、好きだってことだから。行きずりとかは気持ち悪い。純粋ぶるつもりはないんだ。本当に、逢ったその日とかは怖い。許せた相手じゃないと。……女の子でもいまどきここまで思わないよね」
「悪いことじゃないよ。千歳はきっと、許した相手とだって、やっとなんだよね」
千歳は僕ににっこりして、「へへ」と僕も咲って座卓を拭きにいく。
僕が女の子とそうなれば祝福する、という千歳の言葉は、痛みをともなっているけれど、本音だと思う。実際そうしてくれるとも思う。
僕はどうだろ、と特に食べこぼしがあるわけでもない座卓に、ふきんを走らせる。
この部屋にこもっているから確率は低くも、ありえないとはいえない。いつか外に出られるようになったり、僕が連れてきた相手とそうなったり──星華とそうなったっていいのだ。
千歳に恋人ができて、僕は祝福できるだろうか。変な話だけど、素直に歓迎できないかもしれない。
嫉妬はないと思う。その人が千歳を傷つけないか疑いそうだ。千歳の恋人であっても、僕とは他人だったら、いい顔をしないだろう。僕とも友人であれば、安心して頼める。千歳を放っておけないのだ。保護者という感覚はなくても、妙な使命感はある。
ときおり僕が、千歳といっそ結ばれてもいいと思うのは、娘の処女が変な男に渡るぐらいなら、と父親が近親相姦願望を抱き出すのと、似たようなものなのかもしれない。千歳は僕を心から想っているというのに、僕はかなり変態だ。
やっぱやらないほうがいいな、とふきんを置きにいくと、カップを洗っていた千歳が微笑んできて、僕は何だか後ろめたさを混ぜて咲い返した。
【第十二章へ】
